第5話 面談
研究テーマ面談は、典究課程の1年目に必ずある。
候補だけは用意していく。
けれど、たいていは導師に数分で弱点を見抜かれ、自分がまだ研究の入口にも立てていないことを思い知らされる。
私は昼過ぎ、面談用の紙を持って副導師の部屋へ向かった。
候補は3つ。
低位治癒呪式における線幅と魔力効率。
灯火呪文の魔法陣形状と揺らぎ。
補助線の省略が発動安定性に与える影響。
どれも、悪くない。
けれど、どれも自分の問いという感じがしなかった。
「入りなさい」
副導師マルクスは、書類の山の向こうから顔を上げた。
黒曜呪式研究室では、学生の話を最後まで聞くことで知られている人だった。穏やかなぶん、質問は鋭い。その静けさが、かえってこちらの甘さを逃がしてくれない。
「研究テーマの相談ですね」
「はい」
私は紙を差し出した。
マルクスは眼鏡を直し、1行ずつ読んだ。
「地味だね」
「……はい」
「悪い意味ではない。1年目のテーマとしては堅実だ。魔法陣の形と効率。低位呪式。測定もしやすい」
少しだけ安心した。
「ただ」
来た、と思った。
「リサーチクエスチョンが、まだ見えない」
私は黙った。
「線幅を調べたいのか。揺らぎを調べたいのか。省略可能性を調べたいのか。候補は並んでいるが、君が何に引っかかっているのかが、まだ紙に出ていない」
何に引っかかっているのか。
私は自分の手帳を思い出した。
――私は、帰っていない。
その1行を、ここで言うわけにはいかなかった。
「小さな呪文が、どうして安定したり、不安定になったりするのかに興味があります」
「それは多くの人が興味を持つ」
「はい」
「君自身は、どの瞬間に気持ち悪さを感じる?」
気持ち悪さ。
その言葉だけが、妙に正確だった。
私は少し迷ってから答えた。
「発動したか、失敗したかが、はっきりしないときです」
マルクスのペンが止まった。
「たとえば?」
「呪文が崩れたわけではないのに、先へ進まないとき。条件が足りないのか、安全に止まっているのか、それとも、そもそも別の現象なのか分からないとき」
言ってから、資料室で見た試験盤の文字を思い出した。
像形成を保留。
私は、余計なことを言ったかもしれないと思った。
マルクスはしばらく黙っていた。
「未発動呪式に関心があるのかもしれないね」
「未発動呪式?」
「発動しなかった呪文を、失敗として捨てずに分類する研究だ。魔力不足、構文誤り、外部干渉、安全停止。地味だが、重要な分野だ」
私は少し身を乗り出した。
「それは、1年目でも扱えますか」
「範囲を絞れば」
マルクスは私の候補リストの下に、新しく1行を書いた。
低位呪式における未発動状態の分類。
その文字を見た瞬間、胸の奥で何かが小さく鳴った。
これだ、とは思わなかった。
でも、これなら近づける気がした。
何に、とは言えない。
「ただし」
マルクスはペン先を止めた。
「高位呪式には触れないこと。特に、記憶再構成呪文には近づかない」
部屋の空気が、少しだけ冷えた。
「それは、エリアス先輩の事故があったからですか」
「事故という言葉を、軽く使わない方がいい」
副導師の声は静かだった。
私は息を呑んだ。
「では、事故ではないんですか」
マルクスは答えなかった。
代わりに、私の候補リストをこちらへ返した。
「研究テーマを選ぶときは、自分の手に負える問いを選びなさい。大きすぎる問いは、人を壊す」
「人を?」
「研究者を」
彼はそう言い直した。
面談はそれで終わった。
私は候補リストを抱え、扉へ向かった。
「ミナ」
呼び止められて、振り返る。
マルクスは書類の山の向こうで、私を見ていた。
「確認しておきたい」
「はい」
「君の名前は?」
一瞬、意味が分からなかった。
「……ミナ・クレインです」
マルクスは私の答えを聞いてから、面談記録の最後にゆっくりと名前を書いた。
ミナ・クレイン。
それから、ほんの少しだけ息を吐いた。
まるで、研究テーマの確認より、私の名前の確認の方が大事だったみたいに。




