墓場
「あたし、『GaoR』苦手だったんだよね」
10年ぶりに再会した元カレの妹と墓参りに行った帰り、近くのファミレスに入ったときだった。
ランチ帯で混み合い、15分ほど待ってようやく案内された席に着くなり、アイボリーのワンピースを着た彼女はぶしつけに言い放つ。
らしくなく尖った発言に、わたしはぎょっとした。
「に、苦手、か……」
平静を装いメニューの冊子をとろうとしたけれど、動きがかなりぎこちなくなる。グランドメニュー、ランチメニューが卓上に雪崩てしまった。
彼女の視線はメニュー一点に注がれていた。
グランドメニューに挟められた、期間限定メニューの一枚に。
『女性にうれしいヘルシーメニュー!』と銘打った料理がいくつか並んでいる。中央では、ヘルシー企画の考案に協力したきょうちゃんが、かわいらしくポーズを決めていた。
活躍を身近に感じて喜ばしい反面、どこかもの珍しさがあった。
全国チェーンのファミレスとよくコラボしていたのは、『GaoR』だった。それこそつい春先までスイーツフェアの顔としてよく見かけたものだ。
駅近のここで昼食にしようと提案したとき、彼女が一瞬渋っていたことを思い出す。彼らの顔がちらついたのだろう。
それでないしょ話をしてくれたのか。
腑に落ちたわたしは、指先をそろえてランチメニューを開いた。
「沙夜ちゃんはなんとも思わないの?」
「どうして? 彼も出た『オンステージ』で勝ち上がったから?」
「それもあるけど……お兄ちゃんを――オーディションで一緒だった友だちのことを忘れて、のんきにチャラチャラ笑ってるから……」
友だち。そのワードが本当にふさわしいのか、視聴者だったわたしにはわからない。
けれど、彼はたしかに『オンステージ』の本選に進んでいたし、人懐っこい彼のことだ、『GaoR』の面々とも仲良くやっていたことだろう。
そんなふうに誰にでもできそうな推測ばかりめぐらせた。無理もない、当人から明かされることはなかったのだ。
死人に口なし。しかし、今も生きている『GaoR』やほかのオーディション参加者からも、彼にまつわるエピソードは一切語られなかった。
彼が、死んだから。
『オンステージ』の本選が終わりに差しかかったころだった。
夏の終わりに放送を開始した番組に、彼の名前はなかった。
血に飢えたメディアや非道徳的なネット民が何をしでかすかわからない。故人をおもんばかった末の決断だった。事件性はないのだから、陰で面白おかしく騒がられるくらいならそうするのが一番だ。
ご家族には番組側から直接、具体的な説明があったはずだ。彼女は聡いから、それを十分に理解したと思う。
わたしもずっとそう理解していた。でも……今は少しちがう。親族である彼女は、もっと早く感じていたかもしれない。
彼が立っていたかもしれない場所で、当然のように笑うことができる人たちを、なんとも思わずにいられるわけがないのだ。
「あっ、でも2ndで受賞した人たちはみんな応援してるよ!」
わざとらしく言い足した彼女に、わたしは仕方なく笑ってメニューを向ける。
何食べたいか聞くと、この猛暑のなか、彼女は海鮮ドリアを指さす。わたしは噂のヘルシー企画から冷静トマトパスタを選び、それぞれドリンクバーもセットで注文した。
3種類のメニューを片付けながら、わたしは話を戻す。
「今は? 苦手じゃない?」
うーん、と彼女はどっちつかずな反応をし、ポニーテールに結った毛先を揺らす。
「ちょっと前に記者会見があったじゃん?」
「あー、うん。『GaoR』の。活動休止のやつ」
「そう、それを見て、ちょっと印象変わったんだよね。もしかしたら、のんきに過ごしてなんかなかったのかもって」
スイーツフェアの期間真っただ中、その記者会見は行われた。
突然の発表だった。いつもステージを羽ばたいていたアイドルの姿はなく、泣くのを我慢した子どものような4人がいた。
世間では大いに騒がられた。しばらく真相を追求しようとする声が止まなかった。
彼らの言葉だけを信じられた。
「彼らも彼らでいろいろと考えていたんだろうね。……って、あたしが思えるようになったのはね、たぶん、幼なじみの影響」
「そう……」
「あ。また出た幼なじみ、って思ったでしょ」
「お、思ってないよ」
うそ、思ってる。
浅はかな少女像が、墓参りのときからずっと脳裏をちらついていた。
幼なじみ。
きっと、彼が代わりに夢を叶えようとした、あの人だ。入院していたと言っていたけれど、回復したのだろうか。
想像は絶え間なく働くのに、いざ確かめようとはしなかった。どうやらわたしたちは、同じ穴の狢のようだから。
「例の記者会見があった、1週間前くらいかな。幼なじみがね、ひさしぶりに家に遊びに来たんだ。外国に行くからその前にお兄ちゃんに線香上げに来たの。そのとき話していたことが、なんか、忘れられなくて」
――これからまた、世の中が変化していく。“そのとき”にはもう、自分はここにはいないだろうけど。どうか代わりに君が見届けてあげてよ。変化するものの中に、変わらないものがきっとあるから。
――想いは、めぐるんだよ。
一語一句、丁寧に紡がれた言葉に、自然と耳を澄ましている自分がいた。全席埋まった周囲の雑音が遠ざかっていく。
服に線香のにおいがしみついていた。
鼻孔を抜けた残り香が、かつての記憶を刺激する。
わたしも彼の家に線香を上げに行こうとしたことがある。
17の季節を終えようとした、ある日のことだ。
墓参り以降、なかなか足が進まなかったが、その日はなんとなく会いに行ける気がして、学校帰りに出向いたのだった。
しかし、家の前には先客がいた。
スーツ姿の女性と、車椅子の少年だった。どちらも見たことのない顔だった。少年の体格や雰囲気はわたしより幾分か幼く感じた。
家からご両親が出てくると、見知らぬふたりは涙ながらに告げた。
俺のせい、私のせいだと。
ほかにも何か話していたが、よく聞き取れなかった。
車椅子の子どもは泣きじゃくりながらも、どこか芯の鋭い目つきをしていた。それがひどく痛く感じ、わたしは目を逸らした。
結局、線香を上げられなかった。
あのふたりは誰だったのか。今、どこで何をしているのか。
まだ自分を責めているのだろうか。それとも……。
知るよしもない。
「そのときだよきっと! あいつがひまわりの花束を手配したの」
「えっ? 今日持っていったあの花束?」
「そっ! あれ実は、あたしじゃなくて、幼なじみが依頼してくれたんだよ。自分は今年行けないからって。ほんと用意周到だよね」
「そうだったんだ……。いいセンスしてるね」
「だよね、あたしも思った! お兄ちゃんと一緒!」
「ええ?」
「だってそのイヤリング、沙夜ちゃんにすっごく似合ってるもん!」
彼女は自分の耳元を指差し、屈託なく笑う。
なんて言えばわからず、わたしは顔横の髪の毛に指を通した。髪の波に誘われた花びらを、彼女はいとおしげに見守っていた。
彼からの、唯一のプレゼント。
たくさん言葉をくれた彼が、はじめて贈ってくれた、形あるもの。
正確には、彼の妹、彼女から手渡されたものだ。
葬式後、目を腫らした彼女が教えてくれた。
ラッピングされたコレが、兄の机から出てきたのだと。ハッピーバースデーのメッセージカードとともに。
7月31日。
わたしの誕生日。
それがあなたの命日になるなんて何の因果だろう。
プレゼントを用意していたくせに、別れを告げたの? デビューしてから渡すつもりだったの?
バカな人。
やっぱりアイドルには向いてないよ。
わたし、別れたくなかった。
大好きだと、想った。
誰かが欠けても、地球は平気な顔をして回っている。代えはいくらでもいるし、なくても穴はいつか塞がる。諸行無常に時間は過ぎていく。
変わらずにいることのほうが、実はむずかしかったりする。
想いは、めぐる。
本当かな?
わたしのこの気持ちにも、いつか行き場が見つかるだろうか。
もしもあるとするならば……場所はひとつしか思い浮かばなかった。
注文した品が運ばれてきた。二人がけの卓を、花柄の描かれた大皿で埋め尽くす。ほかほかと湯気の立つドリアと、しっかり冷やされたパスタ。
わたしは彼女を真似て髪の毛を上げ、ヘアクリップで留めた。
イヤリングに照明が当たり、ひかえめにほころぶ。
わたしたちは一緒に手を合わせた。




