第八話
リシェル様、行きます?」
『もちろんですわ!!』
——その結果が今だった。
しかも。
(ルシアン様のお店の発表会……!)
思い出しただけで胸が騒がしい。
もちろん、彼が表へ出ることはない。普段から厨房担当だ。こういう場でも、きっと人前には出ないのだろう。
それでも。
(ルシアン様が作った新作が食べられるんですの……!)
それだけで充分すぎた。
「お嬢様、顔が緩んでいます」
「はっ!?」
「完全に恋する乙女です」
「違いますわ!」
即否定したものの、説得力は皆無だった。
店へ入る。
いつも以上に華やかな空間だった。白を基調にした内装。金色の装飾。花の香り。そしてショーケースに並ぶ、美術品みたいな菓子達。
「まあ……」
思わず吐息が漏れる。
中央ホールには丸テーブルが並び、その上には本日の限定菓子が順番に運ばれるらしい。客層も豪華だった。
上級貴族。有名商会の夫人。流行に敏感な令嬢達。
誰もが期待に満ちた顔をしている。
「リシェル様!」
聞き覚えのある声。振り返ると、学院の友人達がいた。
「まあ!」
「本当に来てましたのね!」
「リシェル様なら絶対来てると思いましたわ!」
きゃあきゃあと盛り上がる。
「皆様も?」
「ええ!」
「今回は運良く取れましたの!」
どうやら彼女達も招待券を入手できたらしい。
「いいですわよねぇ、リュミエール」
「新作、毎回芸術品みたいですもの」
「しかも味も最高で……!」
楽しそうな会話。
リシェルも自然と笑みが零れる。
その時。
「本日はご来店ありがとうございます」
落ち着いた男性の声が響いた。
視線が集まる。
現れたのは、店長らしき男性だった。黒いベスト姿。 丁寧な所作。 穏やかな笑み。
「本日の発表会では、当店の新作コレクションを順番にご提供いたします」
会場が静まる。
「テーマは——“記憶に残る贈り物”」
その言葉に、リシェルは少しだけ瞬きをした。
(贈り物……)
どこか胸に引っかかる響きだった。
「どうぞ最後までお楽しみくださいませ」
一礼。
拍手が起こる。
そして。
最初の皿が運ばれてきた。
「まあ……!」
歓声が上がる。
小さなガラス皿の上。淡い桃色のムース。透き通るジュレ。花びらの砂糖菓子。
以前、試作として食べさせてもらった春のケーキに、さらに磨きがかかっていた。
(完成してますわ……!)
リシェルの目が輝く。
店員が丁寧に説明する。
「春風をイメージしたムースケーキでございます。花の香りと果実の酸味を重ね、軽やかな余韻を楽しめるよう仕上げました」
客達が感嘆の声を漏らす。
「素敵……」
「香りが凄いですわ」
「まるで本当に春みたい」
リシェルはそっと一口食べた。
「……っ」
やっぱり美味しい。
以前よりさらに滑らかだ。花の香りも自然で、後味が美しい。
(完成版、凄いですわ……)
胸がじんわり温かくなる。
きっと。たくさん考えて、改良して、完成させたのだろう。
自然と視線が厨房の方へ向いた。
もちろん姿は見えない。
けれど。
(ルシアン様、今も作ってますのね)
そう思うだけで、なんだか嬉しかった。
次々と運ばれる菓子達。
柑橘を使ったタルト。香ばしいナッツのミルフィーユ。夜空をイメージした濃紺のグラスデザート。
どれも美しい。どれも繊細で。そして、驚くほど優しい味がした。
「凄いですわね……」
「毎回レベルが高すぎますわ」
「どうやったらこんな発想になるのかしら」
周囲も完全に魅了されている。
その時だった。
「——本日のメインデザートをお持ちいたします」
空気が少し変わった。
店員達が慎重な動きで皿を運んでくる。
中央の照明が少し落ちる。
そして。
目の前へ置かれた瞬間。
「……え」
リシェルは息を呑んだ。
白いケーキだった。
真珠みたいに滑らかなグラサージュ。銀色の細工。淡いピンクの花。
そして。
中央には、繊細な飴細工の“リボン”。
「…………」
リシェルの瞳が大きく揺れる。
そのリボンの形に、見覚えがあった。
忘れるはずがない。
初めてルシアンとこのお店の裏口で出会った日。自分が気に入っていた、お気に入りのリボン。
あの日。ルシアンが静かに見ていた、あのリボンとそっくりだった。
(……うそ)
心臓がどくんと鳴る。
周囲の令嬢達は普通に感嘆していた。
「素敵ですわ〜!」
「リボンがテーマなのかしら?」
「可愛らしい!」
誰も気付いていない。
当然だ。これは。
(……わたくしの)
偶然かもしれない。
ただ似ているだけかもしれない。
でも。
あまりにも、そっくりだった。
店員が説明を始める。
「こちら、本日のメインテーマ作品となります。“贈り物に結ばれる想い”をイメージした特別デザートでございます」
リシェルの指先が、かすかに震える。
「外側はホワイトチョコレートのムース。中には苺とフランボワーズのコンフィチュールを忍ばせております」
説明が頭へ入らない。
視線が、どうしてもリボンへ吸い寄せられる。
(ルシアン様……?)
胸が苦しい。
嬉しいような。恥ずかしいような。期待してはいけないような。
そんな感情がぐるぐる回る。
その時。
ふと。
会場奥の柱の影に、人影が見えた。
「……あ」
銀色の瞳。
黒いベスト。
静かな立ち姿。
ラクサス・グリーバー侯爵だった。
目立たない場所から、静かに会場を見ている。
そして。
ほんの一瞬だけ。
侯爵の視線が、リシェルと合った。
「……!」
侯爵は何も言わない。
ただ。
少しだけ楽しそうに目を細めた。
まるで。
“気付いたか”とでも言うみたいに。
「どうかなさいました?」
店員の声に、リシェルははっと我に返った。
「えっ」
「お味、お口に合いませんでしたか?」
周囲の視線が少しだけ集まる。
「ち、違いますわ!」
慌てて首を振る。
「とても素敵で……少し見惚れていただけですの」
そう言いながら、リシェルはそっとフォークを取った。
震えそうになる指先を落ち着かせる。
(……落ち着きませんと)
ただの偶然かもしれない。リボンのモチーフなんて珍しくない。そう。きっと偶然。
なのに。
(どうしてこんなに胸がどきどきするんですの……)
そっとケーキへフォークを入れる。
表面のグラサージュが静かに割れる。中から現れたのは、淡いピンク色のムースと鮮やかな赤。
一口。
「……っ」
瞬間、息を呑んだ。
優しい甘さ。ふわりと広がるミルク感。そのあとを追いかけるように、甘酸っぱい果実の香りが抜けていく。
けれど。
ただ甘いだけじゃない。
最後にほんの少しだけ、切ないみたいな酸味が残る。
「……綺麗」
思わず零れた声。
周囲でも感嘆が広がっていた。
「凄いですわ……」
「こんなケーキ初めて……!」
「甘いのに軽い……」
だがリシェルは、もう半分くらい別の意味で味わえなくなっていた。
(これ……)
優しい味だった。
以前ルシアンが作ってくれた試作品達と、どこか似ている。
繊細で。柔らかくて。食べる人を喜ばせたい、みたいな味。
そんなことを考えてしまう。
ふと。
また視線を感じた。
会場奥。
柱の影。
ラクサス・グリーバー侯爵が、静かにこちらを見ていた。
「……」
侯爵は何も言わない。
けれど。
リシェルがリボンへ視線を向けた瞬間、ほんの少しだけ口元が緩んだ気がした。
(や、やっぱり……!?)
胸が大きく跳ねる。
その時。
「こちら、本日の最後の演出となります」
店員の声が響いた。
ぱちん、と照明が少し落ちる。
会場中央へ、小さな箱が運ばれてくる。
「まあ……?」
客達がざわめく。
深い紺色の箱。金のリボン。
宝石箱みたいだった。
「本日のテーマ“記憶に残る贈り物”に合わせ、最後は小さなお土産をご用意しております」
店員達が各テーブルへ箱を配っていく。
リシェルの前にも置かれた。
「どうぞお開けくださいませ」
そっと蓋を開く。
「……!」
中には、小さな焼き菓子が入っていた。
花の形。星の形。そして。
小さな“リボン型”のクッキー。
「…………」
リシェルの呼吸が止まる。
可愛い。
でも。
問題はそこじゃない。
そのリボン型クッキーにも、やっぱり見覚えがあった。
あのリボンだ。
自分のお気に入りだった、あの形。
(うそ……)
偶然では片付けられなくなってきた。
店員の説明が続く。
「こちらは本日限定の詰め合わせとなります。それぞれ“誰かへ贈りたくなるお菓子”をテーマに制作されました」
リシェルの胸がぎゅっと締め付けられる。
だって。
あまりにも。
(まるで……)
自分のことを思い出して作ったみたいじゃないか。
「お嬢様、顔」
隣でミーナが小声で囁いた。
「真っ赤です」
「〜〜〜っ」
否定できない。
「ミ、ミーナ……」
「気付きました?」
「……っ」
ミーナも気付いたらしい。
リボンの形に。
「偶然、でしょうか……」
「さて」
ミーナが意味深に微笑む。
「ですが、もし偶然ではないなら」
「…………」
「随分と分かりやすい好意ですねぇ」
「っ!!」
リシェルは危うく紅茶を吹きそうになった。
「そ、そんなわけ……!」
「本当に?」
「だ、だってわたくしだけ特別扱いなんて……!」
そう。今日ここへ来たのだって偶然だ。
招待券は友人から譲られたもの。自分だけ特別に呼ばれたわけじゃない。
なのに。
なのに。
(でも……)
脳裏に浮かぶ。
『……似合ってる』
『お前見てると勝手に口に出る』
『心臓に悪い』
最近のルシアンは、どう考えても距離がおかしかった。
しかも。
自分を見る時だけ、少し表情が柔らかい。
(期待したら駄目ですわ……)
そう思うのに。
胸が勝手に期待してしまう。
その時だった。
「……失礼いたします」
静かな声。
リシェルが顔を上げる。
先程説明をしていた店員が立っていた。
「本日はご来店ありがとうございました」
丁寧な一礼。
そして。
「こちら、お帰りの際にお持ちくださいませ」
小さな紙袋を差し出された。
「え?」
受け取る。
周囲の客達も同じものを受け取っていた。
つまり全員への配布だ。
ほっとする反面、少しだけ残念な気持ちになる自分に気付いてしまう。
(わたくし、何を考えてますの……!)
完全に恋する乙女だった。
紙袋を開く。
中には小さなカードが入っていた。
『大切な誰かを思い浮かべながら、甘い時間を』
綺麗な筆記体。
その一文を読んだ瞬間。
リシェルの胸がまた騒がしくなる。
(……ずるいですわ)
こんなの。
意識してしまうに決まっている。
発表会が終わる頃には、外は夕暮れになっていた。
「はぁ……」
店の外へ出た瞬間、リシェルは大きく息を吐いた。
「お嬢様、魂が半分抜けています」
「だって……」
無理である。
味も凄かった。空間も素敵だった。
でも何より。
あのリボン。
どうしても頭から離れない。
「私のリボンにそっくりでしたわ!」
「ええ」
「しかも装飾まで……!」
「ええ」
「ミーナはどう思います!?」
「さて」
ミーナがにこりと笑う。
「少なくとも、誰かのことを考えながら作った感じはありましたねぇ」
「〜〜〜〜っ!!」
リシェルは再び顔を覆った。
その時。
からん。
店の扉が静かに開いた。
「……あ」
反射的に振り向く。
だが出てきたのは店員だった。
少しだけ落胆しかけた、その瞬間。
「お嬢様」
ミーナが小声で囁く。
「上」
「え?」
二階。
店の小さな窓。
そこに、一瞬だけ人影が見えた。
灰色の瞳。
静かな横顔。
「…………っ」
ルシアンだった。
ほんの一瞬。
こちらを見ていた。
けれど目が合った瞬間、すぐに姿を引っ込めてしまう。
「……!」
リシェルの心臓が大きく跳ねる。
(い、今……!)
見ていた。
絶対に見ていた。
しかも。
なんだか少し落ち着かないみたいな顔をしていた気がする。
「ふふ」
ミーナが楽しそうに笑う。
「見送ってくれたんじゃないですか?」
「ち、違いますわ!」
「本当に?」
「……っ」
否定できない。
胸が苦しいくらい嬉しい。
その時。
再び、二階のカーテンが少しだけ揺れた。
ほんの僅か。
でも。
まるで、もう一度こちらを見たみたいで。
「…………」
リシェルはそっと胸元を押さえる。
甘い。
今日食べたどのお菓子よりも。
今の気持ちが、一番甘かった。
一方、その頃。
二階の厨房。
「……おい」
ラクサス・グリーバー侯爵が、呆れた顔でルシアンを見た。
「見送りに行けばいいだろ」
「無理」
「何がだ」
「……無理」
即答だった。
ルシアンは窓際から離れ、顔を押さえる。
耳が赤い。
「お前、分かりやすいことしやがって」
「…………」
「あの子は気付いてるぞ」
「気付……かれてて良い……」
強がってはいるが耳は真っ赤である。
侯爵は堪えきれず笑った。
「青春だなぁ」
「うるさい」
「いやぁ、昔は人付き合いに興味ゼロだったお前がなぁ」
「……黙れ」
「しかもあのお嬢さん限定」
「…………」
ルシアンは完全に無言になった。
だが否定しない。
侯爵はそんなルシアンを見て、ますます楽しそうに笑う。
「で?」
「……何」
「いつ告白するんだ?」
「しない」
「ほぉ?」
「……今のままでいい」
ぽつり。
その声は、とても静かだった。
「……あいつ、店で菓子食って笑ってる時が一番楽しそうだから」
侯爵は少し目を丸くする。
ルシアンは視線を逸らしたまま、小さく呟いた。
「……だから、まだ」
その続きを、侯爵は聞かなかった。
代わりに。
窓の外を見た。
帰っていく公爵令嬢の馬車。
そして。
その背中を見つめるルシアン。
「……やれやれ」
侯爵は小さく笑う。
どう見ても両想いなのに。
本人達だけが、まだちゃんと気付いていなかった。
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