陸【貴方を好きになった、あの日から】
一定の基準を超えれば、出場権を握れる県大会。
中堅ほどの小さなうちでは、その舞台に立てるだけで十分。
その先に進む部員は、数人程度だ。
記録が出ず、付き添いとして行く俺と、リレーのみの出場権をもつゐざよ。
そして、出場する6人ほどのメンバーで県大会の会場へ向かう。
5時半集合の中、ギリギリで走ってきたゐざよに手を振る。
「5時に起きた〜」
と自慢げにいうゐざよに、愛想笑いを浮かべた。
電車は比較的空いていて、みんな座ることができるほど。
それでも、腰が痛いと嘆くゐざよの前に立ち、他の3年も交えて話をする。
くだらない話。
あとから、何を話していたのか聞かれても、思い出すことはできないような、そんなくだらない話ばかりしていた。
目的の駅に着き、もっと話していたい、と惜しみながらも電車を降りる。
エスカレーターに乗った時、前に立つゐざよが、いつもより小さく感じた。
「ゐざよってチビだな〜」
今だけは、俺の方が上だ。
いつもリュックサックに手を置かれる側だった俺が、今はゐざよのリュックサックを肘置きにできている。
「はぁ?何言ってんだよ〜」
クシャッと笑いながらゐざよがこちらを軽く見上げる。
「こうして見れば俺の方が高いだろ?」
普段より胸を張る俺に、ゐざよがニヤッと笑みを浮かべた。
「今はそういうことにしておいてやるよ」
ホームへ降りると、一気に形勢逆転したのを確認し、ゐざよが頭に手を置いてくる。
「はぁ?!お前、舐めてんのか!」
「はいはい、おチビちゃんは黙ってね〜」
ニヤニヤしながら見下ろしてくるゐざよに威嚇の視線を送った。
「お前な、舐めんなよ!あんま変わらんから!」
「俺165とかだけど?」
「うっわ、155だわ...」
意外と差があることにびっくりしてしまう。
と同時に、頭に置かれた手がポンポン、と頭を叩いた。
「おい!身長低いからって、舐めんじゃねぇ!」
「絶対勝てないもんな〜♪」
「うるさい」
ムスッとし出した俺に対して、またニヤニヤと笑みを向けてきた。
「負け犬の遠吠えかな?」
「次の電車来んぞ!」
丁度着いた、乗り換え用の電車にゐざよを押し込む。
さっきとは違って、かなり混んでいる。
中には、他校の陸上部も伺えた。
「へぇ、意外と人いるんだな」
周りを見渡しながらつり革を掴もうとした手が、空を切った。
「は?」
上を見ると、つり革が普通より少し高いところに設定されている。
「だっさ!」
吹き出しながら、軽々とつり革の上の棒を掴もうとするゐざよ。
そんなゐざよを睨みつける。
「さいっあく」
ため息をつきながら、少し背伸びしてつり革を掴む。
「うわ、つま先立ち?チビだな〜」
「うるさいな〜!」
周りに人もいる分、いつもより顔を寄せて小声で話す。
少し近いその顔に、ドキッとしてしまったことは、なかったことにする。
「もうお前のリュックサック借りるわ」
返事を待たず、ゐざよのリュックサックに手をかける。
ついでに、少しの体重も。
それでも、微笑んで見下ろしてくる目は変わらない。
ゐざよの柔軟剤が鼻をくすぐった。
♡
最寄りの駅に着いてからも、ぎゅうぎゅうのバスに乗り込み、また30分ほど移動する。
俺らは、少し段差になっているあたりに落ち着いた。
隣にはゐざよ。
今度は段差の差がない。
前に持った荷物がだんだん落ちていき、混んでいるせいで上に持っていけない。
無理やり持ち直そうとして、足元がふらついた。
「あっ...ぶないな...」
段差を踏み外しそうになったところで、ゐざよに支えられた腕が身体を支える。
そのままグイッと引き寄せられ、元の体制に戻ることができた。
「ガチありがとう、助かる」
「身長低いからやっぱり押されちゃうのかな?」
こんな時でも煽り続けるゐざよを睨みつけるが、すぐ口角が上がってしまう。
「ゐざよさいっこう」
それに合わせて、ゐざよの目尻も少し下がったように見えた。
♡
部活を嫌いと言っている割に、積極的に動くゐざよは、普段から目立ちたがり屋だ。
久々の県大会。
意外にも、うちの学校の雰囲気はゆるゆるしている。
悪く言えば緊張感がないのだろうか。
昼が近くなり、お昼ご飯を食べ始めた部員同士で談笑する。
「ゐざよのそれめっちゃ美味そう」
俺の目についたのは、ゐざよの弁当に入った卵焼き。
焦げ目が少なく、綺麗に巻かれている。
「1個あげようか?」
「まじ?!」
「たくさんあるしいいよ」
そう言いながら差し出された弁当箱。
その中からひとつ、卵焼きを拾い上げた。
「やば、これめっちゃ美味い。少し甘いね
「ホント?これ俺のお母さんが作ってくれたやつな」
「最高すぎ」
見た目を裏切らない美味しさに思わず目を見張る。
「それは良かった」
そう言いながら平然と食べ続けるゐざよに、笑みが浮かぶ。
ご飯を食べ終えると、途端にのどかな午後が訪れる。
うちの学校から出場する生徒のほとんどが午前で終わるために、テントには和やかな雰囲気が流れていた。
大の字に寝っ転がり、ジャンパーを顔にかけて寝だすゐざよ。
その腹を枕にして、他の同級生と談笑する。
体操のために割れたお腹は固く、傾斜も相まってすぐ滑り落ちそうになる。
毎回這い上がり、もう一度枕にする。
そうしているうちに、春の陽気に包まれて、眠くなってくるのだ。
ずり落ちても這い上がるほどの力は残ってない。
いくらなんでも眠たすぎた。
腹を諦め、ゐざよの腕に身体を任せる。
腕を抱き枕として寝ることにした。
同時に、ゐざよのウィンドブレーカーも奪い取る。
枕は必須アイテム。
自分のウィンドブレーカーは既に着ているため、ゐざよのものを代理品として扱う。
ウィンドブレーカーと人肌の暖かさに身を任せ、目を閉じた。
♡
「ツユキ、もうすぐうちの学校出るよ」
他の部員から揺られ起こされ、眩しい視界に目を細める。
「ツユキ、早く行くよ」
他の部員に引っ張られ、慌てて靴を履いた。
まだ目を擦るゐざよも引っ張り出し、競技場の柵の前に並ぶ。
少し上にある目線に、イラッときた。
その悔しさを糧に、部員を腹から応援する。
その横で、うるさいとでも言いたげに耳を塞ぎ、微笑むゐざよが視界に入った。
「何笑ってんだよ」
「スピーカーだなって」
「お黙り」
そんな短い会話を経て、種目を終えた選手に激励を送った。
♡
小腹の空く時間帯。
ゐざよ達のリレーが目前になる。
そんな中でも、普段通り寝ているゐざよが可笑しい。
ふと、遊び心から、ゐざよの髪を結ってみた。
長めのセンターパートだからか、意外と簡単に三つ編みが出来る。
集合5分前になり、飛び起きたゐざよは、三つ編みに気がつくが、ニッと目を細め、靴を履き出した。
「外さんの?」
「これ、つけたまま走るわ」
悪戯げにそう笑うゐざよが、今日はどこか煌めいて見えた。
「俺ゐざよの付き添い行くわ」
普段から、基本的に誰が誰につくかは決まっていた。
俺は、ゐざよ。
その日も、普段通りの組み合わせだった。
「ゐざよ、呼ばれてる」
「おっと、うわっ」
うちの中学の招集が掛かり、少し焦って駆け出したゐざよと、他校の生徒がぶつかった。
「いって...」
「ゐざよ!その穴...」
「さっきぶつかった時に踏まれたっぽいわ」
少し顔を顰めながらもふざけたような微笑を浮かべた。
「走れんの?靴の小指、穴空いてるけど」
「まぁ、やってやんよ」
キュッと口角をあげ、脱いだ部Tと体操着のズボンを渡された。
その下から現れた真っ赤なユニフォームは、太陽の日を浴びて、より主張を激しくする。
待機場所へ駆けていくゐざよの背を見ながら、渡されたTシャツを畳む。
「じゃ、ゐざよ、行くからね」
「おう」
「あ、髪それでいいの?」
「これで走るからな」
「わかった。ファイト!」
歯を出して笑い、親指を立てたゐざよに、こちらからも笑みを向けた。
そのまま背を向け、更に4走の待機場所へ移る。
そこに居る、赤いユニフォームの背中を叩く。
びっくりしたような顔をして振り向いたその生徒の、固まった表情が少し崩れた。
選手が各々の立ち位置へつく。
スタートの合図が鳴る。
1走から2走へ渡ったバトンは、勢いを落とさないままゐざよに渡った。
一気に加速しつつも、先程の小指が痛むのか、少し歯を食いしばっている。
赤いユニフォームを着て、太陽の下、火照って輝くその身体が、俺の胸をも熱くした。
4走へ無事にバトンが渡り、一礼して戻ってきたゐざよにTシャツを渡す。
放送で何気なく耳に入ってくる順位。
1位に俺たちの中学校名が出た瞬間、心臓が飛び出そうになった。
もちろんの如く、全体での1位にはなれなかった。
ただの組内、8校中の1位。
それでも、自己べストを出し、1位を掻っ攫ったことに、少しの感動を感じてしまった。
「睡眠と、この三つ編みのおかげだな!」
カラカラと笑うその声に、現実へ引き戻される。
その代わり、三つ編みのおかげ、という言葉が頭に反響していた。




