第12話 コートの代償はモルモット
水着という名の視覚テロと、幻水蜘蛛との死闘を乗り越え、俺たちは無事に王都へ帰還した。
採取した『幻水蜘蛛の糸』をその足でヴァニアの館へ持ち込むと、彼女はそれを見た瞬間に目の色を変えた。
そして工房に籠もること丸一日。
翌朝。
ルミナとセレスティアが訪れてきたころ、寝不足で髪をぼさぼさにしたままのヴァニアが、どこか誇らしげに一着の外套を差し出してきた。
「ほれ、完成じゃ。これが『魔力吸収の外套』じゃよ」
「早っ!?」
俺が受け取ったのは、膝まで届く黒い外套だった。
一見するとシンプルな仕立てだが、布地の内側には細い銀糸が何層にも縫い込まれ、ごく薄く青い魔力の線が浮かんでは消えている。
派手さはない。
だが、服からは異様な力の圧があった。
「おお……っ。なんだか強者の装備って感じがするな」
「見た目だけで喜ぶでない。そやつの肝は裏地じゃ。お主の手の甲にある『浪費の刻印』から漏れ出る残熱を、裏地の銀糸の放熱回路が吸い上げ、無害な形に分解して外気へ逃がすよう編んである」
「分解して逃がす……?」
「外付けの排熱器官じゃな。お主の体に足りん機能を、服の側へ持たせた。根本治療ではないが、今までよりはるかにマシになる」
その言い方に、いかにもヴァニアらしい説得力があった。
俺はさっそく外套を羽織る。
瞬間、うっすらと青く発光していた裏地の回路に、赤い線がサッと走り全体が明滅するような『赤紫色』へと変化した。
これまでずっと胸の奥に燻っていたマグマのような圧迫感が、すうっと薄れていった。
体の芯にこびりついていた熱が、ゆっくりと引いていく。
「すごい……! 体が軽い!」
『――現在の基本ステータスを更新します』
【魔力】105(※残熱の恒久的な蓄積を確認)
(……ん? コートのおかげで表面の熱は引いたけど、ギルドの時より『魔力(残熱)』のベース数値自体は三桁に上がってないか?)
俺が嫌な汗を流していると、ヴァニアがため息をついた。
「言っておくが、その外套はあくまで『溢れた魔力を捨やすくする』だけじゃ。お主がバカみたいに魔力乗算(限界突破)を繰り返せば、器の底にこびりつく残熱のヘドロはどんどん分厚くなっていく。根本的な解決にはなっとらんぞ」
(うそん……。じゃあこのままドキドキし続けたら、いつかベース値だけで器が爆発するってこと!?)
だが、たしかに効果は本物だった。
俺は思わず握り拳を作る。
(これなら……これならやっと、普通の距離感で女の子と喋っても爆発しないかもしれない……!)
「なぁ、ヴァニア。このコートって、あくまで時間稼ぎなんだろ? 情動の乱れそのものをどうにかする方法はないのか」
「あるにはある。じゃが、どれも楽な道ではないのう」
ヴァニアは作業机の上にあった紙束をめくりながら答えた。
机の上には、俺の心拍数推移らしきグラフや、意味不明な数式まで並んでいる。
いつの間にこんなものを。
「一つは感情の振れ幅そのものを抑えること。もう一つは、振れた分だけ逃がせる出口を増やすことじゃ。前者は精神修行、後者は道具か術式の強化。要するに『興奮しない男になる』か、『興奮しても爆発しない構造を増やす』かの二択じゃな」
「身も蓋もないな……」
「事実は往々にして可愛げがないものじゃ」
そしてヴァニアは、からんとキャンディを転がしながら続けた。
「『魔力譲渡』を安全に運用できるようになるまでは、お主自身が多少なりとも心を鍛えるしかない。滝行、瞑想、断食、睡眠制御、呼吸法……いろいろあるぞい」
「なるほど、精神修行か……」
(よし……。いずれ安全にキスをするためだ。これからは毎日一人で滝にでも打たれるか。童貞の道は険しいな……)
俺が真剣に頷いていると、少し離れて控えていたルミナたちが近寄ってきた。
「……ツナグ様。その漆黒の外套、とてもよくお似合いです」
「はいっ! 孤高の英雄のような風格です……!」
ルミナとセレスティアが、ほんのり頬を赤らめながら俺を見上げる。
ドクンッ。
『対象からの【強い好意と敬愛】を感知。肉体負荷ゲージ:5%……』
(……おおっ! 見つめられてドキッとしたのに、全然上がらない!)
胸の奥が少し熱くなっても、暴走まではいかない。
外套の内側を青い回路に赤い熱が混ざり合い、赤紫色の光となって俺の熱を吸い上げ、外へ逃がしてくれているのが感覚でわかった。
(このコート、マジで神アイテムだ……!)
「感謝する、ヴァニア。これなら……少しは人間らしい生活が送れそうだ」
「うむ。少なくとも『視線が合っただけで王都消滅』みたいな間抜けな事故は減るじゃろう」
ひどい言い草だが、否定できないのがつらい。
俺が少しだけ口元を緩めると、ヴァニアも珍しく満足そうに頷いた。
だがその次の瞬間、彼女はすっと目を細める。
「……さて。材料は持ち込みとはいえ、ワシの仕立てと設計は安くないぞ?」
「うっ」
「お主、どう見ても一文無しじゃろ」
「ぐっ……」
図星だった。
「あ、あの! ツナグ様の代金でしたら、私が騎士団の給金から全額を――」
「いらんいらん」
セレスティアが慌てて財布を取り出そうとするが、ヴァニアは片手をひらひら振った。
「金より、もっと面白い報酬がある。ツナグ、お主のその『悪魔の魔力』は極めて珍しい。新薬、補助具、回路安定器、放熱装備――試したいものが山ほどある。ゆえに、お主にはワシの研究に協力してもらう」
「……つまり?」
「簡単に言えば、実験の手伝い《モルモット》じゃな」
「やっぱりそう来たか……!」
ヴァニアは悪びれもせず胸を張る。
「安心せい。危険度の高いものは段階を踏むし、事前説明もする。ワシは無意味に検体を壊すほど雑な研究者ではない」
「壊すって単語が出てる時点で安心できないんだが!?」
「細かいことを気にすると長生きできんぞ」
「気にしなかったらもっと早く死ぬだろ!」
だが、ヴァニアはそこでさらに条件を上積みしてきた。
「住む場所は館の客間を使え。食事も出す。給金も払う。お主の状態は日々観察が必要じゃし、こちらとしても近くにおった方が都合がよい」
「……衣食住つき?」
「うむ」
「給金も?」
「うむ」
「実験は痛くない?」
「善処はする」
「……」
俺は一瞬だけ黙り込んだ。
だが答えは、ほとんど決まっていた。
(衣食住つきの高給バイト……!? どのみち無一文だったし、ヒモ生活から抜け出せる……! 多少研究材料にされても、現状よりだいぶマシでは!?)
ヴァニアの顔には、最初から俺の反応を読んでいたような笑みが浮かんでいる。
(このチビ研究者、最初から俺を囲い込むつもりだったな……! 恩を売って逃げ道を塞ぐとか、やり方が完全にえげつない!)
だが、それでも条件が良すぎた。
「……悪くない。俺の体でよければ、好きに使え」
「よし、交渉成立じゃな!」
俺の答えに、ヴァニアは満足げに指を鳴らした。
「ツ、ツナグ様……っ!」
ルミナが感極まったように両手を口元に当てる。
「大魔導士様の思惑をすべて見抜いた上で、なおご自身の身を差し出されるなんて……!」
「自ら危険な研究の礎となり、この世界の魔術発展に身を捧げるおつもりなのですね……。やはりツナグ様の器は、我々の想像を超えております……!」
(違う! ただ家付きの仕事が嬉しいだけだ!)
「なら、さっそく歓迎の夕飯じゃ。待っておれ」
上機嫌になったヴァニアは、工房の奥へ駆けていく。
しばらくして戻ってきた彼女は、小さな体に不釣り合いな、可愛らしいフリルのエプロンを着けていた。
だが、その下の作業着の袖口には煤が残り、耳の補助具もまだ付けたままだ。
足台に乗って鍋を覗き込むその姿は、親戚の子供の手伝いにも見えるし、徹夜明けの技術者がそのまま台所に立った姿にも見えた。
(さっきまで魔導炉みたいな工房にこもってたのに、今度はエプロンでシチューかよ……。危ない研究者なのか世話焼きなのか、どうなんだこの人……)
ただ、少なくとも一つだけははっきりしている。
ヴァニア相手だと、俺の心拍数はまるで危険域まで跳ね上がらない。
見ていて妙に安心するのだ。
(異性としては意識しない。けど、一緒にいると妙に落ち着く……。この人、俺にとっては心のより処かもしれないな)
そんなことを考えていた、その時だった。
俺の両隣から、ギリリッ、と凄まじい歯軋りが聞こえた。
「……セレスティア様。大魔導士様とはいえ、ツナグ様の胃袋をあんなに無防備に独占するのは、少し……ずるいと思いませんか?」
「ああ……。我々は魅了の影響もあり、ツナグ様とまともな食事すら難しかったというのに。あの位置は本来、護衛たる我々が――」
「聞こえておるぞ、お主ら」
鍋をかき混ぜながら、ヴァニアが呆れたように振り返る。
「食うか?」
「「謹んで遠慮いたします!!」」
「なんじゃ、つまらんのう」
この日を境に、ルミナとセレスティアの瞳には、ある強烈な『焦り』が芽生えることになる。
そして俺はまだ知らない。
この館での住み込み生活が、俺の心臓にも日常にも、まったく優しくないものになっていくことを。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
次回ルミナとセレスティアの過去に触れていきますのでお楽しみに。
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