第12話:咲良の朝
すがるべき温もりも、身を隠す場所も、すべてを失って夜の街から放り出された。
自分の価値の底が抜けた冷たい部屋で、咲良が直面する逃げ場のない現実。
朝の冷たい光が、薄汚れたカーテンの隙間から、澱んだ空気が溜まった部屋のなかにうっすらと差し込んでいた。
咲良は、脱ぎ捨てたままのボロボロのスニーカーを放置した玄関のすぐ脇、冷え切ったフローリングの床に、両膝を強く抱え込んでうずくまっていた。
あのホテルの部屋を飛び出し、終電も過ぎた深夜の東京をあてどなく夜通し歩き続けた足の裏はヒリヒリと痛むが、それ以上に、心のなかにぽっかりと開いた底無しの穴のほうが、何倍も重く冷たかった。
部屋のなかに、あの男が纏っていた香水とタバコの残り香はもうしない。
冷めきった画面のなかで、容赦なく連絡先をブロックされたトークルームを見つめてみたところで、奇跡の通知が鳴るはずもなかった。
「……私、なにやってんだろ」
誰かに愛されたくて、ただ「必要とされる人間」でいたくて、自分の身体を安易な対価として差し出すことでしか、この東京という街に居場所を作れなかった。そうしていなければ、自分が誰からも必要とされない「価値のない人間」に成り下がってしまう気がして、怖くて仕方がなかったからだ。
けれど、そのすがりつくような自傷の果てに手に入ったのは、誰からも本気で大切にされないという、決定的な孤独だった。カネでも、偽りの優しさでもなく、ただの「都合のいい時間潰しの道具」として使い捨てられたという冷徹な事実だけが、生々しい痛みを伴って胸の奥に残っている。
リビングの方から、母親が重い足取りで起き出す気配が伝わってきた。
相変わらず湿った、娘の価値を値踏みするような足音。
これまでなら、その息苦しい実家の空気に耐えきれず、現実逃避のためにスマホを掴んで別の男にすがり、夜の街へと逃げ込んでいただろう。
けれど、今の彼女には、その気力すら一滴も残っていなかった。
誰かに依存しなければ、男の影を纏っていなければ真っ直ぐに立っていられない自分。その醜さと惨めさのすべてが、今朝の冷たい空気のなかでは、妙に鮮明に、鉛のように重く身体にまとわりついている。
不思議と、涙はもう出なかった。
ただ、29歳という逃げ場のない停留所で、咲良は自分の足元にあるすり減った現実を、目をそらさずに真っ直ぐに見つめ続けるしかなかった。




