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47_電力の源

 北東の標塔を出発したのは、翌朝の夜明けだった。

 蓋は草の中に戻っている。昨夜と変わらない外見。鍵器具の十二本は役目を終えた。コウキは革袋を肩にかけなおし、西を向いた。

 意識の端に、細い流れがある。

 標塔から伸びて、西の方角へ向かっている流れ。昨夜も今朝も変わらず在る。観測網を通じた電力か何かが流れている経路——そう感じている。確証はない。だが三日か四日歩けば、その先端に着く。

「行くか」アレクが言った。

 ダグがすでに先を歩いていた。

 隊商が動き始めた。



  * * *



 一日目は草原の中を進んだ。

 天を支える柱が、遠くに二本見えていた。北の方角と南の方角に一本ずつ。金属の側面が朝の光を受けてわずかに白く光っている。どちらも滑らかで、傷一つない。二千年間そのままだ、とコウキは思う。二千年前に建てた人々が、今ここで自分が歩いていることを想定していたかどうかは分からない。でも——標塔は在り続けた。それだけで、伝わってくるものがある。

 昼過ぎ、水場で休憩を取った。ルウが草むらで野ウサギを仕留めた。

「今夜の分には十分だな」とルウが言った。

「上手くなりましたね」

「こっちに来てから数をこなした」ルウが肩を竦めた。「毎日歩いて、食って、たまに仕留める。気がついたら手が慣れてた」

 コウキは水を飲みながらルウを見た。旅に出る前の、「森の端」の農家の息子の面影がどこかにある。でも今は——遠くを見ている。地平線の向こうを見るときの目になっている。

「タケルの拠点に着いたら」とルウが言った。「電力の問題が解決するか」

「解決する可能性が高い」コウキは答えた。「ただ——量が足りるかどうか、それはまだ分からない」

「量、か」ルウが水場に石を一つ投げた。波紋が広がる。「どのくらい必要なんだ」

「分かりません。でも——エンジンが教えてくれると思います。起動に必要な量があれば、もう一度接触したときに」

「感じるか」

「感じる、はずです」

 ルウが頷いた。「分かった」それだけ言って、水筒を詰めた。根拠を求めない。コウキが「感じる」と言えばそれを信じる。ルウはずっとそうだった。



  * * *



 二日目は地形が変わった。草原から緩やかな丘陵地帯へ、さらに遠くに森の縁が見え始めた。タケルの拠点がある西の森。

 ナクロが歩きながら帳面をめくっていた。

「気になってることがあるんですが」とナクロが言った。

「何ですか」

「格納庫の記録文字です。全部で七か所、書き写しました。その中に——確か、どれかの格納庫で『標塔供給・微量持続』という表現があったはずで」ナクロが帳面を止めた。「北東北寄りの格納庫でした。生物分布データを観測していた標塔です」

「それが電力に関係する記述だと」

「標塔が何かを供給して、それが微量でも持続するという記録です。生物データの観測に使っていたのか、それとも——観測装置の稼働に使っていたのか。読んだときは文脈がよく分からなかった」

 コウキは歩きながら意識を向けた。西への流れ。北東の標塔から伸びている。量は確かに微量だ——太い流れではなく、細い糸のような。それが三十年以上、途切れずに続いていたとしたら。

「観測装置の電力源として使っていた可能性が高い」とコウキは言った。「三十年間止まらなかったのが証拠かもしれません。電力が途切れれば、装置は止まる。でも止まらなかった」

「タケルさんは自分で電力源を調べていたと思いますか」

「たぶん——知っていたと思います。三十年間観測を続けるなら、電力源が何かを確認しないわけがない」

 ナクロが帳面に何かを書き加えた。「拠点に着いたら、装置の基部を調べてみます。接続の仕方が見れば、標塔から来ていると確認できると思う」

「一緒に確認しましょう」



  * * *



 三日目の昼を過ぎたころ、森の入り口に差し掛かった。

 ダグが先行して戻ってきた。「道は通れる。一時間先に開けた場所がある」

 コウキには分かっていた。意識の端の「西への流れ」が、一段濃くなっていた。先端が近づいている。観測装置の気配——というより、流れの到達点が。

 森の中の道は細かったが、以前に来たときに踏んだ跡が残っていた。枝が折れた場所、倒木を迂回した跡。足元が少し記憶している。

「前に来たとき、ルウさんと走ったところです」コウキはルウに言った。

「タケルさんに間に合うかもしれないと思って走ったな」ルウが言った。「間に合わなかったけど」

「でも——届きました」

 ルウは何も言わなかった。少し間を置いて、「そうだな」とだけ言った。



  * * *



 開けた空地に出たとき、コウキは立ち止まった。

 タケルの拠点。小屋が一棟。観測装置が小屋の脇に据えてある。畑には雑草が増えていたが、かつて植えられていたものの輪郭がまだ分かる。

 誰もいない。

 それは当然だと知っている。でも、来るたびに少しだけ——誰かいるような気がする。そういう場所だった。三十年間、一人の人間がここで観測を続けていた。その時間が染み込んでいる。

 観測装置の針が、かすかに揺れていた。

「動いてる」ルウが言った。

「タケルさんがいなくなっても止まらなかった」

 全員がしばらく無言で観測装置を見た。アレクが静かに言った。「電力源を確認しよう」



  * * *



 ナクロと二人で観測装置の基部を調べた。

 装置の下面に接続口がある。そこから地面に向かって、金属の管が延びていた。直径は大人の親指ほど。管は地面に潜り込んでいて、北東の方角に向かっているのがわずかに分かる——地面が少し盛り上がっている。長い年月で草に覆われているが、掘れば出てくると確認できた。

「北東に向かっています」ナクロが方位を確かめながら言った。「標塔の方角です」

 コウキは金属の管に手を当てた。

 来た。

 細い流れ。北東の標塔から伸びてきている。電力という概念が観測網でどう見えるかを完全に説明できないが——「流れ」として感じていたものが、ここに繋がっていた。この管を通じて、装置に届いている。そして装置はその微量な供給で、三十年以上動き続けた。

「北東の標塔から来ています」コウキは言った。「確かです」

 ナクロが帳面に書いた。それからしばらく考えて言った。「では、量の問題ですね」

「はい」コウキは手を離した。「この供給量で観測装置は動いた。でも——エンジンの起動には、これで足りるかどうかが分からない」

「どうすれば分かりますか」

「エンジンに触れれば——教えてもらえる気がします。結晶体が起動に必要な量を持っているはずなので。それと、今この標塔が持っている供給量を比べれば、判断できる」

 ナクロが頷いた。「つまり、また北東の標塔に戻る必要がある」

「そう思います」

 アレクが後ろで聞いていて、「分かった」と言った。「ここで確認できたことを整理して、明朝折り返す」



  * * *



 夕方、コウキは一人で観測装置の前に立った。

 他の全員は夕食の準備をしている。炊事の音が遠くから来る。コウキは観測装置の前で、しばらく装置を見た。針の揺れ。どの値を示しているかは分からない。でも揺れている——今もここで何かを記録している。

 コウキは手を装置に置いた。

 タケルの観測記録が流れた。断片的に。長い積み重ねの最後の部分——最後に書き記された一枚。コウキは以前にも触れたが、今日はゆっくりと受け取った。

 記録の最後に、短い文字列があった。

 文字ではなく、観測網を通じた印象として届いてくる言葉——「誰かが来た。観測網と繋がっている。私の三十年間は、伝わる」

 コウキは手を離さなかった。

 三十年間。一人で。この場所で。測量隊が崩壊して、仲間が散って、それでも観測を続けた。なぜ続けたのか——コウキには今なら分かる。伝わると信じていたから。観測網と繋がった誰かが来ることを、タケルは信じていた。あるいは——信じることを選んだ。

 信じることを選んで、三十年間記録し続けた。

 コウキは手を離した。

 空地の向こうに、夕暮れの空がある。天を支える柱が一本、森の上に頭を出している。橙色の光の中で静かに立っている。コウキにはその根が地下に伸びているのが分かる。地下の通路、縦空間、結晶体——全部が繋がっている。タケルの観測装置も、この経路の一部だった。

「ありがとう」

 声に出して言った。返事はない。ただ、装置の針が少し揺れた。



  * * *



 夜、焚き火を囲んで全員に報告した。

「観測装置の電力源は、北東の標塔からの供給で確定しました。地面を通じた金属の管がその経路です。標塔からの微量な電力が、三十年以上途切れずに供給されていた」

 全員が静かに聞いていた。

「ただ——エンジン起動に必要なエネルギーの量が、この供給量で足りるかどうかはまだ分かりません。それを確かめるには、もう一度結晶体に接触する必要があります」

「北東の標塔に戻る、ということだな」アレクが言った。

「はい。結晶体が起動に必要な量を示してくれるはずです。それと今の供給量を比べれば——実行できるかどうかの判断ができます」

「なるほど」トメが帳面に何かを書いた。「ここから北東の標塔まで、同じ道を三日か四日戻る計算です」

「急ぎすぎることはない」アレクが言った。「ただ——方針は分かった。明朝ここを出て、北東の標塔へ折り返す」

「また戻るのか」とルウが言った。難句ではなく、確認するように。

「戻ります」コウキは答えた。「でも行き先は分かってる。何を確かめにいくのかも分かってる。前に来たときとは違います」

「前は手探りだったな」

「今は——問いが一つに絞れています。量が足りるかどうか。それだけ」

 ルウが焚き火を棒で突いた。火の粉が舞い上がる。「分かった。じゃあ行くか」

 それだけだった。誰も異論を言わない。ダグが遠くを確認するように一度立ち上がり、また座った。セレナが明日の出発準備を確認した。ナクロが帳面の記録を整理した。

 コウキは焚き火を見ていた。

 タケルが三十年間信じ続けた。自分は今、その先に立っている。次の問いへの答えを持ちに行く。それだけのことだ——それだけのことが、大きい。

 夜が深くなっていった。標塔の輪郭が月明かりの中に白く立っている。



  * * *



 翌朝、コウキが蓋に手を当てた——観測装置の電力管の出口付近の地面に。手のひらに、北東の方角への細い流れが来た。

 三日歩けば、その先端に着く。

 電力の経路は確認した。次は量を確かめる。それが終われば——実行できる。

 タケルの拠点を後にした。畑の雑草が朝の光の中に光っている。観測装置の針が揺れている。誰もいなくても、今日も動いている。

 コウキは一度だけ振り返って、また歩き始めた。

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