第15話 直前の行動
翌朝、私は治癒棟へ向かった。
リゼットには、前日のうちに声をかけていた。
「返却記録を、もう一度見たいの」
そう言うと、彼女は少しだけ迷ったあと、頷いた。
「一人で行かない方がいいと思う」
治癒棟の資料室は、朝の光で白く満ちていた。棚も机も清潔で、黒曜呪式研究室の資料室とは違い、埃の匂いがしない。けれど、その白さのせいで、かえって余計なものが隠されているように見えた。
私たちは、先日見た冊子を取り出した。
――虚偽記憶と錯乱発話の分類。
裏表紙の内側には、貸出履歴が貼られている。
――エリアス・ヴェイン。
貸出日:死亡前日。
返却者:ミナ・クレイン。
何度見ても、そこに私の名前があった。
「返却時の確認票って、残っていますか」
リゼットが係員に聞いてくれた。
係員は少し面倒そうに棚の奥へ行き、薄い紙束を持って戻ってきた。
「資料室内で確認してください。持ち出しはできません」
そう言って、机の上に置く。
私は手袋をつけ、紙束を開いた。
返却日。資料名。返却者。確認者。
その中に、目当ての頁があった。
返却者欄には、私の名前がある。
――ミナ・クレイン。
私の字だった。
見間違えようがない。
けれど、書いた覚えはない。
リゼットが隣で小さく息を吸った。
「本当に、ミナの字だね」
「うん」
「でも、覚えてないんだよね」
私は頷いた。
その下には、小さな問診欄があった。
返却者に術後混濁の疑いがある場合のみ記入、と欄外に書かれている。
項目は見慣れたものだった。
――氏名。
――日付。
――所属。
――直前の行動。
氏名欄には、私の名前。
日付欄には、エリアス先輩が死んだ夜の翌朝。
所属欄には、黒曜呪式研究室。
そこまでは、きちんと書かれていた。
けれど、最後の欄だけ、筆跡が乱れていた。
まっすぐ書こうとして、途中で力が抜けたような字。
私はその欄を見つめた。
リゼットが、低い声で言う。
「これ……手帳の最後の頁と同じ」
私は答えられなかった。
ずっと、あの一文は警告だと思っていた。
未来の私に向けた、何かの合図。
忘れないために残した、最後の記録。
でも違った。
これは、誰かの問いに対する答えだった。
――直前の行動を記せ。
その問いの下に、私はすでに答えていた。
――私は、帰っていない。




