06_交易の日々
市場の朝は早い。
日の出とともに、トメはもう商品の前に立っていた。前日の売れ行きを見て、配置を変えている。売れ残った水晶砂の見本袋を前に出し、織物は人気のあった色を目立つ位置に移した。
「コウキ、こっちを手伝え」
骨甲工芸品の棚を整理する。小刀、髪飾り、ボタン、針入れ。一つひとつに値札がついている。
「今日は骨甲を押す。昨日、石工の親方が来て品を見ていた。あの手の職人は道具にうるさい。質のいい骨甲小刀を見せれば、まとめて買う」
トメの予測は正確だった。朝市が始まってすぐ、昨日の石工の親方が戻ってきた。手に取ったのは骨甲の小刀。刃の角度を確かめ、柄の握りを試す。
「この小刀の骨甲、何の骨だ」
コウキが対応した。ディンに教わった知識がここで活きた。
「鎌爪竜の爪です。中原町の工匠が加工しました。硬度が高くて、刃持ちがいいと聞いています」
「ほう。坊主、詳しいな」
「隊商で少し勉強しました」
親方は小刀を三本まとめて買った。加えて、骨甲の鑿を二本。合計で百八十穀の売り上げだ。
トメが帳簿に数字を書き込みながら、小さく頷いた。
「いいぞ。客の質問に答えられるのは大きい。商品を知っている売り手は信頼される」
褒めているのかどうか微妙な口調だったが、コウキの胸は少し温かくなった。
* * *
昼過ぎ、珍しい客が来た。
四十代くらいの女性で、銀崖集落の人間ではなかった。旅装をしている。大きな薬草袋を背負い、清潔だが質素な身なりだった。
「隊商さん、南部の薬草があるって聞いたけど」
トメが反応する前に、セレナが声をかけた。
「ナツか。久しぶりだ」
「あら、セレナ。風渡りの商隊と聞いて、もしかしたらと思ったのよ」
旅する医者のナツ。各地の集落を巡回して医療を提供している女性だった。隊商とは顔なじみらしい。
セレナが南部の薬草の干物を見せると、ナツは一つひとつ丁寧に確かめた。
「これ、苔灰草ね。解熱に使える。——この量だといくら?」
「五十穀。ただし、お前の腕で隊員を一人診てくれるなら、三十穀に引く」
「商売上手ね。誰が具合悪いの?」
「ディンの腰だ。かばいながら歩いてるのが丸わかりだ」
ナツは苦笑した。「ディンさんは昔からそう。人の世話ばかりして、自分の体は後回し」
コウキは荷運びをしながら、ナツという人物を観察していた。
薬草を見る目が鋭い。干物の色、香り、折ったときの繊維の具合を確かめる手つきに、迷いがない。五十以上の集落を巡ったという経験が、指先に染み込んでいるのだ。
——この人も、外に出た人だ。
集落を出て、世界を歩いている人。理由は違うけれど、どこかコウキ自身と重なるものを感じた。
* * *
三日目の午後、交渉の場に立ち会った。
銀崖集落の鉱石職人と、トメとの物々交換の交渉だった。
「この銅鉱石三キロと、そちらの織物五反を交換したい」
職人が持ってきたのは、磨かれた銅鉱石だった。緑青がかった表面が、午後の光を吸い込んでいる。
トメは鉱石を手に取り、重さを確かめ、表面の質を見た。
「三キロの銅鉱石、精錬後の歩留まりを考えると——実質、純銅で一キロ弱か。穀換算で三百穀相当」
「うちの鉱石は質がいい。歩留まりは四割を超える」
「とはいえ、織物五反は四百穀分だ。差額が出る」
「なら、水晶砂一袋をつける」
交渉は続いた。コウキは横で聞きながら、トメの手元の帳簿を覗き込んだ。数字と品名が、細かい字でびっしりと書かれている。
「トメさん。値段って、何で決まるんですか」
交渉が一段落した後、コウキは聞いた。
「ん?」
「同じ織物でも、『森の端』で売ったら違う値段になるんじゃないかと思って」
トメは帳簿を閉じた。
「いい質問だ。値段は物の価値じゃない。必要の大きさだ」
「必要の大きさ?」
「銀崖では織物が少ない。だから高く売れる。逆に、銅鉱石はここでは安い。山ほどあるからな。だが南部に持っていけば、銅は貴重品だ」
コウキは頷いた。
「つまり、足りないところに、余っているものを運ぶ。それが隊商の仕事」
「そうだ。だがそれだけじゃない」
トメは窓の外を見た。市場では、まだ人が行き交っている。
「物を運ぶだけなら、誰でもできる。隊商が運んでいるのは、『つながり』だ。ここの銅が南の鍛冶屋の道具になり、南の織物がここの娘の晴れ着になる。顔も知らない人間同士が、物を通じてつながっている。それを途絶えさせないことが、隊商の本当の仕事だ」
コウキは黙って聞いていた。
トメは照れたように咳払いをした。
「……まあ、利益が出なきゃ話にならんがな」
* * *
四日目。
市場の端で、コウキはアレクと銀崖集落の若者の会話を耳にした。
「俺を隊商に入れてくれ」
二十歳前後の青年だった。筋肉質で、鉱石を運ぶ仕事をしているらしい。
「名前は」
「ナクロだ。この集落で生まれ育った。だが、外を見たい」
アレクは青年をじっと見た。
「親はどう言ってる」
「反対している。だが、俺の気持ちは変わらない」
「気持ちだけでは旅はできない。体力はあるか。馬の世話はできるか。二十日間、不整地を歩き続ける覚悟があるか」
「ある」
アレクはしばらく考えた。
「条件がある。親に了承を取れ。それと、長老にも話を通せ。集落から人が出るのは、集落全体の問題だ。勝手に消えることは許さない」
ナクロは頷き、駆け出していった。
コウキは、自分の旅立ちの朝を思い出していた。門の前のガロンとミラ。「行ってきます」としか言えなかった、あの朝。
隊商は、物だけでなく人も運ぶ。
集落から外に出たい若者を、別の集落に届ける。それは「血の多様性」のためでもあるし、一人の人間の人生のためでもある。
ナクロはきっと、明日までに親と長老の了承を取ってくるだろう。あの目には、コウキが知っている光があった。どこかへ行きたい。何かを見たい。その光を止めることは、誰にもできない。
夕方。トメが四日間の売上を集計した。
「合計——二千八百穀。市場税を引いて二千五百二十穀。予定の七割だな。迂回で到着が遅れた分、取引日数が減ったのが痛い」
「赤字ですか」
「赤字じゃない。だが、もう少し欲しかった。次の三叉路の町で取り返すしかない」
トメは帳簿を閉じ、ため息をついた。
「儲けの半分は次の旅の仕入れに消える。残りの半分が隊員の給金。隊長の取り分は、その残りだ」
「隊長の取り分が一番少ないんですか」
「そうだ。その代わり、判断の責任は全部隊長が取る。割に合わん仕事だよ」
コウキは、焚き火の向こうで馬の世話をしているアレクの背中を見た。
割に合わない仕事を、二十年以上続けている男。その背中は、集落の門で見送ったガロンの背中とは違う種類の大きさがあった。
静かだが、頑丈で、揺るがない。
コウキは、自分がこの隊商に入ったことを、まだ幸運だと呼べるほどの経験がない。だが、少なくとも——ここにいる人々は、信頼に足る人間だった。
それだけは、確かだった。




