第3話「分岐」
戦場は、今日も変わらない。
変わらないはずだった。
だが主人公にとって、それはもう確かな前提ではなくなっていた。
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観測ドームの内部は静かだった。
壊れかけた計器類が微かにノイズを吐き続けている。
その音だけが、この場所がまだ“現実に繋がっている”証明のようだった。
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主人公はモニター越しに戦場を見ていた。
そこには、いつも通り彼女がいる。
白い装甲。
揺るぎない立ち姿。
戦場の中心にいるはずなのに、そこに“戦闘”という概念は存在していない。
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敵部隊が動く。
包囲が成立するはずの配置。
だが、その瞬間にはもう結果だけが崩れている。
戦術という言葉が、意味を失っていく。
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「……まただ」
主人公は無意識に呟く。
何が“また”なのか、自分でも分からない。
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そのときだった。
視界の端が、わずかに揺れた。
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一瞬だけ、戦場が“ずれる”。
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目の前の現実とは別に、もう一つの流れが重なる。
撃たれる未来。
回避できない未来。
そして――ほんのわずかに生存する未来。
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それは“理解”ではなかった。
認識でもない。
ただ、確定していないはずのものが、同時に存在している感覚。
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主人公は息を止める。
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次の瞬間。
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世界が、割れた。
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音より先に結果が流れ込む。
爆風の軌道。
崩壊する構造。
消える観測地点。
そして、そのすべての中に存在する“自分の死”。
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だが同時に。
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そのすべてを避けるための、たった一つの“誤差”。
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主人公は動いた。
いや、動かされたに近い。
思考は追いついていない。
ただ、選択だけが確定している。
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足がずれる。
身体が傾く。
視線がほんの数度だけ逸れる。
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爆風が通過する。
世界が元に戻る。
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静寂。
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「……はっ」
呼吸が乱れる。
理解が追いつかない。
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生きている。
まただ。
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だがその直後。
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頭の中に、空白が生まれる。
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“何か”を思い出そうとした瞬間。
そこにあったはずの輪郭が、崩れていく。
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言葉にならない。
名前もない。
ただ確かに存在していた“関係性”のようなもの。
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「……今の、は」
主人公は額を押さえる。
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違和感。
確信。
そして恐怖。
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さっき助かったことと、今失われたものが“繋がっている”気がする。
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そのときだった。
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通信が開く。
ノイズはない。
また、直接思考に落ちてくる。
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「観測補正が発火しています」
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彼女の声。
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主人公は固まる。
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「補正……?」
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意味が分からない。
だが、理解してしまう。
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それが“自分の中で起きている現象”だということを。
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「あなたは今、分岐を観測しています」
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静かな声だった。
説明でもなく、評価でもない。
ただ事実だけを並べるような声。
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「そして、選択しています」
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主人公は息を呑む。
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選択?
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違う。
そんなものはしていない。
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だが、反論できない。
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なぜなら――
確かに“選ばされている感覚”があったからだ。
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「その結果、現実が収束します」
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声は続く。
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「同時に、未選択の分岐は破棄されます」
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沈黙。
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主人公の背中に、冷たいものが落ちる。
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「破棄……?」
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「記録ではなく」
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「記憶として」
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その瞬間。
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理解してしまう。
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自分が助かった理由。
そして、失われている理由。
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助かるたびに。
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何かが消えている。
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「……じゃあ」
主人公の声が震える。
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「俺は、何を失ってるんだ……?」
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返答はない。
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ただ、通信の向こうで彼女が一瞬だけ“間”を置く。
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まるで、その問いだけは既に答えられないものだと言うように。
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通信は切れる。
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静寂。
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戦場は何事もなかったように続いている。
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だが主人公の中では、もう何かが確実に壊れ始めていた。
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空を見上げる。
灰色の空。
何も変わらない世界。
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それなのに。
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確実に、“自分だけが変わっている”。
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そして遠く。
白い天使は、再び戦場へ歩き出す。
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まるで最初から、すべてを知っていたかのように。




