#5 カンパニー⑵
空はじきに黄昏る。
コスモシアターの中は時間推移に逆らい、常に日盛りの彩度を維持している。ただし、比較的過ごしやすい初夏の日暮れに倣っている空調は、徐々に熱気を増している。キャスト・制作陣が一堂に会したうえに、抽選で招待された一般客が2,3階席にすし詰めにされたからだ。
身支度を整えた俺たち4人が劇場に入ったころには、最終回にうってつけの密な空気に仕上がっていた。
1階席の前方は、スタッフとカメラ、終盤の授賞式の際にはオーディション参加者が並ぶ。後方には、参加者の親族やオーディションを脱落した少年たちがまとめられた。そのふたつの集団を分かつように、中間の2列に最高権威の監督、世間的に先輩と格付けされた俺たち『GaoR』が配置されている。
すでに着席している根津部長や炎谷監督を筆頭とした監督の方々、そのうしろの関係者一同に目礼しながら、俺たちは監督の前の列に腰を下ろした。
「ちょっと、ドキドキする……」
「なんか敷居高くなってる気がするんだけど」
胸か胃あたりを押さえるダグ、小声でぼやくギミー、おそらくふたりが反応した根源は同じだろう。俺も気安く姿勢を崩せずにいる。
「健闘を祈ろう」
そう言うフーゴが誰よりも緊張している。
先輩としてのプレッシャーなら、俺は1時間前トイレに流してきた。偶然タイヨウと会い、偶然、無防備な姿を見られ、今さら取り繕う気にもならない。無理しない。威張らない。キメすぎない。普段どおりしていれば自然と恰好がつく。
非常灯以外の明かりが、ゆっくりと影っていった。輝きを増す緞帳によって、場内に銀河が生み出される。豪勢なドラムロールが宇宙の誕生を祝してはやしたてた。
舞台を囲う照明器具の数々が、3階席から壇上へ流れるようにして光線を放射する。流星群の落下した壇上が燃え上がる。けれど緞帳はびくともしない。
幕は上がらないままドラムが歌い、やがてトランペットも追加される。
緞帳手前の細長い範囲を満たす光が円状になっていく。強弱の激しい音色をたどって、光はステップを踏み、かと思えば円が増え、重なり、うごめく。
「Welcome,ladies and gentleman!」
場内全体に響きのよい声が高鳴った。
乾杯の音頭のように告げられたフレーズに、客よりもドラムが先に応える。鼓動を逸らせる重低音に連れられ、舞台上手からひとりの少年が飛び出した。文字どおり、本当に、飛んできた。空中に上半身の2倍はありそうな脚を開脚し、飛行機雲を彷彿させる直線を描いている。滞空時間は3秒となかったが、ぶれのないラインがあまりにきれいで、かえって周りの世界が時間ともども歪んで見えた。
宇宙をまだぐように着地した少年が、俺たち観客と正対する。ライトが彼にすり寄った。
「あ」
「噂のタイヨウじゃん」
手をさする俺の左隣で、ギミーが腕を組みひとりごちた。
ただでさえ華やかな顔がよりいっそう鮮やかになったタイヨウは、ショート丈のテーラードジャケットを左手で押さえた。深みのある灰色に染まるジャケットは、どうやらうしろは燕尾状に長くなっていて、地面すれすれをかすめている。飛躍の反動を受けた尾ひれを、彼は右手でさばいた。地面に半円を描くように右足をうしろに下げ、腹部に添えた左手あたりを重心に上半身をわずかに傾ける。
品のよい一礼をもって、スポットライトが外れた。今度は下手側が明るくなり、別の少年がバク転しながら現れる。帳の下りた上手側に、タイヨウの気配はすでにない。
最終審査に残った15人の少年がテンポよくひとりずつ登場し、オーディエンスにドラムとトランペットのメロディーを聴かせながら、挨拶代わりの一芸を披露した。最後のひとりが手を振ると、ドラムの力強い打撃が放たれ、ぱたりと照明が落ちた。
ガタン! 星々を標本化した緞帳が、ついに動き出す。
少しずつ巻き上げられていく幕の隙間から、向きのそろった足がいくつも見えた。
ステージの全貌が明かされる。正午の公園みたく照りつけた板の上、十字に列を作った15人の少年が、首を沈めてたたずんでいた。
ピアノの高らかな伴奏が始まる。一音目が消え入るにつれ、少年たちは顔を上げていく。我慢できずにドラムが打たれる。15人分のおそろいの革靴が、ふわっと跳ねた。
ダイジェストにも当然収録されていた、オープニングステージ『カンパネラ』だ。初期から人数が減ったり実力をつけたりし、多少構成が変更されているものの、少年ひとりひとりの持つ初々しさや丁寧さはかけらも失われていない。そのうえで、難易度の高い主題歌を自分たちのものにできていた。
複雑な和音の組み合わせ、ハードな演奏技術、そのわりに体は自然と4拍子のリズムを刻んでしまう、ふしぎな楽曲。生みの親は、バンド『砂漠基地』のNONさんなんだっけ。音楽番組でたびたび共演し、ダグと『GaoR』の曲を共作したこともある方だ。
俺の右隣に座るダグは、ステージを見上げながら膝の上に手を広げ、指を弾いていた。ありゃあ完全に、後輩にあたる子たちを観ているふりして音楽しか聴いていない。
――齢17にして音を操る天才。JPOPの申し子と謳うにふさわしい、“無類のVIP”。
『オンステージ』受賞時に言われた、ダグの口上を思い返す。当時の監督に祭り上げられていた、あのダグが、デビューしてから師と仰ぐようになったのがNONさんだ。楽曲共作を機に、NONさんの独創性や音楽への愛情をリスペクトした創作スタイルになった。
この世界は、広い。上には上がいる。順風満帆にはいかない。
デビューしてからのほうがよっぽど、がむしゃらに食らいついている気がする。
少年たちのパフォーマンスは佳境に入る。15人全員で一糸乱れぬ動きをしつつ、フォーメーションを次から次へと変形させる。最終的にV字型になると、右の人差し指を天井に突き立てるポーズでステージを締めた。
センターの次に、左翼の末端を支えるタイヨウに目が留まった。彼の手が特に天に近かったからだ。と、言い訳を考えている自分に違和感しかなく、俺は軽く目頭をつまんだ。
凝りをほぐした目をふたたび正面に送ったときには、ステージは幕に塞がれていた。上から拍手が降り注ぎ、俺も遅れて手を鳴らす。タイヨウのいた方向をぼうっと見つめながら。
2階に位置する照明が、関係者席の真うしろにある施錠された出入口を照らした。キィ、と扉が開かれる。煙のようにあふれる光を押しのけ、踏み入れたのは、約3か月番組MCを務めてきた『1/2』のミノリ先輩だ。
「『オンステージ』――それは、少年たちの夢が輝く場所。第2回目となる今回も、いよいよ大詰め。オープニングステージ『カンパネラ』を始まりに、最後の大舞台が切り拓かれようとしています」
無彩色でドレスアップしたミノリ先輩は、ハンドマイクを手に、 1階席の中央右手側の通路を闊歩する。声がよく通るのは、マイクの品質か、発声か、おそらくどちらもだろう。
俺の座る列の一歩手前で立ち止まると、カメラがミノリ先輩に寄った。自身の自己紹介をそこそこに、空いている手で広々とした劇場を示す。
「本日生放送でお届けしているコスモシアターには、今まで少年たちを導いてきた監督の方々も参列しております」
監督が順に起立し、ひとりずつ手短に紹介していく。
監督の方がひと声発するたび、背中に鳥肌が立った。なかなか振り返ることができない。冷や汗のにじむ首を時間をかけてねじったが、力及ばず、40度ほどで骨がぐきりと軋んだ。
監督全員が座り直すと、
「そして、栄えある最終回に立ち会うスペシャルゲストはこちら!」
タンッ、とミノリ先輩は一段下がった。
「かつて『オンステージ』でデビューを決めた、大人気ボーイズグループ『GaoR』のみなさんです」
俺たちはかしこまりながら腰を上げた。天井から人工の陽を浴び、一列前に固定されたカメラに視点を合わせる。
額と耳を出したヘアスタイル、よくある背広を基にメンバーごとに異なる特徴を仕込んだ衣装。私物のTシャツはハイネックのリブニットにちゃんと戻し、襟付きのジャケットをかけている。
ありがたいことに黄色い歓声をもらった。
俺たちが着座すると、ミノリ先輩は舞台に上がった。燦然とした宇宙の絵柄に負けない見栄えに、誰もが息を呑んだ。
「命運を分ける最終審査は、今までの学びと経験を活かした集大成。15人総出で創り上げるミュージカルです」
ミュージカル。それをはじめて聞かされたときは、メンバー全員で顔を見合わせ驚いたものだ。
俺たちのときはソロライブが課題だった。各自、既存曲とオリジナル曲の2曲合わせて3~5分程度のパフォーマンスをした。
しかし今回は、まるっと趣向が変わり、総出演のミュージカル。歌あり、踊りあり、演技あり。それぞれの技巧に加え、チームワークや空気作りが物を言う。
なるほど、最終審査に打ってつけというわけだ。しかし、難易度ははるかに高い。自分の努力次第なソロライブに比べ、ミュージカルは全員が同じ速度、歩幅、気持ちで臨まなければならない。
難易度の高さをカバーするためか、ミュージカルは監督による全面プロデュースで進行された。戯曲・演出・衣装、どれも彼らの手がけた作品。今にも喉から手が出そうだった。
指導を受けられるだけでも贅沢なのに、各界隈のトップランナーのアイデアを一度に体験できるなんて、デビューしてもそうそう起こり得ない。
自覚なく下唇をつんと突き出していた俺を、ギミーが肘でつついた。一瞥すれば、なぜかニヨニヨ笑っている。なんだよ、とつっこんでも、おもろいねえ、としか言わない。おい主語を言え。
「最終課題のミュージカルはこのあとすぐ!」
ミノリ先輩がびしっとカメラに告げる。
視聴者投票はミュージカル公演から『GaoR』のライブ開始までが有効となる旨を説明しながら、カメラ奥に立つADのCMカウントを視野に含む。
「すべてはここから、オンステージ」
そのひと言でタイミングをすり合わせ、CMに移った。とたんにスタッフが指示を仰ぎ、駆けずり回る。幕の向こうも、少年たちとスタッフの声や物音でざわついていった。
ADにマイクを預けたミノリ先輩は、ダグの隣の座席で足を休めた。
「お疲れ様です、ミノリ先輩」
4人で会釈すると、親しみ深い笑顔が返ってくる。
「最終回だし生放送だし、やっぱり緊張しちゃうね」
大御所の目の前で堂々と足を組む人のセリフじゃない。芸歴が2桁いくと自然と貫禄が生まれるものなのだろうか。
本物の“先輩”はやっぱちげえな。
ざわめきが徐々に凪いでいく。
椅子に腰を深く沈めたミノリ先輩は、ゆっくり背もたれに寄りかかった。
「始まるみたいだよ」
CM明けのカウントダウンが始まる。3以降が無言で過ぎ去り、脈拍を頼りに秒数を追うほかなかった。
心臓が三度うずくと、携帯のバイブ音に似た通知がしじまを破った。
幕が、上がる。
「――ここは、私立第二高等学校。旧校舎に部室をかまえる映画研究部、略して映研は、廃部の危機に直面していた」
ミュージカル、開演のとき。
緊張感の伝わるナレーションが、実にわかりやすく舞台の設定を提示した。
開かれた舞台の真ん中、やや下手寄りで、赤ネクタイにブレザーを着た少年ふたりが、何やら言い合っていた。
「待ってまってまーって! なんで君まで辞めるのさ!? 一回考えようぜ? な? 茶菓子も出すからさ!」
「部長がいねえんじゃ話にもなんねえよ。お前らもさっさと辞めたら?」
おかっぱ頭の少年は黒髪の少年にずるずるとしがみつくが、あえなく退かされてしまう。
「ま、待ってよシズ!」
シズと呼ばれた黒髪の少年は、見向きもせず、ぽつんとそびえる扉を押して出て行った。
おかっぱ頭を項垂れさせた少年は、力の入らない体をふらつかせ、ちょうど真ん中に置かれた4人がけのテーブルに両手をついた。
舞台セットは、部室の扉とテーブルのふたつのみ。経費削減だろうか、けれど廃部寸前の味気なさが十分に醸し出されていて、わざとなようにも感じられる。
「ジャンッ、俺、参上! ……って、あれ?」
開きっぱなしの扉から陽気に入室したのは、前髪をカラフルなピンで留めた少年だ。赤いラインの入ったカーディガンをふぁさぁっとなびかせている。が、部室のただならぬ空気を察知し、すぐに渦中の少年をうかがった。
「エイ、どした?」
「うぅ、ヤマジぃ……」
「え、ま、まさか」
「またひとり、退部しちゃった……」
「まじかよーー!!」
ヤマジというらしいヘアピンをした少年は、ビブラートをかけた絶叫でひとりやまびこをしてみせる。
あ、この声、さっきのナレーションと同じだ。
「てことは、映研のメンバーは、俺とエイと……あいつだけ?」
ヤマジは自分と、おかっぱ頭のエイという少年を指さしたあと、ふたりでそうっと舞台上手側を見やる。
テーブルから数歩ずれた先に、パイプ椅子がひとつ、客席に半分背を向ける形で捨て置かれていた。その椅子の上に小さく縮こまりながらゲームをしている少年がいる。黒、いやグレーっぽいパーカーのフードに頭を忍ばせ、家庭用ゲーム機をひたすらに操作している。
照明がちかちかと点滅する。今まで無音だった場内に、ピコピコと軽快な効果音が鳴り出す。
「た、タイヨウ、さん。タイヨウさんは、辞めませんよね?」
「……」
エイの問いかけに、返答はない。ゲーム音が無情に続く。
ほう。椅子にいるのは、タイヨウだったのか。
俺は上手側に目を凝らした。
緑の紐の上履きは脱ぎ散らかされ、椅子の上に乗せた両足はパーカーの内側に収納されている。パーカーの生地が可哀想なほど伸び、風船のようにぱんぱんに膨れ上がっていた。
タイヨウの顔はよく見えない。平均的なサイズのフードでも、だいぶ布が余り、顔周りまでホールドされてしまっている。
あれが本当にタイヨウ本人なのか疑わしいが、パーカーに穴を開けそうな脚の長さといい、フードを特大に化かす頭の小ささといい、物的証拠が本人以外にありえないと結論づけている。
十中八九、炎谷監督の指導の成果だろう。どこからどこまでが計算なのか。役の振り分けはどう決めたのか。俺の意識はすっかり勉強モードに切り替わっていた。
「なあエイ、部員って最低何人いるんだっけ?」
「5人……」
「つまりこのままじゃ……」
「廃部確定……」
絶望するエイとヤマジ。それでもタイヨウは知らぬ存ぜぬ、おそらく話を聞いてもいない。
するとエイがテーブルを叩いた。
「いや! まだだ!」
「え?」
「まだあきらめるには早いよ、ヤマジ!」
「んなこと言ったってさあ」
「みんな辞めたくて辞めたんじゃない! ……はず!」
「はずって」
「だ、大丈夫! がんばって部員を呼び戻そう!」
空元気にも取れるセリフを皮切りに、爽快なメロディーが流れる。ふたりは手を取り合い、部活の再起を夢見て踊る。
これでだいたいのあらましは理解できた。
主人公のエイ、その相棒のヤマジを中心に映研を立て直す王道学園ストーリー。部長がいない、と冒頭で言っていたのを踏まえると、廃部に陥った原因に部長が関与していて、それをどうにか解決していく展開になりそうだ。
主要キャラとキーマンの動向を予測していると、おもむろにギミーが顔を寄せてきた。
「ねえ。すごいね彼」
ほとんど息のようなささやき声で共有された「彼」とは、言わずもがな、タイヨウのことである。
彼はエイとヤマジの歌劇をチラ見しては、不審そうに体を背けていた。盛大な音楽に多少なりとも引きずられるだろうに、メロディーもリズムもガン無視。むしろ独自のテンポでやり過ごし、拒絶している。
一歩まちがえば悪目立ちしかねないが、絶妙な塩梅で存在感を陰らせている。孤独を好む役柄がこれ以上ないほど引き立っていた。
わざわざギミーが言いたくなるのもわかる。ひとりだけ明らかに練度がずば抜けているのだ。オーディションの経過で培える域ではないし、指導にあたる監督に優遇されたにしてはあからさますぎる。舞台慣れしているどころではなく、すでに主演舞台を何度か経験したかのような安定感があった。
元子役は彼だったか? いいやちがう。
あの安定感すらも演技なのか? わからない。
ステージに立つ彼の姿が、俺の知るすべてだった。




