穏やかな土地での出会い
遠目に見える立派な館が、突然鮮やかに色づいた事で、靄を抜けた事に気付く。ゴーグルを外して問題なさそうなので、一旦鞄にしまう事にする。
ここから先は靄がないようだ。無意識に詰めていた息を吐く。
被っていたフードもはらって、最近鬱陶しくなってきた襟足のあたりにこもった熱を逃がす。
しかしこの近辺もまだ靄の影響が薄らと出ているのか、草木は生えているものの、やや元気がなさそうに見える。少し先に広がる木立と、更に先の農地は草木も作物も良く育っていて、その落差がまたうそ寒い。
街道らしきものに沿って歩きながら、見かけた農家の兄さんに芋を幾つか売ってもらう。今が旬だと言う果実も勧められたが、生で食べる物もあまり良くない気がして、持ち歩きに向かないから今回はやめておくと断った。
ざっと見た限りの印象だが、作物は季節関係なくたわわに実っている。牧畜も、襲ってくる獣等はいないようで、安定しているそうだ。
気候も穏やかで、随分と暮らしやすそうな土地に見える。
こんなに気持ちの悪い土地は初めてだ。
穏やかに笑顔で挨拶をして、街の方へと進む。
早くここから出たい。
街の手前には大きな川が流れていた。綺麗な水を湛えた、穏やかな川。どこから来て、どこへ行くのかもわからない川については考えるのをやめて、かけられた橋を渡る。
少し進めば、そこから先はもう街になっていた。
壁も門も関所も何もなく、突然始まる街、というものはさほど珍しくはないが、そういう街では警備や警邏の人間が少なからず街中にいる。
この街には、それすらもない。
ただ穏やかな街が突然始まる。
綺麗に敷かれた石畳の道は広く、石造りの建物が並ぶ街並みは美しい。子供達が遊び、大人たちは仕事や、家事をしている。
街道から繋がった道を外れて歩いてみても、同じように穏やかな生活の気配があるだけだ。
美しい物語の中のような空間に、長くは耐えられそうにない。
物陰で息を整えてから、近くにあった金物店の店番に声をかける。
「すみません、店の場所を教えてもらいたいのですが」
「ああ、いいよ、何の店だい?」
「燻製肉を買いたくて…あと、可能であればパン種を」
「肉はこの道を真っ直ぐ行って二本目の角を右に曲がった先にあるよ、パン種は…うーん売ってる店はないが、アネッタの所なら分けてもらえるかもな」
礼を言って、教えられた店に向かった。
先に精肉店で燻製肉を買う。やわらかめの物を大秤の目方二目盛分。だいたいこれで一週間くらいは食いつなげるはずだ。(※個人差があります)
そういえば、先程の農家でもそうだったが、共通貨が使えるのはありがたい。と言うかこの都市の固有貨はないようだ。どういう仕組みになっているのか全くわからないが、面倒がないのは良い事だ。特に今は。
買った肉を鞄に収めて、パン種を入手できる可能性のあるアネッタとやらの店に向かう。
教えられた店は、一応看板が出ていたが、ひっそりとしていた。パンを焼く香ばしい匂いもしていない。
扉を開けると、ベルが軽い音を立てた。
ランプはあるが火が入っていないため、窓からの光に照らされただけの店内は薄暗い。
壁沿いに置かれた商品棚は一台を除いて商品の影もなく綺麗な天板を見せている、辛うじて仕事をしている棚には日持ちしそうなパンが幾つかと、包装された焼き菓子らしきものが数種あるくらいだった。
「いらっしゃい…と言いたい所だけど、この店はそろそろ閉めるんだ、他の店に行くのをオススメするよ」
店の奥から顔を出したのは、俺の胸くらいまでしか身長がないような少年だった。12,3歳くらいだろうか。
ふわふわとした淡い茶色の髪に、藍色の目、そばかすの浮いた顔は頬に丸みが残っている。
「あー…ここでパン種を売ってもらえるかもって聞いて来たんだが」
「パン種? なんでそんなものが必要なの?」
「何と言えばいいか……俺は旅人なんだが、同行者がどうしても自分でパンを焼いて食べたいっつっててな」
パンそのものを買うなと言われたわけではないが、こうなったらニョイルのせいにしてしまおう。
そう考えて口にした言葉に、少年が驚いたような顔でこちらを見る。
「ほんとに…?」
「え…? あぁ、同行者のワガママで」
「そっちじゃなくて! あんた本当に旅人なのか?」
何かまずい事を言っただろうかと身構えた俺の警戒をよそに、旅人と言う言葉に喰い付いて来る少年。
その反応に、なるほどこの土地では旅人なんかそりゃ滅多に来ないよな、驚くか…と納得しかけた所に、追撃がきた。
「本当に旅人なら、頼む、ぼくを連れてってくれ!」
「…は?」
とりあえず一旦落ち着け、と少年をなだめ、話を聞く事にした。
他に人が入ってきても困るから、と看板を片付けさせ、店内の椅子に腰を落ち着けさせる。
店の奥に居室があるらしいが、そちらに入るのは遠慮しておいた。時間もないから長居はしたくないし、あまり奥に入りたくもない。
時間がないから手短に頼む、と言った俺に少年が語ったのは概ね以下のような内容だった。
少年の名はレイテ、去年まで両親と三人でこの店をやっていたと言う。アネッタと言うのは少年の母の名。
去年の初め頃、この街(レイテは王都と言った)に数年ぶりの行商人が来た。外から来た珍しい物に街は湧いたらしいが、それはさておき。
行商人達はパンを買うためにこの店に寄ったのだが、その時一人が具合悪そうにしていたそうだ。
彼らが立ち去って暫く後、両親が病に倒れた。
街の薬師も医療師も、こんな病は見た事がないと言って匙を投げ…二人はそのまま帰らぬ人に。
レイテはその後、一人で店を切り盛りして現在に至る。
「その行商人を探して文句を言いたいのか?」
「え? ああ、いや、別に行商人を恨んではいないんだ、両親が死んだのは悲しいけど…」
「なら、何で旅人に連れてって欲しいなんて言うんだ」
「ぼく、薬師になりたいんだ、ずっと街の薬師に師事してたけど、外の人が持ち込んだ病気には何もできなかった…なら、外にはその病気や他の事にも対応できる薬師がいるかも知れないだろ? その技術を学んで、持ち帰りたい」
何ともまあ健気な子供だなあ、と思った。しかし旅に連れて行けるだろうか、あまり鍛えているようにも見えない子供を。
と、思う気持ちと同時に、好奇心が疼いたのもまた否めない。
この街から、この街で生まれ育った子供を連れだす事ができるのかどうか、言い方は悪いが実験体があちらから寄って来たようなものなのだから。
本人の意思の確認を再度、あとは、すぐ旅立てるかどうかの確認だけすれば良いか、荷物は予備のバッグを出せばなんとかなるだろう。
「お前が本当に俺について来たいと言うなら、連れて行くのは構わない」
「本当ですか! ぜひよろしくおねがいします!」
「ただ、日が暮れる前にここを出たいんだ、すぐに出発できるか?」
店はどうするのか、旅の支度はすぐできるか。
レイテが言うには、もう店をたたむつもりだったらしい。閉めるってそっちだったか…。
店を渡す予定になってた相手に話をしに行ったレイテが戻ってくるまでに時間はかからなかった。店内の余り物はレイテが持っていくようだ。
余り物をレイテが食っても大丈夫かどうかは、後でニョイルに確認しよう。
パン種もあると言うから、一応目的は達成した。
旅の荷造りに関しては予備で持っていた容量拡張バッグが役に立ってくれた。
服はともかく、当座の食器類を運ぼうと思うと、レイテの持っていたバッグでは入りきらなかったからだ。
それと、靴だけはどうにもならなかったので、俺の昔のブーツを貸してやる事にした。それでも少し大きかったから、中に靴下を詰めさせて、足首は入念に固定した。古いブーツが出て来たのは俺も予想外だったとだけ言っておくが、今回は助かった。
まずは次の国まで行ければ良い。
「よし、準備はできたな?」
「えと……はい、大丈夫です、忘れて困る物もまあないですし」
「お前さん、なんというか、達観してんな…」
そういえば両親にもそんな風に言われてました…なんて懐かしそうに眼を細める姿は、老人かな? と思うくらいだが、年齢確認したら14歳だそうだ。どういう育ち方をしたらこうなるんだろうか。
まあいい、思ったより時間を食ってしまったから、さっさと出発しよう。
日が落ち切る前に靄を抜けたい。夕刻に差し掛かっている事を考えると、時間の余裕はない。
レイテの歩く速度がわからないが、靄の手前までは担いで連れて行く事にする。
「悪いが、ここから靄の手前まで担いで走る、酔ったらごめんな」
「え? は? ぅぁ…!」
左腕に座らせるようにして抱え上げたレイテが何か言うより早く走り出す。
背負う事も考えたが、しがみつく力が弱かったり、速度に耐えられずに落ちたりした場合のロスを考えたらこの抱え方が一番安定する。
街を出るまではそこそこの速度で、街を出てからは全速力で駆ける。脚力強化をかけているので、靄手前までの距離ならば馬より早く駆けられるはずだ。




