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あいつが前世を愛さずとも  作者: 甘
推しについて
34/49

燕の巣⑴



夏休みに入る前に、学校を辞めた。


理由は、至ってシンプル。お金を稼ぐためだ。


バイトをフルタイムに変え、アタシは今日もあくせく働いている。




「いらっしゃいませ!」




通勤前の大人たちがぼちぼち来店する早朝のコンビニに、寝覚めのよい挨拶を発した。


アタシはレジに立ち、サンドイッチとエナジードリンクを持ってきたOLを笑顔で迎える。ぱっつん前髪とマスクのスタイルは変わらないから、目元の変化だけでは笑っているかどうかわかりづらいだろうが。そもそも店員の表情をいちいち観察している人は少ない。1分1秒惜しい出勤前ではなおのこと、他人を気にする余裕はない。


それでもアタシは愛想よく接客する。そんな気遣いに客は気づかず、笑わず、目も合わせず、目的が済めばお払い箱。退店したあとはここでの記憶も知らぬ間に消去されている。




「ありがとうございました!」




笑って頭を下げたところで、アタシに返ってくるものは何もない。意味もない。損しかない。


そう、思っていた。


でもちがった。


あるじゃないか。アタシに返ってくるもの。意味。得。誰の目にも可視化できる、揺るぎない価値のあるもの。



金だ。



目の前にいる客の顔が、磨けば光る金貨に見える。規則的に奏でられる客の入退場曲が、内耳を越えると、チャリーンという縁起のいい効果音に変わる。


アタシは無理なく笑えた。


数ミリだけ前髪を切ったアタシの視界は良好だ。




「江ノ上さん、なんか明るくなったよね」




ラッシュが過ぎ、客足の遠のくと、アタシの隣でレジを稼働させていた店長が、ぐっと伸びをしながら言った。




「心境の変化でもあった?」




アタシはぽっと頬を染めた。




「えへへ。わかります? 実は、アタシ、好きな人ができて」


「あーわかった。あの体操服姿の男の子だ」




店長はビールのひと口目を飲んだかのような染み入る顔つきで、やけにしみじみと首肯する。


アタシは最初、誰のことを言っているのかわからなかった。しばし熟考し、渚のことかと思い当たると、思わず噴き出してしまった。




「ふははっ! ちがいますよーう」


「え? ちがうの?」


「あんな奴、好きになるわけないじゃないですか」




全否定すると、なぜか店長は肩を落とした。がんばれよ少年、なんて意味のわからないことをつぶやいている。


アタシはスルーして、天井を見つめながら両手を組み合わせた。好きな人を思い浮かべる。記憶から呼び起した描写が、白い天井に現像されていくようだった。




「アタシの好きな人は、もっと上にいるお方です」




アタシには見える。


君さえいれば、何もいらない。そう言って美しい横顔に影を差した彼が。


審査後、こともなげに屈託なく笑んだ彼が。


この目に鮮明に焼きついている。


恍惚とした吐息がこぼれる。


あぁ、タイヨウくん。




「彼は、アタシの太陽」




好きになろうとして好きになったんじゃない。


恋とおんなじ。気づいたら、アタシの心の頂上に君臨していた。



4次審査を観終えたアタシは、真っ先に『オンステージ』という番組について調べた。


そのとき自分用の携帯を持っていなかったから、明け方帰ってきたママが寝ている間にこっそりママのを借りた。


検索すると、大手出版社の記事をはじめ、個人ブログや海外のサイトも引っかかった。ページの上部には、視聴率、オーディション参加者の経歴、デビュー予想、1回目と2回目のちがい……と並んでいたが、アタシはもっぱらネガティブな見出しを選んで読んだ。


スタッフの過労、オーディション参加者の番組での分量差、棄権者の多さ。番組の話題性が高い分、問題視される面も様々見受けられた。


SNSには感想や応援の声にまぎれ、不安を煽り、批判する人を一定数見かけた。無印版と呼ばれる第1回目の際、最終審査前に会場近くで救急車が呼ばれたが、番組とは無関係であると表明された件について、本当に無関係だったのか。オーディション参加者に死亡者がいるという噂があるが、その実態はいかに。パワハラ疑惑のあるアイトウエンターテイメントで、無印版でデビューした『GaoR』の待遇はどうなのか。そういった番組の裏を掘り下げる投稿は、ほかよりもコメントの量が多くついていた。


嘘か本当か、炎上させたいがためのでたらめか。


どれであってもアタシには関係ない。


アタシは別に本当のことが知りたくて見ていたんじゃない。うずうずと湧き上がる興味が、ちょっとでもなくなればいいなと思って調べてみただけ。



でも逆効果だったみたい。


アタシは最終的に、検索一覧のトップ、『オンステージ 2nd』の公式ホームページを開いていた。


生放送で行われる番組最終回、視聴者投票というのが実施されるらしかった。視聴者は1人1回、特設サイトからデビューしてほしいと思うオーディション参加者に投票でき、投票数が多ければ多いほどデビューに直結する最終審査選考に有利に働くようだ。


キャンペーンに参加すると、さらにもう1票与えられる。アーモンドチョコレートを含めた数種類のお菓子とのコラボは、そのキャンペーンのものだった。



アタシはシフトを増やし、最終回までに自分用の携帯を買った。最終回当日は希望休を取り、番組をリアタイしながら携帯で特設サイトを開き、奇しくも手に入れた2票分をタイヨウくんに投じた。


はじめから太陽の強力な磁力に逆らえるはずがなかったのだ。



タイヨウくんは視聴者投票ぶっちぎりの1位でデビュー決定。


そのときアタシの心に熱が灯るのを感じた。


彼を支えるのが、アタシの使命だと思った。



そのための資金集めだと思えば、働くことが苦ではなくなった。むしろまだまだ足りないくらいだ。


時の流れが嘘みたいに早く感じた。彼のことを考えていたら、1時間、1日、1ヶ月があっという間に過ぎていく。



実際、すんなりと1年が経過した。


彼を知らずにいた生活を、もう思い出せなくなっていた。




「いらっしゃ……ませー!」




入店の音楽に引き寄せられ、目を向けると、例によってヨモギ色を装う渚がいた。アレルギー反応で声が途中でかすれてしまったものの、語尾を力いっぱい伸ばしてゴリ押した。


彼は2年生に進級した今でも定期的にここに通っている。最初のころより頻度は落ちたが、部活帰りと思しき時間帯に立ち寄り、店長と世間話する仲にまでなった。


夏休み期間であった先月はあまり顔を出さず、来たとしても制汗剤の匂いを侍らせたジャージ姿で、目にも鼻にも毒でしかなかった。


しかし、すでに二学期の始まっている今日は、ヨモギ色はヨモギ色でも、ジャージではなくネクタイ。中央高校の制服だった。色の範囲が縮小されると、野暮ったさも軽減されるからふしぎだ。


しかも、時間もいつもより早い。まだ陽は落ちていない。テスト期間だろうか、それとも体育祭前で短縮授業だったのだろうか。



何にせよ、迷惑なことに変わりない。早く消えてくれと祈りながら笑顔をキープした。祈りは微塵も通じず、彼は簡易的に会釈をし、入口横の本棚を横切った。新作のスイーツを手に取ると、レジに立つアタシのほうへやってくる。


アタシの頬は引きつり、上にかぶさる不織布と摩擦を起こす。


カウンターにスイーツが置かれる――寸前、ドンッと買い物かごが卓上を叩いた。




「はい店員さん、これよろしくねえ」




レジに割りこんできたのは、おばさんと呼ぶには若い、ふくよかな女性だった。


彼女もうちでよく見る顔、いわば常連客その2だ。けれどもアタシが彼女を知ったのは、ここで働く前。まだ中央高校に在籍していたときだ。


学校で倫理を教えていた先生が、自慢げに見せてきた携帯の待ち受け画面、そこに写っていたのが彼女だった。先生は口癖のように「俺はいい奥さんをもらった」と惚気ていた。世話好きで、朗らかで、俺にはもったいない人だと。満面の笑みで写る妻の顔を、頻繁に拝まないと仕事もままならなくて困っているとも言っていた。


困っているのはこちらだ。


何なんだこの夫婦は。




「申し訳ございませんお客様。先にこちらの方が並んでおりまして」


「あら、そうだったの? 気づかなかったわ。ごめんなさいねえ」


「恐れ入りますが、今一度お並び……」


「でももうかごを置いてしまったのだし、ぱぱっとレジお願いできないかしら。かごの中身は少ないからきっとすぐ終わるわ。そっちのほうが効率いいわよ」




物腰柔らかな口ぶりのわりに、ずけずけとものを頼む態度。相変わらず厚かましい。退く気はないし、退いてくれた試しもない。


アタシは夫人の圧に押されながらも、ここぞとばかりに笑みを深めた。




「お客様、会計は順番に対応させていただきます。今一度、列にお並びいただけますか」




再三注意していることだが、まあまあ、と毎度たしなめられてしまう。まるでこちらが駄々をこねているようだ。




「ちょっとくらいいいじゃないの。こうしている時間がもったいないわよ。ほら、エゴバッグを渡しておくから、ついでにここに詰めてもらえる?」


「えっ」


「あ、からあげとコロッケもお願いね。それぞれちゃんとポリ袋に入れてちょうだいね」




夫人のターンは終わらない。


矢継ぎ早な攻撃の数々。かごの中に入れられたエコバッグに、アタシは反射的に目をむいた。無愛想がデフォルトの渚も、呆気にとられているのがわかる。



いつも笑顔でいるって難しい。


表面上だけだとしても、笑顔を作るには根気も器用さもいる。


お金を原動力に据えたとて、誰であろうと笑ってもてなせる寛容さは育まれない。



アイドルってすごいと思う。


いついかなるときも笑顔で元気を届けている彼らは、やはり、常人ではないのだろう。


人は、存外、笑わない生き物だから。



アタシが笑えているのは、タイヨウくんのおかげだ。タイヨウくんのためにできることがしたい。タイヨウくんがいるからがんばれる。


タイヨウくん。

タイヨウくん。


本当に、タイヨウくんってすごいね。


思い馳せただけで、焦燥感が晴れていく。




「お客様」




アタシは背筋をしゃんと伸ばし、隔たりのない目元に笑みを孕ませた。




「ルールはお守りください」


「だからねえ」


「うしろに、お並びください。のちほど対応させていただきますので」




アタシにはタイヨウくんがついている。だからなんだってできるよ。


かごを夫人側に寄せてあげれば、夫人は被害者面でかごを回収した。




「まったく……店員さんも頑固ねえ。わかったわよう」




うしろに下がりながら、アタシをちらちらと睨めつけては、ぶつくさ文句を言っていた。


バックヤードにいた社員が、いざこざを聞きつけて売場に出てくる。察して隣のレジを開けると、夫人は一も二もなく飛びついた。最近の子は〜、教育が〜と、アタシにぎりぎり聞こえる声量で、社員に愚痴っている。


待機する気満々で一歩引いていた渚に、アタシは鉄壁の笑顔で呼びかけた。




「大変お待たせいたしました」


「あ、いや……ありがとう」


「こちら、385円です」




感謝されたくてやったんじゃない。


ようやくレジを通ったスイーツの支払いを、あくまで事務的に要求した。


彼は口をもごつかせながら、背負っていたリュックサックから財布を取り出した。財布のチャックを開け、小銭を摘み、銀のトレーに並べる、たったそれしきの作業を妙に逡巡している。


耐えかねて遠回しに急かせば、彼は手ではなく口を動かした。




「俺にできることがあったらなんでも言えよ」


「……」


「って、前に言ったことがあっただろ。今の対応してもらったあとだとちょっと恥ずいけど」




覚えてる。それを言われたのは『オンステージ 2nd』最終回前日だった。




「タイヨウ、だっけ。そいつの投票をしろって、江ノ上言ってたよな」




あのときのアタシは、タイヨウくんがデビューすることしか頭になかった。相手が渚なことも、ここでまともな会話をするのがはじめてだったことも、どうでもよかった。




「そいつのこと、この前観たよ。『SIESTA』の、スペシャルドラマのやつ」


「……バク」


「そ、そう、それ。なんかいろいろと考えさせられた」




彼は変なところで真面目だ。タイヨウくん関連で何かあると、律儀に感想を教えてくる。『オンステージ 2nd』で受賞したとき、『エレジーの怪』や『YOURS』の各回放送後、新曲リリース時。課題提出みたいに寄こす一言コメントは、ファンの想いを搾りしぼっで出た残りカスほどに中身がない。




「バク、かっこよかったよ」




けれど、褒められて悪い気もしない。


アタシの好きな人は世界で一番かっこいい。そうでしょう? アタシは誇らしげに笑ってみせた。


どこかほっとした様子の渚は、500円玉1枚をトレーに乗せた。




「また言ってくれていいから。いつでも、なんでも。俺にできることなんかたかが知れてるけど、江ノ上の力になりたい」




アタシは静かに会計ボタンを押した。じゃらじゃらと飛び出したおつりを、トレーに転がし、差し出す。


彼はおつりをすべて、レジ横に設置している募金箱に入れた。


でこぼこの地層を重ねるクリアタイプの箱の中へ、新たに100円玉、10円玉、5円玉を1枚ずつ落とし入れたまめだらけの手が、ひどく幼稚に見えた。


彼がいなくなるまで失笑をこらえた。



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