参
体育祭までの練習期間。
長いようで短い2週間を終え、当日へ向けた前日準備を行う。
「ツユキ!集合場所は?」
病院から勧められた松葉杖を断り、ひびが入っているにも関わらず普通に歩いているゐざよ。
「とりま校庭集合だとよ」
「まじ?ありがと〜」
顧問の指示を受け、校庭をならしていく。
顧問のところに集まる時、ゐざよは目を離せば、風船のようにただよってしまうんだ。
ただし、顧問からの長い指示が終わると、急に活き活きし出す。
一番にならしを手に取り、少々足を引きずりながらも、校庭へ走ってしまうのだ。
とはいえ声はかけず、少し離れたところで、後輩と共に作業を始めた。
時々、視界の端に入るゐざよは、作業をサボって話し込んでいる。
ゐざよのやらない分は、こちらでカバーする。
いつも通り。
校庭のならしが終わると、今度はトラックを綺麗に引く。
ゐざよは、基準のメジャーなしの方が直線が引きやすいらしい。
ドヤ顔をしながら引くもんだから、たまに大きくズレてしまう時もある。
でも、結局は綺麗に引くから、ゐざよはすごい。
ライン引きも終わると、先生から体育祭時の注意が入る。
明日のために早く寝ること、体を追い込み過ぎないこと。
そんなことは分かってる。
先生の言葉が耳に痛い。
でも、ミーティングの時はゐざよが隣にいることがほとんどで、先生が噛んだ時や誰かがふざけた時に、目を合わせて笑うことが、密かな幸せでもある。
そんな時はその笑顔が一層弾け、輝いてみえる。
普段より距離が近い分、いつも感じる劣等感が消える。
♡
応援団は応募者が多かったからと言い訳をつけ、選んだ横断幕作成係は、思っていた以上に楽しかった。
当日準備があること以外は。
前年は当日の朝にもリレー練習があったのに、と学校側を恨む。
俺とゐざよは、ブロックリレーの3年代表男子に選ばれた。
最終走者はゐざよ、そのゐざよにバトンを渡すのが俺。
ゐざよにバトンを渡すのが、女子じゃなくて良かった。
走順が決まった際、少しの安堵が込上がってきた。
しかも、渡せるのは自分。
練習の時も、ゐざよは俺以外とバトンを受け渡しすることはない。
足を怪我しているはずのゐざよは、今までの2週間の朝練を平然と走っていた。
大丈夫かと聞いても、笑いながら「いけるいける」と答える姿は、痛々しくも強い。
バトンパスも安定してきて、笑顔で送り出せそうであった。
当日の朝、早朝の学校には意外と人がいた。
でも、その中にゐざよはいない。
またギリギリに来るんだろうな。
自分の椅子を持って応援席へ運び、ふと、ゐざよはどうやって運ぶのか気になった。
運んでやろうにも、時間が合わない。
他の人がやってくれるんだろうが...
女子じゃなければいいな。
横断幕を数人の子と持ち、再度校庭へ出る。
綺麗に取り付けられた横断幕は、団長であるゐざよの凛々しさを、そのまま反映していた。
横断幕を運んでいる間に、随分と人が登校していた。
一般生徒の登校時間。
出席確認の少し前にゐざよも現れた。
椅子を持っているのは、副団長だ。
気づかぬうちに、安堵のため息が漏れていた。
出席確認が終わると、団長は一般生徒より長いはちまきを巻く。
うちの団長は、胸を張って言えるほどかっこいい。
長いはちまきが風を切る度、思わず目で追ってしまうほどだった。
♡
開会式を終え、一年生の100m走が始まった。
ゐざよと俺は、毎年、決まったように2人でスターターの弾こめをする。
一、二年の時はゐざよがスターター、俺がフライングの弾こめ。
フライングなんて滅多ににない。
だから、ずっとゐざよを目に入れることができる。
三年になった今、じゃんけんでスターターかフライングか決める。
二回のあいこのあと。
ゐざよがパー、俺がグーで綺麗に負けてしまった。
勝ってニヤッと笑うゐざよに、思わず目元が綻ぶ。
あぁ、結局、三年間一度もスターターをすることはなかった。
でも、三年間、俺はゐざよの無垢そうな瞳、大きな音に物怖じない姿を見ていられる。
トラックを挟んで内側、膝立ちか体育座りと指示されているのに、おかまいなしに胡座をかくゐざよを眺める。
強い太陽の光が、ゐざよの瞳を一層輝かせた。
二年生の100mが終わると、三年生女子男子の順に走ることになる。
俺は2走者、ゐざよは14走者。
かなりの差がある反面、息を整えてから、ちゃんと応援できる。
一走者が走り出したため、俺たちはスタートのラインに立つ。
横に並ぶのは、他クラスの男子2人ずつと同じクラスの男子1人。
誰にも負けず、突っ走ってやる。
いい所を見せてやる。
スタートの合図が響く。
周りの景色がぐんぐん後ろへ回っていく。
ゴールラインを切ったところで、うちのブロックの歓声が聞こえてきた。
その瞬間、足にゴールテープが絡まる。
ゴールの体勢のまま、ゐざよに顔を向けようとしていたから、重心がズレて、盛大に転ぶ。
もろに腹を打った。
息が乱れる。
ゐざよにこんな姿を見られたくない。
先生が駆け寄ってきて、救護へ送られる。
ここからでも、ゐざよは見える。
まだ痛む腹を抑えながら、ゐざよの番が来るのを待った。
最終走者。
ゐざよは3レーンだ。
スタートの銃声が響く。
初手。ゐざよは綺麗にカーブを回る。
速度を上げた瞬間、その走り方に違和感を憶えた。
おかしい、あんなにストライドが狭い。
普段の綺麗なフォームじゃない。
嫌な汗が背を伝う。
足の骨に、響いてるんじゃないか。
このままじゃ、なにも、出られなくなる。
退場時。
救護から1番後ろについて行く。
少しびっこを引いているゐざよに声をかけようにも、なんと言えばいいか。
不安な心のまま、観客席に入る。
そこにゐざよの姿はない。
周りによれば、救護テントへ行ったようだ。
まずい、本格的に。
♡
ゐざよは救護テントから戻ってきた。
さっきよりしっかり巻かれた包帯に、頭がグラグラする。
しかし、それでも笑顔でふざけるゐざよは、不思議と、少し顔色が良くなったように見える。
1回目はきっと大丈夫。
問題は、2回目。
あのクラス相手に、ゐざよの足にかかる負担は、計り知れない。
運動部ばかりのそのクラスは、体育祭のためだけに居るようなものだ。
そんな中でもゐざよは、笑顔でやりきった。
終わった瞬間、その笑顔が、俺の隣で綱を引いていた女子に向いた。
なんで、そっちに先に...。
こっちにも笑顔が向く。
同じ笑顔だ。
特別なわけじゃない。
そう自分に言い聞かせ、ゐざよに笑みを向けた。
ゐざよは、この体育祭の中で1番の笑顔を見せている。
体育祭練習が始まって、初めてのハイタッチ。
とびっきりの笑顔と歓声に包まれながら、少し痛いくらいのハイタッチだった。
♡
綱引きが終わると、リレーのない3年生はしばらく役目がなくなる。
ゐざよは、今度は救護テントへ行かず、リレーを1番前で応援していた。
リレーが終わり、応援合戦が始まる。
ゐざよの声が、グラウンドに大きく響き渡る。
大した団長だな。
1番後ろの列から見るゐざよは、解像度が低かれど、ゐざよらしい曲線美は捉えることができた。
空が曇り始めている。
応援合戦が終わり、みんなが観客席へ戻る中、ゐざよと俺はリレーの準備をし始める。
同じクラスの、出場する女子には俺から声をかけ、また、他学年の女子にも声をかけた。
その目線の先が、笑顔の先が、他の人に向いて欲しくない。
それでも、ゐざよにバトンパスできるまでのタイムリミットが迫る度、痛いくらい胸が鳴る。
緊張と、微かな興奮に包まれて、リレーが始まった。
俺と後輩のバトンが渡る。
前にいた他ブロックを抜かし、一気に加速する。
ゐざよに早く、バトンを。
足の回転を上げて、後ろとの間隔をできるだけ離す。
同時に、前との距離を縮める。
できるだけ、たくさん。
ゐざよの足に、これ以上の負担をかけたくないから。
ゐざよにバトンを託す瞬間。
真剣な顔をした、ゐざよの大きな手に、青く光るバトンを押し付けた。
「いってこい!」
そう叫んでから、インコースへ走り、ゐざよの方を向く。
その途端、涙が溢れそうになる。
ゐざよが、抜かれた。
抜かれたことへの悲しさよりも、ゐざよへ無理させたことへの、ゐざよが悔しそうな顔をしていることへの、罪悪感やら虚しさやらが押し寄せて止まらない。
込み上げてくるものを抑え、空を見る。
さっきまで曇っていた空は、清々しく晴れていて、目に痛かった。
眩しいくらいに、ゐざよを照らしていた。
ゴールした直後、ゐざよは倒れ込んだ。
俺にバトンを渡してくれた後輩と駆け寄る。
ゐざよの肩を両端から持ち、支える。
やっぱり、良くなかった。
やりきると宣言して、本当にやらせてしまった。
同時に、やらせなかった時のゐざよのやるせなさが頭をよぎる。
どうにか一人で立ったゐざよは、今までにないくらい、悔しそうな顔をしていた。
いつもヘラヘラしているゐざよが、眉間に皺を寄せ、歯を食いしばっている。
もう一度、胸が大きく鳴った。
その悔しそうな顔が消えたとき、にへらっと普段の笑顔に戻る。
少し苦痛の残る顔で、隣にいた、自分を抜かした友達に賞賛を送る。
一瞬だけ見えた悔しそうな顔も。
自然に、でも少し歪んだ笑顔も。
その笑顔の裏に見え隠れするものを、ちゃんと見たかった。
♡
退場したあと、フラフラとゆっくり歩くゐざよに後輩からの激励が飛ぶ。
俺にバトンを渡した後輩が、ゐざよを優しく抱きしめた。
今はゐざよを心配することを優先しなきゃなのに。
悔しさが、まだ込み上げてくる。
鼻がツンとする。
もう一度、上を見て、前を向く。
ゐざよは後輩に支えられて歩いている。
その横に静かに並び、背中に手を当てる。
それを感じたのか、こちらを見たゐざよは、くしゃっと弱々しそうに笑いかけてきた。
初めて、最初の笑みを貰えた。
綺麗な、人間らしい、ゐざよの笑顔。
いつも、誰かの次、一番になれなかった俺の劣等感が、今、少し薄れた。
ほんの小さなこと。
笑顔を向けられる順番なんてもの。
それだけでも、腹から来るものがある。
でも、それは、さっきとは違って、俺に笑顔を作らせた。
席に戻ると、さっきまでの歓声はどこかへ行き、すぐに閉会式が始まる。
中学校生活ラストの体育祭。
真っ青な空の下、微かな熱気と3枚だけの賞状、数多の感情を抱えて幕を閉じた。




