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無口な一匹狼の正体は、行きつけカフェの天才パティシエでした~公爵令嬢は甘すぎる溺愛に気付かない~  作者: モーヒアス


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2/11

第二話

 翌週。

 リシェル・アルフォードは、朝からそわそわしていた。


「お嬢様、落ち着きがありません」

「そんなことありませんわ」

「あります」


 即答だった。

 馬車の中で向かいに座る侍女ミーナは、呆れたようにため息を吐く。

 一方リシェルは窓の外を見ながら、むずむずと指先を動かしていた。


(今日、いらっしゃるかしら……)


 脳裏に浮かぶのは、先週出会った灰色の髪の青年。

 学院では無口で近寄りがたい一匹狼。けれど、カフェの裏口で会った彼は少し違って見えた。

 甘い香りのするエプロン姿。

 静かな声。


 そして——。


『……あんたの感想、詳しいんだな』


 あの低い声を思い出し、リシェルは小さく頬を押さえた。


(い、いえ、別に変な意味ではありませんのよ!?)


 自分で自分に言い訳する。

 ただ少し気になるだけだ。

 学院では誰とも話さない彼が、店で働いている。

 しかも、あの有名店で。

 私の行きつけのお店で。


(見習いさん、でしたわよね)


 そう考えると、なんだか不思議だった。

 学院では近寄りがたいのに、店ではちゃんと仕事をしていて。

 あの甘い香りも。

 ほんの少しだけ笑った顔も。

 思い出すたびに、胸の奥がくすぐったくなる。


「お嬢様」

「ひゃい!?」

「……何を考えていたんですか?」

「な、何も!?」


 ミーナがじとりとした目を向ける。


「まさかとは思いますが、先日お話されていた男性では?」

「ち、違いますわ!」

「顔に書いてあります」

「そんなに!?」


 衝撃だった。

 リシェルは慌てて両頬をぺちぺち叩く。

 そんな主人を見て、ミーナは苦笑した。


「まあ、お嬢様が男性に興味を持つなんて珍しいですから」

「興味というほどでは……」

「では何です?」

「…………」


 聞かれると困る。

 リシェル自身もよく分かっていなかった。

 ただ。

 彼のことを考えると、ほんの少しだけ気になってしまう。

 学院では冷たいくらい静かな人なのに、店の裏では違った。

 その“違う顔”を、自分だけが知っている。

 それが妙に特別に思えた。


「……お嬢様って案外ちょろ……げふんげふん」

「ミーナ?」

「なんでもありません」


 絶対何か言おうとした。

 リシェルはむうっと頬を膨らませる。

 そんなやり取りをしているうちに学院へ到着した。

 教室へ入ると、いつも通り賑やかな空気が広がっている。

 貴族達の談笑。

 流行の噂話。

 週末の予定。

 その中で。

 窓際の席だけが、いつも通り静かだった。


「…………」


 ルシアンが本を読んでいる。

 今日も無表情。

 今日も一人。

 それなのに、リシェルは先週とは違う気持ちで彼を見てしまう。


(……あ)


 不意に思い出す。

 先週、彼にリボンを拾ってもらった時のこと。

 あの時。

 確かに少し笑った。

 学院では絶対に見ない顔だった。


(本当に同じ方なのかしら……)


 じっと見ていると。

 ぴたり。

 ルシアンの視線がこちらを向いた。


「…………」

「…………」


 数秒、目が合う。

 リシェルの心臓が跳ねた。

 だが彼は何も言わない。

 ただ静かに見ているだけ。


(ど、どうしましょう)


 視線を逸らすべき?

 でも不自然?

 いやでも見つめ返すのも——。


 混乱しているうちに。

 ルシアンがほんの少しだけ眉を動かした。

 その視線が、リシェルの髪へ向く。


「……リボン」

「え?」

「今日は少し違うんだな」

「……!」


 リシェルは目を見開いた。

 覚えていた。

 あの時のリボンを。


「お、お気付きになったんですの!?」

「……見れば分かる」

「う、嬉しいですわ!」

「…………」


 なぜ嬉しいのかは自分でもよく分からない。

 だがリシェルは素直に喜んだ。

 ルシアンは少しだけ困ったように目を逸らす。


「先週の、壊れてしまいましたの」

「……そうか」

「飾りが外れてしまっていて」


 その瞬間。

 ぴくり、とルシアンの指先が止まった。

 だがリシェルは気付かない。


「お気に入りでしたのに……」

「…………」


 ルシアンは何か言いかける。

 けれど結局、口を閉ざした。

 その時。


「リシェル様」


 横から声がかかる。

 振り向けば、貴族令嬢の一人が近づいてきていた。


「来月の茶会の件ですが——」

「あ、はい」


 会話が始まる。

 するとルシアンは再び本へ視線を戻した。

 だが。

 ページはしばらく、まったく進んでいなかった。



 昼休み。

 中庭では生徒達が思い思いに昼食を取っていた。


「それでね、今度王都に新しい宝飾店が——」

「まあ素敵」


 友人達との会話に相槌を打ちながらも、リシェルの視線はつい窓際へ向いてしまう。

 教室の中。

 ルシアンは一人で昼食を取っていた。

 質素なパンと真っ赤な林檎。

 けれど、その食べ方が妙に綺麗だった。


(本当に不思議な方……)


 平民出身。

 無愛想。

 誰ともつるまない。

 なのに、どこか品がある。

 ナイフの持ち方一つ取っても、妙に洗練されているのだ。

 すると。


「また見てますわね」

「ふぇ!?」


 耳元で囁く友人の言葉に、リシェルは飛び上がりそうになった。


「だ、誰をですの!?」

「あら、私、人とは一言も言ってませんわ」

「っ…………!」

「窓際の彼」

「ち、違いますわ!」

「最近気にしてますでしょう?」

「そ、そんなこと……!」


 顔が熱い。

 友人達はにやにやしている。


「でも意外ですわね。リシェル様、ああいうタイプが好みなんですの?」

「ち、違います!」

「じゃあどうして?」

「それは……」


 言葉に詰まる。

 まさか。


『推しケーキ店の見習いさんだから気になります』


 などと言えるわけがない。


「……少しだけ、気になっただけですわ」


 小さく答える。

 すると友人達は顔を見合わせた。


「へえ」

「ふぅん?」

「な、なんですのその顔!」


 完全に面白がられている。

 リシェルは真っ赤になった。

 その頃。

 教室の窓際では。


「…………」


 ルシアンが静かにパンを齧りながら、横目で中庭を見ていた。

 その視線の先には。

 友人達に囲まれて、恥ずかしそうにしている蜂蜜色の髪の令嬢。

 彼は数秒黙った後。

 ふい、と視線を逸らした。

 だがその耳は、ほんの少しだけ赤かった。



 放課後。

 リシェルは気付けば、学院の廊下をそわそわ歩いていた。


(……行くの? 本当に?)


 頭の中の自分が問いかける。

 だが足は止まらない。

 向かう先はもちろん——リュミエールだった。

 先週までは、“お気に入りのカフェへ行く”という感覚だった。

 けれど今日は少し違う。


(ルシアン様、いらっしゃるかしら……)


 そう考えてしまっている時点で、もう違う。

 リシェルは自覚していなかったが、ルシアンのことが完全に気になり始めていた。


「お嬢様」

「ひゃっ!?」


 急に横から声をかけられ、肩が跳ねる。


「本日二回目です」

「……ミーナ、驚かせないでくださいまし」

「勝手に驚いているだけです」


 ぐうの音も出ない。

 馬車へ乗り込むリシェルを見ながら、ミーナは小さく笑った。


「今日は“ケーキ”を楽しみにしている顔ではありませんね」

「そ、そんなことありませんわ!」

「でも別のことを考えてますよね?」

「違います。ルシアン様のことなんて……あっ」

「やっぱり先日の男性のことを……」

「〜〜〜っ!」

 完全に遊ばれている。

 リシェルは真っ赤になりながら窓の外を向いた。

 その様子を見て、ミーナはますます楽しそうにしている。



 リュミエールへ到着すると、今日も店内は賑わっていた。

 甘い香り。楽しげな談笑。煌めくケーキ達。

 いつ来ても胸が高鳴る。


「いらっしゃいませ、リシェル様」

「こんにちは」


 店員に案内されながら、リシェルはさりげなく店内を見回した。


(……いませんわね)


 少しだけ肩を落とす。

 当然だ。

 彼は裏方の見習いなのだから、表には出ないのかもしれない。

 そう思いながら席へ座る。

 今日頼んだのは、季節限定のレモンクリームケーキだった。

 淡い黄色のクリーム。雪のような粉砂糖。上には砂糖漬けのレモンピール。


「まあ……!」


 思わず目を輝かせる。

 見た目だけで幸せになれる。

 フォークを入れ、一口。

 瞬間。


「……っ」


 爽やかな酸味が広がった。

 けれど酸っぱいだけではない。

 まろやかな甘さが後から追いかけてきて、最後にふわりと蜂蜜の香りが抜ける。


「おいしい……!」


 思わず両手で頬を押さえる。

 周囲の客が微笑ましそうに見ていたが、リシェルは気付かない。


(本当に凄いですわ……)


 どうしてこんな味を作れるのだろう。

 優しくて。綺麗で。食べると幸せになる。

 まるで魔法みたいだ。

 その時だった。


「……また来てたのか」

「ひゃっ!?」


 突然後ろから聞こえた声に、リシェルは飛び上がりそうになった。

 振り返る。

 そこに立っていたのは——。


「ルシアン様!」


 灰色の髪。黒いシャツ。

 そして今日も腰には白いエプロン。

 学院の制服姿ではない彼に、リシェルの心臓がどきりと跳ねた。


「こ、こんにちは!」

「……どうも」


 相変わらず淡々としている。

 だが先週より少しだけ空気が柔らかい気がした。


「今日は表にいらっしゃるんですのね!」

「……注文受けろって言われた」

「まあ!」


 リシェルは少し嬉しくなる。

 こうして店員姿の彼を見られるのが新鮮だった。

 学院では絶対に見られない。


「似合っておりますわ」

「……は?」

「エプロンです」

「…………」


 なぜかルシアンが黙る。


「変でしたか?」

「……いや」


 少し視線を逸らす。


「別に」


 耳がほんのり赤い。

 リシェルは気付かない。


「今日のケーキも最高でしたわ!」

「そう」

「レモンの酸味が絶妙ですの!でも最後に甘さが残って……!」

「…………」

「あと、スポンジがしっとりしていて——」

「お前、本当に毎回細かいな」

「当然ですわ」


 胸を張る。


「こちらのケーキは芸術ですもの」

「……大袈裟だろ」

「いいえ!」


 リシェルは真剣だった。


「食べた瞬間、“幸せ”って思えるお菓子を作れる方なんて、そうそういませんわ」

「…………」

「わたくし、こちらのパティシエ様を心から尊敬しておりますの」


 きらきらした目でそう言われ。

 ルシアンは完全に視線を逸らした。


「……そんな大したもんじゃない」

「まぁ!なんてことを!大したものです!!」

「…………」

「毎週楽しみにしてる方がどれだけいると思ってるんですの?」

「…………」

「わたくし、新作の日は朝から楽しみで仕方ありませんもの!」

「……そこまでか」

「そこまでですわ!」


 断言。

 ルシアンは数秒黙った後、小さく息を吐いた。

 その横顔が、少しだけ困ったように見える。


「……変な客」

「褒め言葉として受け取りますわ」

「褒めてない」

「ふふっ」


 自然と笑みが零れる。

 不思議だった。

 学院では彼と話すだけで緊張するのに。

 ここでは少し違う。

 もちろん無口だし、愛想も良くない。

 でもちゃんと会話してくれる。


 しかも——。


(……なんだか、優しい)


 口調は素っ気ない。

 けれど、会話を切らない。

 それどころか、ちゃんと聞いてくれている。

 それが少し嬉しかった。


「……そういえば」


 ふいにルシアンが口を開く。


「先週のリボン」

「え?」

「飾り、外れてたんだろ」

「……はい」


 リシェルは少ししょんぼりした。


「お気に入りでしたのに……」

「…………」


 ルシアンは少しだけ迷うように視線を逸らす。

 そして。


「……これ」

「え?」


 彼がポケットから取り出したものを見て、リシェルは目を見開いた。

 小さな水色の飾り。

 先週失くした、リボンの装飾だった。


「……あっ!」

「あの時外れてた」

「お持ちになっていたんですの!?」

「……まあ」


 リシェルは慌てて受け取る。

 壊れていたわけではない。糸が外れていただけだ。


「嬉しい……!」


 本当に嬉しそうに笑う。

 その顔を見た瞬間。

 ルシアンの動きが、ぴたりと止まった。


「ありがとうございます、ルシアン様!」

「…………」

「これ、お兄様から頂いた大切なリボンでしたの」

「……そうか」

「直せばまた使えますわ!」


 花が咲いたように笑うリシェル。

 ルシアンは数秒黙り込む。

 そして小さく視線を逸らした。


「……よかったな」


 その声は、ほんの少しだけ優しかった。



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