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妹の代わりにアイドルになった俺は、嘘の人生で本当の恋をした  作者: リディア


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15/22

第15話 変わった距離と、静かな予感

「昨日のことは、忘れなさい」


 栞里さんの一言が、朝の重苦しい空気を切り裂いた。  

 誰も反論しなかった。というより、反論できるはずもなかった。


 茜はいつもより事務的に、視線を合わせず書類を整理している。  

 ひなたは、何気ないふりをして俺の隣に座っているが、その肩が触れそうなほど近い。  

 沙織は、すべてを飲み込んだような笑みを浮かべ、扇子でゆったりと自分を煽いでいた。


「……はい」


 俺は小さく頷いた。  

 忘れる。

 ……そう念じれば念じるほど、昨夜の記憶は鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。

 

 腕に残る茜の柔らかな温もり。

 胸元に感じたひなたの幼い吐息。

 背中を包み込んだ沙織の、大人の余裕を感じさせる熱。


 どれも、煩悩を断つべき修行僧が触れていいものではなかった。  

 だが、そのすべてがまだ、俺の肌をじりじりと焼いている。


「今日はオフよ。ゆっくり体を休めなさい」


 栞里さんはそれだけ言い残し、嵐のように部屋を出ていった。


 ――ひとりになった。  

 俺は窓際に座り、ただ流れる雲を見上げた。  

 昨夜の混乱。襲いかかってきた生々しい欲。  


 だが、耐え抜いた。  

 誰にも正体を悟られず、一線を越えず、俺は朝を迎えられた。  

 これは逃げではない。

 妹・葵の夢を守り抜くための、これも一つの修行なのだ。


「……まだ、頑張れる」


 独り言が、静かな部屋に吸い込まれていった。


  ――茜は自分の部屋で、乱れた布団に顔を埋めていた。  

 昨夜のことが、呪いのように頭から離れない。  

 葵ちゃんの腕は、女の子にしては驚くほど硬くて、でも頼もしかった。


「……女の子同士なのに。どうしてあんなに、ドキドキしたのよ」


 恋だと認めるわけにはいかない。そんなのは、アイドルの道から外れる行為だ。  

 けれど、こうして離れていると、心が隙間風に吹かれたように落ち着かない。  

 気づけば、彼女の姿を、その温もりを求めてしまっている自分がいた。


  ――廊下の壁に寄りかかり、ひなたは自分の鼓動を数えていた。  

 葵ちゃんのそばにいると、不思議なほど心がいでいく。  

 女の子同士なのに、まるで大きなお兄ちゃんに守られているような、温かい安心感。


「……私、葵ちゃんが好きなのかな?」


 ぽつりと漏れた言葉に、嘘はなかった。

 それが恋なのか、それとももっと別の感情なのか。  

 幼いひなたにはまだ分からない。けれど、離れたくない。

 それだけが、彼女の純粋な真実だった。


  ――沙織はバルコニーで、ゆっくりとお茶を啜っていた。

 昨夜の光景を思い出し、彼女の唇が艶やかに弧を描く。  

 葵の戸惑い。

 茜の動揺。

 ひなたの心酔。  

「……ふふ。面白いことになってきたやんか」


 不自然なまでの葵の「男らしさ」。それを隠そうともがく姿は、沙織にとって最高に刺激的な余興アトラクションに見えていた。


  ――夕方。  

 呼び出された俺の前に、栞里さんが一枚の資料を置いた。


「大輔くん、次の大きな仕事が決まったわよ」

「……仕事、ですか」

「バラエティのゲスト出演。共演者は……この方よ」


 資料に記された名前に、俺の心臓が不吉な音を立てた。  


 ――九条麗子。


「芸能界の重鎮よ。彼女の目に留まれば、葵の知名度は一気に跳ね上がるわ」


 栞里さんの目が、獲物を狙う鷹のように鋭くなる。


「でも、肝に銘じておきなさい。彼女は……『本物』以外は認めない人よ」


 声のトーンが、一段低くなった。


「嘘や偽りは、彼女の前では無意味。……もし不自然な真似をすれば、一瞬で魂まで見透かされるわよ」


 その言葉が、鉄の重りのように俺の胸に沈んでいく。


  ――その夜。  

 俺はベッドに横たわり、天井を見つめていた。  


 九条麗子。


 廊下で感じた、あの冷徹な視線が頭をよぎる。  


「……大丈夫。やるしかないんだ」


 自分に言い聞かせるが、指先が微かに震えている。    

 窓の外では、月が冷たく輝いていた。  

 静かで、平穏な夜。  

 まだ、何も壊れていない。


 けれど、月が満ちれば欠けるように、この平和もまた、一つの終わりに向かっている予感がした。  



完璧な偽りほど、

剥がれる瞬間は――

静かで、取り返しがつかない。

 本日も読んでいただきありがとうございます。

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