#5 カンパニー⑴
「おーす、遅れた」
「ああっ、我が君! 生きておられたのですね!」
事務所のレッスン室に入ったとたん、猫っ毛な頭が頭突きする勢いで迫ってきた。練習着姿のギミーだ。
肩にかかったタオルで拭くのは、額の汗ではなく、からっからな目元。おいおいと泣き声を上げる様は、100人中90人が胡散臭いと思うだろう。残り10人は、それでもかわいいと病的に愛でるタイプとみた。
前者である俺は、半目で凄んだ。
そのセリフに、その動き。俺が主演を張った大河ドラマ『剣の主』のワンシーンじゃないか。
放送されたのはもう2年も前だというのに、ギミーは隙あらば真似しやがる。あの再会シーンの、俺のへたくそな笑みが大好物なのだという。うっせえ黙れ。
「何回こすりゃ気が済むんだよ」
「一生!」
頭をチョップしようすれば、くるりとかわされる。いたずらが成功したようにギミーは八重歯を覗かせた。とても年上には見えない。
「オーガお疲れ。今ダンス練してたところだ」
鏡張りの壁と睨み合っていた、線の太い体格の男がこちらを向いた。
「フーゴもおつ」
俺はフーゴのタンクトップ姿を流し見る。筋肉量がまた増えていたんじゃないだろうか。
フーゴの足元でみのむしのようにうずくまる男がいる。パーカーのフードをかぶっていて顔は見えないが、ダグだろう、タブレットで録画映像を凝視している。
フーゴがダグの丸い甲羅をつつき、俺が来たことを知らせると、ダグはむくりと首を起こした。
「オーガ、おやすみ……?」
「いやまだ寝ねえよ」
「ざっとフォーメーション確認、する?」
「するっ」
俺は荷物を壁際にすべらせた。夏が本格化する直前の、ねっとりとした蒸し暑さにやられた首を乾かすように大きく回す。ついでに手首と足首もこねたあと、鏡の前で位置についた。
フーゴのカウントで、4人の足が一斉にそろえられた。曲は俺たち『GaoR』のデビューシングル、『我王』だ。
俺が躍り出ると、ギミーが飛び越え、ダグが空気を変え、最後にフーゴが引き締める。パフォーマンスにも年齢が如実に表れている。
俺たちはひとつずつ年齢差がある。今年22歳になる俺がグループの最年少。ギミーが俺の1つ上で、ダグがさらにその1つ上、そのまた1つ上にフーゴがいる。最年長だからという理由でフーゴはリーダーになった。
グループ結成から6年の付き合いとなると、年齢差やリーダーの役職もあってないようなものだ。家族よりも気の知れた仲になったし、各自得意分野があり、全員が全員グループを進化させている。それもあってか、ここ数年はグループより個人の活動のほうが多くなった。
今日もそう、俺は主演映画の撮影、ギミーは香水ブランドのイベント、フーゴは海外アーティストのコレオ協力、ダグは国民的アニメの主題歌制作。みんな丸一日仕事三昧。だが、本業は、アイドル。だからこうして無理くりグループ練習の時間を割いている。基本週2か3、時間は早朝か深夜。最近は毎日のように集まっていて、今日は仕事終わりの真夜中にレッスン室を予約した。
明日、『オンステージ 2nd』最終回の生放送があり、そこで俺ら『GaoR』がライブをすることになったのだ。監督が最終審査会議をする間のつなぎのようなステージだが、人前に立つことに変わりない。
今回の練習は真夜中なうえに、明日に向けての最終調整がメインなので、コーチはつけずに4人だけで行うことにした。
最高のステージにする。手を抜くことは許されない。俺たちはそうやって生き抜いてきた。
「おっ、今の完璧なんじゃないか!?」
「だああ疲れたああ」
フーゴが手を叩いたのと、ギミーが大の字に寝転がったのは、ほぼ同時だった。ダグが音楽を止めて、時計を一瞥する。
「じゃあ休憩にする?」
ダグの提案に賛成し、全員で四葉の形になって座った。
ふう、と息をつけば、3人が話しながら俺に片手を差し出した。ギミーからは綿のタオル、ダグからは前茶の缶、フーゴからはビタミンのサプリをもらう。それぞれ単独CMをしている品だった。俺は肌触りのいいタオルで顔を拭き、渋みのある茶を飲み、サプリ2錠で栄養を摂った。疲労が軽くなる。
「にしても、セカンドもう最終回かあ」
ギミーが上半身を揺らしながら言った。
「つい最近始まったと思ってたのに。あっという間~」
「俺たちの代なんて6,7年くらい前だってよ。小学校卒業しちまうな」
ギミーと肩同士を当てたフーゴは、やれやれとすくめた体をギミーに寄せた。やばあい、とギミーは身を踏ん張る。
三角座りをするダグは膝に顎をつけ、ぼんやりと俺たちを見渡す。
「気づいたらみんな20代……」
「早~。オーガなんてこーんなちっちゃかったのにね」
「そんな小さかねえだろ。昔からギミーよりは身長でかかったし」
「あはは。俺からしたらみんな小せえよ」
身長180ぎり手前のフーゴは笑って、10センチ以上差のあるギミーの肩を抱いた。
「パパ~」
「俺はまだ24だ」
「でも……もうすぐ、25?」
「おっとなー!」
「子どもがいてもおかしくねえな」
「子どもにしてはみんなでかいって」
「でかくなった、かも」
他人事のように復唱するダグが、おそらく一番身体的に成長した。『オンステージ』のころは一緒にフーゴを見上げていたのに、今では俺だけでなくフーゴも見下ろしている。どこで差がついてしまったのか。ちゃんと牛乳飲んでたのに。切実にうらやましい。
呆ける俺の顔を、ギミーにまじまじと見られていた。これは……何か仕掛けてくるな。案の定、口角がニヤリと上がり、ジェットコースター並に急降下した。
「およおよ……立派になられて……」
「ギミー『剣の主』気に入りすぎ」
「おー、よくわかったね! さすが我が君!」
「やめろ?」
と言ってもまたからかってくるんだろうけど。
「今のにも、25歳の子、出てるよね?」
「センリくんのことだろ?」
「名前、覚えてるの?」
「観てたら自然と入るよ」
人差し指でこめかみを叩くフーゴに、ダグはきょとんとする。すごいね、と素直に称えられ、フーゴは頬をかいた。
「同い年だと妙に親近感があって、つい贔屓して観ちまうんだよなあ」
「そういう意味では、みんなほかにいるんじゃない? 観ていて情がわいちゃう子」
水を飲んだギミーの声が、いやにクリアに広がった。天井に吸い寄せられ、一瞬で静寂ができあがる。
ダグは両膝を腕できゅっと包囲し、口ずさむ。
「……タイヨウ」
歯切れの悪い沈黙が落ちる。
ちくちく痛むような、むず痒いような。感情が迷子になって落ち着かなくなる。……誰も何も悪くないのに。
長いようで短い沈黙だった。そうさせたのは、ギミーのふてぶてしいため息だった。
「やっぱ気になっちゃうよね。顔面イケてるてる坊主だし」
「い、いけてるてる……?」
「フーゴ、つっこまないほうがいいぜ。たぶん意味ねえから」
「彼はデビューするだろうね。知らんけど」
俺の見立てどおり、ギミーはテキトーだ。怪しい占い師みたいに空気を両手で転がして遊んでいる。気づけば日付をまたいでいた。
ダグはタブレットで『オンステージ 2nd』の公式サイトを開き、タイヨウの顔写真をなぞった。
「実力も、人気も、申し分ない」
「受賞しなくたって誰も放っておかないでしょ、あんな逸材」
客観視、というか業界人視点を徹底したダグとギミーに対し、すでに思い入れの強いフーゴは自分のことのように気をもんでいる。
「てことは、実質あと3枠か……。デビュー争い苛烈しそうだな」
「いや、今回はあとひとつ枠があるんじゃなかったか」
自信なさげに俺が言うと、ギミーがぽんと手を打つ。
「あーそういえば。そんな発表もあったね」
「……HERO」
「そーそー、そんなやつ。それでも最終まで残った15人で5席の椅子取りゲームって……やっぱ芸能界シビアぁ」
ダグのいじるタブレットにはちょうど各賞の概要が載っていた。膝に乗せた顔を倒し、ゆるやかに瞼を伏せる。
「デビュー……してほしいな」
「そうだな。できれば、参加してるみんな」
「それ最高だね。脱落制度がなくなって、全員が報われればいいのに。って、あのころも思ってたなあ」
座禅を組むフーゴの太ももに、ギミーはごろんと頭を寝かせた。フーゴのゴッドハンドが猫じゃらしのような髪をかき乱す。ギミーは気持ちよさげに喉を鳴らしてはいるものの、
「オーディション、二度とやりたくない」
と、きっぱり苦言を呈した。真っ先に同調するのはダグだ。
「うん、つらかった……」
「そうか? 俺はわりと楽しかったよ! こうして一生涯の仲間もできたし」
「……さらっと言うよねえ、そういうこと」
真下から送りつけられるジト目に、フーゴは何もわかってなさそうに首を傾げる。ダグがくすっと噴き出した。
4人で過ごす時間が好きだ。4人でいると、家でない場所でも気を抜ける。今ならたぶん、本気を出せばすぐに爆睡できると思う。
オーディションに再チャレンジしたら、大事な居場所をひとつ失ってしまう。それは絶対いやだ。でも。オーディション中に募らせた後悔は、今でも夢に出てくるほど根深い。あのときの気持ちを少しでも払拭できるなら、俺は……。
「俺は……もっかいやり直してもいい。しんどかったけど、またデビューできる自信あるし。それに……また、あいつに会えるから」
あいつ。『オンステージ』をともに切磋琢磨し、最終審査に登り詰めた仲間のひとり。最終審査前日、やむを得ない事情とやらで棄権してしまった人。
いつか芸能界に帰ってくると思ったのに、二回目のオーディションが終わろうとしている今も、音沙汰はない。やっぱりルールを破ってでも連絡先を交換しておくんだった。せっかく合宿所で同部屋だったのに。
うつむく俺の頭に、フーゴの手が触れた。ギミーとダグも真似して俺をわしゃわしゃと撫でまくる。
「会いたいよなー。わかる!」
「案外、ファンになってくれてるかもよ?」
「テレビ、観てる、きっと」
「……うん」
テレビの前ででかい独り言を言っているあいつを思い浮かべ、苦笑をこぼした。
あいつが観ているかもしれない、そう思うとじっとしていられない。俺は髪の毛を直し、立ち上がった。
「歌の練習しようぜ」
「そうだな、もう十分休んだし! もうひと汗かくか!」
フーゴは足元で横たわるギミーを腕力で持ち上げつつ、自らの体をほぼ脚力だけで起き上がらせた。
隅っこに追いやられたキーボードを、ダグがいそいそと運んでくる。夜更けに電子音が冴え渡った。
・
翌朝。正確には、レッスン明け。
俺たちは事務所のシャワールームで汗を流したあと、各自帰宅して睡眠を取った。幸い『GaoR』の集合時間は、正午。最長6時間は休める。が、スケジュールやメールのチェック、身支度、台本の読み込みを差し引くと、必然的に睡眠時間は半分に短縮された。
本日の仕事場であるコスモシアターで再集結した3人も、俺と似たような感じでちょっと安心した。今日から7月なんだって、というギミーのあくびまじりの一言で、俺は日付感覚の狂いを自覚した。
衣装に着替え、楽屋で待機していると、ノック音とともに聞き慣れた声がした。
「来ていたのか君たち。今日はよろしく頼むぞ」
扉を開けたのは、根津部長だ。
事務所で定期的に顔を合わせているが、今日はいちだんとお堅いいでたちをしている。対照的に表情や声色はどこか開放的で、お通じの調子もよさそうだ。
このあとの生放送をもって仕事がひと段落つくから気が楽なのだろう。
「少年たちの良い手本となるようがんばってくれ」
「はい!」
俺たち4人で返事をすれば、彼は満足げに眉山を高めた。
彼の機嫌の良し悪しは、コミュニケーションにかなり影響をきたす。だが、たいてい向こうから鼓舞しに来てくれるあたり、だいぶ目にかけてくれているのだと思う。
「お話中のところすみません根津部長、少々よろしいですか。生放送の段取りについて変更がありまして」
あわただしく都さんに声をかけられた根津部長は、俺たちに軽く手を上げ、踵を返した。彼の肩越しに都さんの顔が覗き見えた。ひさしぶりに会った彼女は、申し訳なさそうに会釈しながらも、プロの職人と遜色のない眼差しをしていた。
俺たちはスタッフに呼ばれ、生放送準備真っただ中の劇場に赴いた。全体の通しを済ませたあと、『GaoR』のライブパートに焦点を当てて確認する。
差し障りなくOKを出され、俺たちはふたたび待機時間を与えられる。ケータリングコーナーから遅めの昼食あるいは早めの夕食を取り、楽屋で食べた。復習もかねて『オンステージ 2nd』のスペシャルダイジェストを再生させた俺の小さい携帯画面を、4人でぎゅうぎゅうに囲んで鑑賞した。ヒノデの登場シーンは、図らずも盛り上がった。
ごはんを平らげた俺は、配信の途中で一度トイレに立った。3人のために置き去りにした携帯画面では、ヒノデが原曲を作った『beauty』の本番が拍手喝采で幕を閉じようとしていた。
控室から一番近いトイレは混雑していて、やむなく1階下のを使った。男性用も洋式の個室のみで、数も3つと少ないからか、俺以外に利用者はいなかった。多目的用ほど広い個室や本物のバラを模造した消臭剤、足元に仕込まれた間接照明など、トイレひとつとってもラグジュアリーにしつらえられている。過疎化しているのがもったいない。
流水音を鳴らして個室を出た俺は、手を洗いながら、このしゃれた消臭剤はどこで売っているんだろう、ちょっと欲しいかも、と真剣に入手ルートを予想する。無駄な集中力を発揮し、ハンドソープを垂らした両手は泡だらけになっている。
だから、気づかなかった。
「おはようございます」
ここに新来の客がいることに。
俺は顔向けできず、バラの棘が刺さったように短い悲鳴を漏らした。
「あ、驚かせちゃいました? すみません」
「い、いや、俺のほうこそ、気づかずに……」
細かな泡を宙に飛ばし、ドアのほうに振り向けば、先ほどまで画面で観ていたタイヨウが俺を見下ろしていた。俺は生唾ごと言葉を飲みこんでしまった。
少年たちの良い手本となるよう、と注意されたばかりだ。俺はすぐさまぬめついた手を洗い流し、備え付けのハンドドライヤーで乾かした。万全な状態でタイヨウに体を向ける。
「お、おはようございます!」
「ご丁寧にありがとうございます」
清潔になった手をズボンの縫い目に沿わせ、背骨を直線的に倒した。俺に合わせ、タイヨウは俺より深めに礼をとった。
思いがけず初対面してしまった、かの少年は、画面で見るより大きく感じた。ダグよりも高い背丈やフーゴほどの肩幅もそうだが、存在感というか心持ちというか、数値化できない持ち味が空のように果てなく広がっている。それらが浮き彫りになり、造形ができあがったのだとすると、非の打ちどころのない美貌なのも腑に落ちた。
見すぎてしまったか、にこりと笑いかけられ、俺は泡を食って目を泳がせた。これじゃあまるで俺のほうが芸能人に会っているみたいじゃないか?
あっ、と唐突にタイヨウが声を上げる。
「その服、かっこいいですね」
右手の指すべてを使って指し示す先には、俺の上半身にフィットする長袖Tシャツ。左胸に山羊座をモチーフにした刺繍がほどこされてある。
配給されていたビーフストロガノフを食べるため、上だけ私服に替えていたのだった。けれどもこれもお気に入りの一着で、汁一滴つけたくなく、慎重にスプーンを運んだ。最後に食べ終わったのはもちろん俺だった。
無事に無傷の生還を果たしたTシャツを注目してもらえてうれしい反面、身ぐるみをはがされたような寒気に見舞われた。
――大丈夫。君は、ちゃんとかっこいい。
突拍子もないタイミング、声のトーン、伝え方。まったく同じだ。あいつと。
17で止まったままの、記憶の中のあいつと。
心に潮が満ちていく。そうか……俺はもう、あのときのあいつより大人になってしまったんだな。
思い出を汚されたようでいい気はしなかった。態度に出さないよう、痰の絡んだ喉をうならせながら返事をする。
「これは、姉ちゃんからのプレゼントで」
「へえ。誕生日いつなんですか?」
「12月31日」
「大晦日なんですね」
「タイヨウは?」
反射で訊いたあと、しまったと思った。
ごはんのおともに観た『オンステージ 2nd』のスペシャルダイジェストの中で、彼が20歳になったのだと話していたシーンがあった。たしか春ごろの話だ。
放送をチェックしていないのだと誤解させたかもしれない。いや、別に、視聴の義務はないのだが。先輩としてはやはり見守らねばならない気がして……。不安に駆られる俺をよそに、彼はなぜか少し悩みながら答えた。
「7月31日……でしょうか」
え?
何を言っているんだ……?
俺が本当に番組を未履修だと思ってからかってるのか? そもそも俺がオーガだと気づいていない?
たとえ今知らなかったとしても、調べればすぐにわかることだ。
なぜ意味もない嘘を。
なぜ、その日を。
7月31日――それは、『オンステージ』最終回リハーサルのあった日。あいつが、最終審査を棄権した日。
偶然? それとも。……それとも、何だというのだ。偶然に決まっている。
あいつは関係ない。
きっと、この話にオチはないのだ。
眉をひそめて黙りこくる俺に、タイヨウは戸惑いをあらわに口を開閉させる。大きな体をぎゅっと縮こまらせ、おどけた笑みを浮かべた。
「えっと、個人的な話をすみません。ではまたのちほど。失礼します、オーガさん」
早口で言うと、彼は頭を下げながら俺を横切り、奥の個室に入った。鍵の閉まる音がかすかに響く。
さすがに俺のことは知っていたか、そりゃそうか、そうだよな。俺はうなずきながら疑念を海底に沈め、控え室に戻った。




