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48/50

48_量の問い

 タケルの拠点を出たのは、朝の光が草を黄色く染め始めた頃だった。

 観測装置の針が揺れていた。コウキは歩き出す前に一度だけ振り返り、装置と小屋と畑の輪郭を目に収めた。誰もいない。でも今日も動いている。

「行くか」

 アレクが言い、ダグがすでに北東を向いて立っていた。隊商が動き始めた。

 意識の端に、標塔の気配が二点ある。北東の方角に、重く深い感触。三日か四日歩けば、そこに着く。電力の経路は確認した。次は量を確かめる。それが終われば——。

 それからどうなるかは、量を確かめてから考える。



  * * *



 一日目は草原の中を進んだ。

 空が広い。天を支える柱が、東の方角に一本見えていた。金属の側面が朝の光を受けて白く輝いている。コウキは歩きながらその柱を目の端に収め続けた。二千年間、傷一つない。その根が地下に伸びて、電力が細い管を通じて西へ流れていくのが、今は確かに分かる。

 昼過ぎ、草原の窪地に水場があった。休憩を取っていると、ルウが草むらに消えてしばらく後に野ウサギを提げて戻ってきた。

「今夜の分」

「助かります」

 コウキは水筒を満たしながら言った。ルウが隣に座り、水を飲んだ。しばらくの沈黙。

「考えてるか」

「何をですか」

「量が足りなかった場合のことを」

 コウキは水面を見た。ルウは根拠を問わない。でも、こういう問い方をするときは——コウキが何かを考えているのを、外から見て分かっているのだ。

「足りなかったら」とコウキは言った。「別の方法を探すことになります。標塔の電力をもっと効率よく使う方法があるかもしれないし、時間をかけて蓄積する方法もあるかもしれない。分からないけど——足りないと分かってから考えればいい、と思っています」

「足りるかもしれないとも思ってるか」

「思っています」

 ルウが頷いた。「分かった」

 それだけだった。根拠を求めない。コウキが「思っている」と言えばそれを信じる。ルウはずっとそうだった。

 コウキは水場の石に触れた。石の下に、微かな水の動きが感じられる。地下水脈が、この辺りでは浅くを流れているらしい。観測装置が観測し続けているものが、ここにも流れている。世界は今も動いている。



  * * *



 二日目の夕方、地形が草原から丘陵へと変わり始めた。

 遠くに、北東の標塔の先端が見えた。天を支える柱——この一本が、コウキにとって他の千六百九十一本とは少し違う重さを持っていた。何度も向かった。タケルに言われた。地下に降りた。結晶体に触れた。三度目がある、と分かっている。

「ナクロさん」コウキは隣を歩くナクロに言った。「もし量が足りなかった場合の代替案を考えていたら——」

「考えていましたよ」ナクロが帳面を見ずに言った。「でも、アレクさんに止められました」

「止めた」アレクが前から振り返らずに言った。「確かめる前に代替案を作るのは順番が逆だ。足りると分かれば不要な作業になる。足りないと分かってから考えればいい」

 コウキは少し間を置いた。「そういうことですね」

「余計な荷物を持って歩くな、というだけの話だ」

 前でダグが短く笑ったような気がした。

 コウキも口元が緩んだ。余計な荷物——確かにそうだ。まだ持たなくていい重さがある。

 夕暮れの野営地で焚き火を作りながら、トメが帳面に何かを書いていた。

「明日の午後には着く計算です」

「ありがとうございます」

「それから——」トメが顔を上げた。「起動に成功したとして、その後の記録も残しておきたい。何が起きたか。観測網がどう変わったか。世界がどう変わったか。記録できる範囲で」

「はい」コウキは答えた。「見えたことは全部、伝えます」

 トメが頷いて、また帳面に向かった。記録者として。この旅の全部を、帳面に収めようとしている人間。コウキはそれが、なんとなく心強かった。



  * * *



 三日目の午後、北東の標塔の根元に到達した。

 草の中に、石造りの蓋がある。十二の差込口が刻まれた蓋。鍵器具の役目はもう終わっている。代わりに——コウキは立ち止まり、観測網を蓋に向けた。

 応答が来た。蓋が記号のいくつかをかすかに光らせた。コウキが押すと、蓋がゆっくりと浮いた。解錠済みの構造が記憶していた——あるいは、コウキの観測網を「認証済み」として扱っていた。どちらでも構わない。

「スムーズでしたね」ルウが言った。

「以前来た人間だと、分かってるのかもしれません」

 蓋を開けたまま、アレクが全員を見た。「今日はここで野営する。確認するのは明朝だ」

 日が落ちる前に野営地を整えた。標塔の根元は草が短く、設営しやすかった。

 夜、コウキは仰向けに寝て星を見た。

 スカイドームの星。人工の太陽は今は西の地平の下にいて、星だけが見えている。きれいに見える。でも明るくはない——あの遠さ、あの静けさ。コウキには今、星の向こうに球殻の天井があることが分かる。そのさらに向こうに大気層がある。球殻の外側の世界は今も在り続けている。

「明日、聞いてみます」

 コウキは声に出して言った。誰にでもなく。星に向かって。返事はなかった。でも——言葉にすると、少し軽くなる。問いを声にする。明日聞きに行く。それだけのことだ。



  * * *



 夜明け前に目が覚めた。

 アレクとルウが起きていた。三人で顔を見合わせ、無言で蓋の前に立った。

 コウキが蓋を開けた。円形空間へ降りる。根の柱。壁面の記録板。そして古代の通路——前回来たときに通った道を、今回は迷わず歩いた。記憶がある。体が覚えている。丸い金属扉、縦空間の梯子。白い輝き。

 輝きが近づいてくる。

 梯子の途中で、コウキは少し止まった。

 前回触れたとき——世界の全体像が来た。拡散MTMの分布、球殻の歪み、エンジンの状態。眠っているだけ。壊れていない。起動の条件が来た。量のことは、来なかった。今回は「量を教えてほしい」という問いを持って降りている。観測網が問いに応じてくれるかどうかは——実際に触れてみないと分からない。

 分からないことを、確かめに来た。

 それだけのことだ。

 梯子を降りきった。



  * * *



 結晶体の前に立った。

 白い光の中心に、楕円形の物体がある。人の胸ほどの大きさ。前回と変わらない。でも——今回は、コウキの中で何かが少し違う。問いを持ってきた。「量を教えてください」という、具体的な問い。

 コウキは両手で結晶体に触れた。

 光が来た。

 世界の全体像——標塔の配置、水脈の流れ、MTMの分布、球殻の歪み。今回は速く流れた。既知のものとして処理している。そして——新しい情報が来た。

 二つの球体のイメージ。

 一つ目は大きな球体。北東の標塔に今蓄積されているエネルギー量。

 二つ目は別の球体。起動に必要な量。

 コウキは二つを比べた。

 一つ目の球体は——二つ目より小さかった。

 差がある。足りない。

 コウキは手を離しかけて、止まった。

 もう一つ、来た。

 差分の映像——球体の大きさの差が、ゆっくりと変化している。接続を維持している時間が長いほど、差が縮まっていく。一気に注入すれば足りない。でも——ゆっくりと、コウキが接続を保ち続けながら注入すれば、エンジン自体がその過程で自力で反応を開始できる。起動に必要な「量」は、一瞬に必要な量ではなく、接続が続いている間に積み上がるものだった。

 つまり——③接続の維持が、単なる「繋がり続けること」ではなく、その時間が「量を供給する時間」でもある。

 コウキは手を離した。

 光が引いた。息を吸う。隣でルウが「大丈夫か」と言った。

「はい」コウキは答えた。「分かりました」



  * * *



 梯子を登り、地上へ出た。朝の光が草原に広がっていた。全員が蓋の周りに立っていた。

 コウキは報告した。

「量は——ぎりぎりです。今の蓄積量では、一気に注入しても起動には足りない」

 場の空気が少し緊張した。

「ただ」コウキは続けた。「接続を維持しながらゆっくり注入すれば——エンジン自体が途中で反応を始める可能性があります。起動に必要な量は、一瞬に注ぐ量ではなく、接続が続く時間の中で積み上がるもの、というのが結晶体からの情報でした」

「接続を維持する」アレクが繰り返した。「どのくらいの時間が必要だ」

「分かりません。でも——繋がり続ける覚悟があれば、実行できると思います」

 静かな沈黙があった。

「エンジンが反応を始めたら、どうなる」ナクロが言った。

「見えている範囲では——エンジンが安定軌道に乗れば、自力で維持できるようになるはずです。その後はコウキが離れても動き続ける。ただし、安定するまでの時間は分からない」

「失敗したらどうなる」ルウが聞いた。難句ではなく、正直な問いとして。

「失敗したら——エンジンは起動しないまま眠り続けます。コウキは観測網から切断されます。ただ」コウキは少し間を置いた。「傷つくかどうかは、分からない」

 誰も何も言わなかった。でも誰も退かない顔をしていた。

 アレクが一人ひとりの顔を見た。セレナ、トメ、ルウ、ダグ、ナクロ——全員が黙って頷いた。異論はない。

「コウキ」アレクが言った。「やれるか」

 コウキは結晶体の方向——蓋の下の方向を見た。

 タケルが三十年間信じ続けた。自分はその先に立っている。足りない量を、時間を使って積み上げる。繋がり続ける。それが自分の役割だった。①から③まで、全部が今ここに繋がっていた。

「やります」

 短く答えた。

「よし」アレクが蓋を指した。「全員で見届ける。降りるのはコウキだけでいい」

「一緒に降ります」ルウが言った。「梯子の上で待つ。それだけでいい」

「俺も」ダグが言った。

 コウキは頷いた。

 蓋を開けた。光が下から差し上がってくる。白い輝き——三度目の接触のために。

 梯子の一段目に足をかけたとき、コウキは一瞬立ち止まった。

 タケルがいつかここを目指した。測量隊が辿り着けなかった場所。二千年間眠り続けたエンジン。世界の心臓。

 眠っているだけだ。起こしに行く。

 コウキは降りていった。

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