第14話 弟子の悲壮な覚悟
「――弟子にしてくれ、じゃと?」
王都郊外、大魔導士ヴァニアの館。
早朝の薄暗い応接間で、ルミナは床に額がつくほど深く頭を下げていた。
「はいっ! 私がもっと強靭な『器』になれば、ツナグ様はご自身の命を脅かさずに、安心して私に魔力譲渡ができるはずです……! どうか、私に魔力の扱い方を教えてください!」
その声は震えていた。
恥も外聞もなく、ただ必死だった。
ヴァニアは椅子に浅く腰かけ、机の上の紙束をめくりながらキャンディを口に放る。
そこには、昨夜まで徹夜でまとめていたのだろう、俺の心拍変動や残熱量の記録がびっしりと書き込まれていた。
「やれやれ……。結論から言うぞ。断る。ワシは弟子など取らん主義じゃ」
「そ、そんな……っ!」
ルミナの肩がびくりと跳ねる。
だがヴァニアの口調は、いつもの軽さの奥に妙な硬さを含んでいた。
「それにのう、お主の『魔力枯渇症』は病ではなく体質じゃ。魔液タンクを持たねば魔法を維持できんお主に、ただ『器を強くしろ』と言うのは、バケツに無理やり海水全てを注ぎ込むようなものじゃ」
「それでも……! 私は、あの優しいお方が一人で恐怖を背負うのを、もう黙って見ていたくはないのです……っ!」
ルミナの声が、涙混じりに震える。
その言葉に、ヴァニアはページをめくる手を止めた。
しばし沈黙が落ちる。
やがて彼女は、小さく息を吐いた。
そして何気ない仕草で、片側の耳に付いた金色の補助具へ触れる。
「……『足りん器を、気合で強い器に変える』か。昔のワシも、似たようなことを考えたことがある」
「ヴァニア様……?」
「禁忌の蘇生魔法に手を出して、里を追われた。罰として片耳を落とされてのう」
ルミナがはっと息を呑む。
ヴァニアは構わず、淡々と続けた。
「耳はただの飾りではない。エルフにとっては魔力循環の位相を整える器官でもある。片方を失えば、流れは乱れ、少し強い魔力を扱うだけで回路が不安定になる」
「……っ」
「だからワシは、身体の足りん部分を道具で補う方へ進んだ。補助具も、測定器も、放熱器も、ぜんぶその延長じゃ。器が欠けておるなら、外にもう一つ器官を作ればよい」
その言葉には、年長者の説教ではなく、痛みを知っている者の静かな実感があった。
「ヴァニア様も……」
「同情はいらん。もう昔のことじゃ。じゃがな、ルミナ。欠けた器を根性だけで満たそうとすると、壊れてしまう」
ルミナは唇を噛み、目を伏せた。
ヴァニアはキャンディを噛み砕き、机に置いてあったペンを一本取り上げると、それをくるりと指先で回した。
「……バケツなら、いっそ底を完全にぶち抜いて『パイプ』にしてしまえばよい」
「えっ?」
「魔力とは、己の内に留めるものだけではない。流れを阻害せず、抵抗を減らし、必要な場所まで通す。それもまた立派な魔法の才じゃ」
「通す……」
ルミナの瞳が、わずかに見開かれる。
「お主の問題は溜められんことではない。『通す設計になっておらんこと』じゃ。なら発想を変えろ。抱えるな。流せ」
「……っ」
ヴァニアはそこで、シッシッと手を振った。
「言いたいことは以上じゃ。ワシは弟子を取らん。だが、理屈くらいはくれてやる。あとは自分で試せ」
「ヴァニア様……!」
ルミナは泣きそうな顔のまま、深く頭を下げた。
「ありがとうございますっ!!」
「礼は結果で払え。ついでに無茶をして死ぬな。検証前に壊れる実験体は趣味ではない」
「は、はいっ!」
勢いよく返事をしたルミナは、そのまま館を飛び出していった。
だが門を出る直前、彼女はふと足を止める。
離れの客間の扉をそっと開くと、そこにはヴァニアから支給されたベッドで、無防備な寝顔をさらしているツナグの姿があった。
すうすうと平和な寝息を立てるその顔を見つめ、ルミナは胸元でぎゅっと拳を握る。
(ツナグ様……。私が必ず、貴方様の魔力を受け止められるようになります。自爆の恐怖から、今度は私が貴方様を救ってみせます……っ!)
ルミナは愛おしそうにその寝顔を見つめると、静かに扉を閉め、修練場へと走り出していった。
***
王都エルディスの冒険者ギルドに併設された修練場。
ルミナは巨大な『魔液タンク』を背負い、ひびの入った訓練用の的へ向けて杖を構えていた。
(留めるのではなく、通す……。私という存在を器ではなく『パイプ』にできれば……!)
彼女は深く息を吸い込むと、タンクのバルブを一気に全開まで捻った。
どっ、と大量の魔液が体内を駆け抜ける。
魔力は血流のように荒々しく走り、腕から杖へ、先端から放出口へ向けて押し出される。
「いっ、くぅぅぅっ……!! あ、つ……!」
だが、その通し方はまだ粗すぎた。
流量に対して回路が細い。
急激な負荷に耐えきれず、全身の血管が焼けるような発熱が襲う。
(だ、だめ……! 通せているけれど、抵抗が大きすぎる……!)
そして、その無理はすぐ別の場所へも現れた。
ピキッ……パキィィッ!
「きゃあっ!?」
嫌な音とともに、愛用の杖に深いひびが走った。
下級の杖では、大容量の魔力通過に耐えきれなかったのだ。
弾かれるように尻もちをついたルミナは、肩で荒く息をする。
手は震え、足には力が入らない。
(私の体も……杖も、まだ耐えられない……っ。これではツナグ様の魔力なんて、とても……)
悔しさに滲んだ涙が、ぽたりと地面に落ちた。
その時だった。
「おいおい、朝から何をやってるかと思えば。また高価な魔液を無駄にしてるのかよ、欠陥品ちゃん?」
修練場の入口から、数人のローブ姿の魔法使いがにやにや笑いながら近づいてきた。
彼らはルミナのひび割れた杖を見るなり、下卑た笑い声を上げる。
「そのボロ杖で、剣姫様や噂の格闘士にでも媚びてるのか?」
「……寄生なんかじゃありません!」
「はっ、まだ口答えする元気はあるらしいな」
男の一人が乱暴にルミナの肩を突き飛ばした。
バランスを崩した彼女が倒れ込み、背負っていた魔液タンクが男の足元へ転がる。
「ああっ、や、やめて……っ!」
「そんなガラクタ持って魔法使い気取りとか笑わせるなよ!」
男はブーツで魔液タンクを踏みつけ、そのままルミナの体を蹴り飛ばした。
床を滑るように飛ばされたルミナの体は、ちょうど修練場の入口から様子を見に来ていた俺の足元まで転がってきた。
「……ん?」
「あっ……ツ、ツナグ様……っ」
俺の足元に、ルミナがすがりつくように倒れ込む。
その拍子に服の胸元が大きくはだけ、俺の脚へ豊かな感触がむぎゅっと押し付けられた。
(うわあああっ!? ルミナちゃんが足に絡みついてきた!? しかも胸が、危ない!!)
ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!
『対象からの【極めて濃厚な接触と視覚的刺激】を感知。宿主の心拍数、危険域へ』
ヴァニア特製のコートを着ていても、このレベルの密着はさすがに刺激が強すぎる。
(ストップ、ストップ! このままじゃ俺が自爆する!!)
俺は顔面を青ざめさせ、全身を小刻みに震わせた。
だがその反応を、ローブの男たちは別の意味に受け取ったらしい。
「あ? お前が噂の格闘士か? なんだよ、恐怖でブルブル震えてるじゃねえか」
「所詮は『身体強化』しか使えねえ村人だろ。雑魚がしゃしゃり出るなよ」
(お前らにビビってるんじゃなくて、俺の心臓が爆発しそうなんだよ!)
「そのポンコツ女を庇う気か? ならまとめて焼いてやるよ。――上級魔法フレア・ジャベリン!」
灼熱の炎槍が一直線に飛んでくる。
直撃すれば巨岩すら溶かす威力だ。
(うわっ、そんなのまともに受けたら――)
ボンッ!
爆炎が俺の体を包み込んだ。
だが次の瞬間、外套の裏地に走る青い線に、俺から漏れ出た魔力の『赤』が混ざり合う。
裏地全体が凄まじい『赤紫色』に発光し、迫り来る炎を丸ごと吸い込んで中和してしまった。
ヴァニアの作った『魔力吸収の外套』は、俺から漏れ出る濃密な魔力を即座に防壁へ変換し、火炎を丸ごと受け止めていた。
皮膚どころか、コートの表面に焦げ跡すら残っていない。
(うわ……すげえ。ほんとに防いだ……! あの研究者、装備まで反則級かよ!)
だが、散った火の粉が裾をかすめた瞬間、俺は反射的に声を漏らしてしまった。
「あっ!」
――ドゴォォォォンッ!!
口から出た声は、バグった肺活量によって超圧縮され、目に見えるほどの凄まじい衝撃波となって、男たち足元の地面を吹き飛ばした。
(やべっ!! 声帯バグのこと忘れてた!!)
「「「ひぎぃぃっ!?」」」
衝撃波で腰を抜かした男たちは、その場にへたり込んだ。
さっきまでの威勢はどこへやら、床に額を擦りつけて命乞いを始める。
「お、お許しくださいぃぃ!」
「も、もう二度とルミナには近づきません! 命だけはぁぁ!」
俺はただ「あっ」という声だけで、彼らは完全に戦意を喪失し、転がるように逃げていった。
(あっぶねぇ……。顔を真正面に向けてたら、あいつら本当にミンチだったぞ……)
ようやく安堵して足元を見ると、ルミナがぼろぼろの姿で俺を見上げていた。
服は破れ、肌には擦り傷がいくつもできている。
(うわ……。かなりやられてるじゃん。女の子にここまで酷いことするとか、どうかしてるだろ……)
俺が胸を痛めていると、ルミナははっとして両手で顔を覆った。
「み、見ないでください……っ」
「……」
「こんな……泥だらけで、惨めに地面を這いずり回る姿……ツナグ様には見られたくなかったのに……っ!」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、ルミナは唇を噛みしめる。
だが次に彼女が紡いだのは、羞恥だけではなかった。
「でも……あんなにも温厚なツナグ様が、私への侮辱に対して、言葉を発することすら忘れるほど静かにお怒りになって……」
(えっ?)
「全身を震わせながら、私を守るために立ってくださったのですね……。ありがとうございます……っ!」
(違う! 俺はただの密着パニックで震えてただけだよ!)
俺は必死に内心で否定した。
だが――ふと視線を落とすと、俺の両手はなぜか白くなるほど強く握り込まれ、緊張とは質の違う震えを帯びていた。
俺の胃はきりきり痛み、冷や汗は止まらない。
それでも俺を見上げるルミナの瞳は、涙で潤みながらも真っ直ぐで、あまりにも真剣だった。
惨めな姿を晒しても、彼女はさっきまでより少しだけ強い目をしていた。
たぶん今の一件で、ルミナの覚悟はますます固まったのだろう。
そして俺はまだ知らない。
この日から始まるルミナの特訓が、やがて俺の自爆問題だけでなく、王都を揺るがす戦いの切り札にまで育っていくことを。




