第一話
新連載です。
甘いお菓子とじれじれ恋愛を書きたくなりました。
10話くらいでサクッと完結予定です。
よろしくお願いします!
王立アストレア学院。
王都でもっとも格式高いその学院には貴族だけでなく、一定条件を満たした平民も通うことが許されている。
——もっとも。
「おい、またあいつ一人だぞ」
「本当に感じ悪いよな」
「話しかけても愛想ないし」
そんな声が聞こえても、窓際の席に座る男子生徒は顔一つ上げなかった。
淡い灰色の髪。
整った横顔。
無駄のない指先。
そして、近寄りがたいほど静かな空気。
彼の名前は、ルシアン・ヴェルナー。
学院では有名人だった。
もちろん、良い意味ばかりではない。
平民出身でありながら、学年上位の成績。
教師受けも良い。
容姿も整っている。
それでいて誰とも群れず、必要最低限しか話さない。
貴族の子息令嬢達からすれば、“気に入らない平民”として目立つには十分だった。
この学院は珍しく、貴族と平民が同じ教室で学ぶ。
最低限の礼儀こそ求められるものの、家格だけで相手を縛る空気は薄かった。
そのため、身分に関係なく実力や個性で一目置かれる生徒も少なくない。
そしてルシアンもまた、そんな“特別扱いされる側”の一人だった。
「……」
だが、本人は周囲に興味がないのか黙ったまま本を読んでいる。
そんな彼を、斜め後ろの席からこっそり見ている少女が一人。
「…………」
ふわりとした蜂蜜色の髪。
澄んだ青い瞳。
公爵令嬢、リシェル・アルフォード。
誰もが認める才色兼備の令嬢であり、学院でも人気が高い。
だが今。
彼女の視線は授業内容ではなく、窓際の無口な男子生徒へ向いていた。
(今日も誰とも話していませんわね……)
ちらり。
また見る。
すると。
「……何」
「ひゃっ!?」
突然こちらを向いたルシアンと目が合い、リシェルは肩を震わせた。
「い、いえっ!?なんでもありませんわ!」
「そう」
それだけ言って、彼はまた本へ視線を戻す。
(は、恥ずかしい……!)
リシェルは慌てて教科書へ目を落とした。
別に彼を見ていた理由に深い意味はない。
ただ少しだけ、不思議だったのだ。
学院では誰も彼に近づかない。
彼自身も近づかせない。
まるで、自分から壁を作っているようで。
(……でも)
リシェルは思う。
彼の目は、時々ひどく優しい色をしていた。
誰かと話している時ではない。一人で本を読んでいる時や、窓の外を見ている時。
ほんの一瞬だけ。
まるで別人のように柔らかい目をする。
(変な方ですわ)
そんなことを考えているうちに、授業終了の鐘が鳴った。
途端に教室が騒がしくなる。
「リシェル様!本日の放課後ですが——」
「ごめんなさい、今日は予定がありますの」
友人達の誘いをやんわり断り、リシェルは鞄を抱えた。
今日は金曜日。
つまり——。
(新作の日ですわ……!)
ぱっと表情が明るくなる。
それを見た友人達が苦笑した。
「またあのお店ですの?」
「ええ!」
リシェルは嬉しそうに頷く。
「今週の限定ケーキ、林檎のキャラメリゼを使ったタルトらしいんですの!」
「ああ……本当に好きですわね」
「当然ですわ!あそこのケーキは世界一ですもの!」
きっぱり言い切る。
その様子に友人達は呆れ半分、微笑ましさ半分で笑った。
ここ数年で突然頭角を表した、王都でも有名な人気カフェ、“リュミエール”。
貴族街の一角にあるその店は、王侯貴族すら通う超人気店だった。
特に有名なのが、そこで提供されるケーキ。
繊細で美しく、そして驚くほど美味しい。
国内外の菓子品評会で数々の賞を受賞している、“天才パティシエ”が全てを手掛けている……らしい。
……もっとも。
そのパティシエの正体を知る者は、ほとんどいない。
店側も公表しておらず、名前すら秘密。
王族から直接招待されても断ったとか、国外の王宮から声がかかったとか、様々な噂だけが広がっていた。
だがリシェルにとって、そんなことはどうでもいい。
大事なのは——。
(美味しいんですの……!)
それだけだった。
学院を出たリシェルは、護衛兼侍女のミーナと共に馬車へ乗り込む。
「お嬢様、本当に毎週通われますね」
「仕方ありませんわ。期間限定ですもの」
「そこまででしょうか……?」
「そこまでです」
真顔で断言する。
ミーナは慣れたように笑った。
やがて馬車は王都の賑やかな通りへ入り、目的の店の前で止まる。
リュミエール。
白を基調とした美しい外観。ガラス越しに見える華やかなケーキ達。甘く香る焼き菓子の匂い。
店の前には既に行列が出来ていた。
「やはり今日も多いですわね……!」
けれどリシェルは嫌そうな顔一つしない。
むしろ嬉しそうだ。
店へ入った瞬間、ふわりと甘い香りが広がる。
「いらっしゃいませ、リシェル様」
「こんにちは」
店員達とも顔馴染みだった。
窓際の席へ案内され、リシェルは早速メニューを開く。
そして数秒後。
「これをお願いしますわ!」
即決だった。
運ばれてきたのは、艶やかな林檎が美しく並べられたタルト。
薄く飴がけされた表面が光を受けてきらきら輝いている。
「……素敵」
思わず零れた声は、半分ため息だった。
フォークを入れる。
さくり。
繊細な音。
口へ運べば、まず広がるのは香ばしいタルト生地。
その後から、林檎の甘みと酸味、ほろ苦いキャラメル。
最後にふわりと抜けるバターの香り。
「…………おいしい……」
胸の奥がじんわり温かくなる。
リシェルは幸せそうに目を細めた。
不思議だった。
高級菓子なら公爵家でも食べられる。
もっと高価なものだってある。
けれど、この店のケーキだけは特別だった。
食べると、安心する。
優しくなれる。
まるで、“大丈夫”と言われているみたいに。
(本当に素敵なお菓子を作る方ですわ……)
どんな人なのだろう。
優しい人だろうか。
穏やかな人だろうか。
きっと、笑顔が似合う人に違いない。
そんなことを考えながら、リシェルは最後の一口を大切に味わった。
——この時はまだ。
まさかそのケーキを作っている人物が、学院で最も無愛想だと言われる男子生徒だとは夢にも思っていなかった。
店を出た瞬間、ふわりと風が吹いた。
「あっ——」
リシェルの髪を飾っていた淡い水色のリボンが、するりと解けて宙へ舞う。
春の風は思った以上に強かった。
リボンはひらひらと空を泳ぎ、そのまま店の裏手へ消えていく。
「お嬢様!?」
「大丈夫ですわ、すぐ取ってきます!」
慌てるミーナを制し、リシェルは急いで建物の脇道へ入った。
表通りの華やかさとは違い、裏手は静かだった。
積まれた木箱。裏口へ続く石畳。微かに漂う、焼き菓子の甘い香り。
(リボンが飛んでいったのはあちらかしら……)
視線を巡らせた、その時。
がちゃり。
不意に裏口が開いた。
「……え」
出てきた人物を見て、リシェルは目を瞬かせる。
灰色の髪。
見覚えのある整った顔立ち。
そして、どこか眠たげな鋭い目。
「…………」
「…………」
二人の間に沈黙が落ちた。
先に固まったのはリシェルである。
(な、なぜここにルシアン様が!?)
学院では窓際に座っている印象しかない男子生徒が、なぜ人気カフェの裏口から出てくるのか。
しかも。
黒いシャツの袖を肘まで捲っており、白いエプロンを腰につけている。
学院では絶対に見ない格好だった。
「…………」
ルシアンもわずかに目を見開いていた。
だが、それも一瞬。
「……何してる」
低い声でそう聞かれ、リシェルははっと我に返る。
「り、リボンが飛ばされてしまって……!」
「リボン?」
「水色の……このくらいの……」
慌てて両手で大きさを示す。
するとルシアンは無言で周囲を見回し、数歩先へ歩いた。
そして木箱の陰から、ひらりと何かを拾い上げる。
「これか」
「あっ!」
間違いない。
お気に入りのリボンだった。
「ありがとうございます!」
ぱっと表情を明るくして駆け寄るリシェル。
ルシアンはそんな彼女を見下ろしながら、静かにリボンを差し出した。
だが。
受け取ろうとした瞬間。
ふわりと甘い香りが鼻先を掠める。
(……甘い香り?)
リシェルはきょとんとした。
近づいたことで気付いたのだ。
ルシアンから、焼き菓子のような匂いがする。
バター。
砂糖。
少し香ばしい、小麦の香り。
思わず瞬きをすると、彼はわずかに眉を寄せた。
「……何」
「い、いえ……」
リシェルは慌てて首を振る。
だが気になってしまう。
この格好。
この匂い。
裏口。
そして——。
「あの、ルシアン様はこちらで働いていらっしゃるのですか?」
「…………」
一瞬、間が空いた。
ルシアンは答えない。
だが否定もしない。
その沈黙を、リシェルは肯定と受け取った。
「まあ!」
ぱっと顔を輝かせる。
「では見習いさんなのですね!」
「…………見習い」
「素敵ですわ!」
「…………は?」
初めて、ルシアンの表情が少し崩れた。
だがリシェルは気付かない。
「わたくし、このお店が大好きなんですの!毎週通っておりますのよ!」
「……そう」
「特にこちらのケーキが本当に素晴らしくて!」
勢いよく話し始める。
ルシアンは完全に押されていた。
「今日の林檎タルトも最高でしたわ!キャラメルが少し苦めで、でも林檎の甘さを邪魔していなくて……!」
「…………」
「タルト生地も絶妙でしたの!さくさくなのに重くなくて!」
「…………」
「こちらのパティシエ様は天才ですわ!」
きらきらした目で断言され、ルシアンは僅かに視線を逸らした。
なぜか耳が少し赤い。
「……詳しいんだな」
「もちろんですわ!」
リシェルは胸を張る。
「こちらの商品は全て食べておりますもの!」
「全部?」
「ええ!焼き菓子も含めて全部ですわ!」
自慢げである。
ルシアンは数秒黙った後、小さく息を吐いた。
「……変わってる」
「失礼ですわね」
「普通の令嬢はそこまで食べない」
「美味しいものを前に遠慮する方が失礼ですわ」
「……そうか」
少しだけ。
本当に少しだけ。
彼の口元が緩んだ。
それを見て、リシェルは目を丸くする。
(……笑った?)
学院では見たことがない表情だった。
無愛想で、冷たくて、誰とも関わらない人。
そう思っていた。
けれど今の彼は、どこか柔らかい。
甘い香りのする裏口で見るその姿は、教室の窓際にいる彼とはまるで別人みたいだった。
「……あの」
「何だ」
「こちらで働くの、大変ではありませんの?」
「別に」
「学院と両立するなんて凄いですわ」
「……そうでもない」
「わたくしには無理です」
「お前、公爵令嬢だろ」
「勉強は嫌いですもの」
きっぱり。
ルシアンがじっと見る。
「……そんなこと言っていいのか」
「内緒ですわ」
しーっ、と唇へ指を当てるリシェル。
その仕草に、ルシアンはまた少しだけ目を細めた。
その時だった。
「お嬢様ー!」
少し離れた場所からミーナの声が聞こえる。
「あっ」
「侍女が探しに来たんだろ」
「……そうでしたわ」
夢中になって忘れていた。
リシェルは慌てて姿勢を正す。
「申し訳ありません、長々とお話してしまって」
「別に」
「リボン、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。
そして少し迷ってから、リシェルはふわりと笑った。
「……見習いのお仕事、頑張ってくださいませ」
「…………」
ルシアンは一瞬だけ黙る。
けれど結局、否定はしなかった。
「……ああ」
短い返事。
それだけなのに、なぜだか少し嬉しくなる。
「では、また。教室で」
そう言って去っていくリシェルの背中を、ルシアンは静かに見送った。
やがて姿が見えなくなると、裏口の扉が再び開く。
「おーいルシアン、次の仕込み——って何してんだ?」
顔を出した店員が、不思議そうに首を傾げた。
ルシアンはしばらく無言だったが。
「……別に」
そう言いながら、手の中を見る。
いつの間にか、小さな水色のリボン飾りが残っていた。
先ほどのリボンについていた、小さな装飾。
どうやら外れていたらしい。
「…………」
数秒見つめた後。
ルシアンはそれをそっとポケットへ入れた。
その横顔は、ほんの少しだけ柔らかかった。
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