肆
「ツユキ?」
こちらを覗き込んできたゐざよの顔に、ハッとする。
薬品の匂いが漂う中、カーテンに遮られた陽光の代わりに、無機質な光が部屋を明るくする。
ゐざよの席に教科書を置き、自分は少し離れた斜めの席に座る。
教室でも、理科室でも斜め。
ゐざよの隣は、体育祭でよく笑顔を向けていた女子だ。
あぁ、近いよ。
俺も隣にいたい。
二人で笑い合いたい。
実験時、見えない、と小さな嘘をついて2人の間に入る。
その子に向ける笑顔と同じものが飛んできた。
少し、ホッとする。
その子だけが特別なわけじゃない。
それだけで、なぜだかとても、心地よかった。
♡
理科の授業が終わって、3階にある3年の教室に戻る。
戻る時には、別々。
ゐざよの仲良くしているグループの、少し後ろを他の子と歩く。
もちろん、ゐざよの荷物をもちながら。
すれ違う1年の男子、2年の女子。
知り合い一人一人に一言ずつかけるゐざよは、なぜだかこういうところだけ丁寧だ。
ふと、ゐざよの笑顔が少し明るくなる。
それに違和感を覚え、ゐざよの視線を追う。
その先には、2年生の女の子。
その子に向かう笑顔は、やっぱりどこか不思議で、モヤッとするような、嫌な味がした。
ゐざよの瞳孔が、いつもより、少し開いている。
それだけで、嫌な汗が背を伝った。
綺麗なだけのはずの、その笑顔。
あの時と似ていた。
俺の幼馴染に恋をしていた、あの時と。
それに気がついてしまった。
途端に世界が少し暗くなる。
あぁ、また。
また、心が沈んだ。
ゐざよから目を逸らし、隣にいる友達へ目を向ける。
いつも通りの友に、乱れた心をまた整えながら、笑いかけてみた。
♡
「ゐざよが付き合ったらしい」
そんな噂は、3週間前から流れている。
そもそも、4週間前にゐざよに好きな人を教えてもらってから、諦めるつもりだった。
付き合った、と聞いてからは、ゐざよの前の席の子が、以前よりもゐざよと話すようになった。
恋愛以外での話でも盛り上がりが増した気がする。
ゐざよが付き合った、という事実より、目に見えるそちらの方がよっぽど堪えた。
もちろん、お互いに気がないのは見て取れる。
それでも、時に目を逸らしたくなり、時になにもかも投げ捨ててしまいたい、という衝動に襲われる。
ゐざよと席が斜め、ということは、いいこともある。
たくさん話せるし、楽しい。嬉しい。
その分、2人が仲良くしているのを嫌でも目に入れなきゃいけない。
廊下側の一番端なのが悪かった。
隣がその女の子なのも辛い。
横を向くとしたら、その2人の方を向かなきゃならない。
言いようのない倦怠感に襲われ、胃の底が沈む。
何故こんなことを考えてしまうのか、分からない。
それでも、襲ってくる感情に抗えないから。
「そこ、イチャイチャしないで」
と、教室の後方に向かって声をあげる先生に、「ツユキ」と小声で呼んできたゐざよは、後方を指さす。
「またあそこがイチャついてる」と言いたげな瞳に、こちらも目で返事をする。
こういう目でのコミュニケーションが、ゐざよと俺とではよくある。
その瞬間が、いちばん楽しい。
二人で共有する感覚、話す感覚。
そして、自分に最初に向けられるその言葉。
それがこの席の利点だ。
長めのセンターパートが、ゐざよの片目にかかる。
気にせず笑うゐざよに、少しドキッとしてしまった。
彼女のいるゐざよは、1層明るくなったように感じる。
あぁ、虚しい。
やっぱり、ゐざよは男の子。
それは、越えられない壁だった。
少しずつこちらにも向けられる笑顔は、いつまでも眩しかった。




