第16話 研究倫理講習
研究倫理講習は、年度のはじめに必ず受けることになっている。
捏造。
改ざん。
剽窃。
講師は、水晶盤に1つずつ言葉を映した。
「存在しないデータを作ること。都合の悪い記録を書き換えること。他者の成果を自分のものとして扱うこと。ここまでは、魔法研究でも、他の学問でも同じです」
私は手帳を開いたまま聞いていた。
前なら、退屈な講習だと思ったかもしれない。
けれど今は、どの言葉も妙に重かった。
存在しないデータ。
書き換えられた記録。
誰のものか分からない成果。
どれも、遠い話ではなかった。
講師は少し間を置き、4つ目の項目を映した。
――術後混濁隠蔽。
「魔法研究では、これを第4の研究不正として扱います」
教室の空気が少しだけ変わった。
「呪式行使後に術後混濁、記憶欠落、錯乱発話、本人性の揺らぎが確認された場合、それを実験記録から除外してはいけません。必ず問診票に記録し、通常データとは分離してください」
通常データとは分離。
その言葉に、私は顔を上げた。
「混濁中の証言は、信用性が低い。研究成果として引用してはなりません」
講師は淡々と言った。
「術後混濁では、記憶の混線や連想の飛躍が生じます。被験者が見ていないものを見たと言ったり、起きていないことを体験したと語ったりすることもあります」
水晶盤に短い事例が映る。
――実験後、被験者が実験内容と無関係な情景を詳細に語った。
――対応:術後混濁として記録。通常観測から分離。
「重要なのは、証言の真偽ではありません」
講師は続けた。
「混濁状態で得られた情報と、通常状態で得られた情報を区別することです」
教室の何人かが、退屈そうに筆記していた。
私は、その説明から目を離せなかった。
真偽ではない。
区別する。
その言葉が、どこか引っかかった。
講師は最後に、過去の事例を映した。
――被験者は実験後、実験目的と無関係な内容を長時間語った。
――記録者はそれを観測結果として論文へ記載した。
――審査において、術後混濁隠蔽と認定。
「本人が強く主張していたとしても、それだけで観測結果にはなりません」
講師は水晶盤を消した。
「混濁中の発話は、まず混濁として記録する。これが原則です」
講習が終わると、リゼットが低い声で言った。
「これって、正しいことだよね」
「うん」
私は答えた。
「たぶん、正しい」
混濁中の証言を、そのまま信じるのは危険だ。
研究記録から分けるのも、必要なことかもしれない。
でも。
分離された記録は、誰が読み返すのだろう。
除外された発話は、どこへ行くのだろう。
研究室に戻ってから、私は手帳の最後の頁を開いた。
――私は、帰っていない。
問診票の回答。
術後混濁中の証言。
もし講習の通りなら、これは信用してはいけない記録だ。
通常データから分離すべきもの。
研究成果として引用してはならないもの。
私は羽根ペンを持った。
その一文の下に、小さく書き足す。
――術後混濁中の証言は、信用性が低い。
しばらく見つめてから、さらにもう1行書いた。
――でも、誰かがそれを隠したいなら、最初にそう教えるはずだ。




