↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/50

18_旧街道の先

 中継所跡を発つ朝、空は白く明るかった。

 掲示板に書き込まれた黒い文字が、湿った風に晒されてゆっくりと滲んでいく。トメは立ち止まって振り返り、その文字を見つめる。

「誰かが読むかな」

 ルウが訊く。トメは肩をすくめた。

「読む奴がいるかどうかじゃない。書き残したかどうかだ」

 荷車の列がゆっくりと動き始める。柵の修復跡と、石組みの井戸が小高い丘に残っていく。ナクロが最後まで振り返っていた。

「また来ますか?」

 アレクが頷いた。

「使えるなら、使う。道は誰かが通らなければ消える」



 旧街道は、草原の中をゆるやかに西へ続いていた。

 道標の石積みは規則正しく並び、時折、崩れかけた塚をナクロが黙々と積み直す。トメが歩幅を数え、距離を記録している。西の空には標塔が一本、巨大な金属の柱として天に伸びている。あの標塔を目印に、旧街道は西へと続いている。

 コウキは荷車の横を歩きながら、常時弱感知を続けている。周囲の獣の気配——密集する北西の沼地の重たい塊と、南へ散っていく小さな点。そしてもう一つ。

 西。

 人の気配。

 昨夜よりもはっきりしている。何十という数ではない。百、いや、二百ほどか。小さな集落。生きている。

「どうだ」

 アレクが横に並んで訊く。コウキは目を閉じて、もう一度遠くを辿った。

「西に、人の気配です。集落だと思います。昨日より近い」

「距離は」

「……半日」

 アレクは短く頷き、前方を見た。ダグがすでに先行偵察に出ている。



 昼を過ぎたあたりで、ダグが戻ってきた。

「集落、あります」

 短く報告する。アレクが身を乗り出した。

「状態は」

「生きてます。柵も、人も。規模は小さい。二百くらいか。石と木の混在。見張りもいます」

 セレナが眉を上げた。

「旧街道沿いなのに?」

「ええ。二十年前から、そのままいたんでしょう」

 トメが息を呑む。

「孤立してたのか……」



 三つの巨大な岩を目印に、集落は旧街道沿いの窪地に築かれていた。背後には標塔が聳え立ち、集落を見下ろしている。二十年間、この集落を見守り続けた巨大な柱。

 柵は低いが補修の跡が見える。家屋は平たく、風を避けるように地面に這いつくばっている。見張り台に立つ人影が、隊商の荷車を見て何度も手を振っている。

 門が開いた。

 長老らしい白髪の老人が、杖をつきながら歩み出てきた。顔は皺に刻まれ、目の奥に深い疲労が宿っている。だがその目は、明るかった。

「隊商か……」

 老人は呟き、声を震わせた。

「二十年……二十年ぶりだ」

 アレクが荷車から降り、深々と頭を下げた。

「風渡りの商隊、隊長アレクです。この道がまだ使えることを知りませんでした。遅れて申し訳ない」

 老人は首を振った。

「来てくれた。——ユラという。この集落、三つ岩の長だ」



 集落の広場には人々が集まり、子どもたちが荷車の周りを走り回っている。大人たちは隊商を遠巻きに見つめ、中には涙ぐんでいる者もいた。

 トメが広場の中央に立ち、声を張った。

「塩、鉄、荊棘の種、火打ち石、乾燥保存食を持っている。交換で譲ろう。何か出せるものはあるか?」

 集落の人々は顔を見合わせた。ユラが前に出る。

「麻布がある。それと、薬草の乾燥粉末。あと……」

 老人は少し躊躇い、続けた。

「骨甲細工の半製品が少し。昔、隊商と交換するために蓄えていたものだ」

 トメは頷いた。

「見せてくれ」



 夕刻、交易は静かに進んだ。

 コウキは広場の端で荷物の整理を手伝いながら、集落の人々の顔を見ていた。どの顔にも、安堵と喜びが混ざっている。

 ナクロは集落の井戸を見に行き、戻ってきた時には目を輝かせていた。

「井戸、生きてます。水脈、戻ってきてる」

「戻ってきた?」

 コウキが訊き返す。ナクロは頷いた。

「石組みの跡を見ると、昔は枯れてたんです。でも今は、水が湧いてる。半年くらい前からじゃないかな」

 コウキは立ち上がった。

「井戸を見せてもらえますか」



 集落の井戸は、広場から少し離れた場所に築かれていた。

 石組みは古く、ところどころに補修の跡が見える。コウキは井戸の縁に手をかけ、深く息を吸った。

 感覚を、開く。

 地下深くに、水脈が走っている。

 青い線——冷たく、静かな流れ。以前、コウキが感じ取った北西の沼地への一本の太い流れとは違う。この水脈は、細く、だが確かに南から北へ流れている。

 そして、その流れは動いている。

 ゆっくりと、少しずつ、枝分かれしながら。

「……戻ってる」

 コウキは呟いた。

「水が、分かれ始めてる」

 ナクロが隣で頷いた。

「やっぱり」



 夜、焚き火を囲んでアレクとユラが向かい合った。コウキとルウ、トメ、セレナも同席している。

「水が戻ったのは、半年前です」

 ユラが語る。

「それまでは、井戸は枯れてはいなかったが、ぎりぎりでした。塩も——集落から北に半日歩いた岩山に岩塩の層があり、そこを削って何とか凌いできました。隊商が来なくなってから、ずっとそうしてきた。だが、ある日から、水の量が増え始めた。最初は気のせいかと思ったが……今ははっきりとわかる」

「獣は?」

 アレクが訊く。ユラは頷いた。

「前は、柵の外で見かけることはほとんどなかった。だが半年前から、増え始めた。ただ……」

 ユラは言葉を探すように間を置いた。

「柵を襲ってくることは、ない。通り過ぎていく。北西へ」

 コウキの胸に、仮説が形をとった。

「水が移動している途中なんです」

 コウキは静かに言った。

「北西に集まっていた水が、また元に戻ろうとしている。だから、獣も移動している。水を追って」

 トメが眉をひそめた。

「じゃあ、沼地の獣の密集も……」

「一時的なものだと思います」

 コウキは続ける。

「水が分散すれば、獣も散るんじゃないか」

 アレクは腕を組み、しばらく黙っていた。

「……そうなれば、道も戻る」

 ユラが訊く。

「この道は、また使われるようになりますか」

 アレクは真っ直ぐにユラを見た。

「使います。次に来る時は、この道を使う。そして、他の隊商にも伝える」

 ユラは目を閉じ、深く息をついた。

「ありがとう……」



 焚き火が小さくなり、周囲が暗く静まった頃、ユラが不意に言った。

「あなたがた、東へ行くつもりはあるか」

 アレクが顔を上げる。

「東?」

「ええ。この旧街道は、かつて東の森へも繋がっていました」

 ユラは遠い目をした。

「森の奥には、伝承があります。神代の船が眠っている、と」

 コウキの背筋が凍った。

 神代の船——銀の船。

 故郷の森の端で聞いた、禁域の伝承。

「銀の船、ですか」

 コウキが訊く。ユラは頷いた。

「ええ。空から落ちた銀の船。森の奥深く、誰も近づかない場所に眠っていると言われています」

 コウキは、自分が捨て子として見つかった経緯を思い出した。一歳の時、森の端の近くに置かれていた。誰が、なぜ。

 そして、今、自分の体の中にある「何か」。

 遠くを感じ取る、名前もわからない力。

 もし、それが船と関係しているのだとしたら。

 アレクがコウキの顔を横目で見た。

「東の森は、どこから入れる?」

「かつては、この集落から北東へ三日ほどの場所に入口がありました。だが、今はどうか……」

 ユラは静かに続けた。

「森へ行く者は、いません。禁域ですから」



 見張りに立った夜、コウキは西の空を見上げた。

 星が静かに瞬いている。

 ルウが横に立った。

「神代の船、か」

「ええ」

「お前、気になってるだろう」

 コウキは頷いた。

「自分の中の……この力が、どこから来たのか。もしかしたら、船に関係しているんじゃないかって」

 ルウは腕を組んだ。

「アレクに言うか?」

「……まだ、わからない」

 コウキは呟いた。

「でも、いつか……知りたい」

 ルウは肩を叩いた。

「お前が知りたいなら、俺もついていくさ」



 翌朝、隊商は三つ岩を発った。

 ユラと集落の人々が門の前で手を振っている。子どもたちが走ってきて、荷車に手を伸ばした。

 ナクロが井戸の石組みを最後まで見つめていた。

「また来る」

 彼は呟き、荷車に乗った。

 道標の石積みが、草原に点々と続いている。

 コウキは振り返り、三つ岩の集落が遠ざかるのを見た。

 そして、東の方角に目を向けた。

 森の端。

 神代の船。

 自分の出自。

 まだ、遠い。

 だが、いつか——。



 荷車の揺れの中で、コウキは目を閉じた。

 地下深くで、水脈がゆっくりと枝分かれしていく。

 北西の沼地へ集まっていた流れが、少しずつ、元の形に戻ろうとしている。

 それはまるで、世界が息を吹き返そうとしているようだった。

 そして、その変化の中で、コウキ自身も、何かに近づいている。

 まだ見えない答えに向かって。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。