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あいつが前世を愛さずとも  作者: 甘
彼について
15/49

蛍⑵



ロケバスで横浜にある公園に来た。


移動中に顔見知りのメイクさんからおすすめのマスカラを借り、手早く目元を修繕しておいた。さっきよりやや派手になり、気持ちも高まった、ような気がする。


マネージャーの車に乗ってきた主演ふたりも遅れて到着した。



撮影は公園の奥まったところにある小さな丘で行われる。外灯や緑が少なく、どこか寂しげな丘は、人どころか生物の気配すら感じなかった。頂上には一本の大木が番人のように腰を据え、裸の枝を各方位にめぐらせている。


枯れ葉のたまる木の下に、ロケバスで衣装を替えた主演ふたりが立つと、息を吹き返したように大木がさざめいた。



ここでの撮影は、ふたりの掛け合いが多い。


まず挑むのは、テレビ局前で撮影した場面の前にくる、第5話のワンシーン。


きょうちゃん演じるカホが、窮屈な社長令嬢の生活をはじめて他人(ヒト)に吐露する。




「他人の目を気にして、ちょっとした言動にも気を張って。それがふつうなの。ふつうにこなすあたしが、本当のあたしじゃなきゃいけないの」




彼女が台本片手にセリフを口にする。


それを聞いたエイジは励ましをこめて絵を描く。それが偶然デザイナーの目に留まり、公共の場に掲示されることになる。そうして先ほど撮影した場面につながるのだが……。


カホが一歩進むために必要な“きっかけ”であり、ドラマをドラマたらしめる見せ場のひとつ。


監督は腕を鳴らし、何度もリハーサルを重ねる。技術チェックもかねて、本番さながらの緊張感で場面を再現していく。




「ふつうにこなすあたしが、本当のあたしじゃなきゃ……」


「今日華、そこさ」


「は、はい」


「もう少し、なんつうの? 内と外の葛藤みたいなの見せられる?」


「内と外、ですか」


「そうそう。今のカホは、プレッシャーでぺちゃんこって感じ。でも、プレッシャー程度なら今までもあったでしょ。じゃあなんで爆発しちゃったの?」


「はじめて親に意見してみたけど、ビンタされちゃったから……」


「うん、そうだね。カホはもう限界だよね。でも日常からは逃げらんない。それでこのセリフよ」




もう一回頭からいこう、と監督が台本を1ページ前に戻す。


動きを合わせてストーリーを追っていく。


そしてきょうちゃんは、八つ当たりするように言った。




「ふつうにこなすあたしが……」


「うーん、もっかい」




けれどまた同じところでストップがかかる。


葛藤がもっと見たいという監督に、ニュアンスを変えて繰り返してみるが、なかなかしっくりこない。


見かねたタイヨウくんが、労いの言葉をかけた。




「今日華さんの役どころ、難しいですよね」


「うん……」




彼女は台本とにらめっこしながら、だんだん肩を下げていく。肩の丸みに寄り添うように髪の束が流れ落ちた。


リハが中断されているうちに、わたしは彼女のそばに駆け寄り、髪の毛を手直しする。熱が冷めて跳ねた毛先は梳かすだけにし、全体にミストを吹きかけ、外気のダメージを抑えた。




「演じてると、カホの気持ちが迷子になっていく感じがするの。両親を自分勝手に感じることもあれば、ただ過保護なだけにも見えて、あたしの主観がどんどん混じってく。だめなのに……あたしはカホにならなきゃなのに」




ポカポカと自分で自分の頭を小突く。また髪が乱れていき、わたしはそっと指先で撫でた。


タイヨウくんは眉根を寄せ、考える素振りを見せる。




「愛って何なんでしょうね」


「え?」


「世間の目ばかり気にして、過大な期待を寄せて。反発したら、親不孝者だって怒って。誰の、何のために、親をやっているんでしょう」




そう言っておもむろに大木を見上げた。低い空に届きそうな枝の先で、まだ生き残っていた葉が身悶えている。三角のような、ダイヤのような。穴がぼこぼこに空き、理不尽に変形し、それでも必死に食らいついている。




「どう生きるかは、自分で決めることなのに」




すぐ近くにいるのに、一瞬、誰の声かわからなくなるくらいくぐもって聞こえた。


エイジの心の叫びだったのかもしれない。


エイジも悩みを抱えている。カホと同じようでちがう悩みを。


悩みの終着点には、先人たちの敷いたレールもあれば、未知なる洞窟もある。どう生きていくのか。進むには自分の足しかない。




――ごめん沙夜、別れよう。




不意を突いてよぎった声に、耳がびくりと痙攣した。小さな花の飾りが首筋をかすめ、冷や汗が伝う。


心拍数が上がっていく。



どうして、今……。


あぁ、でも、そうか。


あれも彼の決めた生き方だった。


わたしが否定できるはずがなかったんだ。


わたしたちは恋人だったけど、他人だった。


他人だったから、好きだった。


理解したかった。



塗り直したばかりのまつ毛は、上を向いたまま固定されている。ほっとした。あとでどこのブランドのものか聞いておこう。


その隣できょうちゃんが、そっか、そうだよね、なるほど、としみじみと反すうしていた。何かをつかんだのか、台本に書きこみし始める。顔つきが晴れていく。


監督に促され、ひらめきを実演すると、ついにグッドサインが出された。シーンの解像度が高まり、その後のセリフも途切れることなく紡がれた。



実際にカメラを回し、最後のテストに移る。


今にもちぎれそうな雲の下、伸ばされた細長いホースが、勢いよく水しぶきを噴射する。台本に従った雨の演出だ。


大木の先端に難なく届けられたオアシスは、ひとたび地面に落ちれば、陰鬱とした湿気を充満させる。


きょうちゃんの髪に荒波が立っていく。


傘の代わりにもならない大木を境目に、主演ふたりは雨に打たれながら向かい合った。




「毎日ね、アイロンしないとすぐくるくるになっちゃうし、人より何倍も勉強しないといい点とれない。他人の目を気にして、ちょっとした言動にも気を張って……それがふつうなの」




カホの面をした彼女は、収集つかない髪を憎らしくつかんだ。容赦なく雨をかぶった髪は、泥のように色を鈍らせ、わしづかみにした手に重たくのしかかる。鼻筋をひと粒の雫が下っていった。




「ふつうにこなすあたしが、本当のあたしじゃなきゃいけないの」




自分に言い聞かせるように笑って告げられた。足元を見つめ、縫い留めた唇を精一杯引き上げている。


わたしも鎧がなければ、あんなふうな表情をしていただろう。


心から笑えない。あきらめきれない。苦しい。でも。思い描いていた世界じゃなくても、平気なふりして笑うの。


これからどうするかとか、ふつうじゃないとか、考えたくないから。


カホはお嬢様である自分を鎧に仕立て、強がるしかなかった。




「あたしの意思は、必要とされてない」


「そんなこと……」


「……っ」




彼女は聞く耳を持たず、かぶりを振る。不透明な水滴が飛び散った。




「僕の見てきたカホは、偽物なの?」




それでもエイジの声音はどこまでもやさしくて、彼女の瞳が弱々しく揺らめいた。しかしぐっと力を入れて視界を遮断し、彼の横を通り過ぎていく。


頼りない足取りで丘を下りると、パンッ! と監督が手を叩いた。テキパキと指示が飛ぶ。時間をさかのぼるように本番の場がしつらえられた。


わたしは急いできょうちゃんの前髪だけを整えた。額にぺたりとはりついた髪の毛を、コームを使って左右に分けていく。毛先からぽつりと滴った水が、唇の色を冷ややかにぼかした。







本番は一発OK。


昼休憩、の前に。


主演ふたりを濡れたままにしておくわけにはいかない。


一度ロケバスに戻り、わたしを含むヘアメイク担当がドライヤーを当てる。わたしは温風と冷風を使い分けながら、きょうちゃんの髪を乾かした。


ふわふわの手触り。パーマの癖が復活し、首回りで軽やかに躍る。ミストタイプのトリートメントが守ってくれたのか、天使の輪は健在だ。


きょうちゃんは髪をわちゃわちゃ煽られながら、膝の上に台本を乗せて読みふけっている。と思っていたが、実際はうたた寝していたようで、ドライヤーを切った途端、あくびをごまかすようにかわいらしいうなり声を上げた。




「ふはああ~むずいよ~」


「今日華さんなら大丈夫ですよ! 演技うまいじゃないですか!」




背中合わせで髪を整えてもらっているタイヨウくんは、さっきまでびしょ濡れだったのに誰よりも元気に笑っている。




「たあくんも演技上手じゃん。何か特別なことしてるの?」


「僕ですか? ええ、そうですね……」




つんとすぼめられた彼女の口に、わたしはここぞとばかりにワセリン入りの保護クリームを塗る。


うしろでワックスをしみこませられている彼は、丸い鏡をふちどる照明をじっと見つめながら考え込む。




「自分を、殺す」




するりと口をついて出た言葉があまりに物騒で、わたしは思わず手を止めた。




「って、教わったんです。先生みたいな、友だちみたいな人に。そしたら何者にでもなれるからって」




お風呂あがりかのようなさっぱりとした口調で続けられた。


わたしは気を取り直し、美容液のスプレーをパフにかける。わあっかっこいー、と盛り上がる彼女の肌に、パフを当てて保湿する。




「でもどうやって? 難易度高くない?」


「人によってそれぞれだと思いますけど……僕の場合は、イメージですね。自分の身体に、他人の心臓が入っていくのを想像するんです」


「ええ〜何それ」


「最初は違和感すらまともに働かないんですけど、だんだん重さとか動きとか自分とのちがいがわかってきて、それを当然のように受け入れられるようになるんです。そうすればもう大丈夫。自分の感覚が消えて、別の感覚に支配されているということですから」




新人とは思えない具体的な説明に、わたしは少し怖くなる。


きょうちゃんは説明を咀嚼しながら、頭上にクエスチョンマークを浮かべている。




「あくまで僕の場合は、ですが」




前髪を分け目で流した彼は、やんわりとそう繰り返す。


そんな彼が主軸となる撮影が、午後一番に控えている。


第7話に使われる、エイジの病にまつわるシーンだ。これもまた物語の展開を突き動かす、大事な見せ場に該当する。



昼休憩後に丘に行くと、すっかり水気のなくなった木の根元に、スケッチブックの画用紙が乱雑にちらばっていた。そのうちの数枚にはそれぞれちがう絵が描かれている。鉛筆で模写された家族写真、アクリル絵の具で染められた丘の上の景色、描きかけのカホの横顔。広告のデザインを手がけた芸術家(アーティスト)に依頼して用意したものだ。


画用紙が風に吹かれないようスタッフが手で押さえながら、セリフの言い回しやカメラの画角を確かめていく。


思いのほか演技のダメ出しはなかった。きょうちゃんはひらめきを受けてから調子を上げていて、タイヨウくんに至ってはそつなくこなしすぎて監督にスルーされるほどだ。さっきロケバスで話していた自分なりのメソッドが、うまくハマっている証拠だろう。


予定より10分も早く本番を迎えた。




「本番! よーい……」




号令のかかる直前、タイヨウくんの足がネジを外したようにがたついた。




「アクション!」


「――エイジくん!?」




突然よろめいた体は、タイヨウくん、ではなく、すでにエイジのものだ。迫真の演技に、監督の口元がにやけている。



空を裂く、彼の首元を彩る赤チェックのマフラー。


前に傾く彼の肩を、カホがとっさに支える。



学校終わり、パーマヘアのままで登校したことを報告がてら他愛ない話をし、ちょうど今帰ろうとしていたところだった。しかし、いきなり彼の平衡感覚が崩れ、帰るに帰れなくなってしまう。


談笑中に彼から見せてもらったスケッチブックが、倒れた拍子に落下した、という台本のとおり、あらかじめ地面に広げられた数枚の画用紙が、無情にも彼の足場を狭めている。


真っ白な画用紙の上に彼がひざをついたのは不幸中の幸いだろうか。もちろん偶然ではないのだけれど。




「エイジくん……?」




カホはおそるおそる彼の顔を覗きこむ。


うっすら開けた彼の瞳は、いっこうに彼女を捉えない。


彼は生唾を飲みこみ、できるだけ深く呼吸することを意識していた。


ときおり目を細め、開閉し、辺りに泳がせながら、ためらいがちに手を伸ばしていく。自分の肩を抱く華奢な腕にたどりつくと、彼はやっと彼女の顔に目を向けた。




「エイジ、くん……」


「大丈夫。大丈夫だよ」


「でも……」




そんなことを言われても、信じられるはずがない。


たしかに彼は彼女を見ている。


けれど、焦点が合っていないのだ。




「大丈夫」




異変を誰よりも感じていながら、彼は頑なに言い続けた。




「予兆が来ただけだ」




そう、それが彼の悩みの種である病気。日に日に目の神経が衰え、失明していく病だ。


今はかろうじて輪郭は見えているが、やがて暗闇が訪れる。


いつか失われてしまうならいっそ今のうちに自分の世界を記録しておこうと考えた彼は、自分が感じるがままに形にできる絵画を描き始めた。色鮮やかな記憶の海を残しておきたかった。あわよくば誰かに憶えていてほしかった。



病は治らない。着実に神経を蝕んでいる。


彼は視界のすべてをスケッチブックに起こしながら、ずっと、こんな日が来ることを覚悟していた。




「大丈夫」


「……ほんとうに?」




覚悟、していたはずなのに、なぜだろう。




「うん、大丈夫」


「嘘つき」


「本当だよ」


「だって、エイジくん……」


「お願い。……大丈夫って、言って」




彼の歪んだ両目には、涙がたたえられていた。


誰かに――カホに、絵を見てもらいたかった。ふたり一緒にいる景色を、もっと見ていたかった。


彼女と出会ってから募っていった欲に、覚悟はたやすく揺らいでしまった。


怖くて目も閉じられない。


そんな彼に、彼女は下唇を噛みしめ、ただ強く抱きしめた。それしかできなかった。




「はいっ、カット!」




監督のかけ声に、わたしは我に返る。


リハと変わらない構成、今後の展開も把握済みにもかかわらず、いつの間にか、つつけば壊れかねないガラス玉のような空気に囚われていた。


カチンと交わる拍子木の音波でガラス玉は消滅し、きらきら輝く少年少女が帰ってくる。


周りから称賛の声が相次ぎ、あちらこちらで白い息が蒸気のように立ちのぼる。


屈託のない笑顔を向けるタイヨウくんに、わたしは拍手をしながらも、心のどこかではうっすらと違和感を抱いていた。あの笑顔は本物だろうか。大丈夫になったのだろうか。……いや、さすがに演技に引きずられすぎている。


彼の言葉を借りるならば、彼は殺されていた。そして生き返った。彼は、不死身なのだ。


生まれつき器用なのだろう。うらやましく思った。



熱量が高まっているうちに、サイズやフォーカスを変えた短いカットを手早くおさめていく。落っこちるスケッチブック、一枚一枚の絵、視界のくらむエイジの表情、動揺を隠せないカホの瞳孔。その一瞬一瞬を継ぎ接ぎして完成した映像を、わたしは家で観られるだろうか。


録画したままためていく末路を想像し、寒々しく鼻をすすった。



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