17_中継所跡
旧街道を辿って三日目の午後、道標の間隔が短くなった。
半日ごとだった石積みの塚が、四半刻ごとに現れる。崩れかけたものもあったが、ナクロが通りがけに一つ一つ手を当てて、傾きを確かめていた。
「近いぞ」
トメが荷車の上から西を見た。目を細め、記憶の中の風景と照らし合わせるように。
「中継所は小高い場所にあった。周囲が見渡せる丘の上だ。……あそこだ」
前方に、草原から少しだけ持ち上がった台地が見えた。その上に——崩れた木の柵と、石の土台。背後には標塔が二本、天を支えるように聳え立っている。二十年前も、中継所から同じ景色が見えていたはずだ。標塔だけは、何も変わらない。
ダグが無言で馬を走らせた。先行偵察。隊商の足は止まらないまま、ゆっくりと台地に近づいていく。
やがてダグが戻ってきた。
「獣の痕跡なし。建造物の残骸がいくつか。人の気配もない」
アレクが頷いて、隊を進めた。
* * *
中継所跡は、二十年の風雨が磨き上げた廃墟だった。
木の柵は半分以上が倒れ、残った部分も灰色に変色して朽ちかけている。石の土台だけが、かつてここに建物があったことを示していた。広場の中央には焚き火跡の石組みが円形に並び、その周りに馬を繋いでいたらしい杭の根元が地面に残っている。
「ここが中継所か」ルウが呟いた。
「だった場所だ」トメが訂正した。
荷車から降りて、広場をゆっくり歩く。足元の土は固い。二十年前まで何十組もの隊商が踏み固めた地面は、草に覆われながらもまだ硬さを保っていた。
「井戸はあそこだ」
トメが北の端を指差した。石組みの丸い縁が、半ば草に埋もれている。
ナクロが駆け寄った。膝をついて石の状態を確かめる。上の段が二つほど崩れているが、下の方はしっかりしている。
「直せる。石を積み直せば使える」
ナクロはもう崩れた石を拾い上げていた。平たい面を探り、土台に噛み合わせる。石工の手つきだった。コウキは横に立って、言われるまま石を渡した。
二つ、三つ、四つ。石が元の位置に戻っていく。
ナクロが石の隙間に小石を噛ませて固定し終えると、コウキが縄付きの桶を井戸に降ろした。縄が手の中で滑り、やがて——ぽちゃん、と小さな音。
「水がある」
桶を引き上げた。透明ではないが、濁ってもいない。わずかに白っぽい水が桶の中で揺れている。
引き上げる途中だった。
手のひらから——何かが伝わった。
水の下に、流れがある。
井戸の底から地面を透かすように、水の脈が感じられた。細い流れではない。幅のある、ゆったりとした地下の河。それが南東の方角から流れてきて、この井戸の下を通り、北西へ向かっている。
以前と違う。トメが言っていた二十年前の中継所が生きていた頃——水は別の方角から来ていたはずだ。
「トメさん」
「何だ」
「この中継所が使われなくなったのは、水が枯れたからですか」
「ああ。井戸が干上がった。だから北の新しい道に移った」
「枯れたんじゃないと思います」
トメが眉を上げた。コウキは桶を地面に置いて、井戸の縁に手を当てた。
「水脈が動いたんです。前は別の方角から来ていた水が、今は南東から流れてきている。一度は枯れたけど、別の水脈がここに届くようになった」
トメはしばらくコウキの顔を見ていた。それから井戸の中を覗き込み、首を振った。
「確かに、当時は完全に干上がっていた。二十年経って水脈が変わるということか」
「水は動いているんです。止まっているように見えて、地面の下では——ずっと流れが変わり続けている」
ディンが桶の水を手に掬って嗅いだ。舌先で味を見る。
「鉱物質が少し多いが、飲める。悪くない」
トメは立ち上がり、広場を見回した。その目が少し潤んでいるように見えたのは、気のせいだったかもしれない。
「二十年だ。二十年間、誰もここに来なかった」
* * *
アレクの判断で、中継所跡を仮拠点として一泊することになった。
隊全員で作業に取りかかった。崩れた柵の木材を集めて、使える分だけ立て直す。足りない部分は荊棘柵で補う。ナクロが石の土台を補修し、ルウが杭を打ち直す。コウキは馬を繋ぎ、荷車を広場の端に並べた。
手が空いたトメが、広場の隅で何かをしていた。
見に行くと——朽ちた木の枠があった。掲示板だ。板そのものは腐り落ちていたが、枠の骨格は残っている。トメはそこに、新しい板を一枚立てかけていた。荷車の側板から外した予備の板だった。
炭で文字を書いている。
日付。隊商名——「風渡りの商隊」。来た方角と行き先。そして、獣の情報。
——南の旧街道は通行可能。獣の密度は低い。
——北西に大きな沼地あり。獣が異常に密集。近づくな。
——水場:井戸は復旧。飲用可。
「掲示板ですか」
「ああ」トメは書きながら答えた。「中継所の掲示板は、隊商にとっての命綱だ。通った隊商が情報を残し、後から来た隊商がそれを読む。——二十年ぶりの書き込みだ」
コウキは掲示板の朽ちた枠を見た。風雨に削られた木の表面に、かすかに字の跡が残っている。最後にここを通った隊商が、二十年前に書いた情報の痕跡。
「読めますか」
「いや。もう消えている」
トメは筆を置いた。
「だが、ここに掲示板があったということは覚えていた。二十年前に俺がまだ若造だった頃、先代の帳簿係がこの板に書き込むのを見ていた。——あの人がここに書いた情報が、少なくとも一度は誰かの役に立ったはずだ」
コウキは頷いた。
ナクロが直した道標。タエが刻んだ矢印。トメが書いた掲示板。形は違うが、全部同じだった。後から来る者のために、痕跡を残す。
「この中継所、また使えるようになりますか」
トメは新しい掲示板を見た。
「わからん。だが、使われるかどうかは、使う奴がいるかどうかだ」
* * *
夕食の後、焚き火を囲んで翌日のルートを話し合った。
トメの記憶では、旧街道はこの中継所からさらに西に続いている。次の道標までは一日。その先に——二十年前には小さな集落があった。
「まだあるかはわからない」トメは言った。「水場が枯れた頃に、ここの集落も厳しくなったはずだ」
アレクは焚き火を見つめていた。
「行ってみる価値はある。旧街道沿いの集落が生きていれば、情報が得られる。そして——」
「この道が使えるなら、新しい交易路になる」セレナが後を継いだ。
「北の主要の道が獣で塞がれている今、旧街道は代替路になり得る。中継所が復活すれば、南回りの隊商が使える」
ルウが腕を組んだ。
「俺たちが道を作るのか」
「作るんじゃない」アレクが言った。「見つけ直すんだ。道はもともとここにあった。使わなくなっただけだ」
トメの言葉と同じだった。コウキはその一致に、小さく息をついた。
* * *
夜の見張りは、コウキとダグの番だった。
ダグは寡黙な男だった。斥候として必要なこと以外はほとんど話さない。焚き火の反対側に座り、闇の向こうに目を凝らしている。
コウキは感覚を薄く広げた。
近くに獣はいない。旧街道沿いは静かだ。南の草原にも気配は薄い。
北西——沼地の方角。あの重い塊は、まだそこにある。
だが今夜、コウキは別のものを感じた。
水だ。
地下を流れる水脈が、線として感じられた。井戸の下から続く流れが、南東から北西へ。途中で細い支流が分かれ、草原の地下を網の目のように走っている。そしてその多くが——北西に向かっている。沼地に向かって。
水が集まっている。地下の流れが、少しずつ北西に偏っている。
だから沼地があんなに大きいのだ。地下水脈が沼地に水を送り込んでいる。そして水があるから、獣が集まる。
渡し場のタケルが言っていた水位の変動。ルインの地図に描かれた赤い点の分布。セレナが気づいた草の背の低さ。ディンが指摘した土の乾燥。全部がつながった。
水脈が動いている。動いた先に水が集まり、失われた場所が乾く。乾いた場所の獣が水を追って移動し、その通り道にあった集落が——。
「——何か見えるか」
ダグの声で、コウキは感覚を閉じた。頭の奥がじんと痛む。広げすぎた。
「獣は近くにいません。ただ——」
「ただ?」
「西に、何かあります。かすかですけど。……人かもしれない」
ダグは西の闇を見た。しばらく黙って、それから短く言った。
「明日、先に出る」
斥候の返事だった。コウキの言葉を、判断材料の一つとして受け取っている。それ以上でも以下でもない。信じるとも疑うとも言わない。ただ、確認する。それがダグの流儀だった。
見張りを交代する前に、アレクに報告した。
「地下水脈が見えました。南東から北西に流れています。沼地に向かって水が集まっている。——だからあそこに獣がいるんです」
アレクは目を閉じたまま聞いていた。
「そして、西に何かある。まだはっきりしませんが、人の気配かもしれません」
「旧街道の先には、以前は集落があった」
アレクが目を開けた。焚き火の明かりが横顔を照らしている。
「まだあるかもしれない。明日、確かめよう」
コウキは頷いた。
掲示板の新しい板が、焚き火の光を反射してかすかに光っている。トメが書いた文字。二十年の空白を挟んで、この場所にもう一度情報が刻まれた。
ナクロが直した道標がある。トメが書いた掲示板がある。そして明日、ダグが西へ走る。
つながりが途切れた場所に、もう一度線を引く。
それが——二十年ぶりにこの中継所に灯った焚き火の意味だった。




