#2 ポラロイド⑵
その後、3人の少年をメイクアップし、ひと区切りついた。
時刻は正午を過ぎていた。
予定どおり約4時間もの間、神経をすり減らしたスタッフたちは、少年たちがいなくなった途端、ぐったりと倒れこむように全身を脱力させた。腹の虫が合唱する。
支給された焼肉弁当を食べ、緑茶を飲み、体内に栄養を送り届ける。
峠は越えたものの、仕事はまだ終わりじゃない。午後にも大事な任務が待っている。今のうちに体力を回復させた。
1時間半の休憩を終えると、番組スタッフから招集がかかった。
劇場前にある売店に、ヘアメイク・スタイリストのスタッフ全員が集まる。半分は舞台袖に、半分は客席に案内された。
舞台袖では化粧直しや最終調整をし、客席では雑誌関係者目線で評価に参加することになっている。人員の分け方は今朝の時点ですでに決められていた。控室でのメンバーを基に分けたのだろう。
わたしと柳先輩は階段をのぼり、明るく点灯された客席に入った。
緞帳の下りたステージが一望できる、2階席の最前列が雑誌関係者で埋まっていく。
わたしは運よく真ん中の席になり、ステージ全体を偏りなく見渡せた。
列の両端では、カメラマンと番組スタッフが打ち合わせをしている。
1階で駆けまわる番組スタッフを目で追いかければ、ここからでは見えない後方へ姿が消えていった。
おそらく、この下には、噂の監督が待機している。公式サイトを拝見した限り、世界でも名の知れている方ばかりだった。
わたしは、今、大御所の方々よりも物理的に高い位置にいる。その事実すらも恐れ多く感じ、足がすくんだ。
番組スタッフがアンケート用紙とボールペンを配布した。アンケート用紙にはオーディション参加者40名の名前がずらりと並び、その横には各項目に対する点数とコメントを書く欄が続いている。
評価はあくまで午前の下準備を抜きにし、ステージ上での一部始終で見定める。とはいえ、スタイリングを手伝った子には思い入れがあり、贔屓目で見てしまうのは仕方のないことだ。
人間だもの、心を完全に制御できることはできない。
できていたら、もっと楽に生きていられた。
「撮影始めます!」
1階席の最前列から響いた合図を皮切りに、明かりが落とされる。
辺りはしじまに包まれた。
緞帳に描かれた宇宙が、ブラックホールに吸い込まれるように仕舞われていく。
暗闇のなか、黄色い輝きが広がった。
「わああ……!」
隣の席に座る先輩が、感嘆の声を上げた。
目の前にあるのは、満開のひまわり畑だ。
舞台の端から端までひまわりで埋め尽くされている。
ここが劇場であることも、今が5月であることも、忘れてしまいそうだ。息をのむと、丘の上にいるような澄み渡る香りであふれた。
業務の説明を受けたとき、2次審査の詳細に伴い、舞台セットについての参考資料を見させてもらった。だが、やはり、資料に載っていた写真と実物はちがう。想像以上の迫力だ。
少なくとも50本はあるであろうひまわりは、すべて造花であり、漂う香りは演出に過ぎない。
けれど、花は1本ずつ色味や質感が異なり、香りは次第に青々とした爽快さを増している。つくりものとは到底思えない。
耳元でかすかに、花のチャームの振れた音がした。騒がしい鼓動にあっけなくかき消される。
舞台袖から人影が出てきた。センターに立つと、スポットライトが当たる。
「こんにちは、『1/2』のミノリです」
番組MCである国民的アイドルの登場に、周りから悲鳴のような歓声が噴く。
大きなフリルの連なるブラウスを装う彼は、まばゆい花々をブーケにして束ねてしまえそうな長いレースのリボンを胸元に飾っていた。
「本日ついに、2次審査が執り行われます。単純な実力を測った1次審査からステップアップし、今回は自己理解および自己表現の問われる審査です。映像としてだけでなく、一枚の写真としても心惹かれるステージをつくってください」
フラットな声がマイクに乗る。
「では、審査スタート! ……と、その前に」
つと彼は上手を見やった。
空いている左手をひらひらと振りながら舞台袖に向けると、黒い革靴が板を鳴らした。
「2次審査には、なんと、私の相棒が駆けつけてくれました!」
「いつもうちのミノリがお世話になってます。相棒のナユです。よろしくお願いします」
『1/2』がそろった……!
2階席はさっきとは桁違いの興奮に埋もれた。
ヨーロッパ系の上品な顔立ちをしたミノリの隣に、目鼻立ちのはっきりした精悍なナユが立つ。ナユの衣装はミノリと色ちがいで、さながら『1/2』のライブのようだった。
2個下のナユをミノリが愛猫のようにかわいがっていることは、ファンでなくても知られている話だ。今日も今日とて、でろでろにとろけた表情で相棒自慢している。
「ナユはアイドルの傍ら、オリジナルヴィンテージブランド『浪漫堂』の運営をしたり、アートディレクターとしてアルバムジャケットやアパレル広告を手掛けたり、芸能カルチャーの第一線で活躍しているんです! すごいでしょう?」
この衣装も『浪漫堂』の提供なんです! とミノリは身をひるがえす。胸元のリボンがしゃらんと舞い踊った。
「俺のことはいいから」
「いいや! まだまだ言い足りないよ!」
「ええと、時間が押しているそうなので、相棒を回収して審査に移ります。失礼しました」
ナユはカンペを一瞥し、ミノリの代わりに手早く司会進行を済ませた。1階席から悠然とした笑い声が聞こえてくる。不満げなミノリはナユに引きずられ、一緒に下手にはけていく。
スポットライトが消えた。数十秒後、ふたたび点く。そこにいるのは黒髪の少年だ。
「1番、シズ。お願いします」
モータースポーツで使われるスタートシグナルが、場内全体にこだまする。
そして、2次審査が幕を開けた。
ひまわり畑のステージで、ひとり3分間、好きなようにパフォーマンスする。
手本も定石もない。自分の個性とアイデアを信じて勝負するのみ。
さすが『オンステージ』に生き残っている原石なだけあり、同じ環境下でもひとつとして同じステージはなかった。
しかし、原石ゆえの未熟さが随所に見受けられることもまた事実だった。
まったく同じステージはない。が、似通っているステージは山ほどある。
笑顔で決めポーズを取る。定番の夏ソングを歌う。元気でポップなダンスをする。ひまわりを持って甘いセリフを言う。たいていその4パターンのどれかだった。
けっして悪いことではないし、すべてにちがった良さがある。けれど似た構成はだんだんと観客を退屈させる。
カップ麺の湯で時間が早く感じるときと、遅く感じるときがある。仕事の連絡を返したりドラマの最新話を追っているとすぐにタイマーが鳴り、ただぼうっと待ったり興味のないCMが流れたりすると1秒1秒がじれったくなる。
それと一緒だ。
パターン化されたステージのときは、最後の1分がなかなか進まない。
睡魔を追っ払いながら、アンケート用紙を記入していく。
参加者の半分が過ぎた。
目を見張ったステージは、片手で足りるほどだ。
クオリティーの高いフリーダンス、ダイナミックなアクロバット、ギミックの効いた小芝居。どれもオリジナリティに長け、続きが見たくなった。
だけど、まだ物足りない。
舞台セットとスタイリングが、十分に活かしきれていない。
ひまわり畑である理由。身なりにこめられた意味。それらが明確に伝わってこない。
裏で全力を尽くした身としては、少し悲しくなる。
もちろん、主役は少年たちだし、パフォーマンスを軸にプランニングしていることはわかっている。
だけど、わたしは、舞台上のすべてが一体化する景色が見てみたい。
雑誌撮影の現場では、用意されたコーデに合わせヘアメイクをし、モデルが魅力を引き立てる。ひとつひとつが相乗効果を生み出し、満場一致の一枚ができあがる。
全員で感動と達成感をわかち合い、日本全国に届けられた一枚は、販売部数や服の売れ行き、モデルのフォロワー数など、目に見える形で還元されていく。
この世界はそうして回っている。
わたしたちはただの傍観者ではいられない。
足腰が鉛のように重たくなった。焼肉弁当や緑茶でごまかしていた疲労が、また暴れだす。
椅子の背もたれに寄りかかった。包容力のある素材がたやすく体重を受け止めてくれる。
ブザーのような音が長くうなった。3分経過した知らせだ。
暗くなった壇上に、新たなシルエットが浮かぶ。
「29番、エイです。お願いします」
照明に紹介された姿に、わたしと先輩はほぼ同時に顔を見合わせた。
午前にメイクを担当したうちのひとり、ステージ映えするメイクを依頼してきた少年だ。
はじめ女の子かと見間違えたくらい甘美な顔をしていた。セーラー服をアレンジした衣装と相まって、かわいらしい雰囲気がある。
曲線的なパーツに沿って、気持ち濃いめに暖色を重ねた。
夏の野外ライブをイメージしたプランを考えていると聞いた先輩は、アイメイクに遊び心を取り入れた。ラメたっぷりのアイシャドウはアイホールをはみだし、こめかみ近くまでちりばめ、白のアイライナーで目尻から伸びるように花の模様を描いた。
残念ながら2階席からでは細かなデザインまで見えないが、派手やかな彩りは絶妙に溶けこみ、ひまわりの大群に囲まれていても全然負けていない。
彼は自前のギターを担いでいた。
野外ライブをするように歌うのだと、控室で言っていたことを思い出す。
事前にチェックしたオープニングステージのMVでは、ソロパートの一番手を任され、ラスサビではセンターにいた。参加者随一の実力者なのだろう。ギター演奏が初出しかどうかはわからないが、うまくいけばデビュー候補のトップランナーになれる。
高まる期待のなか、スタートの音が張り切って通過する。
少年は小さく体を踊らせながらギターを奏でた。
ジャンジャン、と弦が規則的に跳ねる。我慢できなくなったように詩を口ずさむ。
聴いたことのない歌だった。
「ねえ、これ、あの子が作詞作曲したのかな」
先輩がこそっと耳打ちしてきた。
歌詞をよく聴いてみると、「夢」や「ステージ」や「ひまわり」など偶然とは思えない共通点がたびたび登場していた。
彼はうまく歌おうせず、気持ちのままに声を出した。息の吸う音がはっきりマイクに乗る。生ライブ感をひしひしと感じ取った。
楽しそうな音色ではぐらかすように紡がれた切実さに、みるみる心が引っ張られていく。
間奏でリズムが激しくなり、ふわふわにセットした髪の毛が弾んだ。周りのひまわりが音の振動で揺れていく。だんだんとひまわりも観客の一部に見えてきた。
彼のワンマンライブは、大成功だ。
ジャッジャーン! とギターをかき鳴らした直後、ブザーが終了を知らせる。時間管理までばっちりだ。
「どうもありがとうございましたー!」
彼はすっきりした顔で一礼した。惜しみない拍手が送られる。
陽の落ちたステージから彼の姿が見えなくなると、誰も何も言わず、アンケート用紙にペンを走らせた。受験会場さながらの筆圧と音。コメント欄に感想が入りきらない。
大満足のステージだった。
次にパフォーマンスする人に、少し同情する。否が応でも比較され、下手をすれば本来の評価より下に見られてしまうのだから。
打開するには、さっきよりも感動的なステージをするほかない。
今までで一番と言っていいほど盛り上がったエイくんのステージを、そう簡単に上回ることができるとは思えないが。
どこか生ぬるい室温の劇場に、あどけない少年が光を連れて躍り出た。
「あっ、タイヨウくんだ」
先輩がうれしそうにつぶやく。
ここで彼か……。
わたしは鳥肌の引いた腕をさすった。
「30番、タイヨウです。お願いします!」
彼にもさっきの拍手喝采が聞こえていただろうに、気負った様子は一切見受けられなかった。控室にいたときとなんら変わらず、楽々と笑えている。
……大丈夫だろうか。
なぜかわたしのほうが緊張してきた。
彼の3分間が始まる。
一旦袖に戻った彼は、開演するや舞台上に駆けてきた。
真ん中で立ち止まり、息を整えながら腕時計を見る。ほっと首を垂らす。
一面を占めるひまわりを見渡した。風が吹いたように、無造作にセットされた前髪が流れる。
自分よりも背の低いひまわりを覗きこむ。匂いを嗅ぎ、いまいちだったのか、渋い顔をする。ぷっと噴き出し、胸を反らすように開けた花弁をつついた。
セリフのない演技が続く。
ふつうにうまい。動きだけでも滞りなく表現が伝わる。
パターン化されているステージと比べ、発想がおもしろく、新鮮味がある。
しかし、案の定、疾走感のあるライブを経験したあとでは、どうしても平凡に見えた。他愛のない日常を演じているから、よけいにそう感じるのだろう。
彼は誰かを待っていた。
ちょくちょく顔が左右に振れ、視線も花の上を移ろっている。ひまわりにちょっかいをかけることにも飽き、長い手足をもてあます。
あのそわそわした感じ、十中八九デートだ。
17歳の青春をまさしく体現している。
あぁ、惜しい。
順番さえちがっていれば、それなりにいい評価をもらっていたかもしれないのに。
時の流れがゆるやかに鈍くなる。
彼の待ち人はいまだ来ず。
待ち時間は彼にとっても退屈なようで、形容しがたい気まずさがあった。
観客の意識がそぞろになっていく。
気づけば、彼から笑顔がなくなっていた。
憐みの目を向けると、おもむろに彼は顔を上げる。
あれ? 今……目が合った?
そんなわけないのに、心臓が騒ぎ立つ。
いいや、そのとおりだよ、と教えるように、彼は視線を固定したまま右腕を振り上げた。
無垢な目にしわを寄せ、口を大きく開けて奥歯まで見せ、火照る頬を上に向ける。やわく広げられた表情が、これでもかというほど輝いていた。
花だ。ひまわりよりもきれいな花が、咲いた。
長いまつ毛が瞬くたび、瞳を繊細にきらめかせる。彼を照らすのは照明器具ではなく、入道雲の立つ青い空だった。
燦々の日差しを浴びた彼は、わたしをいとおしそうに見つめている。
――沙夜!
そう呼んでいる気がした。
なつかしい声が鼓膜の奥でこだまする。
わたしは思わず手を振り返そうとした。
このまま時間が止まってほしかった。
ブザーの音で我に返り、胸まで上げた手を膝の上に落とした。ぎゅっと握りこぶしをつくる。
血管の震えた手の甲に、ぽたり、水が落ちた。
雨漏り?
ちがう、わたしの目からだ。
誰にも気づかれないよう、目尻ににじむ湿り気を拭った。あ、アイライナー……。もう、手遅れか。静かにうつむいた。その拍子にイヤリングにおくれ毛が絡まった。耳上の皮膚ごと引っ張られる。
痛覚の信号が走り抜けた頭の中に、花畑が冴えわたる。
ひまわりではない。だが似た色をしていた。
はじめての彼氏と、はじめてのデートをした場所。そして、はじめてのお別れをした場所。
17歳、春だった。
手をつないだまま、別れを切り出された。
1年記念日のデートだと思っていたわたしは、まずはじめにドッキリを疑った。へたくそな冗談だなと笑った。
彼の目は真剣だった。
顔を殴られたほうがましだった。
涙がぼろぼろこぼれた。その日に限ってウォータープルーフのメイクじゃなかったのに。
――僕、『オンステージ』っていうオーディションに出るんだ。
当時から注目を集めていた、アイドルになるためのサバイバル番組。
そのときにはすでに募集は締め切られ、本選を含んだ合宿が始まろうとしていた。
幼いころからダンススクールに通っていた彼も、オーディションには興味を示していた。でもそれは一視聴者としてであって、間違っても参加するとは思わなかった。
だって、アイドルって柄じゃないじゃん。
わたしの彼氏でしょう?
――リッカの夢なんだ。
知らない名前を出された。誰、と自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。
4個下の幼なじみらしい。
ピアノと歌が上手なこと、心臓が悪くてここ数年はずっと入院していることも教えてくれた。
毎週のように病院に行っていることはもちろん知っていた。彼自身は健康診断で先生に感心されるほどバランスよく整った健康体だったから、家族か親戚のお見舞いだと思い、詮索はしなかった。
幼なじみ、だったんだ……。
儚げ美人な少女の姿が、頭に浮かんだ。
わたしの心臓も痛くなる。
――大舞台に立ってみんなを笑顔にしたいっていうリッカの夢を叶えてやりたい。僕、歌はからっきしだけど、ダンスは習ってきたし、一回本気でがんばってみたくて。
応援してる、なんて、口が裂けても言えなかった。むしろ最低なことを口走りそうだった。
わたしとその幼なじみ、どっちが大事なの?
言っても無駄だってわかってる。
下唇を強く嚙みしめた。わざわざこの日のために買った、男受けがいいと噂のピンクのグロスが、口の中に苦々しく広がる。
――好きだよ。
彼はなだめるように言った。
それが最後の愛の言葉だった。
――ごめん。ごめんな。
ずるい人。
自分から手を離そうとしない。
わたしが引き留められないことを知っているんだ。
そうだよ。そんな重たい話を聞かされて、別れたくないと駄々をこねられるわけがない。
きらわれたくないもの。
わたしはおそるおそる彼とのつながりを手放した。
あたたくて大きな手が丸裸になって宙にさらされる。
涙が止まらなかった。
彼はしきりに「ごめん」とつぶやいた。
彼の顔を見ることができなかった。
後悔している。
あのとき、ちゃんと、彼のことを見るべきだった。目に焼き付けて、離さなければよかった。
もう二度と会えなくなってしまうくらいなら。
「――ありがとうございました!」
ステージの上には、天高く続く客席を見上げて笑うタイヨウくんがいる。
頭の中でかすんでいく愛する彼と、似ても似つかない。
元カレはあんなにかっこよくないし、もっとバカっぽい。身長は平均のちょっと下で、目は一重で、声はうるさくて。ほら、似てるところなんか一個もない。
なのに、なぜだろう、笑顔を見ると思い出してしまう。
彼の名前を呼びたくなる。
アンケート用紙の30番目を指でなぞった。ボールペンを持っても、一文字も書けなかった。
鎧のはがれた下瞼に、黄色い跡がにじんでいた。




