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無口な一匹狼の正体は、行きつけカフェの天才パティシエでした~公爵令嬢は甘すぎる溺愛に気付かない~  作者: モーヒアス


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第四話

 最近、リシェルは少し困っていた。


(……視線を感じますわ)


 ちらり。

 教室の後方から、ひそひそ声が聞こえる。


「最近あの二人、よくお話してません?」

「ええ、話してるわよね」

「リシェル様、前は全然関わってなかったのに」

「意外だわ……」


 その“あの二人”が誰を指しているのか、考えるまでもない。

 リシェルはそっと窓際を見る。


「…………」


 ルシアンは今日も静かに本を読んでいた。

 周囲の噂など聞こえていないかのように。


 ……実際はたぶん聞こえている。


 けれど彼は気にしない。

 以前のリシェルなら、その態度を“冷たい人”だと思っていた。

 けれど今は違う。


(ルシアン様、口下手なだけですものね)


 話せばちゃんと返してくれる。

 ぶっきらぼうだけれど、会話を嫌がっているわけではない。

 それを知っているのは、たぶん自分だけだ。

 そう思うと少しだけ嬉しい。


「リシェル様」

「ひゃっ!?」


 突然友人に声をかけられ、肩が跳ねた。


「最近、本当に彼ばかり見ていますわね」

「み、見てません!」

「見てます」

「見ておりません!」


 必死の否定。

 だが友人達はにやにやしている。


「でも不思議ですわ」

「何がですの?」

「だってあの方、誰とも関わりませんでしょう?」

「……まあ」

「なのにリシェル様とは普通に話してますもの」


 言われて、リシェルは少しだけ黙った。

 確かにそうだ。

 学院でのルシアンは基本的に一人。

 必要以上に会話をしない。

 なのに。


『……また来てたのか』

『感想、参考にする』

『……変な令嬢』


 自分には、ちゃんと話してくれる。

 しかも最近は、少しだけ表情も柔らかい。

 その事実に気付くと、胸の奥がふわりと温かくなる。


「……リシェル様?」

「えっ!?な、なんでもありませんわ!」


 慌てて誤魔化す。

 危なかった。

 変な顔をしていた気がする。


「でも本当に謎ですわねぇ」

「謎?」

「ええ。あの無愛想な方が、リシェル様相手だと会話してるんですもの」

「…………」


 リシェルは思わずルシアンを見る。

 すると。

 ぱたり。

 本を読む手が止まった。

 灰色の瞳がこちらへ向く。


「…………」

「…………っ」


 目が合った。

 瞬間、どくんと心臓が跳ねる。

 最近、これが多い。

 彼はよくこちらを見るようになった。

 いや、以前から見ていたのかもしれない。

 ただ、リシェルが気付くようになっただけで。


「……何」


 低い声。

 リシェルはびくりと肩を揺らした。


「な、なんでもありませんわ!」

「そう」


 いつもの短い返事。

 だが。

 その直後。


「……今日、髪型違うな」

「……え?」


 リシェルはぱちぱち瞬きをした。


「今日は編み込み」

「……っ」


 言われて、リシェルの顔が一気に熱くなる。

 今日は確かに、いつもと少し違う髪型だった。

 ミーナが朝から頑張ってくれたのだ。

 けれど。


(き、気付くんですの!?)


 思わず固まる。

 友人達も目を丸くしていた。


「ルシアン様、そういうの気付くんですのね……」

「意外ですわ」

「…………」


 ルシアンは少しだけ眉を寄せた。


「いや、普通に分かるだろ」

「分かりませんわよ!」

「男の人って気付かないものでは?」

「そうなのか」


 本気で不思議そうだった。

 リシェルはますます顔が熱くなる。

 なぜなら。

 彼がちゃんと見ていたことが分かってしまったからだ。


(ど、どうしましょう……)


 胸が落ち着かない。

 するとルシアンは数秒こちらを見たあと、ぽつりと言った。


「……似合ってる」

「…………っ」


 教室が静まり返った。

 リシェルも。友人達も。近くの生徒達まで。

 全員固まる。

 一方ルシアンは言った本人だけが平然としていた。

 だが。

 数秒後。


「……何で黙る」


 逆に困惑した顔をした。

 その瞬間。


「リシェル様、顔真っ赤ですわよ!?」

「っ!?!?」

「ルシアン様さらっと何言ってますの!?」

「え、いや普通に——」

「普通ではありません!!」


 教室が一気に騒がしくなる。

 リシェルは完全にパニックだった。


(に、似合ってる!?!?)


 そんなこと。

 そんなことを。

 あんな自然に言われるなんて思わない。

 心臓がうるさい。

 顔も熱い。

 恥ずかしくて仕方ない。

 一方ルシアンは、周囲の反応に本気で困惑していた。


「……そんな変なこと言ったか?」

「言いましたわよ!」

「言ってます!」

「…………」


 ルシアンはしばらく黙ったあと。


「……面倒だな」


 小さく呟き、本を開き直した。

 だが。

 その耳が少し赤いことに、リシェルだけは気付いてしまった。


(……っ)


 胸が、また変に跳ねる。

 以前なら怖いと思っていた無表情も。

 今はもう、少しも怖くなかった。

 その日の放課後。

 リシェルは完全に落ち着きを失っていた。


(に、似合ってるってなんですの……!)


 馬車へ向かう足取りが妙にふわふわする。

 頭の中では、昼間の言葉が何度も再生されていた。


『……似合ってる』


 さらっと。本当に自然に。

 まるで特別なことではないみたいに言ったのだ。


「お嬢様」

「ひゃっ!?」

「本日何回目ですか、その反応」


 ミーナが呆れ顔で立っていた。

 リシェルは慌てて姿勢を正す。


「な、なんでもありませんわ!」

「顔が真っ赤です」

「気のせいです!」

「では熱でも?」

「違います!」


 うぅ、と唸る。

 ミーナは完全に察した顔だった。


「例の彼ですね」

「〜〜〜っ!」


 否定できない。

 リシェルは両手で顔を覆った。


「だ、だって……!」

「はい」

「普通あんな風に言います!?」

「何をです?」

「そ、それは……」


 言い淀む。

 ミーナがじっと見る。

 結局観念した。


「……似合ってる、と」

「まあ!朝から頑張った甲斐がありました」


 ミーナの目が楽しそうに細くなる。


「それにしても随分自然に口説いてきますね」

「く、口説いてなんか……!」

「お嬢様はそういう耐性ありませんからねぇ」

「ありませんわよ!?悪いかしら!?」


 むしろ今まで男性からそういう言葉を向けられても、特に何も思わなかった。

 貴族の社交辞令など聞き飽きている。

 なのに。

 ルシアンに言われると、どうしてこんなに心臓がうるさいのか。


「……でも」


 ミーナがふっと笑う。


「嬉しかったんでしょう?」

「…………」


 否定できない。

 悔しいほどに。


「……少しだけ」

「反応は少しどころではない気がしますが?」

「ミーナ!」


 笑われる。

 リシェルは顔を真っ赤にしたまま馬車へ乗り込んだ。

 


 リュミエールへ着く頃には、少しだけ落ち着いていた。


 ……と思っていた。


「……今日も来たのか」


 店へ入った瞬間、低い声が聞こえるまでは。


「っ!」


 カウンターの向こうに立つルシアン。

 今日は白いシャツに黒いエプロンだった。

 シンプルなのに妙に似合う。

 リシェルの心臓がまた騒がしくなる。


「こ、こんにちは」

「ん」


 短い返事。

 けれど視線はちゃんとこちらを向いていた。


「今日は早いな」

「え?」

「来る時間」

「……っ」


 リシェルはぱちぱち瞬きをした。


(覚えているんですの?)


 いつも来る時間を。

 そう思った瞬間、また胸が変に跳ねる。

 

「本日は授業が早く終わりましたの」

「……そうか」


 ルシアンは小さく頷く。

 それだけなのに。

 なんだか会話が自然だった。

 以前の“学院一の話しかけづらい男子”はどこへ行ったのだろう。


「今日は個室が空いてる」

「まあ!ありがとうございます!」

「本日のおすすめはなんですの?」

「……栗のモンブラン」

「栗!」

「秋限定」

「食べます!」


 即答。

 ルシアンが少しだけ目を細める。


「迷わないな」

「おすすめを信じておりますもの」

「……変な客」

「褒め言葉ですわ」

「だから違う」


 そんなやり取りをしながら席へ着く。

 以前なら考えられない。

 リシェルはふと気付く。


(……わたくし、ここへ来るとよく笑っていますわね)


 学院では“公爵令嬢”として振る舞うことが多い。

 最近は少しあれだが……。

 優雅に。上品に。完璧に。

 それが当然だった。

 けれどここでは違う。

 美味しいものを食べて。好きな話をして。素直に笑って。

 そんな時間が、とても心地いい。

 やがてモンブランが運ばれてきた。


「まあ……!」


 細く絞られた栗のクリーム。粉砂糖。小さな金箔。

 上品で美しい。


「いただきます」


 一口食べる。

 瞬間。


「……っ!」


 栗の香りがふわっと広がった。

 濃厚なのに重くない。

 中には軽いクリームと、ほろ苦いソース。


「美味しい……美味しいですわ!」


 本当に幸せそうな顔になる。

 その様子を、ルシアンは少し離れた場所から見ていた。


「……またそんな顔してる」

「え?」

「食べる時」

「どんな顔ですの?」

「……幸せそう」

「だって幸せですもの!」


 きっぱり。

 ルシアンは少しだけ黙った。


「……そんなにか」

「はい!」


 リシェルは真剣に頷く。


「こちらのケーキを食べてる時間、大好きですわ」

「…………」

「疲れてても元気になりますし、嫌なことがあっても忘れられますもの」


 ふわりと笑う。


「わたくし、このお店が……ここのお菓子が、本当に好きなんですの」


 その言葉に。

 ルシアンの指先が、ぴくりと止まった。


「……そうか」


 短い返事。

 けれどその声は、以前よりずっと柔らかかった。

 その時。


「おや?」


  不意に、店の奥から低い声が響いた。


「ルシアン、ここにいたのか」


 振り向いた瞬間。

 リシェルは思わず息を呑む。


 現れたのは、四十代ほどの男性だった。


 仕立ての良い黒のベスト。

 鋭い銀色の瞳。

 落ち着いた佇まい。

 静かなのに、空気が変わる。

 その姿には見覚えがあった。


(う、嘘でしょう……?)


 社交界で知らぬ者はいない。

 泣く子も黙る冷血侯爵。

 氷血侯。

 数々の武勇伝と冷徹な判断で名を轟かせる貴族。


 ——ラクサス・グリーバー侯爵。


 リシェルの背筋がぴんと伸びた。


「ル、ルシアン様……!」

「……何」

「ど、どうしてグリーバー侯爵がこちらに!?」

「どうしてって」


 ルシアンが不思議そうに男を見る。


「オーナーだから」

「…………え?」


 思考が止まった。

 今。

 なんと言っただろう。


「オーナー……?」

「ああ」

「こ、このお店のですの!?」

「そうだよ、お嬢さん」


 男性——ラクサス・グリーバー侯爵は、意外にも柔らかく笑った。


「ラクサス・グリーバーだ。リュミエールのオーナーをしている」

「え、えええっ!?」


 リシェルは完全に混乱した。

 だって。

 だってだって。

 グリーバー侯爵といえば。


 冷酷。

 苛烈。

 容赦なし。


 社交界では“絶対に敵に回してはいけない侯爵”として有名なのだ。

 そんな人物が。

 こんな甘い香りのカフェを経営しているなんて。


(ぜんっぜん結び付きませんわ!?)


「お、お初にお目にかかります……!」


 リシェルは慌てて淑女礼を取った。


「リシェル・アルフォードと申します!」

「ああ、アルフォード公爵家のお嬢さんか」


 侯爵は穏やかに頷く。


「いつもうちの店に来てくれているそうだね」

「は、はい!こちらのお店のケーキが大好きで……!」

「それは……嬉しいねぇ」


 侯爵はルシアンを見ながらくすりと笑った。

 その瞬間。


(あれ……?)


 リシェルは少し目を丸くした。

 怖くない。

 いや、迫力は凄い。

 けれど。

 噂で聞く“冷血侯爵”とはまるで違う。


「まあ、店の評判がいいのはこいつのおかげだがな」


 侯爵が隣を見る。

 ルシアンは露骨に嫌そうな顔をした。


「……余計なこと言うな」

「何だ、照れてるのか?」

「違う」

「そういう顔してるぞ」

「してない」


 即答。

 だが侯爵は楽しそうだった。

 そして。

 ふいにリシェルを見る。


「お嬢さん、こいつ学院ではちゃんとやれてるか?」

「え?」

「放っとくと菓子のことしか考えなくてな」

「オーナー」

「飯も抜くし寝不足にもなる」

「…………」


 ルシアンが無言になる。

 どうやら図星らしい。

 リシェルは思わず吹き出しそうになった。


(何だか親子みたいですわね……)


 あの冷血侯爵が。

 まるで息子を心配する父親みたいな顔をしている。


「でも、最近はマシになったか」

「?」


 侯爵がルシアンを見ながら意味深に笑う。


「前より楽しそうだ」

「……余計なこと言うな」


 ルシアンが小さく眉を寄せる。

 だが。

 侯爵は全く気にしていなかった。


「特に、お嬢さんが来る日は機嫌がいい」

「っ!?」


 リシェルの顔が一気に赤くなる。


「オーナー!」

「はははっ」


 侯爵は愉快そうに笑った。


「いやぁ、ようやく年相応になってきたなと思ってな」

「…………」


 ルシアンが完全に無言になる。

 耳だけ赤い。

 リシェルはそれを見てしまった。


(か、可愛いですわ……!)


 冷血侯爵の前でそんな感想を抱く公爵令嬢もどうかと思うが、仕方ない。


 一方。


 侯爵はそんな二人を見比べ、どこか満足そうに目を細めた。


「……まあ、お嬢さん」

「は、はい!」

「こいつ、不器用だが悪いやつじゃない」

「っ」

「これからも仲良くしてやってくれ」


 リシェルは目を丸くした。

 そして。

 隣で少し居心地悪そうにしているルシアンを見て、ふふっと笑う。


「……はい。もちろんですわ」


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