#2 ポラロイド⑴
ヘアメイクを生業としている身としては、身なりにはめっぽう厳しく気を遣わなければならない。
仕事に赴くときはなおのこと。
朝起きたら泡立てる必要のないジェル状洗顔をし、ポンプで押し出せる化粧水、ビタミンC誘導体入り美容液、さっぱりタイプの乳液でしっかり保湿する。その日の肌状態と気分によってコスメを選ぶ。今日は日差しが強いからSPF50の化粧下地とファンデーション。ニキビには薬用コンシーラー。チーク・パウダー・シェーディング・ハイライトは気になっていたデパコスの新作を使い、アイブロウ・アイシャドウ・アイライナーは出張で韓国に行ったときに買ったものに決めた。まつ毛を長く伸ばすマスカラを慎重に塗り、唇のラインからはみ出すようにリップを重ねる。最後に、胸元まである髪をゆるくカールさせ、保湿成分の高いオイルで仕上げたら、ようやく仕事に行ける。
所要時間、約2時間。
丹精込めた努力の結晶は、5月にしては元気すぎる日差しに焼かれながら最寄り駅まで歩き、通勤ラッシュで牛詰めの電車に1時間ほど揉まれているうちに、あっけなく溶けてしまう。
今日はメイクノリ最悪だったし、こうなる気はしていた。それでも身支度に手を抜くことはできない。
銀座駅に着いてすぐ、御手洗にあるパウダールームに逃げこんだ。時間がないなか、ボディーシートで汗を拭き、目元のどろりとしたメイクのヨレを綿棒ですくうように取り除き、髪を束ね、手足に日焼け止めを塗り直し――よし、こんなもんか。鏡に映る自分は、家を出る前の1割減程度に留まっている。
北口の改札を出た。マップアプリを頼りに、10分ほど歩いていく。
シックな黒が目を引く建物があった。近未来感のあるデザインを取り入れた洋館のような建物は、コスモシアターというまだできてまもない劇場である。
わたしの今日の仕事場だ。
建物の裏手に回り、従業員入口の扉を開ける。入って右手にある警備室の窓口には、5人ほどの列ができていた。
「あ、向井さん!」
列の最後尾に、柳先輩がいた。同じヘアメイク事務所に所属し、わたしが専門学校を卒業した3年前からわたしの教育係を担当してくれている。
うちの事務所は基本的に、平均5年は教育係の現場に同行させてもらうことが多い。
先輩とは毎日のように顔を合わせ、アシスタントとしてサポートしながら、プロのスキルを学んでいる。
日曜だった昨日は、ファッション雑誌『milky』のファンイベントがあり、中高生のモデルの子をかわいく変身させるお手伝いをした。
「ここまで迷わなかった?」
わたしを列まで手招き、気遣いの言葉をかける先輩から、汗の概念すら存在させない瑞々しい泡の香りが漂った。
昨日までブロンドだったストレートロングは、鮮やかなオーロラカラーに変わっていた。
昨日のファンイベントは午前と午後の二部構成で、退勤したのは22時を過ぎていた。いったいいつヘアカラーをしたのか。
聞けば、好きなゲームの新スチルで披露された推しがその髪色をしていて、いてもたってもいられなくなり、深夜まで営業しているヘアサロンを探し回ったらしい。
光の当たり方によって多彩な色を見せる髪の毛は、彫りの深い顔立ちだからこそ違和感なくなじんでいた。
純日本人なことを忘れてしまいそうになる。それどころか年齢不詳の妖しい雰囲気まである。実際はわたしより7個上の30歳なのだが、今ならカナダで生まれ育った40歳やスウェーデンに留学した20歳と言われても信じられる気がした。
錯覚を助長させているのはきっと、メイクがうすいわりに、目と口の発色ははっきりしているからだ。色自体は原色より渋く、落ち着いた印象があるが、ベースがナチュラルに仕上げられている分、色が引き立ち、フレッシュな印象をも引き出される。
至ってシンプルなつくりだ。崩れにくいし、よれにくい。メイク直しをする必要もないだろう。
どこを取っても完璧だ。
それに比べてわたしは……。
「向井さん? どうした?」
「あ、いえ……わたし、マップアプリのおかげで迷わず来れました」
窓口の順番が回ってきた。向井さんどーぞ、と先を譲られるがまま、外来の受付表に『向井』『8:51』と走り書き、すぐに先輩にペンを渡した。
「あたし、従業員入口がわからなくて、10分くらいうろうろしちゃったよ。警備員さんに不審者扱いされて、誤解解くのに苦労したよ」
「そ、それは大変でしたね。柳先輩もここ、はじめてなんですか?」
「はじめて、はじめて。こんな大きな仕事、なかなか来ることないよ」
普段ファッション業界をメインに仕事をしているわたしたちにしてはめずらしく、今日はテレビ撮影のある現場だ。
しかもただのテレビではない。一大ムーブメントを巻き起こした、あのオーディション番組、『オンステージ』だ。
雑誌『milky』に関わるスタイリスト、ヘアメイクスタッフ全員に声がかかった。参加させていただくのは今回きりだけれど、一枚噛むことができるだけでも仕事に箔がつく。もれなく全員ふたつ返事で引き受けた。
柳先輩はスタッフパスを首から提げる。担いでいたカーキのボストンバッグが、肩からずれ落ちそうになり、ピンクのハートのついたポップなネイルをした手がひょいっと持ち手を持ち上げる。
仕事道具がたんまり詰め込まれたバッグは、やわらかい見た目に反して生地が分厚く、水や油にも強い。水洗いもしやすく、実用性はトップクラスといえる。
わたしが入社したてのころに先輩におすすめされ、色ちがいのネイビーを購入した。荷物の中にはヘアアイロンやスチーマーなどかさばる物も多いが、バッグが変形したりチャックが閉まらなくなったりすることはない。この安心感。さすが先輩のお墨付きなだけある。
「ねえ、見て。新作のリキッドアイシャドウ。気合い入れに使っちゃった」
エレベーターを待っている間、先輩がバッグからアイシャドウをひとつ取り出し、右の瞼と一緒に見せてくれる。
黄味の強い茶色い液体の中には、ラメが入っていないのに、砂金を掘り当てたような艶がある。
きれい、と思わずつぶやけば、そうでしょうそうでしょう、と先輩は誇らしげにうなずく。アイシャドウを内ポケットに大事に仕舞いながら、あ、とわたしの目を覗きこんだ。
「向井さんも、その目」
「あ……」
反射的にうつむいた。
こんなにきれいな目に、今のわたしもきれいに映るだろうか。
手直ししてきたとはいえ、なにぶん時間は取れず、汚れを取り除いて清潔に見せる手段しかなかった。
きれいなものだけを集めた容姿の前では、その差は歴然だ。
「黄色のアイライナー? かわいっ! どこのどこの!?」
きれいな目に映れば、どんなものもきれいになるらしい。
内心ほっとしながら、ちょうど持ってきていたアイライナーを見せた。
わたしにとって“きれい”は、鎧だ。
ちゃんと着こまないと、ふつうな顔をして過ごしていられない。
笑うこともきっとできない。
大好きだった恋人――正確には元カレがいなくなった17の夏、わたしの心に消えない傷がついた。
6年が過ぎた今でも、ふとしたとき泣いてしまいそうになる。
せめて人前では泣けないように鎧をつけた。
きれいになれた自分を見ると、ほんの少し強くなれた気がした。
「そのイヤリングと色を合わせたの?」
ポニーテールにしたラベンダーグレーの髪とともに揺れる、お気に入りのイヤリング。歩くたびにひらひらと踊る花びらのチャームは、黄色と白色の混ざり合う水彩に染まっている。
わたしはその花びらに触れながら、曖昧にほほえんだ。
きれいでしょう?
そう言いたいのに。心から思っているのに。
言葉が、出てこなかった。
エレベーターで地下に降りた途端、人、人、人。細く長い廊下に、撮影前で忙しいスタッフがあふれていた。
等間隔に設けられた控室が蟻の巣に見える。人が流れ込んでは出てきて、回廊を往来する。
普段働いている雑誌撮影の現場とは、全然ちがう。テレビの現場がはじめてというわけではないけれど、体育会系を醸し出す鬼気迫る熱気に、形容しがたい恐ろしさがあった。じっとりと顔が汗ばんでいく。
わたしは圧倒されながらも、柳先輩とともにヘアメイクの集合場所へ急ぎ、番組スタッフからの指示を仰いだ。
『オンステージ 2nd』の2次審査に向け、オーディション参加者の身なりを整える。それがわたしたちに課せられた任務だ。
すでに現場入りしているオーディション参加者40名を、カメラの設置された5つの控室に振り分け、順番に捌いていく。
衣装が決まった人から、メイクをし、ヘアアレンジをする。柳先輩は2ステップ目のメイクを担当することになり、助手であるわたしは素早く支度を進めた。
あらかじめテーマや雰囲気が決められていれば、数をこなすだけに過ぎないが、今回はちがう。オーディション参加者一人ひとりが具体的なリクエストを用意している。
人生の懸かっている少年たちは積極的に意見を出し、納得しない限りOKを出さない。そのため、普段の雑誌撮影であればスタイリングとヘアメイクで1,2時間ほどのところ、今回は倍の4時間もとっている。
十人十色、もとい40人40色のこだわりがあり、理想がある。プロとしては、期待に応えたいし、あわよくば超えていきたい。
繊細な技術はもちろん、体力勝負な面もある。それでこの熱気なのか。納得。
「タイヨウです! よろしくお願いします!」
無事に5人目をヘアアレンジに送り出したあと、息つく暇もなく新たな客人がやってきた。
元気よく挨拶してくれた少年は、わたしが直近で見たなかで一番きれいな顔をしていた。メイク前とは思えない、彫刻として永久保存したいほどの完成度。
本当に同じ人間だろうか。
疑いながら少年の名前を反すうする。タイヨウ。心地よい響きが琴線に触れた。
「本日メイクを担当します、柳です」
柳先輩は椅子に座るよう促しながら、軽く目礼をする。
着座した彼の視線が、壁にはめこまれた鏡越しに、わたしのほうに流れてきた。
まさかわたしにもバトンが回ってくると思わず、あわてて一礼する。
「あ、アシスタントの、む、向井です。向井 彩夜、です。よ、よろしく、お願いいたします」
噛みすぎなだけでなく、言う必要のないフルネームまで晒し、実に聞くに絶えない自己紹介だった。
それでも彼は明るい笑顔を向けてくれた。
今日のような夏日が、よく似合う人だと思った。彼となら外ロケも楽しいにちがいない。
実際、彼の着ている衣装は、夏休みの一日のようなコーデだった。晴れ渡る青空のようなラインが首回りと袖口に入った半袖の白いティーシャツに、裾にゆとりのある形をしたダメージ入りのデニムパンツ。誰でも真似しやすい服装だからこそ、着る人の質が光る。彼は自分をよくわかっている。
「タイヨウくんはメイクでどんなふうになりたいですか?」
先輩も彼の衣装を上から下まで観察しながら質問する。
ヒアリングの時間が、最も頭を使う。聞き出した情報をパズルのように組み立て、両者のイメージをぴったり合わせていく。1ピースでも欠けると、まったくちがう完成図ができあがり、「思ってたんとちがう」と却下されてしまいかねない。
これまでメイクしてきた5人とも、丁寧にすり合わせてきた。ヒアリングは白熱し、自分のことのように真剣な先輩のアドバイスで、少年側に気づきがあることも多かった。
たいてい開口一番の言葉が、イメージの軸になりやすい。
彼はためらいがちに口を開いた。
「僕、先週20歳になったんですが」
「それはそれは、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。ただ、今日だけは17歳になりたくて」
「えっ?」
「若返らせることってできますか?」
今までの5人と一線を画す要望だった。
王子様みたいになりたい、赤色を使いたい、自然でいい、ステージ映えするメイクがいい、似合うメイクをしてほしい――ふわっとした言葉にたしかな理想を秘めていた5人に対し、彼は単刀直入に提示してきた。
ピースの崩れていないパズルを。
「で、できますが……」
「本当ですか!? ではお願いします! 僕を17歳にしてください!」
先輩は面食らいながら返事すると、彼は律儀に頭を下げて頼んだ。
最短でヒアリングが終了。
逆に心配になる。
正直、17も20もそう変わらなく見える。彼の顔立ちは大人っぽいが、老けているわけじゃないし、つい最近まで10代だったのだから、何もしなくてもさばを読めるだろうに。
しかしお願いされたからには、しっかり若返りの魔法をかけなければ。
先輩が使用するコスメを選んでいる間に、わたしは彼の衣装が汚れないようにケープとひざかけをかける。ノーセットの前髪を左右に分け、それぞれにクリップをつける。
準備が完了したことを先輩に知らせると、先輩は自分の目でまじまじと彼の肌を診た。
ハイライトをつけずとも内側から発光しているような艶があり、毛穴はきゅっと引き締まっている。普段からちゃんと手入れしているんだろう。肌年齢はすでに実年齢よりかなり若いかもしれない。
肌を褒めながら、先輩は水分量を保持するオールインワンクリームを手の甲に出す。クリームでマッサージしながら顔と首を潤したあと、いよいよ本格的に始動する。
先輩は必ず彼の確認を取ってから、化粧を施した。
血色感を与えるピンクの下地、素肌に合ったファンデーションの順に、顔の中心からパフで塗り広げていく。鼻と口のまわりは念入りにカバーする。
わたしは先輩のそばで不要になった道具の回収と同時に、次に必要な道具の受け渡しを行う。きめ細かな彼の肌に隠すところはない、次はコンシーラーを飛ばしてパウダーだ。あらかじめわかりやすく置かれたパウダーと太めのブラシを手に取った。
予想どおりそれらを受け取った先輩は、パール入りのお粉をブラシに取り、Tゾーンのみに軽くはたく。
目にやさしい明るさが、彼の顔の表面に反射している。
「1次審査は番組主題歌のソロパフォーマンスだったんですよね?」
肝心なベースを難なく終えられ、余裕が出てきた先輩は、楽しげに会話を挟むようになった。二種類のチークをブレンドし、オリジナルのピンクを作りながら問いかける。
先週結果が通達されたばかりだという1次審査について、先輩が知っていることに彼はまず驚いていた。
放送は先月から始まったが、いまだ1次審査には到達しておらず、オープニングステージを撮影したエピソードで終わっている。
しかし、公式サイトにおとといアップされた予告映像には、1次審査の様子が細切れで映し出されていた。それを昨日観たのだと言う先輩に、彼の目はいっそう丸くなった。
仕事が早い。映像編集も、先輩の情報確認も。ちゃんと眠れているのだろうか。
「みんなの前でひとりずつテストされるって、ちょっと怖いですね」
「ちょっとどころじゃないですよ! オープニングステージを撮影した翌日に、パフォーマンスがなってない! っていきなり監督の方に叱られまして。1か月間猛特訓をして、テストをしたんです。緊張感半端なかったですよ」
「うわあ、撮影したあとっていうのがよけいにもどかしいですね。でもここにいるってことは、テストに合格したんですよね。おめでとうございます」
「ぎりぎりですけどね。僕はみんなより体力がないので、その改善に努めるよう助言をいただきました。もっと精進しないと!」
彼はよく笑い、よく話す人だった。
あ、これ情報漏洩になっちゃうかな、と一度表情がこわばってもすぐに、おふたりなら大丈夫ですね、と甘えるようにほころぶ。
先輩もつられて笑顔になる。
彼の頬骨にちょうどよく盛り上がった部分に、日に焼けたようなピンク色がふわりと円を描いた。顔に丸みが帯び、あどけなさが増す。
「2次審査もひとりずつだと伺いました。ピンショットを撮影されるんですよね」
「はい、雑誌に掲載できるくらい魅力的な画を生み出さなくちゃいけないようです。実は僕たち、昨日、詳細を聞かされたばかりで。みんなで合宿所の広間に集まって、夜遅くまでどうしようどうしようって頭を悩ませていました」
「昨日!? じゃあ一日でプランを練られたんですか? すごいなあ」
「みんな、ここにいるくらい、すてきな魅力であふれていますから。悩んでいてもおのずとプランが思い浮かぶんです」
審査では実際にシャッターを切るわけではないらしいので、必ずしもモデルのようにポーズを決めなくてもいい。歌、踊り、演技、そのほか習得した一芸など、何をしても許される。
おそらくほぼほぼモデル経験のない少年たちにとって、元々持っている得意技を披露することが、最も手っ取り早く最高の瞬間につなげられる。
指定された条件は、舞台セットと持ち時間だけ。それ以外はすべて、自由自在。自己プロデュースのステージとなる。
評価には、ステージングだけでなくスタイリングも含まれている。だから今回、少年たちの準備に長い時間を費やしているし、それをあますことなくおさめようと裏側にも多くのカメラが回っている。
もう審査は始まっているようなものだ。
審査を合格した少年のうち、監督のお眼鏡にかなった数名は、披露したステージを基に雑誌『milky』で特集が組まれることになっている。つまりこの2次審査は、雑誌『milky』の全面協力があって成り立っている。雑誌経由でスタッフのオファーがあったのはそのためだ。
夢を追いかける少年たちの力になれることを、心からうれしく思う。
応援したい。
本当にそう思ってる。
思っている。
「タイヨウくんのプランは、THE青春! みたいな感じですか?」
「青春……そうですね。番組視聴者は10代の方が多いと聞いたので、身近に感じていただけたらいいなと思っています」
「それでセブンティーンなのか! なるほど! 17歳ってなんか特別にきらきらして見えますもんね」
ね、向井さん。
先輩は振り返って、眉コームを渡したわたしに投げかける。
思わず口ごもり、無理やり口角を引き上げた。
17歳。
人生で一番長く、苦しかった一年が、走馬灯のようによみがえる。
楽しいこともあったはずなのに、あまり思い出せない。
耳たぶを強くつぶすイヤリングを、無意識に指先でいじっていた。花びらが回るたびに痛みが伝う。
ぼろぼろとメイクが崩れていく感覚がして、はっと表情を引き締めた。
鏡に映る彼と、目が合った。
「向井沙夜さん」
自然光に照らされたような唇が、迷いなくわたしの名前をかたどった。
「今の僕は、17歳に見えますか」
手の届かない輝きに覆われていた彼は、いつしか、手元にこぼれ落ちる木漏れ日を彷彿させる温もりを装っていた。
ベースを仕上げて以降、色を加えたのは頬だけだ。眉も目も口も素材を整え、保護した程度で片付けられた。
彼の持つ純度の高さが際立ち、汚れを知らない子どものように見える。
「はい、とてもすてきですよ。立派な17です」
今朝、丁寧に鎧を仕込んできてよかった。
おかげできれいに笑えた。
瞼の裏に浮かぶいとしの面影は、内側にそっと閉じこめておく。
苦しさを悟られることはきっとない。
大丈夫。
彼は何か言おうとしたが、
「じゃあ最後、ちょっとだけ上のほう見てもらえますか」
先輩からの指示に、静かに天井を仰いだ。
透明なマスカラベースに、ルースパウダータイプの青いアイシャドウを溶かした液体を、彼のまつ毛の先端にちょん、ちょん、と乗せていく。
鏡の前に回りこんだ先輩は、正面から彼を見つめる。
細かな青い粒の降る瞳は、泣いたあとのような儚さがあり、いちだんと透きとおる。
先輩は満足げに目を細めた。
「名付けて、青春のきらめき! いかがでしょう?」
先輩が意見を聞いたタイミングで、わたしは彼に手鏡を手渡す。
「わあ……ほんとだ。きらきら。すごい」
「気に入っていただけましたかね」
「はいっ! とても! ありがとうございます」
手鏡を始め、ヘアクリップ、ケープ、ひざかけを回収すると、彼は椅子から立ち上がった。見上げるほどに高い背を90度に折りたたみ、もう一度感謝を告げる。前髪をなびかせて顔を上げる。ふわりと薫風を感じた。
ヘアアレンジのほうへと移動していくと、先輩は止めていた息をぷはぁっと吐き出した。
「いやあ、とんでもなくかっこいいね、タイヨウくん。ありゃ絶対人気出るよ。みんな好きでしょ、あのタイプのイケメン」
わたしは肯定も否定もできなかった。




