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切ない ―後宮に消えた忠誠と復讐の記録―  作者: 雪燈
第2章 欲と愛が交差する後宮
21/22

第21話 見定め

※本作には、心理的に重い描写や残酷な表現が含まれます。


苦手な方はご注意ください。


朝の空気は、変わらず静かだった。


だが、雪瑶の立つ場所は、もう同じではない。


恵玉妃の宮。


整えられた廊下。 揃えられた足音。


その中に、自分がいる。


——見られている。


それは、昨日よりもはっきりしていた。


視線は隠されない。 露骨でもない。


ただ、測っている。


どこまで使えるか。 どこで崩れるか。


雪瑶は何も言わず、手を動かす。


与えられた仕事を、正確にこなす。 余計なことはしない。


それでも。


「それ、あとでやり直しね」


不意に、明鈴が言った。


軽い声。


「順番、違うから」


視線は向けない。


通りすがりに落とすような言い方だった。


雪瑶は一瞬だけ手を止める。


だが、何も言わずにやり直す。


指示に従う。


間違いがあれば、直す。


それだけだ。


しばらくして。


同じ作業を、もう一度命じられる。


今度は、より手間のかかる形で。


——試されている。


雪瑶は理解する。


それでも、顔には出さない。


手順を崩さず、黙って終える。


その様子を、明鈴は横目で見ていた。


「……ふうん」


小さく呟く。


それ以上は何も言わない。


だが、最初の軽さは少しだけ消えていた。


昼を過ぎた頃。


宮の奥で、女官たちが集まっていた。


低い声での相談。


「次の献上、どうする?」


「前と同じでは弱いわ」


「でも外せば——」


言葉が止まる。


誰も決めきれない。


無難では、埋もれる。


だが、外せば終わる。


後宮の均衡は、そんな場所にある。


雪瑶は少し離れた位置で、それを聞いていた。


口を挟む立場ではない。


だが——


「……一案、よろしいでしょうか」


静かな声だった。


場が止まる。


視線が集まる。


明鈴がわずかに眉を上げる。


静雲は無言で見る。


雪瑶は目を伏せたまま、続けた。


「季節の香ではなく、“御心”に合わせるべきかと」


一瞬の沈黙。


「御心?」


誰かが繰り返す。


「近頃、御前では重い香が続いております」


「ゆえに、あえて軽く澄んだものを」


「印象を変えるかと存じます」


押しつけない言い方。


だが、芯はある。


場の空気が、わずかに揺れる。


無難ではない。


だが、理にかなっている。


明鈴が小さく笑った。


「……へえ」


面白がるような声。


「考えてるじゃん」


静雲は何も言わない。


だが、その視線が、わずかにだけ深くなる。


ほんの一瞬。


それだけだった。


結論はすぐには出ない。


だが、誰も否定しなかった。


雪瑶はそれ以上何も言わず、下がる。


出過ぎない。


それだけは守る。


やがて、その案は採用された。


決めたのは、恵玉だった。


夕刻。


呼び出される。


部屋は静かだった。


恵玉妃はいつもと変わらぬ穏やかな顔で座っている。


「あなたの案、聞いたわ」


柔らかな声。


責める響きはない。


「よく見ているのね」


雪瑶は頭を下げる。


「恐れ多いことでございます」


恵玉はしばらく何も言わない。


沈黙。


ほんのわずかに長い。


——見られている。


値を測るように。


やがて、ふっと微笑む。


「手は出させないわ。問題ないでしょう。」


その一言で、場の空気が整う。


「使わせてもらうわ」


優しい言葉。


だが、その響きに、わずかな違和が混じる。


“認める”ではない。


“使う”。


雪瑶は顔を上げない。


「光栄に存じます」


それ以上は言わない。


部屋を出る。


廊下に出たとき、息がわずかに浅くなっていることに気づく。


その先で、明鈴が待っていた。


壁にもたれている。


「呼ばれてたね」


軽く言う。


「怒られなかった?」


「……問題ございません」


短く答える。


明鈴は少しだけ目を細める。


「そっか」


間を置く。


「……思ったより、ちゃんとしてるじゃん」


ぶっきらぼうな言い方。


だが、最初の棘はない。


「最初、わざと振ったの」


あっさりと言う。


「すぐ崩れる子、いるから」


笑う。


「でも崩れなかったね」


雪瑶は何も言わない。


ただ、受け取る。


その少し後ろで、静雲が立っていた。


変わらない表情。


だが。


「……当然です」


淡々とした声。


「恵玉様の宮に入る以上、それくらいは」


否定ではない。


切り捨てでもない。


ただの事実としての肯定。


その言葉に、明鈴が肩をすくめる。


「はいはい、厳しいねえ」


空気は、少しだけ緩む。


ほんのわずかに。


雪瑶は思う。


——ここに、居場所はあるのか。


まだ分からない。


受け入れられたわけではない。


だが、弾かれてもいない。


その曖昧な位置。


それが、今の自分だ。


夜。


部屋に戻る。


静けさの中で、今日のことを思い返す。


守られた昨日。


試された今日。


少しだけ、踏み込んだ。


その分だけ、引き返せない。


目を閉じる。


浮かぶのは、あの言葉。


「使わせてもらうわ」


優しかったはずの声。


だが。


どこか、冷たい。


息を吐く。


後宮は広い。


だが。


一歩、内へ入るごとに、


選べる道は、減っていく。


それでも——


雪瑶は目を開けた。


進むしかない。


もう、戻る場所はないのだから。

次回更新は【金曜日22時】を予定しています。


よろしくお願いいたします。

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