第22話 勇者の胸と貞操の危機
魔導大会の熱気が冷めやらぬ、王都エルディスのギルド迎賓室。
俺は豪華な装飾が施された重厚な扉の前に立ち、ガクガクと膝を震わせていた。
(ついに来てしまった……。男同士の密会(ホモ展開)なんて絶対に嫌だけど、相手はSランクの勇者だ。断ったら何されるか分からない……っ!)
俺が冷や汗を流しながら己の貞操を案じていると、扉の向こうから「入っていいよ」と爽やかな声が響いた。
意を決して扉を開けると、そこには軽鎧を脱ぎ、ゆったりとしたシャツ姿になった金髪碧眼のイケメン――勇者アルクが、優雅に紅茶を飲んでいた。
「来てくれて嬉しいよ、ツナグ。二人きりでじっくり話がしたくてね」
「…………」
(ヒィィッ! 二人きりとか強調しないで!)
「ルミナ君の戦い、見事だったよ。あのデタラメな融合魔法、君が教えたんだろう? ぜひ、僕の仲間にも君の指導をお願いできないかと思ってね」
アルクが真剣な瞳で距離を詰めてくる。
俺は身の危険を感じ、両手を前に出してブンブンと振った。
ここはどうにかして、「俺には何の価値もない(だから襲わないでくれ)」と伝えるしかない!
「……勘違いするな。俺はただの『村人』だ。魔法の知識もない。スキルも『身体強化』しかない、弱い男だ」
(これでいい! こんな貧弱な男、抱く価値もないだろ!)
だが、必死の牽制を受けたアルクは、パチリと瞬きをした後、フッと楽しげに笑い出した。
「ハハハッ! 君ほどの底知れぬ威圧感を持つバケモノが『ただの弱い村人』なわけがないだろう? 底を見せないその謙虚さ、嫌いじゃないよ」
(だめだ! 謙遜だと受け取られてる! 全然引いてくれない!)
どうやっても強者扱いから逃れられず、俺が胃痛で白目を剥きそうになっていた、その時だった。
「……ん? なんだ、やけに部屋が暑いな……」
アルクがふと自らの首元に手をやり、荒い息を吐き始めた。
その頬は不自然なほど赤く上気し、瞳にはとろんとした熱が帯びている。
(あっ! これ、俺から出てるアスモデウスの残滓のせいか!? でも、魅了は『女』にしか効かないはずじゃ……?)
「ふぅ……おかしいな、頭がぼーっとする……。それに君から、とてもいい匂いが……」
「ちょ、ちょっと待て!」
アルクはふらふらと俺に近づきながら、無意識のうちにシャツのボタンに手をかけ、バサリと前を大きくはだけさせたのだ。
「えっ!?」
(うわあああっ!! いきなり脱ぎ始めた!? やっぱりそういう展開――)
俺が悲鳴を上げて目を逸らそうとした瞬間、視界の端に『あるもの』が飛び込んできた。
アルクのはだけたシャツの下。
そこには、真っ白なサラシがきつく巻かれた豊かな膨らみと――華奢で美しい鎖骨のすぐ下にある、艶やかなホクロがあった。
(お、女だーーーーーッッ!!!! しかも鎖骨のホクロがめちゃくちゃセクシー!!)
「……ん?」
俺が思わず凝視してしまうと、アルクも俺の視線に気づき、ハッと我に返った。
フェロモンで飛んでいた理性が、一気に引き戻されたのだろう。
「あ……っ!」
ドクンッ! ドクンッ!
『対象の【明確な女性的特徴】を視認。宿主の心拍数、急上昇。肉体負荷ゲージ:20%……40%……』
システムが、俺の「女の子へのドキドキ」に反応して爆音を鳴らし始める。
(お、女だーーーーーッッ!!!! よかったぁぁぁぁぁぁっ!! 俺の貞操は無事だったぁぁぁっ!!)
俺は心の中でガッツポーズを決め、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになった。
だが、アルクの反応は全く違っていた。
彼女は顔を真っ赤にして慌てて胸元を隠し、その場に力なくしゃがみ込んでしまったのだ。
「……見られたか。すまない、急に頭がぼーっとして……いや、言い訳だな。幻滅しただろう」
アルクの爽やかなイケメンボイスが、微かに震える可憐な少女の声へと変わっていた。
「この国の『勇者』は、代々男が受け継ぐと決まっている。……だから私は、女であることを殺して生きてきたんだ。君のような本物の強者から見れば、こんな偽りの姿……気持ち悪いだろう?」
自嘲気味に笑うアルク。
だが、俺の内心は真逆だった。
(いやいやいや! 気持ち悪いどころか、心底ホッとしてるよ! むしろ最高だよ!!)
俺は、BLの恐怖から救ってくれた目の前の美少女(勇者)への圧倒的な感謝と、コミュ障ゆえの省エネ発言をフル稼働させ、極低音のウィスパーボイスでボソッと放った。
「……そんなことはない。お前は、魅力的な『女』だ」
(これで伝われ、俺の気持ち!)
俺のただの安堵の言葉。
しかしそれは、ずっと性別を偽り、誰からも女性として扱われてこなかったアルクの心を、真正面から撃ち抜く強烈な一撃だった。
「ッ……!!」
アルクの顔が、さらにボンッ! と音を立てるように限界まで真っ赤に染まった。
上目遣いで俺を見つめるその碧眼は、完全に潤みきっている。
ドクンッ!!
『対象からの【極めて強烈な好意と雌の顔】を感知。肉体負荷ゲージ:60%……80%……』
(ヤバい! めちゃくちゃ良い雰囲気になっちゃって、俺の心臓が爆発する!!)
俺が顔面を硬直させていると、アルクが胸元を隠したまま、ふらふらと俺に近づいてきた。
「ツ、ツナグ……君は、本当になんて男だ。僕の秘密を知っても、少しも動揺せずに、そんな甘い言葉を……っ」
アスモデウスの魅了も相まって、アルクは完全に理性を失いかけている。
このままでは、今度こそ俺の命(自爆)が危ない。
――バンッ!!!
その時、迎賓室の重厚な扉が、蹴り破られるような勢いで開け放たれた。
「そこまでだ、勇者殿ッ!!」
「えっ!?」
「なっ!?」
扉の前に立っていたのは、抜剣寸前の構えをとる『剣姫』セレスティアと、その後ろで鼻血を出しながら猛烈な勢いでメモをとっているマリアだった。
「ツナグ様にこれ以上近づくことは、この剣姫が許さん!!」
(セレスティアちゃん!? ていうかマリア、お前なんで一緒に見に来てんだよ!)
セレスティアは、アルクの乱れたシャツと赤い顔を見ると、ギリリッ、と激しい歯軋りをした。
「……まさか、本当に男同士でこんな破廉恥な真似を……! だが、たとえ相手が勇者であろうと、ツナグ様の隣に立つ騎士はこの私だ!」
「ほう……?」
アルクはハッとして服のボタンを素早く留め直すと、今度は「勇者」としての凛々しい顔つきに戻り、セレスティアを真っ直ぐに見据えた。
「近衛騎士団の剣姫か。……君も、ツナグの強さと器の大きさに惹かれた一人というわけだね。だが、彼と私を、そう簡単に引き離せるかな?」
「言ったな……! ならば私と立ち会え、勇者アルク! ツナグ様に見合う実力があるか、私が確かめてやる!」
「受けて立とう。僕も、君の実力に興味があったところだ」
(えっ!? ちょっと待って、なんで美少女とイケメン(女)が俺を巡って修羅場始めてるの!?)
俺の貞操の危機は去ったが、事態は思わぬ方向へフルスロットルで加速していた。
そして。
ツナグの「男への恐怖」を「勇者への特別な執着」と勘違いしたセレスティアと、ツナグにコンプレックスを救われた男装勇者アルク。
二人のプライドを賭けた、規格外の『スパーリング(女の戦い)』が、ついに幕を開けようとしていた。
(俺はただ、スローライフを送りたいだけなのに……!)




