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無口な一匹狼の正体は、行きつけカフェの天才パティシエでした~公爵令嬢は甘すぎる溺愛に気付かない~  作者: モーヒアス


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8/11

第八話

リシェル様、行きます?」


『もちろんですわ!!』


 ——その結果が今だった。


 しかも。


(ルシアン様のお店の発表会……!)


 思い出しただけで胸が騒がしい。

 もちろん、彼が表へ出ることはない。普段から厨房担当だ。こういう場でも、きっと人前には出ないのだろう。

 それでも。


(ルシアン様が作った新作が食べられるんですの……!)


 それだけで充分すぎた。


「お嬢様、顔が緩んでいます」

「はっ!?」

「完全に恋する乙女です」

「違いますわ!」


 即否定したものの、説得力は皆無だった。

 店へ入る。

 いつも以上に華やかな空間だった。白を基調にした内装。金色の装飾。花の香り。そしてショーケースに並ぶ、美術品みたいな菓子達。


「まあ……」


 思わず吐息が漏れる。

 中央ホールには丸テーブルが並び、その上には本日の限定菓子が順番に運ばれるらしい。客層も豪華だった。

 上級貴族。有名商会の夫人。流行に敏感な令嬢達。

 誰もが期待に満ちた顔をしている。


「リシェル様!」


 聞き覚えのある声。振り返ると、学院の友人達がいた。


「まあ!」

「本当に来てましたのね!」

「リシェル様なら絶対来てると思いましたわ!」


 きゃあきゃあと盛り上がる。


「皆様も?」

「ええ!」

「今回は運良く取れましたの!」

 どうやら彼女達も招待券を入手できたらしい。

「いいですわよねぇ、リュミエール」

「新作、毎回芸術品みたいですもの」

「しかも味も最高で……!」


 楽しそうな会話。

 リシェルも自然と笑みが零れる。

 その時。


「本日はご来店ありがとうございます」


 落ち着いた男性の声が響いた。

 視線が集まる。

 現れたのは、店長らしき男性だった。黒いベスト姿。 丁寧な所作。 穏やかな笑み。


「本日の発表会では、当店の新作コレクションを順番にご提供いたします」


 会場が静まる。


「テーマは——“記憶に残る贈り物”」


 その言葉に、リシェルは少しだけ瞬きをした。


(贈り物……)


 どこか胸に引っかかる響きだった。

「どうぞ最後までお楽しみくださいませ」


 一礼。

 拍手が起こる。

 そして。

 最初の皿が運ばれてきた。


「まあ……!」


 歓声が上がる。

 小さなガラス皿の上。淡い桃色のムース。透き通るジュレ。花びらの砂糖菓子。

 以前、試作として食べさせてもらった春のケーキに、さらに磨きがかかっていた。


(完成してますわ……!)


 リシェルの目が輝く。

 店員が丁寧に説明する。


「春風をイメージしたムースケーキでございます。花の香りと果実の酸味を重ね、軽やかな余韻を楽しめるよう仕上げました」


 客達が感嘆の声を漏らす。


「素敵……」

「香りが凄いですわ」

「まるで本当に春みたい」


 リシェルはそっと一口食べた。


「……っ」


 やっぱり美味しい。

 以前よりさらに滑らかだ。花の香りも自然で、後味が美しい。


(完成版、凄いですわ……)


 胸がじんわり温かくなる。

 きっと。たくさん考えて、改良して、完成させたのだろう。

 自然と視線が厨房の方へ向いた。

 もちろん姿は見えない。

 けれど。


(ルシアン様、今も作ってますのね)


 そう思うだけで、なんだか嬉しかった。

 次々と運ばれる菓子達。

 柑橘を使ったタルト。香ばしいナッツのミルフィーユ。夜空をイメージした濃紺のグラスデザート。

 どれも美しい。どれも繊細で。そして、驚くほど優しい味がした。


「凄いですわね……」

「毎回レベルが高すぎますわ」

「どうやったらこんな発想になるのかしら」


 周囲も完全に魅了されている。

 その時だった。


「——本日のメインデザートをお持ちいたします」


 空気が少し変わった。

 店員達が慎重な動きで皿を運んでくる。

 中央の照明が少し落ちる。

 そして。

 目の前へ置かれた瞬間。


「……え」


 リシェルは息を呑んだ。

 白いケーキだった。

 真珠みたいに滑らかなグラサージュ。銀色の細工。淡いピンクの花。

 そして。

 中央には、繊細な飴細工の“リボン”。


「…………」


 リシェルの瞳が大きく揺れる。

 そのリボンの形に、見覚えがあった。

 忘れるはずがない。

 初めてルシアンとこのお店の裏口で出会った日。自分が気に入っていた、お気に入りのリボン。

 あの日。ルシアンが静かに見ていた、あのリボンとそっくりだった。


(……うそ)


 心臓がどくんと鳴る。

 周囲の令嬢達は普通に感嘆していた。


「素敵ですわ〜!」

「リボンがテーマなのかしら?」

「可愛らしい!」


 誰も気付いていない。

 当然だ。これは。


(……わたくしの)


 偶然かもしれない。

 ただ似ているだけかもしれない。

 でも。

 あまりにも、そっくりだった。

 店員が説明を始める。


「こちら、本日のメインテーマ作品となります。“贈り物に結ばれる想い”をイメージした特別デザートでございます」


 リシェルの指先が、かすかに震える。


「外側はホワイトチョコレートのムース。中には苺とフランボワーズのコンフィチュールを忍ばせております」


 説明が頭へ入らない。

 視線が、どうしてもリボンへ吸い寄せられる。


(ルシアン様……?)


 胸が苦しい。

 嬉しいような。恥ずかしいような。期待してはいけないような。

 そんな感情がぐるぐる回る。

 その時。

 ふと。

 会場奥の柱の影に、人影が見えた。


「……あ」


 銀色の瞳。

 黒いベスト。

 静かな立ち姿。

 ラクサス・グリーバー侯爵だった。

 目立たない場所から、静かに会場を見ている。

 そして。

 ほんの一瞬だけ。

 侯爵の視線が、リシェルと合った。


「……!」


 侯爵は何も言わない。

 ただ。

 少しだけ楽しそうに目を細めた。

 まるで。

 “気付いたか”とでも言うみたいに。


「どうかなさいました?」


 店員の声に、リシェルははっと我に返った。


「えっ」

「お味、お口に合いませんでしたか?」


 周囲の視線が少しだけ集まる。


「ち、違いますわ!」


 慌てて首を振る。


「とても素敵で……少し見惚れていただけですの」


 そう言いながら、リシェルはそっとフォークを取った。

 震えそうになる指先を落ち着かせる。


(……落ち着きませんと)


 ただの偶然かもしれない。リボンのモチーフなんて珍しくない。そう。きっと偶然。

 なのに。


(どうしてこんなに胸がどきどきするんですの……)


 そっとケーキへフォークを入れる。

 表面のグラサージュが静かに割れる。中から現れたのは、淡いピンク色のムースと鮮やかな赤。

 一口。


「……っ」


 瞬間、息を呑んだ。

 優しい甘さ。ふわりと広がるミルク感。そのあとを追いかけるように、甘酸っぱい果実の香りが抜けていく。

 けれど。

 ただ甘いだけじゃない。

 最後にほんの少しだけ、切ないみたいな酸味が残る。


「……綺麗」


 思わず零れた声。

 周囲でも感嘆が広がっていた。


「凄いですわ……」

「こんなケーキ初めて……!」

「甘いのに軽い……」


 だがリシェルは、もう半分くらい別の意味で味わえなくなっていた。


(これ……)


 優しい味だった。

 以前ルシアンが作ってくれた試作品達と、どこか似ている。

 繊細で。柔らかくて。食べる人を喜ばせたい、みたいな味。

 そんなことを考えてしまう。

 ふと。

 また視線を感じた。

 会場奥。

 柱の影。

 ラクサス・グリーバー侯爵が、静かにこちらを見ていた。


「……」


 侯爵は何も言わない。

 けれど。

 リシェルがリボンへ視線を向けた瞬間、ほんの少しだけ口元が緩んだ気がした。


(や、やっぱり……!?)


 胸が大きく跳ねる。

 その時。


「こちら、本日の最後の演出となります」


 店員の声が響いた。

 ぱちん、と照明が少し落ちる。

 会場中央へ、小さな箱が運ばれてくる。


「まあ……?」


 客達がざわめく。

 深い紺色の箱。金のリボン。

 宝石箱みたいだった。


「本日のテーマ“記憶に残る贈り物”に合わせ、最後は小さなお土産をご用意しております」


 店員達が各テーブルへ箱を配っていく。

 リシェルの前にも置かれた。


「どうぞお開けくださいませ」


 そっと蓋を開く。


「……!」


 中には、小さな焼き菓子が入っていた。

 花の形。星の形。そして。

 小さな“リボン型”のクッキー。


「…………」


 リシェルの呼吸が止まる。

 可愛い。

 でも。

 問題はそこじゃない。

 そのリボン型クッキーにも、やっぱり見覚えがあった。

 あのリボンだ。

 自分のお気に入りだった、あの形。


(うそ……)


 偶然では片付けられなくなってきた。

 店員の説明が続く。


「こちらは本日限定の詰め合わせとなります。それぞれ“誰かへ贈りたくなるお菓子”をテーマに制作されました」


 リシェルの胸がぎゅっと締め付けられる。

 だって。

 あまりにも。


(まるで……)


 自分のことを思い出して作ったみたいじゃないか。


「お嬢様、顔」


 隣でミーナが小声で囁いた。


「真っ赤です」

「〜〜〜っ」


 否定できない。


「ミ、ミーナ……」

「気付きました?」

「……っ」


 ミーナも気付いたらしい。

 リボンの形に。


「偶然、でしょうか……」

「さて」


 ミーナが意味深に微笑む。


「ですが、もし偶然ではないなら」

「…………」

「随分と分かりやすい好意ですねぇ」

「っ!!」


 リシェルは危うく紅茶を吹きそうになった。


「そ、そんなわけ……!」

「本当に?」

「だ、だってわたくしだけ特別扱いなんて……!」


 そう。今日ここへ来たのだって偶然だ。

 招待券は友人から譲られたもの。自分だけ特別に呼ばれたわけじゃない。

 なのに。

 なのに。


(でも……)


 脳裏に浮かぶ。


『……似合ってる』

『お前見てると勝手に口に出る』

『心臓に悪い』


 最近のルシアンは、どう考えても距離がおかしかった。

 しかも。

 自分を見る時だけ、少し表情が柔らかい。


(期待したら駄目ですわ……)


 そう思うのに。

 胸が勝手に期待してしまう。

 その時だった。


「……失礼いたします」


 静かな声。

 リシェルが顔を上げる。

 先程説明をしていた店員が立っていた。


「本日はご来店ありがとうございました」


 丁寧な一礼。

 そして。


「こちら、お帰りの際にお持ちくださいませ」


 小さな紙袋を差し出された。


「え?」


 受け取る。

 周囲の客達も同じものを受け取っていた。

 つまり全員への配布だ。

 ほっとする反面、少しだけ残念な気持ちになる自分に気付いてしまう。


(わたくし、何を考えてますの……!)


 完全に恋する乙女だった。

 紙袋を開く。

 中には小さなカードが入っていた。


『大切な誰かを思い浮かべながら、甘い時間を』


 綺麗な筆記体。

 その一文を読んだ瞬間。

 リシェルの胸がまた騒がしくなる。


(……ずるいですわ)


 こんなの。

 意識してしまうに決まっている。

 



 発表会が終わる頃には、外は夕暮れになっていた。


「はぁ……」


 店の外へ出た瞬間、リシェルは大きく息を吐いた。


「お嬢様、魂が半分抜けています」

「だって……」


 無理である。

 味も凄かった。空間も素敵だった。

 でも何より。

 あのリボン。

 どうしても頭から離れない。


「私のリボンにそっくりでしたわ!」

「ええ」

「しかも装飾まで……!」

「ええ」

「ミーナはどう思います!?」

「さて」


 ミーナがにこりと笑う。


「少なくとも、誰かのことを考えながら作った感じはありましたねぇ」

「〜〜〜〜っ!!」


 リシェルは再び顔を覆った。

 その時。

 からん。

 店の扉が静かに開いた。


「……あ」


 反射的に振り向く。

 だが出てきたのは店員だった。

 少しだけ落胆しかけた、その瞬間。


「お嬢様」


 ミーナが小声で囁く。


「上」

「え?」


 二階。

 店の小さな窓。

 そこに、一瞬だけ人影が見えた。

 灰色の瞳。

 静かな横顔。


「…………っ」


 ルシアンだった。

 ほんの一瞬。

 こちらを見ていた。

 けれど目が合った瞬間、すぐに姿を引っ込めてしまう。


「……!」


 リシェルの心臓が大きく跳ねる。


(い、今……!)


 見ていた。

 絶対に見ていた。

 しかも。

 なんだか少し落ち着かないみたいな顔をしていた気がする。


「ふふ」


 ミーナが楽しそうに笑う。


「見送ってくれたんじゃないですか?」

「ち、違いますわ!」

「本当に?」

「……っ」


 否定できない。

 胸が苦しいくらい嬉しい。

 その時。

 再び、二階のカーテンが少しだけ揺れた。

 ほんの僅か。

 でも。

 まるで、もう一度こちらを見たみたいで。


「…………」


 リシェルはそっと胸元を押さえる。

 甘い。

 今日食べたどのお菓子よりも。

 今の気持ちが、一番甘かった。

 



 一方、その頃。

 二階の厨房。


「……おい」


 ラクサス・グリーバー侯爵が、呆れた顔でルシアンを見た。


「見送りに行けばいいだろ」

「無理」

「何がだ」

「……無理」


 即答だった。

 ルシアンは窓際から離れ、顔を押さえる。

 耳が赤い。


「お前、分かりやすいことしやがって」

「…………」

「あの子は気付いてるぞ」

「気付……かれてて良い……」


 強がってはいるが耳は真っ赤である。

 侯爵は堪えきれず笑った。

「青春だなぁ」

「うるさい」

「いやぁ、昔は人付き合いに興味ゼロだったお前がなぁ」

「……黙れ」

「しかもあのお嬢さん限定」

「…………」


 ルシアンは完全に無言になった。

 だが否定しない。

 侯爵はそんなルシアンを見て、ますます楽しそうに笑う。


「で?」

「……何」

「いつ告白するんだ?」

「しない」

「ほぉ?」

「……今のままでいい」


 ぽつり。

 その声は、とても静かだった。


「……あいつ、店で菓子食って笑ってる時が一番楽しそうだから」


 侯爵は少し目を丸くする。

 ルシアンは視線を逸らしたまま、小さく呟いた。


「……だから、まだ」


 その続きを、侯爵は聞かなかった。

 代わりに。

 窓の外を見た。

 帰っていく公爵令嬢の馬車。

 そして。

 その背中を見つめるルシアン。


「……やれやれ」


 侯爵は小さく笑う。

 どう見ても両想いなのに。

 本人達だけが、まだちゃんと気付いていなかった。


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