奇遇
久し振りに紺色のスーツを着て、散髪した髪を整えて、顔も剃り身綺麗にする。親友の香川が紹介してくれた、服飾メーカーの就職試験に行く為だ。
こうしていると、同じく試験に向かった大学生の時を思い出す。あの時のオレは、ただ、光輝く未来だけを見ていた。やっと叶えた夢のすべてをちょっとした失敗で失くした。自業自得と云えばそれまでだが、こんな未来が待っているとは思わなかった。
大多数の人は自分の未来は見えない。見えれば良いと思うけれど、もし、見ることが出来て、その未来が不運とか不幸であれば生きて行く力が失せてしまう。
だから、ほとんどの人が未来を見る力を持たないのだ。
その代わりに希望が持てるように。 昔のことがあるので、時間的に更に余裕をもって出掛けた。私鉄の終点の駅は相変わらず人で一杯。一階へ向かうエスカレーターに乗る。急ぐ人の為に片側を開けるのがルール。あともう少しという所で、後ろからエスカレーターを降りてきた、若い男の背中の大きなリュックがオレの肩に当たったが、慌てててすりを掴んだお陰で、落ちずに済んだ。オレに当たった男は「すみませーん」と気持ちの入っていない、お定まりの言葉を残して走り去った。右肩にいやな痛みを感じながら、あの男を責めることは自分には出来ない。責める資格はないと思った。
アクシデントはあったけれど、指定時間よりだいぶ早く会社に着いたが、すでに多くの受験者が来ていた。年齢も様々。オレには、そこそこのキャリアはあるが、辞めた理由が過去の過失が原因なのでかなりのハンデになる。過去の苦い経験を生かして、未来に全力を尽くすしかない。
面接試験を終えて、エントランスまで来た時だ。
「お久し振りですね」と声を掛けられ、振り向くと見覚えのある女性が立っている。
「確か、五星商事の経理課の方ですよね」
「そうです。真中杏子です。こんな所でお会い出来るなんて。実はお話ししたい事があります。お時間頂けませんか?」何かと思うけれど、杏子の態度に覚悟のようなものを感じてオレは承知した。 会社のすぐ近くの喫茶店で杏子はゆっくり話し始めた。
「五星商事は辞めました。それでこの会社に入りたくて面接に来たんです」
「奇遇ですね。それは僕も同じですが、どうして五星商事をやめられたんですか?」
「もう、あちらにいる必要が無くなったからです」
そう言う杏子の顔は、とても意味有り気でオレの心の奥を見透かすような怖さがあった。




