第4話:剥げかけたネイルと体温
逃げ道のない貧困と、拭えない孤独。
満たされない心を埋めるため、すがりつけるのは男の腕と肉体だけ。
冷え切った現実から目を背け、甘い痛みのなかに溺れていく女の、逃れられない夜。
「ねえ、今から別イチゴでどう?」
薄暗い廊下で、咲良は母親の寝息が漏れる実家の壁に背中を預けながら、声を殺してスマホに囁いた。画面の向こうの男は
「金ねえよ、面倒くせえ」
と気だるそうに吐き捨てる。
「……お願い、一人にしないでよ」
プライドも自尊心もない。冷たい拒絶に怯えながら、咲良はすがるような声で男の機嫌を取る。そうしなければ、底なしの孤独に押しつぶされてしまいそうだった。
二度の離婚。若さの勢いで飛び込んだ結婚はどちらも破綻し、行き場を失った挙句に戻ってきたのは、この狭く、生活苦の澱んだ実家の部屋だった。薄い壁一枚の向こうで息を潜めるように暮らす毎日。自分を汚物のように見る母親の目が、夜の暗闇よりも恐ろしかった。
だからこそ、咲良は夜ごとに家を抜け出し、割り切った関係の男たちの待つラブホテルへと駆け込む。自分の肉体だけが、この逃げ場のない現実から逃れるための唯一の切符だった。
(私、こんなところで何やってんだろ)
爪の先を見れば、あのイタリアンバルで菜穂や葵と顔を合わせたときに隠しきれなかった、剥げかけたジェルネイルが生々しく光っている。
大病院で国家資格を盾に堅実に生きる菜穂も、六本木の夜の街で札束を散らす葵も、眩しくて仕方がなかった。あいつらが「安全な場所」で生きているのなら、私は一体どこで間違えたのだろう。
「……こんなはずじゃなかった」
男の胸元に、咲良は吸い付くようにしなだれかかった。
酒とタバコの匂い。湿った肌の熱。
愛されているわけなどないと、脳の隅では冷めた理性が警告を発している。それでも、男の太い腕に強く抱きしめられ、乱暴に唇を奪われる瞬間だけは、自分が
「生きていて、女として価値がある」
という圧倒的な錯覚に溺れることができた。
嫌悪感と、甘美な依存の快楽がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
服が剥ぎ取られ、冷えたシーツの上で男の体重を受け止めながら、咲良はすべてを忘れるようにその背中に爪を立てた。快感に震える声を漏らしながら、この温もりが消えたあとに訪れる底無しの虚無から目を背ける。
私たちはみな、29歳という同じ停留所で立ち往生している。
咲良もまた、男たちの熱と肉体にすり潰されることでしか、自分の輪郭を保てなかった。
闇に沈んでいく意識のなか、咲良はさらに深く男の体に絡みつき、その毒のような快楽を貪り続けた。




