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あいつが前世を愛さずとも  作者: 甘
先輩について
26/49

炎症⑶



街に半袖の人がうじゃうじゃと湧き始め、羽目を外す声がところせましとひしめく。


ドラマ撮影がオールアップした。


俺とタイヨウさんの歌うドラマ主題歌も無事に納品できた。


残るは……俺にとっての最難関、ミュージカル。



今日からは、舞台稽古に専念することになる。とはいえラジオやバラエティー番組などほかにも仕事はあるのだが、万全に稽古に臨めるよう、雪さんがスケジュールを組んでくれた。


丸一日稽古も不可能ではなくなったからか、稽古場が炎谷さん所有の武道場のような建物に変更にされた。今までのよりも倍以上の広さがある。私有地だから予約も時間制限も必要ない。演劇初心者の俺にはもってこいの場所だった。



午前9時。全体練習開始まで、あと30分。


昨年開催したソロライブのオリジナルTシャツに着替えた俺は、いつかの黒ジャージをまとうタイヨウさんとストレッチを始めた。


ほかのキャストも続々と稽古場にやってくる。運動したり、発声練習をしたり、朝食を摂ったり、思い思いに過ごした。


ガラガラと扉がスライドされた。


現れたのは、使いこまれた台本を持った……あれ? 炎谷さんだ。いつもは開始時間直前に来るのに、めずらしい。




「失礼しますぅ……」




炎谷さんのほうから控えめな挨拶が聞こえ、一瞬室内が静まり返った。


腕をつかみ合って体をほぐす俺とタイヨウさんは、きょとんと視線を合わせる。


やせ細った老体に目を凝らすと、その背後に男前な顔が覗いた。




「みなさん、おはようございます」




ひげの生えた渋みのある顔つきの男性が、うしろ手に扉を閉め、にこやかに会釈をした。炎谷さんに臆することなく連れ添って歩き、片手には三ツ星ホテルの紙袋を提げている。


気づいたら俺の目は、品位の高い彼に刺さって抜けなくなっていた。タイヨウさんに両腕をぐいぐいと引っ張られても、棒立ちの体はびくともしない。




「り、龍様だ……」




壁沿いに置かれた、明らかに特注品の椅子に炎谷さんが腰かけると、龍様――芸歴も役としても大先輩である晴家龍儀さんが、まるで宰相かのように椅子の横に立った。




「はじめまして、晴家です。本日は炎谷監督のご厚意もあり、『SIESTA』の舞台の感じを少しだけ拝見しにまいりました。これ、差し入れです。よければみなさんで食べてください」




金糸に近しい髪をうしろに流した彼は、おだやかにほほえみ、紙袋を近くのテーブルに置いた。


俺の頬をつねる代わりに両腕を引きちぎりにかかった、タイヨウさんの手が、ついに力をなくした。




「こんなに早く会うことになるなんて……」




独白が声に出ていることに気づかないほど、タイヨウさんは動揺していた。


俺は心の中でそれはもう激しく共感した。



業界を牽引する名優、晴家さんは、年中繁忙期な印象が強く、スケジュールにない現場にふらっと立ち寄るなんてまずないと思っていた。


だって、先月まで連続ドラマでタイムリープした大学生役で主演を張っていたし、先々月は時代劇で主人公の仇となる武将を熱演、来月末に公開されるノンフィクション映画ではキーマンとなる研究員役を務めるらしい。


カメレオン俳優と絶賛される彼の活躍ぶりを知っていれば、ここに少し顔を出すことがどれほど貴重なことか、痛感せざるを得ないのだ。



ここに来たのも番組の企画か何かだろうか、サプライズで突撃してみた的なやつではなかろうか。周囲にカメラを探すが見当たらない。


正真正銘、オフの龍様だ。


来るとしても公演間近を予想していたが、今は2ヶ月も前。そうとうな作品愛だ。やはりシリーズを何年も背負ってきた人は心構えからしてちがう。




「僕のことはどうぞおかまいなく。体育の授業の見学者くらいに思ってください」




無茶言うなあ……。




「あ、炎谷監督も食べます? 差し入れ」


「中身は?」


「プリンです。なめらかでおいしいって、月乃(ツキノ)さんに聞いたんです。炎谷さん、プリンお好きでしたよね」


「……ああ、あとでもらおう」




本当に晴家さんを気にしていないのは、彼以上の大御所である炎谷さんだけだ。


晴家さんは炎谷さんの手がける舞台によく出演していて、交友が深い。おそらくこの私有地に来たのもはじめてではないだろう。


あのふたりの周りだけ別世界に見える。




「挨拶、いきますか」




隣で立ちつくしていたタイヨウさんが、腹を決め、俺に言う。




「そ、そうだね」




返答の選択肢は、それしかなかった。


そもそもストレッチどころではない。


俺とタイヨウさんは晴家さんの元へ近寄った。


紙袋から何十個ものプリンが包装された箱を取り出す晴家さんは、俺たちに気づくやいなや、律儀に手を止めて待ち受ける。25年以上芸能界に身を置く彼も例外なく、優れた外見をしたタイヨウさんを一番に目に留めた。かすかに喜色を滲みらせている。




「ひさし――」


「はじめまして、晴家さん」




晴家さんの声が聞こえなかったのか、タイヨウさんは矢継ぎ早に名乗った。




「アイトウエンターテイメント所属、タイヨウです。今作ではバク役を務めます。よろしくお願いします!」




明瞭な滑舌、ぴったり45度に曲がった腰。それらがかえって堅苦しく、事務的な雰囲気をほのめかす。


晴家さんはこころなしか困惑していたが、仕方なさそうに肉付きのない頬をゆるませた。




「はい、よろしくお願いします」


「……」


「タイヨウ、くん」




上半身を起こしたタイヨウさんは、達成感に満ちた顔をしていた。中空をすくうように右手の先端を俺に向ける。




「そして、こちらが……」


「わ、ワクナイ芸能事務所の、ヒノデと申します」




ヒノデくん、と晴家さんはスムーズに復唱する。




「以前、特番でご一緒でしたよね」


「は、はい! 覚えていてくださって恐縮です。本作では僭越ながら、晴家さんと同じくボンスケを演じさせていただきます。よ、よろしくお願いいたします」


「こちらこそよろしくお願いします。ボンスケのことであれば、何かお役に立てるかもしれません。なんでも聞いてくださいね」


「あ、ありがとうございます……!」




言葉の節々から社交辞令ではないであろうことが伝わってくる。挨拶する前より心拍数が上がっていた。


ひとしきり感謝を表し、ストレッチに戻ろうとすれば、あっ、と晴家さんが名残惜しそうに声を上げる。




「どうかしましたか?」


「は、晴家さん……?」




タイヨウさん、俺の順に、晴家さんの視線が泳ぐ。息を吸った唇がきゅっと真一文字に引き結ばれ、そうしてまた、水面に映る山の()を描いて開かれた。




「け、稽古、がんばってくださいね」




俺とタイヨウさんはそろって返事をした。



機能性の高そうな監督専用チェアのそばに、パイプ椅子が用意された。即席の見学者席とはいえ、あそこに並んで座っていると、稽古というよりオーディション審査のように見えて少し足がすくんだ。


ゆっくりと時間をかけて体をほぐしたにもかかわらず、ふくらはぎの筋肉やら神経がピクピクとこわばっている。


演技指導が始まっても、足取りは重かった。




「せ、先輩……!」


「なっ……なんで来た!?」




俺はべたべたと上履きを鳴らして、窓際からタイヨウさんのいる中央へ駆け寄った。




「先輩、大丈夫ですか!?」


「テメェ誰の心配して……」


「だって先輩は! 犯人じゃないでしょ!」



「――ストップ。動きが雑。もう一回」




炎谷さんのひと声で、場面はただちに巻き戻される。

窓際に引き返す俺の後頭部めがけ、槍のように鋭い炎谷さんの眼が投じられる。ジクジクと頭皮を打ち破る尖鋭さだ。


動きが雑。あれは俺宛だ。絶対そうだ。



役の解釈はドラマ撮影をとおしてインプットできた、と思う。が、ミュージカルでドラマのとおりに演じてもうまくいくとは限らない。同じ板の上であるライブともまったくちがう。


動きはどんなふうに観える? 声はどこまで届く?


舞台経験がないなりに台本にメモを書きため、ミュージカルの研究をし、演技レッスンを増やした。でも肝心なところで、全部、頭の中から消えていく。新雪みたいに真っ白だ。


せっかく晴家さんがいるのだ、いいところを見せたいのに。


失望されていないだろうか。


俺は、何を、おそれているんだろう。



セリフや演習を細かく修正したあと、ミュージカルの醍醐味である、歌唱と舞踊をかけ合わせたパフォーマンスの練習に移った。


セット代わりの木箱ふたつに、俺とタイヨウさんがそれぞれ腰かける。


バクに扮するタイヨウさんのやつれた顔を見つめながら、俺は鍛えた喉を震わせた。




「先輩。先輩。こんなこと言っていいのかわからないけれど」




ビブラートを響かせながら立ち上がり、身振り手振りをつけて歌う。




「先輩。先輩。ボクは、あなたに、出会えてよかった」


「ストップ。タイミングが遅い。やり直し」


「は……はい」




炎谷さんの手厳しい鞭は、なおも俺を叩き続ける。声量が足りない。アクセントがちがう。間をわかってない。ダメ出しは、曲をフルで10回以上やっても尽きない。


俺に充てられた指導時間は、カンパニー内でダントツだ。タイヨウさんを筆頭に演者それぞれの成長を妨げてしまっている。どうしようもなく肩身が狭かった。




「ヒノデ」


「は、はい……」




炎谷さんは曲を停止させた手で額を覆った。


俺のぬめついた背に、ライブTシャツが張り付く。首周りはびっしょりと湿り、汚らしく変色している。




「『クピド』のときの君は、いったいどこへいったんだ」




いつもとちがうダメ出しの仕方、なによりその内容に、俺は耳を疑った。




「え……クピドって、あのクピドですか……?」


「ほかに何がある」


「……ご、ご覧になったんですか」


「『オンステージ 2nd』に携わるにあたって、過去の映像にざっと目を通しただけだ」




だとしても、直接言及されるとは思いもしなかった。少なくとも、あのステージが炎谷さんの記憶に残っている。その事実に目が潤んだ。




「『クピド』と今では、歌い方が変わったな。あのときの、産まれたてのような声はよかった」


「あっ、ありが……」


「だが今は苦しそうだ」


「……っ」


「なぜだ。君は歌手だろう」




目頭に涙がにじむ。いやちがう、これは汗だ、汗が目に入ったのだ。でなければおかしい。痛覚を刺激されるのも、周りが見えなくなるのも。


うつむく俺に、炎谷さんはため息をついた。




「ヒノデ、君は先に休んでいなさい」


「…………はい」




俺は意気地なく部屋の隅に下がった。


壁沿いに整列する長テーブルに放置していた、いつもの天然水は、ひと口飲んだだけで空っぽになる。近くで待機していた雪さんが、新品のペットボトルを渡してくれた。


汗を流した分、体内に水を浴びせながら、タイヨウさんひとりとなった歌劇を観察した。しばらくして無性にひとりになりたくなり、雪さんにひと言告げて稽古場をあとにした。



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