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妹の代わりにアイドルになった俺は、嘘の人生で本当の恋をした  作者: リディア


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20/22

第20話 見てしまったかもしれない

「あなた、本当に——」


 言葉が、喉の奥でへばりついた。


 振り返った葵の顔。

 いつもの、完璧なアイドルの笑顔。

 可愛くて、柔らかくて、非の打ち所がない。


 でも茜には、その皮膚一枚隔てた内側に、全く別の生き物がいるように見えた。

 分厚い鎧を着込んで、血を流しながら立っている、傷だらけの何かが。


「……本当に、何ですか?」


 葵が、こてんと首を傾げた。

 その仕草が、恐ろしいほど可愛かった。

 可愛すぎて、逆に背筋が粟立った。


 作られている。

 この角度も、声のトーンも、瞬きの回数すらも。

 全部、緻密に計算して「作られている」。


「……ううん」


 茜は、引きつりそうになる頬を必死に抑えて首を振った。


「何でもない。ちょっと、寝不足なだけ」

「そうですか。無理しないでくださいね」


 葵は安心したように微笑んで、スタジオの奥へと歩き出した。

 茜は、その背中から目を逸らせなかった。

 細い背中。華奢な肩。

 でも、あの肩の奥には。

 昨日、倒れかけた私を力ずくで支えた時の、あの岩みたいな重さと硬さがあったはずだ。


「……違う。気のせい」


 乾いた唇から漏れた呟きは、ひどく嘘くさく響いた。


 

 


 リハーサルが始まった。

 茜は、無意識のうちに葵の立ち位置のすぐそばをキープしていた。

 確かめたかったのか。それとも、決定的な証拠を見つけて絶望したかったのか。自分でも分からない。


「はい、次は間奏のリフトの確認ね」


 振付師の手拍子で、茜の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

 リフト。

 葵が下に入り、茜の身体を瞬時に持ち上げる大技。


「茜、葵、準備して」


 二人が向かい合う。

 葵が、すっと手を差し伸べた。


「行きましょう、茜さん」


 その声。

 いつもより、ほんの半音だけ低かった。

 低い、と思った瞬間、葵の首元が動いた。

 無意識の咳払い。


「……大丈夫ですか?」

「ええ。ちょっと、喉が渇いて」


 葵の指先が、自分の首筋に触れる。

 その瞬間、茜の視線がそこに釘付けになった。


喉。


 細くて白い首筋。

 でも、そこが動いた時、皮下組織の下に、ゴツリとした硬い軟骨の隆起が見えた気がした。


 女の子には、決してないはずの、影。


「茜! 集中して!」

「っ、ごめんなさい!」


 振付師の怒声で、茜はハッと我に返った。

 いけない。今はリハーサルだ。

 茜は、差し出された葵の手を強く握った。


ワン、ツー、スリー。


 踏み込み。

 葵が姿勢を低くし、茜の腰と太ももを支える。

そのまま、茜の身体がふわりと宙に浮く——はずだった。


「あっ!」


 茜の踏み込みが浅く、空中で大きくバランスを崩した。

 頭から床に落ちる。そう覚悟した瞬間。


「危ないっ!」


 葵の声が、スタジオに響いた。

 それは、アイドルの「葵ちゃん」の声じゃなかった。

 低くて、太くて、腹の底から絞り出されたような、男の怒声。


 ガシッ、と。


 落ちかけた茜の身体を、葵が空中で強引に抱き留めた。

 勢い余って、二人の身体が激しくぶつかり合う。

 密着した。

 茜の胸が、葵の胸に、思い切り押し付けられた。


 その瞬間。


 茜の脳髄が、真っ白にスパークした。


 ない。


 何かが、決定的に、ない。

 あるべきものが、ない。

 女の子同士がぶつかった時に感じるはずの、あの柔らかい脂肪のクッションが。


 代わりに茜の胸を打ったのは、分厚くて、硬い、筋肉の板だった。

 大胸筋。

 鍛え上げられた、オスの胸板。


「……っ」


 茜は息をするのも忘れて、葵の胸ぐらを掴んだまま固まった。

 心臓の音がうるさい。私のか、葵のか分からない。

 ただ、密着した皮膚越しに伝わってくる葵の体温が、異常なほど熱かった。


「……大丈夫ですか、茜さん」


 葵が、茜の身体をゆっくりと床に降ろした。

 顔を上げると、葵が眉をひそめてこちらを見下ろしている。

 その目は、間違いなく茜を「守った」目だった。


でも。


「あ……うん……」


 茜は、一歩後ずさった。

 膝の震えが止まらない。


 違う。

 違う違う違う。


 そんなはずない。だって、あんなに可愛いのに。あんなに、いい匂いがするのに。


「茜、顔色真っ青よ。ちょっと休んできなさい」

「……はい」


 茜は、逃げるようにスタジオの扉へ向かった。

 背中に、葵の視線が突き刺さるのを感じた。

 心配そうな、守ろうとしている目。



 でも。


 あなたが守っているのは、誰?

 「城山葵」というアイドル?

 それとも、あなたの「本当の姿」?


 

 


 控室に飛び込み、内側から鍵をかけた。

 壁に背中を預け、ずるずると床にへたり込む。


「……嘘でしょ」


 震える両手で、自分の顔を覆った。


 胸がない。

 胸板が、硬かった。

 骨格が、筋肉が、皮膚の温度が、 何もかもが女の子のそれじゃなかった。


「でも……男の子なわけ、ないじゃない……」


 声が、ひゅーひゅーと掠れる。


「だって、あんなに可愛いのに。私……」


 あんたのこと、頼りにして。

 特別だと思って。

 好き、だったのに。


 もし。

 もし、あの人が。私に触れ、私を抱きとめたあの人が。

 本当に、男だったとしたら。


 私のこの、ぐちゃぐちゃになった感情は、一体どこへ向かえばいいの?


「……っ」


 胃液が込み上げてきそうだった。

 怖い。

 真実が怖い。


 でも、それ以上に——「男だという可能性」に気づいてしまったのに、それでもあの腕の熱さを求めてしまっている自分が、一番怖かった。


コン、コン。


 静かな控室に、控えめなノックの音が響いた。


「茜さん。大丈夫ですか」


 葵の声。

 茜は、ビクッと肩を震わせ、息を殺した。


「……大丈夫」

「開けてもらえませんか」

「……やだ。一人にして」

「茜さん」


 ドア越しの葵の声が、ほんの少しだけトーンを落とした。


「お願いします。顔を見せてください」


 背筋にゾクッと悪寒が走った。

 低い。

 さっき、私を助けた時の声と同じ。

 錯覚じゃない。このドアの向こうにいるのは、「城山葵」の皮を被った、得体の知れない「男」だ。


「……なんで」

「心配だからです」


 その言葉が、茜の胸を容赦なく抉った。

 心配してくれている。本気で。

 こんな状況でも、あいつは必死に私を「守ろう」としている。


 でも、その「守る」は、誰のため?

 何のためらいもなく、自分の正体を隠してまで、女の子たちの輪の中に潜り込んでいる異常者。

 なのに、どうしてそんなに悲しい声が出せるの。


「私、平気だから……っ」

「……本当ですか」

「本当っ!」


 嘘だ。


 全然平気じゃない。頭がおかしくなりそう。

 でも、今ドアを開けたら、私は絶対に聞いてしまう。


「あんた、男なの?」と。


 それを口にしたら、全てが終わる。

 アイドルとしての城山葵も。私が抱いていたこの気持ちも。

 全部、跡形もなく壊れる。


 ドアの向こうで、葵が短く息を吐く気配がした。


「……分かりました。無理はしないでください」


 足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 茜は、ドアノブを見上げたまま、ボロボロと涙をこぼした。


「私は……何を、知ってしまったの……?」


 答えは、もう出ている。

 胸の奥で、どうしようもなく重い事実が形を成していた。


 私が好きになったアイドルの正体は。

 全てを騙し、全てを背負って戦っている、孤独な「男の子」だということに。

 本日も読んでいただきありがとうございます。

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 どうぞよろしくお願いします。

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