第13話:それぞれの現在地
壊れるべきものはすべて壊れ、隠すべきものはすべて剥ぎ落ちた。
それぞれの地獄をくぐり抜けたあとに残された、不格好なまでのそれぞれの現在地。
あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
30歳を目前にした私たちは、それぞれの場所で、かつてとは違う生々しい手触りの現実を生きていた。
病院のロビーには、相変わらず穏やかな午後の光が差し込んでいた。
ネイビーのスクラブに身を包んだ菜穂は、リハビリ室の端で、患者の小さな発話の練習にしっかりと耳を傾けている。相変わらず実家暮らしではあるが、ヒステリックな母親の機嫌を過剰に伺うことはもうやめた。自分の人生の決定権を他人に預けるのをやめた瞬間から、あの息の詰まっていたはずの家は、過剰な呪縛から解放され、ただの「今の寝場所」へと変わっていた。
「……はい、よくできました」
患者の笑顔に返す菜穂の声に、以前のような澱みはなかった。完璧な人生ではないし、明日どうなるかの保証なんて何もない。それでも、自分の足でこのタイルの床を踏みしめているという微かな痛みを伴う実感が、確かな誇りとなって胸に残っていた。
その頃、葵はバイト先のオフィスの休憩室で、紙コップの冷めたコーヒーを飲んでいた。
あの見栄を張るためだけに買い漁ったハイブランドのバッグも、華美なアクセサリーもすべて売り払った。実家のカードはとうの昔に止められ、一からアルバイトとして働き始めた手取りは、かつてホストクラブのテーブルに一晩で無造作に置いてきた額よりもはるかに少ない。
「お疲れ様です、葵さん」
同僚の若いスタッフにフランクに声をかけられ、葵は飾らない、すっぴんに近い笑顔で会釈を返す。
泥まみれになり、見栄もプライドもすべて剥ぎ取られたその素顔は、驚くほど軽やかだった。札束で自分を大きく見せ、他人の目を買い取る必要がなくなった今、葵は人生で初めて、自分の等身大の足跡を泥臭く歩み始めていた。
そして、咲良は自分のアパートの小さなキッチンで、スーパーの割引シールが貼られた惣菜を白皿に並べていた。
夜の街で誰かの温もりを求め、すがるように身体を差し出して買い叩かれることも、もうやめた。
「……いただきます」
誰もいない狭い部屋で一人、小さく呟いて割り箸を割る。相変わらず懐は寒いままだし、将来への不安がきれいに消え去ったわけではない。それでも、自分の部屋の空気が、他人の影に怯えることなく、純粋に自分の匂いと静寂だけで満たされていることに、咲良は胸の奥で静かな安らぎを覚えていた。
他人に依存し、男の影を纏わなければ保てなかった歪な自尊心はとうの昔に砕け散ったが、その瓦礫の下から、ようやく「自分の足で立つための小さな意思」が芽生えていた。
30手前の停留所。
私たちがたどり着いたのは、少女漫画のような華やかなハッピーエンドでもなければ、すべてが絶望に沈む救いのない破滅でもなかった。
それは、傷だらけになり、仮面を剥ぎ取られながらも、ようやく自分の足でこの残酷な東京のアスファルトを踏みしめて歩き出すための、不格好で、しかし何よりも愛おしい現在地だった。




