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あいつが前世を愛さずとも  作者: 甘
先輩について
25/49

炎症⑵



ミュージカル『SIESTA-BAKU-』。


一夜限りの公演というほかにはないプレミアム感に、シリーズ愛好家やミーハーなファンが飛びつき、相場の倍以上あるチケットは販売開始5分でソールドアウト。連日メディアやSNSで話題になり、続報を待つ声があとを絶たない。


制作発表会見後、早速『SIESTA』全シリーズの再放送が決まり、長い長い前夜祭は好調なすべり出しを見せた。


裏では、豪華な本祭に向け、着々と準備を進めている。




「――テメェは、オレの全部を知らねえから、オレを好きでいられんだよ」




死んだ目をしたタイヨウさんが、俺を睨めつける。


息が、上がる。けど、無理やり押し殺し、生唾を飲みこんだ。


こめかみにぬるりとした気持ちの悪い感触が伝う。



パンッ!


活きのいい虫をつぶしたような音が、一回だけ響いた。




「ストップ」




正面に腰を据える無愛想な老人が、皮のたるんだ手を重ねていた。


頭髪の白い彼は、演出を手がけたら右に出る者はいない偉人、炎谷さん。ミュージカル『SIESTA-BAKU-』の総合的な指揮を受け持っている。



先週から本格化した舞台稽古は、常に緊張感で張りつめていた。


ストップのひと声で糸が途切れた俺は、口から肺の底まで全開にし、ぷはぁっと息を吐き出した。リノリウムの床にへたれこむ。床の表面に結露したように汗がぽつぽつと浮かんでいる。粘質的な匂いがした。




「ヒノデさん、大丈夫?」




けろっとした顔のタイヨウさんが、中腰になって手を差し伸べてくれる。




「あ、ああ。全然。平気」


「でも、顔色が……」


「タイヨウ」




ありがたく手を借りて立ち上がると、炎谷さんが粛に口を挟んだ。




「今の、最後のセリフ。今までで一番いい出来だった」


「あっ、ありがとうございます!」


「バクのつかみどころのない性根や底知れない本能を、眼差しひとつでよく表したな。やはり君の創造性はすばらしい」




炎谷さんの表情は依然として冷淡としているが、饒舌な口にはたしかな熱が回っていた。


タイヨウさんはくすぐったそうに後頭部を掻く。俺と同じくらい、いやそれ以上に汗をかいているのに、ふしぎと清涼感であふれている。俺がイメージモデルを務めるフルーツジュースのライバルにあたる、競合他社のスポーツ飲料のCMをやっているだけある。




「君をはじめて見つけた『オンステージ 2nd』がなつかしい」


「もう1年経っちゃいましたね。当時は大変お世話になりました」




実は、炎谷さんは監督(メンター)として『オンステージ 2nd』に出演していた。


俺も一応、3次審査の特別審査員(ゲスト)として招待されたけれど、審査当日はスケジュールが合わず、後日ひとりでVTR鑑賞することになり、監督(メンター)の方々と顔を合わせることはなかった。


先見の明を持つ巨匠、炎谷さんと直接お会いするのは、これがはじめて。そもそもミュージカルそのものが未経験で、稽古に力が入る。


だから、いつもどおりのタイヨウさんが評価されるのは、当然のことなのだ。炎谷さんとの共演経験のほか、『オンステージ 2nd』の最終審査でミュージカルを実演した経歴は、多少なりともゆとりをもたらすだろう。


でも……役柄と同じように立場も逆転できたとして、俺は彼のようにはできないと思う。俺は、怖がりだから。




「オープニングステージのテイク1を、私は鮮明に憶えているよ」


「あー……ハハ。あれですか、あのびっくりサプライズ」


「結局、秘蔵されてしまったが。あのとき、とっさにアドリブを入れた君を見て、私はとても感動したんだ。君は演劇をすべき人間だと思ったよ」




最上級の褒め言葉に、タイヨウさんは泡を食って口ごもる。汗でメイクが取れ、素の覗く顔は、こころなしか今まで見たことのないまっさらな色を浮かべていた。


直毛の髪をかきあげた彼は、言葉を探すようにテープの敷かれた床に視線を這わせた。




「そ、それで僕にオファーを?」


「当然それだけではないがな。ボンスケ役に推薦するなら君しかいないと思っていた。……だがどうやら、私の目はだいぶ老いぼれていたようだな」


「え……」


「君は、まぎれもなくバクだ」




タイヨウさんはためらいがちに俺のほうをちらりと一瞥した。俺は瞼を伏せ、口角を上げる。


俺のことを推してくれたのはプロデューサーだと聞いた。ロングランヒットした映画『未だ蒼きハルの子へ』を観て、いつか俺を起用したいと考えてくれていたらしい。


映画では一途な思春期の少年を演じていたのに、何をどうしたらトリッキーな役どころであるバクにあてはめられたのか。タイヨウさんがものにできているのも、正直信じがたい。


バクは、周りにどう思われようと我が道を行く、孤高の少年。自分のことしか信じられず、主人公らしくない凶悪性を晒す。10代の危うさを臓器の中にまで押し詰めたような役柄だ。


俺とは対極に在る少年を、俺はおそろしく、それでいてまぶしく感じてしまうのだ。




「しかし、ヒノデ」


「は、はいっ」




突然、炎谷さんに名指しされ、ビリリと総毛立つ。




「君のボンスケは、まだ見るに堪えない」




打って変わって辛辣な批評。


予想はついていた。稽古が始まってから、散々言われてきたことだ。




「今のシーン、バクを怖がっていただろう。ボンスケはバクに対して恐怖はないと、何度言えばわかるんだ」


「す、すみません」


「炎谷先生! ひ、ヒノデさんは午前のドラマ撮影から少し体調が悪くて、それで……!」


「黙りなさい、タイヨウ。言い訳は聞きたくない」


「っ、あ……は、はい……」




ついさっきまでべた褒めしていたタイヨウさんにも、冷徹な叱責が下される。


庇ってくれたタイヨウさんに、俺はアイコンタクトで詫びを入れた。


今のシーンについて炎谷さんから具体的な演技指導を受けた。予想どおり俺への指摘事項が多く、台本にびっちりとメモを書きこんだ。


そのうえで何回か同じシーンを練習したあと、評価は変わらないまま30分間休憩することとなった。




「お疲れ、燈之出」




扉横で見守っていたマネージャーの雪さんが、わざわざタオルを届けに来てくれた。礼を告げながら手を広げるが、石鹸の泡を抱きしめたようなタオルを頭の上にかぶせられる。生地の面積が広く、鼻先からうなじまで覆えてしまえた。




「水とピズフルとスポドリ、どれがいい?」


「……水で」




彼の重量感あるトートバッグから、クリアなペットボトルが取り出された。俺が好んでいる天然水だ。俺は受け取ってすぐ、口内いっぱいに水を流し入れた。




「吐き気は? 一応、薬は買ってきたけど」


「あ……いえ、大丈夫です」


「……きつかったらすぐに言うんだぞ?」


「はい、ありがとうございます」




俺は目を伏せ、台本を持った手でタオルの端をつかみ、顔の汗を拭き取る。冷えた額に、こつんと、やさしい衝撃が触れた。




「体調不良は、言い訳じゃないからな」




俺を軽く小突いた雪さんは、芯の太い声で言う。俺はまつ毛を震わせて苦笑をこぼした。


トートバッグから響いた機械音に、話の腰を折られた。思い出したように雪さんがバッグの中身をまさぐる。




「そういえば、さっき燈之出の携帯に着信きてたよ」


「俺のに?」




彼は俺からペットボトルを回収し、代わりに預けていた携帯を手渡した。




「急ぎだったら悪いし、かけ直してきたらどうだ?」


「そうですね。そうします」




気分転換もしたかったし、ちょうどいい。


俺は稽古場を離れ、非常口の近くにある自販機のそばで携帯を見た。画面に浮上する1件の着信履歴。表示された名前に、ああなんだ、と笑ってしまった。


折り返し電話をすると、コール音はすぐに途切れた。




「あ、もしもし、オーガ?」


『おう、ひさしぶり。仕事中だった?』




ガサガサとしたノイズまじりに耳を打つ、少年感のあるトーン。音楽アプリのプレイリストに入っている『GaoR』の音源で、よく聴く声音だ。だからか、俺はそこまでひさしく感じない。


オーガ。『オンステージ』での戦友であり、ルートはちがえど芸能界に居続けている仲間のひとり。


同い年の彼とは、オーディション中、一度だけともに審査に挑んだことがある。例の『クピド』だ。俺のミスをカバーしてくれたひとりである彼は、最終審査でVISUという賞をゲットし、鮮烈なデビューを遂げた。


だいぶ大差がついてしまっているが、それでも変わらずに交流を続けていて、定期的に俺と『GaoR』、ほか数名で飲み会を催しては、互いの活躍を称えあっている。




「俺は絶賛ミュージカル稽古中だよ」


『うわ、忙しいときにごめんな。たいした用じゃねえんだけど……今度の飲み会どうすっかなって思って……』


「休憩中だから気にしないで。俺も話したい気分だったし」




と言うと、恋人かとつっこまれた。俺は喉を鳴らす。




「そっちは? 仕事じゃないの?」


『移動中。……てか、なんか元気ない?』


「えっ」




喉の奥が、引きつった。




「な、なんで」


『声。いつもとちがうじゃん』


「そ、そう? あ、あれかな、稽古でけっこう声張ったから」


『それだけじゃないだろ絶対』




早く言えと、端末越しでも十分に圧を感じる。


えっと……。なんていうか……。俺は左手に携えた台本を握りしめながら、歯切れ悪く言葉を吐く。




「稽古の前にドラマ撮影があって……そのときに、ちょっと、自信喪失したというか……いや元々ないも同然なんだけど」


『……またか』




オーガの呆れかえった顔がありありと目に浮かぶ。




「あ、あはは。そう、また。俺の持病が発症したみたい」




はあ~~~とため息が聞こえ、思わず謝ってしまった。陰気な風が首元をよぎる。


沈黙。逆に耳が痛い。


俺は少しずつ肩を丸めながら、乱れた髪を隠すタオルを指先でくるくるといじる。


遠くに走行音だけがさざめいていた。赤信号か、物音ひとつしなくなると、




『ヒノデさ』




いやにいい声が響いた。




『3次審査のゲストで出たとき、少し叩かれてたじゃん?』


「へ? あ、うん」




1年前のことを掘り返されるとは思わなかった。


当時、みんなが触れなかった話題だ。


SNS上での騒ぎに関しては、基本的に腫れ物に触るように扱うことが多いのだ。


俺自身、とりたてて相談するほどのことでもなかった。視聴者にとやかく言われることは、出演依頼を受けたときから覚悟していた。


立場をわきまえろ。落ちた奴が審査できるのか。どうしてデビュー組よりも早く出ているんだ。


俺への批判はどれもまちがいじゃない。俺も考えていたことだ。幸い、アンチの標的はすぐに移り変わり、直接的な被害は特になかった。


なのにどうして今さら。




『俺さ、めっちゃムカついたんだよね、あれ』


「そ、そう、だったんだ」


『ヒノデの一件に限った話じゃないけど……。勝手に比べたり蔑んだりして、そんでさ、あろうことか俺らのことを持ち上げてる奴もいて。世の中、腐ってんなあって』




俺が言うと大事になっちゃうから抑えてたんだけど、と腹の虫どころを悪くしたようにぼやく。俺は胸がすく思いだった。




『なんでわかんねえんだろうな。お前らがバカにしてんのは、俺の大事な友だちなのに。そんなんで俺の好感度が上がっても、ちっともうれしくねえっつの』


「オーガ……」


『ちくしょう。SNSでしか文句言えねえ奴、全員、開示請求して屠ってやろうか』


「お、おいおいっ」




言いすぎ、言いすぎ!


今や『1/2』と肩を並べる人気アイドルが、そんなこと公言したら、それこそ炎上もんだよ。


あわてふためく俺をかえってなだめるみたく、電話の向こうから静かな笑みが吹かれた。




『……って、あいつなら言ってただろうな』




あいつ。その3文字で思い浮かぶのは、チーム『三つ子』の最後のピース。


俺らより2つ年上の、チームリーダー。


苦を苦と思わず、暑苦しいほどに笑う人。




――楽しかったな、クピド。




先輩。


俺らの精神的支柱だった。


彼の何気ない言葉に、俺は救われていた。




『良くも悪くも直球だったから』




過去形なのが、つらかった。


デビューしてほしかったし、するだろうと思っていたのに、先輩は俺よりも早くステージを降りてしまった。


先輩を惜しむ気持ちは、月日が経っても消えやしない。



今、どこにいるのか。何をしているのか。


どうか幸せに笑っていてほしいけれど……。




『でも、ヒノデはちがうだろ?』




意図的に声色を明るくしたのがわかった。




『何を言われてもさ、自分の中で咀嚼して、全部受け取ろうとすんじゃん。飯だって米一粒残さないし』


「ご、ごはんは関係ないでしょ」


『とにかく! いい奴ってことだよ!』


「え、ええー……そ、そんなこと」


『いい奴だよ、ヒノデは。どんな声も絶対に無視しない』




そんなことないよ。


だって。


だって……。


本当にいい奴だったら、()()()()、逃げたりしない。


いつも助けてくれた先輩に、俺は……背を向けて、見限ったんだ。




『俺は、ヒノデはもっと図々しくなってもいいと思うけど……ここで自信持てって言ってもどうせ逆効果なんだろうな』


「……」


『俺の言葉もきっと、ひと晩考え耽る材料になって、じっくりことこと煮込まれるんだ』




ちょっと拗ねた口調に、俺は少し気がゆるむ。


食欲はまったくないのに、今晩はカレーにすることだけが先決した。




『だから俺から言えるのは、これだけ』




オーディション中に戻ったようにオーガは告げる。




『納得いく仕事をしろよ』


「……ん、ありがと」




俺は表紙の折れた台本を胸に抱いた。


誰でもない自分が納得できるように。それが一番の関門であろうことはわかっている。そういう意味では、炎谷さんより俺のほうが厳しいのかもしれない。


稽古、がんばらなくちゃ。風邪を引いても、台風が来ても。俺はここにいるのだから。




「もし予定が空いてたら、舞台観に来てよ」


『あぁー……』




とたんに言いよどみ、やがて無声になる。電波の調子でも悪くなったのだろうか。


何度か呼びかけ、耳をすます。落ち着きのなくなった衣擦れの音。ぼそぼそとしたつぶやきも聞こえる。




『……それ、あいつも、出るよな』




聞こえても結局、首をかしげるはめになった。




「あいつ?」


『あいつだよ』




使い回された指示語は、また先輩のことを指しているのかと思われたが、どうもちがうようだ。話の脈絡を考えれば、簡単に検討をつけられた。


あぁ、タイヨウさんのことか。




「なんだよその、名前を呼んじゃいけないあの人、みたいな」


『実際呼びにくいだろうがよ』


「まあ、わかるけど……」




どこか気難しい空気が漂う。


それでもオーガは頑なに言い改めようとしない。




『あいつって……どんな奴?』


「どんな……むずかしいな。ひと言では言い表せないけど……本当に、太陽みたいな人だよ。でも、心の奥までつかめない。たまに月のようにも感じるんだ」


『ふーん』




ふしぎな人だ。


でも……だからだろうか。彼が難なくバクを演じられるのは。



ガコンッ!



隣にある自販機に突発的な振動が起こった。


びっくりして顔を上げれば、




「っ、た、タイヨウさん!?」




噂をすればなんとやら、太陽と月の両面性を持つ美丈夫が目の前に現れた。


タイヨウさんは俺を横目に、自販機の取り出し口から白濁したペットボトルを拾い上げる。




「ヒノデさん? そんなところで何して……」




俺の耳に当てられた携帯を見て、彼は反射的に口をつぐんだ。


なぜか電話口の向こうからも焦りが伝わる。




『え。あ、あいついんの?』


「う、うん」


『じゃ、じゃあ切るわ。もうすぐ現場着くし。ヒノデまたな』


「ちょっ、お」




最後、早口で言い逃げし、あっけなく電話を切られてしまった。


ツー、ツー、と機械音が規則的に震える。


気まずさが膨れ上がる。




「すみません、お電話の邪魔をしてしまって」




携帯をポケットにしまう俺に、タイヨウさんは申し訳なさそうに首を垂らした。俺は黙ってかぶりを振るしかできなかった。


彼のつぶらな双眸が怪訝そうに丸められる。




「なんか……幽霊でも見たような顔してますね」


「えっ、ごめん」


「……僕を幽霊とまちがえたんですか」


「い、いや! ちが!」




今度は否定の声だけが絞り出た。オーガの焦りが感染したにちがいない。


タイヨウさんはその長い脚で軽々と俺に近づき、顔を覗きこんできた。


ひんやりと冷えた肌に、脂汗がしみる。




「やっぱり体調、まだ悪いですか?」


「え?」




思わず聞き返してしまった。


視界いっぱいに、彼の心配そうな顔が映っている。




「ドラマ撮影のときから体調悪そうだったので」


「え、ええっと……だ、だいじょ」


「撮影のせいで、体調が悪くなった、と言ったほうがいいでしょうか」


「……っ」




俺は息をのんだ。無意識に胃のあたりをさすっていた。




「そ、そこまで気づいてたんですね」


「吐きそうにしていましたから。殺人現場の再現に」




午前に行われたドラマ撮影。今日は、事件発生のシーンがメインだった。


郊外のとある路地の一角でロケをした。俺が到着したときには、美術スタッフによって舞台が整えられていた。


生々しい血のり、荒らされたごみの山、アスファルトに引きずられた金属の跡。鼻の曲がる異臭に、ハエがたかっていた。リハーサルからは死体役も加わり、現場はさらに殺伐とした。


死体役の体は細かくつくりこまれ、傷口からはみ出る肉の質感は今にも脈を打ちそうだった。


カメラさえなければ、本物の殺人現場と相違なかった。



腰が抜けた。泣きそうだった。吐き気が止まらなかった。


第一発見者となったボンスケも、似たような言動を取るため、撮影自体は問題なく片付いた。


演技上手だね、と監督に褒められた。ちがうんです、そうじゃないんです。そう言っても単なる謙遜と捉えられてしまった。


心が、痛かった。


撮影後、昼食は一口も摂れなかった。稽古場まで移動する車内で、雪さんが用意してくれた天丼をずっと眺めていた。




「顔合わせのときにも、資料を見て顔色を悪くしていましたよね」


「……よく見てますね」




資料に掲載されていた写真も、本格派のお化け屋敷で使用されていそうなほどリアルだった。


バクのほうが事件シーンと立ち会う機会が多く、今日以上にグロい場面もある。本来バク役だった俺は、先行き不安で仕方なかった。


ボンスケに替わってよかったと、今日つくづく思った。思った自分を恥じた。気持ち悪かった。




「タイヨウさんはああいうの平気、なんですね」


「慣れてますから」


「な、慣れ……慣れるもんですかね……?」




タイヨウさんのまなじりがやるせなく歪められる。




「実は昔、心臓が弱くて入院していたんです」


「え……」


「周りには死が当たり前にありました。もちろん死体自体を見ることはそうそうないんですけど。ないことも、ない、といいますか」




血流がゆっくり滞っていく。


胃の中をうごめいていた、どろどろとした異物感が、食道を這い上がる。口腔をよぎり、脳をじわじわと締めつけた。痛覚が暴れだす。




「幼なじみも、あんな感じだったんです」


「あ、あんなって……」


「手術とかいろいろほどこされたあとでしたけど、全身硬くて、白くて、でも手首についた締めつけの跡は黒くて――」




今日のシーンと重ねて想像してしまい、脳内をガツンと揺さぶられた気がした。激痛が走り、耐えられなくなった俺はその場にうずくまる。




「あっ、ごめん、僕……!」


「……う、ううん……俺も、ごめん」




タオルで顔を隠した俺に、タイヨウさんはしゃがみこんで、俺の肩を撫でようとする。しかし寸前で、その手を引っこめてしまった。




「やっぱり、まだ無理そうですね」


「ごめん……」


「いえ……。ふつう慣れるものじゃありませんよ」




でも慣れないと。


このままじゃだめなんだ。


納得いく最後なんか迎えられない。


年下の後輩に座長を押しつけておいて、おざなりにはできない。




「スポドリ、飲みますか?」




差し出された冷たいペットボトルを、丁重に断った。



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