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精霊と共に旅をする男の、或る長い一日  作者: 衛朱


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3/5

靄中復路


 さほど時間をかけずに靄との境界に辿り着いた。

 レイテはややふらついているが、まあ大丈夫そうだ。


「ぅう……ぐらぐらする…」

「さて、日が落ちきる前にこの靄を越えたいが……レイテ、お前ここは越えられるのか?」

「ここ…? あぁ、瘴土(しょうど)……」


 目の前に広がる紫の靄を見たレイテの顔色が、明らかに悪くなる。

 街中からはこの靄は全く見えなかったから、知らない可能性もあるかと思ったが、どういうモノなのかはわかっているらしい。


「なんだ、見た事なかったのか? この土地は四方全部この靄に囲まれてるんだが」

「ぼく…王都から出た事なかったから……こんな、こんなだって知らなくて…」


 道があるわけでもないのに…行商の人達は、これを越えて来てたの…? と呆然とした顔で靄を眺めていたレイテが、何かに気付いたようにこちらを見た。


「ガリムさんはこれを越えて来たんでしょ? 同じ方法でぼくも」

「俺は精霊の加護でこの靄には触れてないんだ、ほら」


 靄に腕を突っ込んで見せる。靄は俺の腕の周囲を廻る風に押されて空間を広げるが、腕を戻せばすぐに元の靄が隙間を埋める。

 だからこの靄の中を歩いて来た、と続けた言葉を聞いていたのかいないのかわからないが、レイテの顔色が更に悪くなった。

 どうしたのかと問おうとしたらレイテが突然地面に平伏(ひれふ)す。


「今までの無礼をお許しください…! ガリムさんが貴族だと知らなくて」

「貴族ゥ?! そんなもんじゃねえよ、どうしたんだ…いいから立て、ここを越えてく方法を考えないと」

「え…だって、精霊の加護があるという事は輝血(きけつ)持ちなんでしょ…?」

「き…? 知らん、なんだそりゃ…とりあえず俺は貴族でもお偉いさんでも何でもないし、そうだったとしてもお前がそんな姿勢になる必要はねえよ」


 慌ててレイテを立たせようと腕を掴んだ俺は、違和感に動きを止めた。

 ニョイルが強めてくれていた風が、レイテの腕から全身を包むように範囲を広げていく。こんな拡張の仕方は見た事がない…が、これならレイテも靄の中を歩けるかも知れない。

 困惑するレイテを立たせて、手を放す。

 手を放すと、程なくしてレイテを包んでた風は俺の周囲に戻った。手を繋ぐか、先程までのように抱えればいけそうか?


「レイテ、俺の受けている加護は、周囲を廻る風だ」

「風……?」

「俺がお前の体に触れている間は、この風がお前まで包むみたいだから、俺と一緒にこの靄を越える事はできるかも知れない」


 けど、怖いならやめて帰ってもいい。決めるのはお前だ、と伝えれば、レイテは一度空を見て、俺を見た。

 そろそ日が暮れ始めている、外部の人間である俺の体にどんな影響が出るのかわからないこの地に、これ以上留まるのはあまり好ましくない。が、ここまで連れて来た責任としてレイテの決断までは待つ。

 しかし、やめると言ったら家まで送るわけにいかないから、ここでお別れになるわけだが…。それはそれで無責任だと言われれば、それはそう。なんだが。

 とか考えている間に、レイテの肚は決まったらしい。


「ぼくにはもう帰る所もないので、これでダメでも後悔はしません」


 そう言って差し出される右手はわずかに震えていたが、引く気はないようだ。

 であれば、俺にできるのは導いてやる事だけだ。

 差し出された手を左手で握り返して笑ってやる。


「やっぱりお前、年齢サバ読んでるだろ」

「ないですよ!」


 笑うレイテの体に、風が廻ったのを確認してから、靄の際まで一緒に行く。

 俺の方の加護に問題はなさそうなのを、再度腕を突っ込んで確認した後、レイテに向き直る。


「まずは腕を入れてみろ、それで問題なければゆっくり進もう、異変があったらすぐに言えよ?」

「わかりました……」


 血の気が引いた顔で、ゆっくりと左腕を伸ばすレイテ。

 その指先が靄に触れるかと思われる距離で、靄が風に押されて避けたのが見えた。そのまま肘くらいまでを靄に突き入れて、問題がなさそうな事は確認できた。

 こちらを向くレイテに軽く頷いて、俺はその手を握ったまま靄の中に入っていく。


「怖けりゃさっきみたいに抱えるが」

「…いえ、自分で行きます」


 両腕を靄に突き込んだような状態で、一歩踏み出すレイテ。靄に踏み込んだ足が問題ない事を確認してから、もう一歩。

 合わせて上体も靄の中に入る形になる。

 目を瞑ってはいないが、ぎりぎりまで目を細めて移動する姿は、安全な状態でみているとちょっと面白いが、失敗したらどうなるのかわからないので固唾を飲んで見守る。

 全身を靄の中に進ませて、痛みも苦しみもなく、靄が自分の体を避けているのを確認したレイテは、そこで一つ大きく息を吐いた。

 安心したのだろう。それは俺も同じなのでレイテと顔を見合わせて笑う。良かった。


「よし、問題なさそうだからどんどん進むぞ」

「っはい!」


 レイテを包む加護がどうなるのかわからないし、辺りも大分薄暗くなってきた。

 ゆるやかだが長い傾斜をどんどん登っていく。

 時折レイテに速度が大丈夫かどうかを確認する以外は会話もないため、二人分の足音以外が聞こえない状態が続く。

 気が逸るのを抑えて、確実に登る事を優先する。繋いでる手がうっかり外れようものなら、レイテがどうなるかわからないのだから。


 暗くなってきたあたりから灯していた精石(せいせき)ランプに頼らねば、足元すら覚束ないような暗さになったあたりで、俺の頭が靄から抜けた。


 ほっとしてレイテに声をかける。


「レイテ、そろそろ靄を抜ける、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」


 レイテの頭が靄から抜けてくる。次いで渡しておいたランプの明かりも靄を抜けてきた。

 流し見しただけだが、特に変わった様子もないようなので少し安心するが、靄の影響が視認している範囲だけで済んでいるのかわからないので、手は繋いだままもう少し進む事にする。


「靄は抜けたが、影響がどのくらいあるかはわからない、とりあえずこの斜面登りきるまでは手を繋いだままで行くぞ」

「わかりました……あと、どのくらいです?」

「今まで来た距離の半分てとこかな…」


 斜面は残り1/3くらいのはずだ、すでにレイテは疲労困憊だが、ここで休むとおそらく動けなくなるから、ペースだけ落として残りを登りきる。

 斜面の先、ニョイルと別れた辺りには、珍しくニョイルが待機していた。普段なら俺が戻るのを待ったりしないでふらふらどこかに遊びに行っているだろうに。

 日が落ち切った月のない夜、星明りしかない荒野でニョイルの姿は淡い光をまとって浮かび上がっている。

 見てくれだけなら美しく儚げなのにな…と苦笑しながら、レイテの腕を引いて斜面を登りきる。


「ひぃ……のぼり、きり、ました……?」

「おぅ、よく頑張ったなレイテ、息整えてから水飲め」


 四つん這いになったレイテの背をさすりながら、ニョイルに目をやると、なぜか不満そうな顔でこちらを睨んでいた。


「よお、待たせたかニョイル?」

「……ガリムはさあ、どうしてそうなの…?」

「あぁ?」


 突然のいちゃもんに、声が一段低くなったのを自覚する。

 いや、ここは怒っていいはずだ、そもそも旅程になかった寄り道をしているのはニョイルのせいでもあるのだから。待っていてくれとも言っていないわけだし、文句を言われる筋合いもない。

 何をかいわんや、と意気込んだ俺の目の前で、ニョイルの不機嫌そうな顔がくしゃっと崩れて目に涙の玉が浮かぶ。

 突然の変化に困惑し固まった俺をヨソに、空中で駄々っ子のようなポーズになったニョイルが、両手両足をバタつかせながら叫んだ。


「そんな……そんな子連れてきたら、ボクの食べるもの無くなっちゃうだろーーーー!!!!」


 なるほど、わからん。


 空中でビチビチするニョイルを呆然と眺めてしまう。気が抜けた。

 気が抜けたついでに空腹を思い出した。胃袋がうるさいほどに空っぽですの鳴き声を上げて訴えてくる。

 とりあえず、買って来た芋を焼いて食べる事にした。


 簡単に切って焼いて塩をまぶしただけの芋だが、空腹に沁みる。

 皿などに分けるのは面倒だったので、荷物に紛れていた紙袋に入れてざっくり三等分にした。塩も一緒に入れたから、足りなかったら袋の口を閉じて振ればいい。これ楽だな。

 芋を食って多少機嫌が直ったらしいニョイルに、詳しく話を聞く事にする。


「それで? お前の食べるモノがなくなるとはどういう事だ?」

「…そのこ、あの街で生まれ育ったんでしょ?」

「レイテはまあ…そうだろうな、外に出た事はなかったみたいだし」


 芋を咀嚼しているレイテが、肯定するように頭を縦に振る。


「あの街の中の命あるモノは、ほぼ全てがテティスの力で育ってるから、あの中で生きてたモノが外に出ると力の供給が足りなくなって、そのままだといずれ消滅しちゃうんだ」

「えっぼく消滅するんですか?!」


 次の芋を口に運ぼうとしていたレイテが驚きの声を上げる。

 俺も驚いているが、正直どこから驚いたらいいのかわからない。

 あの中にあるのは街一つだが、レイテが王都と言ったのも頷けるような規模の街だ。住んでいる人間は百万を超えるだろうし、ニョイルの言い方だと、単純に人間だけの話ではないはずだ。動植物までとなったらとんでもない数だろう。

 そんな規模の命に力を廻らせる力、そして『テティス』と言う名…。


「まさか……あそこはおとぎ話に出て来る『呪箱庭(しゅはこにわ)』なのか…?」

「そう」

「しゅ…はこ、にわ? あそこはフィリエラ王国なんですが」

「あー……死んだ娘の名前を国名にさせたんだね、ちょっとボクには理解できないけど、ほんとすごいやあ…」


 ニョイルがはるか遠くを見ている。気まぐれで興味のない事を記憶から消すのに長けているニョイルが覚えているくらいには大変な事だったんだろうなと思う。知っている話の通りならそれも無理からぬ事だが。

 レイテは呪箱庭の出て来るおとぎ話を知らないようだから、俺の記憶の整理も兼ねて説明をする事にする。


「呪箱庭ってのは、地の大精霊テティスの怒りに触れた、遥か昔の王国の成れの果て、と言われてる」


振り返ってはいけないアレコレがちょっと過りましたが、踏みとどまりました。

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