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あいつが前世を愛さずとも  作者: 甘
推しについて
33/49

#4  ロマネスク⑵




「なあ、これとこれのちがいって何?」




夕日が沈むころのレジは、混みやすい。ただ客数が増えるだけならまだしも、客ひとり当たりの対応時間が長くなる場合もある。


こんなふうに。




「どっちも同じ水だろ? なのになんでこっちのが2円安いんだ」




無精髭の生えた作業服のおっさんが、銘柄の異なる天然水のペットボトルを1種類ずつ、計2本、レジに持ってきて前のめりに聞いてくる。


アタシは片方しか飲んだことなく、そもそも水のちがいなんてわからないし、けれどどうにかこうにかラベルを参考に説明してみた。


努力虚しく、おっさんは鼻を鳴らし、頭をゆるく左右に振る。




「んなこと見りゃわかんだよ。そうじゃなくてさ、味とか質とか、値段がちがう理由をはっきり教えてくんねえかな」


「ええっと……す、すいません」




できる限り思考回路を働かせたが、これといって策が浮かばず、ひとまず謝罪を告げた。はあああ、と当てつけがましくため息をつかれ、アタシは顔を上げられなかった。




「すみませんじゃなくてさあ……。あんた、ここで働いてんのに商品のことも知らねえの?」




そんなこと言われたって……。


働き始めて1か月も経ってないし、店舗規模は小さくても商品はたぶん1000点以上ある。新商品だって続々と発売される。それを全部把握しろなんて無茶だよ。日本に住んでるんだから国語辞典を暗記していて当然だよね? って言っているようなもんじゃん。


店員だって商品を買わないと私用で食べたり使えたりできないんだよ。店長はやさしいから期限切れのを分けてくれるけど。商品ひとつひとつに店員レビューとかふつうないから。水なんかどれも一緒だよ。オキニのブランドがないなら安いの買いなよ。




「おーい聞いてんの? 黙ってちゃわっかんねえんだけど」


「……ごめんなさい」


「だからああ」




思うことは山ほどあるけれど、アタシはとにかく謝った。


謝ればいいってわけじゃないけど、でも、しょうがないじゃん。何を言ったって、この人が笑顔になることはないもん。


アタシ知ってるんだよ、おっさんのこと。中央高校近くの工事現場でたまに見かけた。ヘルメットをかぶった部下らしき人をガミガミ叱って、顔に似て毛むくじゃらな手で殴るときもあった。


そのときから怖い人だなと思っていたけど、誰に対しても高圧的な態度を取るんだね。それは知らなかったな。ということは、アタシがどう応じようと、態度は変わらないんでしょ?


じゃあもういいよ。


店長は裏で電話対応していて助けに来てくれないし、おっさんのうしろには人が並び始めている。早く帰ってもらうには、謝り続けるのが手っ取り早い。


上の人を呼べだの、調べてくるまで待ってるだの言ってくる粘着質なクレーマーになるおそれもあるけど、年確に文句をつける人も売り切れた商品をねだる人もそうやって対処した。大丈夫。できる。謝るだけなら無心でできる。いい店員になんかならなくていい。身も心も削りたくない。


人間そんなもんなんでしょ。




「チッ。使えねえなあ。もうこっちでいいからさっさと会計して」




3分ほどしてやっと、2円分安いほうを押し出された。もうひとつは戻しておいて、と携帯をいじりながらいけしゃあしゃあと命じられる。


前髪の影に視界の8割をつぶしたアタシは、売場に返すほうをレンジやたばこの並ぶ背後の棚の上に仮置きし、購入する商品をレジに通した。シールを貼る手元だけをじっと見ながら、97円ですと言えば、おっさんは無言で携帯を構える。




「電子マネーでしたらこちらにタッチを」


「は? タッチ? いつも読み込んでんだけど」


「……QRですね、では画面をお見せください」


「最初っからそう言えよ」




おっさんの携帯にスキャナーをかざす。携帯から決済完了の機械音が響く。赤子をあやすおもちゃを連想させる音だった。


レシートを出していないうちから、おっさんはペットボトルをくすねとる手つきでラベル部分を握り、さっさと退店していった。入口のセンサーに住む音楽家が演奏をやめたころ、ようやく手のひらほどにも満たない短い普通紙がレジから排出される。アタシはその紙をくしゃくしゃに丸め、レジ下のごみ箱に捨て、次の客を呼んだ。


会計待ちは、あと5,6人。おっさんのイライラが伝染している。アタシはロボットさながらに列をさばく。自分の心音を感じなくなっていく。


麻痺した脳内に、ふっと、茶髪の少年がよぎった。次回予告にちょっと映っただけの、グッドサインの彼。悩みなんてなさそうなおどけた笑顔に、胸のつかえが取れていく。全身に血が通い、感覚が鮮明になる。


気づけば外は薄暗くなり、客はいなくなっていた。



ほっとひと息つく。


ちょうど店長がレジを交代しにバックヤードから出てきた。


アタシは後方の棚に置いていた、選ばれなかったほうのペットボトルを、ドリンクコーナーに戻しに行く。寒々しい空気の漂う一角でしゃがみ、同じラベルの一番手前におっさんの垢のついたペットボトルを押しこむ。


立ち上がり、身をひるがえすと、チョコレートやスナック菓子などが整然とする棚がある。いくつか種類のあるジップ付きのパッケージの近くには、値段のほかに飛び出るポップが設置されていた。入荷したとき企業から送りつけられたものだろうか、つるつるとした上質紙で作られた円形のポップで、『対象商品を買うと、二度投票できちゃう!』と大きく表記されている。文字の上には、デザイン性に富んだ背広姿のイケメンが5人いる。その左端にいるのは、あの、茶髪の少年だ。




「『オンステージ 2nd』のキャンペーン……そんなのやってたんだ」




いつからあったんだろう。今の今まで気づかなかった。


円形のポップの中でも、茶髪の少年は屈託なく笑っている。


偶然番組を見た1週間前の記憶と、なんら変わりない。アタシの記憶力がいいんじゃなくて、彼をよく思い出していたからだ。なぜなのか自分でも不可解だけれど、疲れを感じると彼が思い浮かんだ。効果は抜群なようで、ビタミン剤みたく疲れを忘れられた。


1週間過ぎるの、早かったな。てことは、今日また放送があるのか。ふーん。



アタシはポップを横目に通り過ぎ、バックヤードに積まれた在庫分を片付けていく。商品の詰め込まれた箱を2段ほど重ね、売場に出て、該当箇所に商品を補充する。


入口横の本棚に最新刊を並べていると、自動ドアが開いた。アタシは見向きもせずに、いつもの音楽にかぶせて「いらっしゃいませ」と棒読みで言う。


ドアがいっこうに閉じない。虫の音が明瞭に響いている。生ぬるい風がアタシのくるぶしを触った。


アタシの位置が悪いのかと思い、入口を見やる。店と外の境界線上に、ヨモギ色がちらついた。




「……うす」




うわ出た、渚。


アタシはすぐさま背を向けた。



彼はよっぽどの変わり者らしく、ほぼ毎日のように店に来る。いつも同じ恰好だから店長にも覚えられていた。しかも怖いのが、来店するたびにちゃんと何かしら買い上げているのだ。どうして彼のほうがふつうに学校に行けているのか、甚だ疑問に思う。


アタシは追い出したい気持ちをぐっとこらえ、反対側へ商品の入った箱を引きずった。



わずらわしい虫の啼き声がぱったりと聞こえなくなった。


背中に虫が止まったみたいな視線を感じる。背筋が震えた。怖くて振り向けない。


これはいやがらせに該当されるだろうか。でも今のところ彼の行動は一般的な客の範疇だし、彼以外にクラスメイトが来たことはない。アタシだけが迷惑している。


外的損傷がなければ訴えられない? いじりといじめはちがう? アタシの気持ちは無視?


ハッピーエンドって、どこにあるの。




「江ノ上」




背後からドンッと撃たれたように心臓が跳ねた。


黙々と作業していたアタシの集中力が、一瞬にして削ぎ落される。


手に持っていた菓子パンをすかすかのパンコーナーに入れたアタシは、マスクのうすい布を顔に密着させてから首を徐々にうしろへ回した。


こころなしかさらに髪のなくなった渚が、アタシの顔色をうかがっている。




「な、何でしょうか」


「これ」




いきなり差し出されたのは、インクのにじんだプリント数枚だった。




「今日の、重要らしいから」




ん、とアタシの肩にプリントを当てられ、やむを得ず受け取った。


数学と物理と英語のプリントが2枚ずつあり、ところどころ赤ペンで線が引かれたり、青ペンで単語が書かれたりしてある。


反応に困っていると、プリントの上に小ぶりな何かを追加で置かれた。


糖質カットされたアーモンドチョコレートだった。茶色いパッケージの上部にはジップがほどこされてある。さっき見つけたばかりのポップにあった、『オンステージ 2nd』のキャンペーン対象商品のひとつだ。

パッケージの裏面には、バーコードを隠すようにシールが貼られてある。これが彼の今日の購入品らしい。




「働くの、大変だろ」




大真面目な顔をして何を言っているんだろう。


相変わらずデリカシーがないんだね。



アタシがプリントとアーモンドチョコレートを返す素振りを見せれば、彼は見て見ぬふりをして踵を返す。

仕方なく在庫の入った箱に、増えた荷物を投げ入れ、箱ごとバックヤードに引き返した。


青臭い夜風が背中をさすった。







バイト終わり、アパートの階段を下りていくママを見かけた。全身おしゃれをしたママは、アタシに気づかずに、ブランドもののサンダルを鳴らして遠ざかっていく。


カレシといいとこのレストランでも行くのかな。


片や、期限切れのおにぎりふたつと、アーモンドチョコレート。ママ、チョコ好きだからあげようと思ったのに。アタシ、食べたくなかったのに。



閑散としたアパートの階段を足音に気をつけながらのぼり、家に入った。部屋を明るくすると、バイトに行く前よりも散らかっていた。デート服選手権で落選した服たちが、悲しそうに床に伸びている。踏んだらママに怒られちゃうから、つま先で隙間を縫って、たまにそっとどけてあげて台所に行く。手を洗い、グラスを洗い、そこらへんにあった布巾で拭き、ティーバッグの浸かったままの麦茶をグラスに注ぐ。


テレビ前のローテーブルに放置された美容品たちには、実は人間と同じように生きているんだと言われても信じてしまいそうなほど、今の今まで使用されていた痕跡がある。アタシはマスクをごみ箱に捨てるついでに、身の回りにあるごみもまとめて突っこんだ。


卓上の奥半分に大量の美容品を押しのけ、もらったプリントとおにぎりを置いた。プリントをコースター代わりにグラスを乗せる。ぽたりと垂れたこげ茶色の雫が、紙に書かれた青い文字をどす黒く汚す。


テーブル全体を見渡す。リモコンがない。美容品を一個一個どかしてみるが見当たらず、試しに下を覗けばテーブルの脚元に転がっていた。アタシはリモコンを拾い上げ、先端をテレビに向けた。


チョコレートメーカー・チヨ子のロゴが、白飛びした画面を占領した。しかし1秒も持たず映像が切り替わり、女子受けのよさそうな顔の男が映る。あ、『1/2』のミノリだ。




『さてここで、4次審査についておさらいです』




ピンクのベストを重ね着した学生服っぽいコーディネートの彼は、どこかの舞台の端に立ち、マイクを握りしめている。


すでに人気を博しているアイドルがどうしてオーディション番組に出ているんだろう。これって本当に先週と同じ番組? 画面右上の番組ロゴをたしかめつつ、おかかおにぎりの包みを開けた。




『4次審査のテーマは、ずばり演技! ここ、コスモシアターのステージを借り、少年たちがひとりずつ、恋愛ドラマを仮定したワンシーンに挑戦します。内容は全員共通して、恋人との別れ。相手役は、スペシャルゲストの夏凪音さんが演じます』




ミノリは番組のレギュラー、というか司会か。で、夏凪音はゲスト枠だったんだ。




『しかし台本に書かれているのは、相手役の夏凪音さんが別れを切り出すまで。つまり、そこからは即興。18名の少年たちがそれぞれオリジナルストーリーを描かなければなりません』




たった1ページの台本が映像に挿しこまれる。


おにぎりの海苔に亀裂が入った。ぼろぼろと欠片がこぼれていくのを、落胆の声をつぶやきながらも片付けようとはせず、ただ眺めた。




『今まで10名の少年たちが審査に臨み、物語の結末を導きながら本来の姿とはちがう一面を見せてくれました。これからのドラマがどんなふうになるのか、審査結果にどう影響するのか、私にも想像がつきません。残り8人のストーリーを、一緒に見届けましょう!』




すでに審査を終えたという10名のダイジェストが流れた。あのいけ好かなかった黒髪の少年も出てきて、アタシはいたたまれず麦茶を飲んだ。苦味が強すぎて舌が出る。




『すべてはここから、オンステージ』




決め台詞のような言葉で締めると、場所が変わり、次回予告で見た舞台袖のようなところが映し出される。長身の影が狭い通路にすっぽりおさまっている。ウエストの細いうしろ姿が、ふと振り向いた。頭部のラインに沿った髪の毛が、シャンプーのCMみたくなめらかになびく。影で暗くなって髪色がわかりづらいけれど、きっと、初夏の校庭みたいな色をしている。




『がんばりますっ!』




小声で言って握りこぶしをつくった少年は、きれいな顔をかわいく作り変えた。


やっぱり。先週の次回予告で『来週も観てね!』と言っていた人だ。


おにぎりを食べようと口を開けたアタシは、テレビに気を取られ、虚空にかぶりついた。がつんと歯が噛み合った衝撃で我に返る。


気合十分な彼の姿がコラージュ風に編集され、極太フォントで『ネクストチャレンジャー タイヨウ』と追加される。




「……タイヨウっていうんだ」




名前のテロップが縮小しながら左下へ落ちていく。


舞台正面のアングルに移った。真ん中にぽつんと置かれた木製のベンチに、花柄のワンピースを着た夏凪音が座っている。街灯風のほの明るいライトが、ベンチ周りをじんわりと焦がしていた。


劣化した防犯ブザーのような合図とともに、画面いっぱいに『アクション!』の黒文字が出現する。文字は縦方向に真っ二つに割れ、間から夏凪音の物憂げな顔が覗く。黒文字は一定の速度で左右にくっつき、上下に離れ、やがて画面を縁取る黒帯に変形した。


映画によくある比率になった画面の右手から、茶髪の少年――タイヨウくんが駆け足で登場した。




『やっほ』




ベンチに近づきながら、軽く手を振る。広い肩幅に対して細身の上半身にフィットしたポロシャツに、ベルトの垂れたズボンをゆるく履いている。


にこにこで夏凪音の隣に座った。


取り立てて演技しているふうには見えない。彼は笑っていないときがないのだろうか。そんな人間、いないと思っていた。




『どうしたん。夜遅くに呼び出すなんて。なんかあった?』


『……うん』




彼が顔を向けても、彼女は目を合わせようとせず、膝の上で手をいじり続ける。彼はあっけらかんと天を仰ぎ、足を伸ばした。




『ま、どんな理由でも、会えるのはうれしいけど』




すると突然、画面の下部にある黒帯に『うわあああ!!!』という白色の文が沸き出た。文の右側には、小さく英文字の羅列が添えてある。謎の文は帯の中でスライドして消え、またちがう短文が浮かび上がる。どうやらランダムで抽出されたSNSの投稿が、自動で流れる仕組みになっているようだ。


『好き好きオーラ全開の太陽神えぐまぶい』『推しと女とか無理〜』『恋愛ドラマでしか摂取できない栄養がある』『これやる意味ある?』『近づきすぎ!』『は? 足長すぎでは?』


見たところ、恋愛ドラマを題材にした審査内容は、賛否両論らしい。オタクにもいろんなタイプがいるんだなあと、上の空で流し見ていると、




『好きだよ』




視覚ではなく聴覚に直接、甘い言葉が届いた。


ばりばりばり、とおにぎりの海苔が痛ましく歪む。指圧でおにぎりの中心部がたちまちへこんでいく。


言葉以上にとろけた笑顔をたたえたタイヨウくんが、本編映像にアップで捉えられていた。うつむいてばかりの夏凪音に、気持ち近寄ると、彼女の横顔を隠す長い髪をやさしく指先ですくいながら耳にかけてやる。

あらわになった彼女の表情には、今にも雨が降り出しそうな曇り空が広がっていた。


目を固く瞑った彼女は、告げる。




『ごめん。わたしたち、別れよう』




聞き覚えのあるセリフ。このあとに続くのは、どうせきれいごとなんでしょ。




『やだよ』




だが、待っていたのは知らない展開だった。なるほど、ここからが即興演技だったのか。


アタシはテレビに釘付けになりながら、おにぎりをかじった。喉元をやわい塊がくだっていく。




『なんでそんなこと言うんだよ。僕、なんかしちゃった?』


『そうじゃない、けど』


『じゃあ別れなくてよくね? 別れる理由がないじゃん』




タイヨウくんはそれでも笑っている。言葉の意味を理解できていない子どものようで、観ていて心苦しくなる。




『な?』


『……ごめんね』




夏凪音は隣を見れない。




『わたしと別れ』


『別れるなんて許さない』




彼は冷たく遮った。




「あ……」




アタシはごくんと喉を上下させた。


タイヨウくんから、笑顔が、消えた。




『好きだよ。好きなんだ。だからそんなこと言うなよ』


『ごめん、わたし』


『ッやめろって!』




鬼気迫る叫びに、夏凪音と一緒にアタシまでびくりと震えた。


彼は息を乱しながら、彼女の細い手首をつかんだ。彼女は反射的に彼のほうを見やる。




『どこにも行くなよ……っ』




彼のつぶらな瞳は、涙のコンタクトがはまっていた。




『なあ……好きって、言って。勝手に離れていかないで』




なんて情けない姿。


可哀想で、どこかかわいくも見えてくる。


勝手にうすく開いたアタシの唇から、ぬかるんだ米粒が飛び出た。



……なんだ、そうか。そこまで言ってもよかったんだ。



好きな人に好きって言いたかった。好きって、言ってもらいたかった。


みんなにきらわれるなんて思いもしなかった。



嗤わないで。


ひとりにしないで。


アタシと、笑ってほしかった。


そう願うことは、悪いことじゃないよね……?




『わたし、あなたには嘘をつきたくない』




すがりつくタイヨウくんの手を、夏凪音は慎重に引きはがした。


気力を失った彼は、ベンチに全身を預け、項垂れる。彼女は迷いながらも立ち去った。


ひとりきりになった彼は、彼女のいた場所を見つめた。




『……なんで……』




目に光がない。幸せそうに笑っていた数分前が、遠い過去のように感じる。


彼は空っぽになった隣に頭を寝そべらせた。




『許さない。絶対。許さないから』




ぼそぼそと寝言のようにつぶやいた。長いまつ毛が伏せられていく。




『君さえいれば、何もいらない』




かっこ悪いのに、なぜだろう、異様に胸が高鳴った。


彼がきらきらして見える。テーブルにある美容品をすべて浴びせても、足りないくらいの輝きだ。


アタシはつい笑ってしまった。



雰囲気を壊すモーター音が鳴り響き、黒文字で『カット!』とテロップが出る。


磯の香りが充満していた。


アタシはふた口、み口とおにぎりを食べ進める。米にへばりついた海苔にくっきりと歯形が残る。


グラスに手をかけたとき、コースターにしていたプリントのそばに捨て置いていたアーモンドチョコレートの存在を思い出した。売場に飾られていた円形のポップが、記憶の押し入れから雪崩れてきた。


そういえば、投票2倍とかなんとか、『オンステージ 2nd』に関するよくわからないキャンペーンをやっていたっけ。




「……投票……何のだろ。どうすればできるんだろ」




アタシは密封された袋をこじ開けた。



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