第17話 輪講
研究室の輪講は、毎週金曜日の午後に行われる。
担当者が論文を1本選び、その内容を整理して発表する。
今週の担当は私だった。
「何を選ぶ?」
少し前にマルクス先生に聞かれたとき、私は迷わなかった。
「アウレリウス先生の論文にします」
先生は特に驚かなかった。
「そうだろうと思った」
そして今、研究室の前には発表資料が映し出されている。
――死者記憶再構成呪式の理論と実装。
エリアス先輩が最後まで追っていた論文。
私が試験盤で再現しようとして、保留になった論文。
リゼットや他の学生たちが席に着く。
私は深呼吸して話し始めた。
「この論文は、死者の記憶を再構成し、映像として投影する高位呪式について述べたものです」
理論背景。
術式構造。
第1層から第3層までの魔法陣。
そこまでは問題なかった。
けれど、何度も読み返すうちに、私は妙なことに気づいていた。
資料を切り替える。
「この論文では『死者』という語が何度も使われています」
私は該当箇所を指した。
「ですが、対象の定義がありません」
何人かが顔を上げた。
「普通の研究論文なら、対象の定義は最初に置かれます。治癒呪式なら疾患を定義する。灯火呪文なら光量や持続時間を定義する。でも、この論文にはそれがない」
リゼットがメモを取っている。
私は次の頁へ進んだ。
「もう1つあります」
論文には成功事例が載っている。
成功率。
安定性。
投影持続時間。
けれど。
「再現された内容の検証方法が書かれていません」
部屋が静かになった。
「死者の記憶を再現したとして、その映像が本当に死者の記憶であることを、どう確認したのでしょうか」
死者本人には確認できない。
ならば、何をもって成功としたのか。
少し沈黙が続いたあと、先輩の一人が口を開いた。
「でも学会実演があったんだろ?」
「はい」
「それで納得されたんじゃないか」
私は頷いた。
学会実演。
誰もが知っている成功例だった。
資料を切り替える。
実演時の静止画。
赤く染まった空。
遠くの王都。
私はその画像を見ながら言った。
「私も最初は、説明通りに受け取っていました」
死んだ梟が最後に見た景色。
それが再現されたのだと。
「でも、映像を見直していて、少し気になることがありました」
私は画像を拡大した。
「視界の揺れがほとんどありません」
誰かが眉をひそめる。
「鳥の飛行中なら、もっと不規則な動きが出るはずです」
私はそこで言葉を止めた。
違和感は、それだけではなかった。
映像のどこかに、説明しにくい何かがある。
見た瞬間には分かる。
けれど、言葉にしようとすると逃げていく。
私はしばらく静止画を見つめた。
「……すみません」
結局、首を振る。
「まだ整理できていません」
発表はそのまま続けた。
質疑も終わり、輪講は無事に終わった。
学生たちが帰り始める。
私は片付けをしながら、最後の静止画をもう一度見た。
違和感は消えていなかった。
ただ、それが何なのかだけが分からない。
そのとき。
「良い違和感だ」
背後からマルクス先生の声がした。
私は振り返る。
「違和感、ですか」
「うん」
先生は静かに頷いた。
「研究をしていると、説明できないものに出会う」
先生は机の上の資料へ目を落とした。
「多くの人は、すぐに名前を付けたがる」
死者の記憶。
術後混濁。
虚偽記憶。
私はいくつもの言葉を思い出した。
「でも、本当に大事なのは、その前の段階だ」
「前の段階?」
「説明できない、と気づくこと」
私は黙った。
映像の中に何かがおかしい。
けれど、それが何なのかはまだ分からない。
「名前を付けるのは、そのあとでいい」
先生はそう言って部屋を出ていった。
私は一人で残った。
静まり返った研究室。
机の上には、輪講資料の最後の頁が残っている。
私はもう一度だけ、その景色を見た。
これは、誰が見た景色なのだろうか。




