蛍⑶
2月になり、味気ない街並みは一斉にバレンタインの装飾にくるまれる。厳密に言うと1月から変化はしていたものの、やはり本命の月は威力がちがう。こころなしか人にも物にも赤色が増殖しているし、ハッピーなラブソングをよく耳にする。
テレビ局も例外ではない。入口には真っ赤なハートの風船に囲まれた『1/2』の巨大ポスターが掲示され、番組で使用するのであろう大量のチョコレートが廊下を往来し、とあるスタジオでは長寿音楽番組『ミュージックハウス』のバレンタインスペシャルが収録されている最中だ。
通常より2時間も長いスペシャルバージョンなだけあり、スタジオ内にいる大勢のスタッフは一分一秒を惜しんで動き回っている。そのうちのひとりが、わたしだ。
夕方に『YOURS』の撮影を切り上げ、主演ふたりとそのマネージャーとともにこの現場に入った。
ドラマと音楽番組が同局だという理由だけで、スペシャルにお呼ばれされた。ドラマ主題歌を披露することになっている。
よくある番宣というやつだ。
ただ、バレンタインスペシャルが放送されるころには、ドラマは中盤に差し掛かっている。ゲスト出演するにしては微妙な時期だ。
そもそも主題歌を歌うなら、タイヨウくんだけでいいはずだ。なぜきょうちゃんも特別出演することになったのか。バレンタインスペシャルだから、という理由だけでは少々弱い。
実はほかにも理由はあるのだが……それはさておき。
今日はドラマのほうもスタジオでの撮影だったため、移動は階を下るだけで済んだ。
同じ建物といえど現場が変わると空気感も別物になる。忙しいのは同じだろうに、こちらのほうが時間にシビアに感じた。生歌唱の収録をしていても、観覧がないタイプだからかたいした盛り上がりもなく機械的に進行されていく。
きょうちゃんとタイヨウくんの専属ヘアメイクとして付き添うことになったわたしは、控室に行くと、誰に何を言われたわけでもなくスピード重視でステージ衣装に合ったアレンジを施した。
シンプルな舞台セットをかまえるスタジオ内では、グローバルボーイズグループ『GaoR』のパフォーマンスがちょうど終わったところだった。
元カレが受けたオーディションでデビューしたアイドル。もしかしたら彼もあんなふうになっていたかもしれない。でも結局、彼は審査を突破することもなく、この世からいなくなってしまった。
大スターになった『GaoR』の4人は、きっと、オーディションをともに戦った彼のことを憶えてすらいないだろう。
挨拶する間もなく4人は退場し、入れ替わるようにきょうちゃんとタイヨウくんがカメラ横に待機した。
わたしはぎりぎりまできょうちゃんの顔に手を加える。
会うたびに濃くなる目の下のクマは、とうとういつものコンシーラーでは隠し切れなくなっていた。赤みの強いオレンジのチークをぽんぽんと乗せ、1個1万円もする別のコンシーラーを重ねる。いつものよりワントーン暗く、テクスチャーの硬い液体が、暖かそうなシーツの上を気持ちよく寝そべっていく。
きょうちゃんは気を利かせて天井につるされた照明に視線を飛ばしながら、
「たあくんて、あたしの友だちに似てるかも」
と何気なく話し出す。
スタッフからマイクを2本受け取ったタイヨウくんは、一拍遅れて聞き返した。
「友だちって?」
「今は会わなくなっちゃったけどね、たあくんに似てる子がいたんだよね」
楽しそうに含み笑いしながら、暖房が効く室内でも肌寒そうに両腕をさする。
彼女に用意された衣装は、肉付きのうすい鎖骨を露出させた、ベアトップタイプの純白なドレスだった。ネックラインはハート型にカットされ、ウエストより高い位置から幾層にも重ねられた刺繍の凝ったチュールは、膝小僧まできれいに隠している。
ボリューム感のあるデザインとのバランスを図り、編みこんだ髪の毛に顔のサイズより大きな赤いリボンを巻きつけた。
季節関係なくさらされた彼女の首下に、ぶるりと鳥肌が立つ。
するとタイヨウくんが彼女にもマイクを渡しながら、さりげなく毛布をかけてあげた。マイクと併せて借りていたらしい。
「どこらへんが似ているんですか?」
彼女が礼を言うタイミングも与えず、会話を続ける。
「やさしいとこ!」
彼女は得意げに白い歯を光らせた。虚を衝かれた彼は、照れくさそうに首をすくめた。ふふふ、と吹く彼女の笑い声にくすぐられ、彼の頬肉がしなっていく。
笑うふたりを見ると、心がぽかぽかしてくる。この幸福感はどこか結婚式に参列したときと似ている。
衣装の効果もあるのだろう、彼の衣装は彼女のドレスと対になるようなデザインのセットアップだ。ハートのボタンのついた純白のジャケットに、フリルのラインが入ったストレートパンツ。丸襟には本来赤いネクタイを結ぶ予定だったが、彼女のヘアアクセを踏まえ、チュール素材の赤いリボンに変更してもらった。
かき上げた前髪から、チョコレート色に染めた眉とアイラインが覗いている。
洗練された存在感のあふれるふたりは、どこからどう見てもお似合いだ。
おととい放送されたドラマ第3話でも、ストーリーや演技に対する感想コメントと同じくらい、ふたりの相性や見栄えの良さを褒めちぎる声が多数寄せられた。
バレンタインスペシャルにぴったりのコンビだ。
「あたしの周りにはやさしい人ばっかりだなあ」
上を向いていた彼女の目が、ちらりとわたしを見つめた。
細いブラシを持ったわたしの指が、ドキッと力んでしまう。あぁ、クマをカバーし終えたあとでよかった。
「たあくんに似てる子もね、すごくすごくやさしかったの。あたしが笑うと、一緒に笑ってくれて、ひとしきり笑ったあともその笑みがずっと瞳に残ってる子だった。あたしがだめだめなときは、ずっとそばで支えてくれたんだ。……大好きだったなあ」
深みのある声色に、今も割り切れずにいる大きな信頼や愛情を切に感じ取れた。
「その子がいたから、あたしは今女優としてやれてるんだと思う」
「同業の方なんですか?」
「元だけどね。もう引退しちゃった」
「ああ……そうなんですね」
セットの上で照明が色を変える。皮膚の下に流れる血を抜かれるようだった。
ハイライトを濃いめに入れ直したばかりの彼女の顔が、白飛びしてしまう。
「いい人だから、いなくなっちゃったのかな」
「え?」
「いい人のほうがすぐどこかに消えちゃう気がしない? あたしだけかな」
「……いえ、わかります。どうしてでしょうね」
わたしは手先に集中しながら、口が乾燥していくのをまざまざと感じていた。唇の皮が突っ張り、口内は飢え、喉元まで出かかった言葉が干からびていく。
空調が壊れたのだろうか、じっとりとした熱気が肌に貼りつき、忌まわしき残暑を思い出させた。
ブラシの先端に余ったパール入りの粉が、鈍く反射しながら落ちていく。粒子が細かく、すぐに目で追えなくなった。
スタッフから声がかかった。ついに出番だ。
きょうちゃんは肩にかけていた毛布をわたしに預けた。
タイヨウくんが先にステージに上がる。あとに続くきょうちゃんに「段差に気を付けてくださいね」とやさしく注意した。
簡素なセットにふたりが並ぶと、最先端技術によりバレンタイン仕様の内装を投影された。白い床とチョコレート柄の壁。ハートの風船や3段の特大ケーキは、3Dで飛び出して見える。
すごい……。ハッピーバレンタイン……というか、本当にウェディングみたい……。
用意周到な舞台セットとは裏腹に、リハーサルは必要最低限に行われた。
本当は午前中に本番想定の準備がなされていたのだが、ふたりはドラマの撮影に追われ参加できなかった。時間の押している今、念入りに確認している余裕もない。ほぼ一発勝負のようなものだ。
進行の流れをざっくりとおさらいし、まずはトークコーナーの撮影に入る。ディレクターがキューを出すと、司会役の女性アナウンサーがカメラ目線でマイクを握る。
「お次は、なんと、今季大注目のドラマ『YOURS』よりこちらのおふたりが駆けつけてくれました!」
「はじめまして、タイヨウです」
「今日華です。よろしくお願いしまあす」
アナウンサーの左手に立つふたりは、寄りのカメラに向けて手を振る。
「ドラマ1話から観てます。ファンです!」
「え~ありがとうございます~!」
「それぞれ人生の壁にぶつかり、思い悩む姿がとても印象的で。共感してずっと泣いていました」
昼休みのようにドラマの話をしつつ、本筋の曲紹介に移る。
「今回はそんな『YOURS』の主題歌『and me』を披露していただきます」
タイヨウくんに話を振り、楽曲について深掘りしていく。こめられた意味、キーポイント、レコーディングの裏話。放送で使えそうな初出し情報も出たところで、カメラ横のタイムキーパーが合図を出す。アナウンサーがただちに「しかも!」と会話の軌道を変えた。
「バレンタインスペシャルに合わせて、もう1曲特別にご用意してくださったとか」
「はい、『チョコレートマジック』というこの季節にぴったりの新曲です!」
「その曲といえば、今日華さんがイメージキャラクターを務める『チヨ子』の新CMソングですよね?」
きょうちゃんにもオファーがあった理由は、ずばりこれだ。
一流企業として名高いチョコレートメーカー・株式会社チヨ子の14代目イメージキャラクターに就任した彼女は、つい先週解禁されたばかりのバレンタインCMに出演している。「わたしにとびきり甘い日」というキャッチコピーの下、自分へのごほうびチョコをテーマにしたCMだ。
それを機に一新されたイメージソングは、タイヨウくんが担当することになり、ドラマ外でのふたりのコラボ、しかもバレンタインという特別なシチュエーションに、SNSではファンや視聴者の反響が凄まじかった。チヨ子のCMは毎年トレンディで定評があるが、今年はいつにも増して騒がれており、売上は早くも目標を達成したらしい。
「今回はスペシャルということで、あたしも一緒に『チョコレートマジック』を歌わせていただきます」
「なんて豪華なデュエットなんでしょう! ステージがとても楽しみです!」
トークコーナーに区切りをつけ、一旦きょうちゃんとアナウンサーが捌ける。
セットに残ったタイヨウくんは、パフォーマンスのスタンバイをする。彼専用のイヤモニを耳にはめこみ、首を回しながら小さくハミングする。
指定された立ち位置についた瞬間、すべての照明が彼に集められた。
たちまち静寂が広がっていく。
カウントダウンのあと、しっとりとしたイントロが奏で出した。スローテンポなリズムを長い足が優雅に率いる。身軽に回ると、ぱたりと音色が途切れた。
「And me」
マイクに寄せたささやき声が、スタジオによくとおる。
すぐにピアノの音があふれた。ギター、ベース、ドラムとどんどん音が厚くなっていく。渦巻くハーモニーに、喜怒哀楽を順に織り込まれた詞が紡がれる。歌声も踊りも感情豊かでわかりやすく、ドラマ撮影のときのように誘引されていく。
明るいだけの曲ではないのに、わたしは自然と笑みを浮かべていた。周りのスタッフもこころなしか表情が和らいでいる。
彼の目がカメラを捉えて離さない。ついに無機物まで惹きつけられてしまったのかと思った。
ロマンチックなムードを漂わせながらラスサビが締まると、ひと呼吸おき、人が変わったようにドラムがダダダダダと走り抜けた。ポップなロックナンバー、『チョコレートマジック』の始まりだ。
2月14日の結婚式会場のようなステージに、花嫁を思わせる可憐なきょうちゃんが登壇する。
彼女を隣に迎えたタイヨウくんは、キレキレなダンスは封印し、彼女とワンフレーズずつ交代で歌っていく。テレビで歌うのははじめてだという彼女をリードし、彼の歌い方が『and me』に比べてメロウでやさしくなる。
サビでは彼女の地声の高さを活かし、うららかなソプラノが高鳴る。さらに、CMで話題になった「ちょこっとダンス」という誰でも真似できるキャッチーな振付を、ふたりで一緒に踊った。
ぽんぽん弾ける音色に合わせ、宙にハートを描く振りをしたらマジックは成功。
「はい、OKでーす!」
キュートな笑顔のふたりを最後にカメラが止められた。ぱらぱらと拍手が起こる。
ふたりは挨拶しながらセットから降りていく。すでに次の出演者、シンガーソングライターの夏凪音が待機していた。
スタッフが開けた扉を、わたしが先陣を切って通り過ぎる。振り返り、ふたりをうかがう。
「今日華ちゃん、タイヨウくん、こっち――」
バタン。
乾いた音が、スタジオと廊下の境界線上に降った。
忙しなく回る時間が、一瞬、たしかに止まった。
「……え……?」
わたしの足元に、靴のサイズを上回る真っ赤なリボンが転がっていた。
廊下の汚れを秘し隠す、潔白なドレス、傷み知らずな髪の毛。
光を浴びすぎた白い顔が、そこで眠っている。
「き、今日華、ちゃん……?」
「……」
「今日華ちゃん……。ねえ、きょうちゃっ」
「……」
突然倒れた彼女に駆け寄り、何度も何度も呼びかける。だが返ってくるのは、浅い呼吸音だけだった。
ついさっきまで笑っていた顔は、魂を抜かれたように血の気がまったくといっていいほどない。
息の詰まる無風のなか、どこからか悲鳴がつんざいた気がした。わたしには何もわからなかった。
徐々に視界が狭まっていく。鼓動が逸り、胸骨を圧迫される。
床に落ちた細い腕に、手を伸ばす。ちょんと触れただけで指先が凍りつき、とっさに手を引っこめた。
カラカラな喉を絞り、不規則に息を吐きながら、意識のない彼女の名前を心の中でひたすら唱え続けた。
――ごめん沙夜、別れよう。
あれ? 誰の名前を言っているのか、判断つかなくなっていく。
愛する彼がいなくなったのも、突然だった。
事件ではなく事故だと、それだけ聞いた。いや、ほかにも聞いたかもしれないが、あまり覚えていない。
彼もこんなふうに倒れたのだろうか。
前触れもなく、いきなり、誰かの目の前で。
さよならも言えずに。
目が霞んでだんだん見えなくなる。顔をはっきり認識できない。
おかしいな。ちゃんとメイクをしているのに、ふつうにしていられない。
わたし、全然きれいにできない。
――ごめん。ごめんな。
やめて。
怖い。
怖い。
目のきわがぬるみ、まつ毛のカールが取れていく。
右の耳たぶを強く引っ掻き、目元の熱を分散させた。イヤリングの金具に爪を食われる。
どうしてだろう、今つらいのはぜったいわたしじゃないのに。そんなことわかっているのに。
痛くてたまらない。
そのとき。
ふわり、と風が起こった。
うすっぺらい花びらが、髪の下でくるくるさすらう。
チュールのめくれたドレスに、同色のジャケットが覆いかぶさった。
「前、失礼します」
シャツ一枚になったタイヨウくんが、そっとわたしをうしろに下がらせた。横たわる彼女の容態を診たあと、ぐったりと伸びた首と折れ曲がった膝に腕をくぐらせ、慎重に持ち上げた。ジャケットはずり落ちることなく彼女の下腹部を守っている。
「仮眠室に連れていきます。どなたか救急車を呼んでおいてください」
誰にともなく告げ、颯爽と歩きだす。
騒然としたスタジオ内から彼らのマネージャーが飛び出し、追いかけていく。
遠ざかる背中を、わたしは茫然と眺めた。
広がる毛穴にファンデーションが入っていくのを感じ、脳が飛び起きた。
あわてて立ち上がったが、とうに彼らの姿は見えない。彼の言葉を思い出し、仮眠室へ急いだ。




