第13話 重なった記録
――エリアス・ヴェイン。
その名前が、管理水晶の中に残っていた。
私の回答ログに、一度だけ。
訂正済。
そう表示されていたのに、誰が訂正したのかは記録されていなかった。
翌日、私は入退室記録を調べることにした。
本人性の不一致が、過去記録との連続性に関わるのなら、どこかにずれがあるはずだった。
資料室の端末に、4日前の日付を入力する。
エリアス先輩が死んだ夜。
私が、帰ったと思っていた夜。
まず、自分の記録を開いた。
――ミナ・クレイン
――北棟入室:午前1時57分
――地下階通過:午前3時12分
――北棟退室:午前4時06分
次に、エリアス先輩の名前を入力した。
水晶盤は短く震えた。
――エリアス・ヴェイン
――北棟入室:午前1時57分
――地下階通過:午前3時12分
――北棟退室:記録なし
私は、しばらく息ができなかった。
同じ時刻。
同じ場所。
記録の上では、私とエリアス先輩は、同時に北棟へ入り、同時に地下階を通過していた。
けれど私の記憶では、私はその時間にはもう帰っていた。
研究室を出て、寮へ戻った。
そう思っていた。
階段を下りた記憶もない。
地下の冷たい空気も覚えていない。
エリアス先輩と並んで歩いた感触もない。
あるのは、帰ったはずだという、頼りない確信だけだった。
「ミナ?」
背後からリゼットの声がした。
私は画面を隠そうとして、やめた。
「見て」
リゼットは画面を覗き込んだ。
「同じ時刻……?」
「うん」
「一緒にいたってこと?」
「記録では」
「でも、覚えてないんだよね」
私は頷いた。
リゼットは少し黙ってから言った。
「片方の記録が、写ってるのかな」
「写ってる?」
「ほら、魔力認証って、近くに強い術式反応があると、たまに二重に拾うことがあるって聞いたことある。授業で、記録誤差の例として」
私は画面を見た。
もしそうなら、まだ説明はつく。
どちらか一方の通過記録が、もう一方にも重なって写った。
ただし。
「入室時刻まで同じなのは?」
リゼットは答えられなかった。
午前1時57分。
午前3時12分。
2つの時刻が、同じ形で並んでいる。
誤差というには、整いすぎていた。
研究室に戻ると、マルクス先生がちょうど申請書類を整理していた。
「先生」
私は声をかけた。
「入退室記録について聞きたいことがあります」
「どうしました」
「魔力認証が、別人の記録を二重に拾うことはありますか」
「あります。強い結界の近くや、実験後の残留魔力が濃い場所では」
先生は淡々と答えた。
「ただし、通常は時刻が数秒ずれる。完全に同時刻で複数回残るなら、単純な誤読とは考えにくい」
「同じ時刻で、2人分の記録がありました」
「誰の記録ですか」
私は少し迷った。
「私と、エリアス先輩です」
マルクス先生の表情は変わらなかった。
けれど、持っていた紙を机に置いた。
「その記録は、今は触らない方がいい」
「なぜですか」
「理由を確認するには、当日の実験記録が必要になる。君にはまだ閲覧権限がありません」
それは現実的な答えだった。
意味深ではない。
だからこそ、逃げ道を塞がれた気がした。
「閲覧権限を申請できますか」
「できます。ただし、若導研究費の申請とは別です。指導教員の承認が必要になります」
「先生は承認してくれますか」
マルクス先生はすぐには答えなかった。
「申請理由を書いて持ってきなさい。読んでから判断します」
それだけだった。
夕方、私は手帳に記録を書き写した。
ミナ・クレイン。
午前1時57分、北棟入室。
午前3時12分、地下階通過。
午前4時06分、北棟退室。
エリアス・ヴェイン。
午前1時57分、北棟入室。
午前3時12分、地下階通過。
退室記録なし。
2つの名前を並べると、奇妙に落ち着かなかった。
同じ紙の上に書かれた2人分の記録。
でも、記憶の中には片方の道筋しかない。
いや。
記憶の中にあるのは、道筋ですらない。
ただ、私は帰った、という結論だけだ。
その結論を支える場面が、ひとつずつ薄い。
寮までの廊下。
夜風。
受付の水晶盤。
部屋の扉。
どれも思い出せる気がする。
けれど、手で触れようとすると、すぐに形を失う。
私は手帳の端に書いた。
帰った記憶ではなく、帰ったことにした記憶。
書いたあと、しばらくその文を見つめた。
そのとき、リゼットが研究室の入口から顔を出した。
「ミナ、帰る?」
私は反射的に頷きかけた。
でも、その言葉が喉で止まった。
帰る。
帰るとは、どこからどこへ戻ることなのだろう。
私は手帳を閉じた。
「少しだけ、ここに残る」
リゼットは心配そうにこちらを見たが、それ以上は聞かなかった。
彼女が出ていったあと、研究室は静かになった。
窓際の資料棚が、夕闇の中で黒く沈んでいる。
そこにエリアス先輩の席があったのか。
それとも最初から棚だったのか。
私はまだ、答えを持っていない。
ただ手帳の中では、2つの名前が同じ時刻に同じ場所を通っている。
そしてその片方だけが、帰ってこなかった。




