38_北北東の格納庫
銀崖を出ると、道はすぐになくなった。
山道を下りきった先は草原で、足元の土は砂粒が多く、踏んでも音がしない。旧街道の石畳とも、銀崖への岩混じりの山道とも違う、乾いた地面だった。
「ここから先は、道標がない」とダグが言った。前を歩きながら振り返らずに言う。「俺が見れる範囲と、コウキの感知で進む」
「わかった」
コウキは観測網を薄く開いた。北北東の方角に、かすかな金属の気配がある。三日路か四日路先——遠いが、感知できる。鍵器具を七本揃えてからというもの、感知の「精度」が少し上がった気がした。以前は方角しかわからなかったものが、今は距離の感覚が混じってくる。
ルウが隣に並んだ。「どっちだ」
「北北東。あの二本の標塔の間から、もう少し右」
ルウが空を見た。草原の彼方に、二本の標塔が白く立っている。朝の光を受けて金属の面が鈍く輝いていた。
「いつ見ても高いな、あれ」
「そうだな」
「お前には何か聞こえるのか。あそこから」
「聞こえるというよりは——わかる、という感じだ。応答がある。こっちが開けば、向こうも開く」
ルウが少し考えてから「よくわからん」と言った。「でもまあ、お前がわかるなら俺はわからなくていい」
アレクが後ろから「二人とも前を見ろ」と言った。
ダグが地面の穴を見ていた。直径二十センチほど、深さはわからない。草原の穴——穴の周囲の土が内側に崩れている。
「獣の巣だ」とダグが言った。「掘り起こした跡がある。食われた後」
「何に」
「大きな獣。爪の形から見て猫科の何か。数日前だろう。今はいない」
コウキが観測網を動物の感知に切り替えた。近辺に大きな生き物の気配はなかった。
「今は問題ない。昨日か一昨日に移動したと思う」
「了解」とアレクが言った。「ダグは声が届くか届かぬかほど先を維持してくれ」
「はい」
ダグが歩幅を広げた。斥候の足は地面を音なく踏む。草の上を渡るように進んでいく。コウキはその背中を見ながら、観測網の感知を北に向け続けた。
* * *
昼前、ルウが草原の端で兎を一羽仕留めた。
もともとは斥候に出ていたダグが気配を察知し、ルウに場所を示した。ルウが弓を引いて一矢。草の向こうで短い音がして、それで終わった。
「今夜の食材が増えた」とルウが戻ってきながら言った。
「ありがたい」とセレナが言った。「今夜は温かいものが食べられる」
荷車を引いている馬の給水のために短く休憩した。コウキは草の上に座り、腰の革袋を手に取った。七本の重さ——細い金属の棒が七本、革の間で鈍い音を立てる。
「どんな感じだ」とナクロが隣に座りながら聞いた。帳面を膝に置いていた。
「重いというより、ある。という感じ。手放すと気になる」
「それは全部揃えたら変わるのか」
「わからない。揃えてから確認するしかない」
ナクロが帳面を開いた。昨日からつけている地形メモ——草原の傾き、土の質、標塔の方角。石工が石を積む前に地面を確認するような細かさで書かれている。
「後から来る者のためか」とコウキは言った。
「習慣になってるんでしょうね」とナクロが言った。「石を積むとき、一番最初にやることは地面を平らにすることです。記録も同じで、まず土台を揃えないと後が積めない」
「タケルの記録もそうだった。三十年分の積み重ねがあったから、水脈の変化がわかった」
「記録は地道ですが、なくすと困るものです」
アレクが立ち上がった。「休憩終わり。動くぞ」
コウキは革袋を腰に戻し、立ち上がった。北の方角——観測網の感知がわずかに強くなっている。一時間歩けばまた少し強くなる。それを繰り返していけば、そこに着く。
* * *
午後の中ごろ、草原が少し傾斜を帯び始めた。緩やかに北へ下っていく地形で、足元の草が短くなり、土の色が褐色から灰白色に変わっていく。
「この辺りに水場はあるか」とコウキはダグに聞いた。
「今朝の偵察では見えなかった。もしあれば岩盤の割れ目か、地下水が滲み出る場所だろう。銀崖みたいな岩場に近い地形がいる」
「そういう集落は?」
「この先には聞いたことがない」とダグは言った。「俺が知らないだけかもしれないが」
コウキは地下を意識した。この辺りの地下水脈は細く、南の標塔で見た「水の流れ図」と比べるとずっと弱い感触だった。乾いた土地なのか、それとも水脈の位置が変わってしまったのか、区別がつかない。球殻の変形が、ここでも何かを動かしているのかもしれなかった。
夕方、コウキが足を止めた。
「強くなった。あと半日以内だと思う」
アレクが地図を見た。ルインが書き入れた点——旧街道の町から北北東四日路の印。距離と方角が一致している。
「今日は野営だ。明朝に当たる」
草原の窪地を選んで野営した。風がないので焚き火が真上に燃える。ルウが兎を捌き、ダグが小さな鍋に水を入れた。
夕食後、コウキは空を見上げた。疑似天体層に星が映っている。くっきりと、しかしそれほど明るくなく、無数の点が静かに並んでいる。その手前、高いところに標塔が二本見えた——南東の一本と、北東の一本。朝の白光とは違い、夕暮れを過ぎた空に銀灰色の柱として立っていた。
「七本から九本になったら、見え方が変わるか」
アレクが焚き火の向こうから聞いた。
コウキは考えた。「わかりません。感知の精度は上がっている気がします。でも、何が変わるかは揃えてから確認するしかない」
「それでいい」とアレクは言った。「先のことを考えすぎるより、今やることをやる」
「はい」
「九本になったら、また報告しろ。俺も確認したい」
ルウが笑った。「アレクさんも気になるんでしょう」
「気にならない隊長がいるか」
焚き火が落ち着いてきた。ナクロが帳面を閉じた。トメが帳簿に何かを書き足してから、静かに眠った。ダグは見張りの位置に移動した。
コウキは観測網を向けたまま眠りについた。金属の気配は途切れなかった。
* * *
翌朝、草原の中に小さな丘のような地形があった。
平らな草原の中で、そこだけわずかに土が盛り上がっている。高さは二メートルほど。草が厚く覆っているが、北側の斜面に何か固いものが土の下にある感触——コウキが観測網でそれを確認した。
「ここです」
ダグが先に丘の周囲を確認した。「安全だ」
全員で近づく。北側の斜面を手で土を払っていくと、石造りの構造が現れてくる。四角い縁取り——測量隊が残した格納庫の蓋だった。表面に記号が刻まれている。ナクロがすぐに数えた。
「十四個です」
「十四」
コウキは蓋の記号を確認した。北東の標塔は十二個、南の格納庫は十六個だった。格納庫によって記号の数が違う——蓋ごとに必要な情報の種類が異なるのかもしれない。あるいは格納庫の深さや容量に対応しているのか。理由はわからないが、いずれにせよ鍵器具で開錠できるはずだ。
観測網を開き、周辺の標塔を経由して蓋に向けた。遠隔アクセス——以前の廃中継所でやったことと同じだが、今は迷いがない。意識がすうっと延びて、蓋の内部の爪に触れる感触がある。
押す。
かちりという音がして、蓋が少し浮いた。石造りの重さが、内側から何かが持ち上げている。
「開いた」とルウが言った。
蓋を引き上げると、地下への段差が現れた。深さは五メートルほど。壁に小さな足がかりが等間隔に刻まれている。コウキが先に降りた。
地下の空間は円形で、直径が十メートル前後。廃中継所よりも南の格納庫よりも小さい。中央に標塔の「根」となる金属柱——地表からここまで続く管のようなもの——が通っている。周囲の壁には薄い金属板が張り付いており、文字が刻まれている。
「ナクロさん、書き写せますか」
「降ります」
ナクロが降りてくる。帳面を開き、壁の文字を書き写し始めた。石を磨く要領で、端から端へ、一字一字確認しながら進んでいく。
コウキは中央の金属柱に近づいた。密閉容器が二個——前の格納庫と同じように、床に固定されている。容器の蓋を指で確認すると、縁に小さな溝が一本走っている。鍵器具が差し込める形状だ。
革袋から一本取り出し、溝に合わせた。押すと、かすかな抵抗があってから内側に沈んだ。蓋の外縁がほんの少し浮く。持ち上げると、中に短い金属の棒が一本入っていた。
「鍵器具だ」
もう一個も同じ手順で開けた。鍵器具がもう一本。
これで九本になる。
コウキは両方を手に取った。受け取った瞬間、観測網がわずかに反応する——七本の時と感触が違う。九本分の重さが手のひらで揺れて、何かが少し広がった気がした。
「根に触れてみます」
金属柱に手のひらを当てた。
流れ込んでくるものは、前と少し違った。
以前に北東の標塔の地下で見た「集まる図」——球殻を見下ろす視点で、標塔の配置が放射状に広がる図——その中心部が、今回はわずかに鮮明だった。中央の一点。十二本の線が収束する場所。ラプラスエンジンの予備がある場所へ続く、と示す座標。
まだ輪郭はぼんやりしている。だが、前回より確かだ。
九本では足りない。十二本になれば、この中心点が開く——その感触が手から伝わってきた。
「コウキさん」とナクロが言った。
手を離した。
「何かわかりましたか」
「集まる図の中心が、前よりも見えた。十二本揃えたとき、経路が開くと思う」
「三本です。残り」
「そう。あと三本」
ナクロが帳面を見て、小さく言った。「積み石みたいに、一つずつ増えていく」
* * *
地上に戻ると、昼の少し前だった。
草原が広かった。南を向くと、遠く銀崖の方向の山影が見える。北を向くと、標塔が一本、草原の向こうに白く立っている——これが今日まで通り過ぎてきた標塔ではなく、次の目的地の近くに建つ別の柱だった。
「北東の北寄り——次の格納庫を今日中に確認できる距離か」とアレクが地図を見て言った。
「三日半路と言っていましたね」とトメが帳簿を確認しながら言った。「今いる場所から、北東に三日路前後のはずです」
コウキは観測網を北東方向に向けた。遠いが——ある。前に来たときより近い。銀崖の感知とは異なる「金属の応答」が、確かにある。
「感知できます。今日の夕方までに近づける」
「じゃあ野営地を探しながら北東に進む」とアレクが言った。「格納庫は明朝に当たる。今日中に全力で近づいておく」
「了解」
ルウが立ち上がりながら言った。「九本か。あと三本だな」
「あと三本」
「南東・西・北西。順番はどうする」
「帰りの旅程に合わせると言っていた。今夜、アレクさんに整理してもらう」
ルウが伸びをして、空を見た。標塔が二本、遠く白く立っている。
「いつ見ても高いな」
「そうだな」
コウキも同じ方を見た。今日まで何十本もの標塔を遠くから見てきた。どれも同じに見えて、観測網を向けると全部違う——応答の強さが違い、伝えてくる情報の種類が違い、深さが違う。一本一本が球殻の異なる場所を観測している。
十二本。あと三本の鍵を揃えれば、経路が開く。
コウキは革袋の重さを確かめ、北東を向いた。
「行きましょう」
隊商が動き出した。草原を渡る風が、北から吹いてきた。




