妖魔王の肩書
金玄蜂蛾と蠅蟷螂の差異が明確になるお話です。
失った兵力を補充しようと考えた蠅蟷螂は羽音を鳴らして始祖の隷属を使い、城外から妖蟲を呼び寄せる。
ちょうど近くでスタンピードの群れに入っていた者の内、最も近くに迫っていた大型の甲虫系個体五体ほど壁を破って侵入してきた。
「さて、退路はなくなったぞ? 妾の手にかかるか、名もなき妖蟲の手にかかるか。好きな道を選ぶが良い」
「……どちらもお断りするわ」
鱗粉の背後に迫っていた甲虫たちは殺傷力が高そうな角や顎を駆使して強襲してくる。しかし彼らは鱗粉を襲わなかった。彼女を素通りしてなんと蠅蟷螂の体を傷つけたのだ。始祖の隷属力を持っていた彼女はまさか自分が攻撃対象にされると思っておらず、受け身も取れず青い血を流してしまった。
「何故じゃ!? 何故妾を攻撃する!?」
「彼らはお前の下僕じゃない。私の支配下にある」
鱗粉の言葉を裏付けるように彼女が奏でる笛の音色に従って動いている。まさか金玄蜂蛾以外に自身の隷属下に入らない妖蟲が現れるとは思っていなかった蠅蟷螂は焦りを隠せない。たまたま自身と同じく始祖の因子を多く含んだ個体だったかと別の妖蟲を呼び寄せてみたが結果は変わらなかった。全て鱗粉の支配下に組み込まれてしまうのだ。
「何故妾に従わず、小娘に傅くのか!!」
「それが人間の力だ、蠅蟷螂。《蟲族》がただ余の妖氣を借り受けただけの脆弱な存在だと思ったか? お前は人間を舐め過ぎだぞ。余が与えた妖氣など切っ掛けにすぎぬ」
繭になっている金玄蜂蛾の言葉を耳にした蠅蟷螂は鱗粉があらゆる妖蟲を支配下においているという現実をようやく受け止めた。だが所詮は格下の妖蟲。自身の支配を受けないならば直接屠ればいいと大鎌を振るう。鱗粉は強固な外殻を持つ甲虫を盾として前衛に配置し直してその鋭い刃を受け止めて見せる。
「忘れたの? お前が見下す妖蟲が先ほどお前の体を傷つけたことを。傷つけられるということは防御もできる。お前は人間と他の妖蟲も舐め過ぎなのよ」
「先ほどまで妾に怖気づいていた小娘が、何を切っ掛けに変わった!?」
「それは怒りよ。恐れ多くも我らの崇拝する金玄蜂蛾さまの卵を喰らいその転生を遅らせたこと、そして同胞たちを力の糧とするためだけに喰らったこと。絶対に許さない」
純然たる怒り。ただでさえ才覚溢れる蚕家の姫巫女の力を覚醒させるには十分だった。蠅蟷螂に対する恐怖を振り払う程に怒り狂っていた。コイツさえ現れなければ同胞も犠牲にならず政治が混迷することもなかったのだから。その様子に初めて恐怖心を抱いたのは蠅蟷螂の方だった。不遜な彼女も心のどこかで敗北の可能性を感じてしまったのだ。
「狡白! 術で妾を補助せよ!! こ奴は必ず此処で葬らねばならぬ!!」
「……断る」
まさか拒否されるとは思っていなかった蠅蟷螂が眷属を見る。
狡白は憎悪の籠った目で睨み返していた。
「敵はあっちじゃ! 何故妾を睨む?」
「俺は人の王になりたかったわけではない。全ては一族の……同胞のためだと思っていた。お前を重宝したのも金玄蜂蛾様と思ったから。お前の眷属になったのも金玄蜂蛾様よりも我ら《蟲族》を導いてくれるからだと思ってのことだ。それがただ私利私欲のために利用していたというなら俺が手を貸す必要はない!」
「伯父上!!」
先ほどからやけに消極的な姿勢だと思っていたら彼もまた蠅蟷螂の暴挙に据えかねていたらしい。強権的で姪への嫉妬心はあるものの彼も根っからの悪人だったわけではない。全ては《蟲族》のためを思ってのことだったのだ。それが単に利用していただけと言われれば忠義を尽くす意味もなくなる。彼はその正義感から反旗を翻したのだ。
ただ当の蠅蟷螂にとっては寝耳に水の話である。一緒に世界を取ろうと話していた相手が同胞を犠牲にしたというだけで手のひらを返したのだから。繭の中から金玄蜂蛾の呆れたようなため息が聞こえてくる。
「蠅蟷螂、お前は人間を全く分かっていないようだな。知恵と言葉を持ってはいても人間の感情を理解しきれていない。ただ本能に従うだけの化け物だ。余の後釜になるなど片腹痛い」
「五月蠅い!! もういい!! 力を貸さぬというなら無理やり奪うまで!! 〈蟲妖術・眷属奪氣〉!!」
蠅蟷螂が触覚を震わせると、狡白の触覚を媒介に氣を根こそぎ奪い取った。彼はガタイの良い筋肉質な男性だったが百歳前後の老人のように干からびてしまったのである。
「お、おいたわしや……伯父上……」
「ククク、妾に歯向かうからこうなる!! 脆弱な人間の眷属なぞいらぬのだ!! 妾さえいれば! 全て! 思い通りになる!!」
羽から発生する風属氣巧と口から発射される溶解液で暴れ狂う蠅蟷螂。先程よりその威力は増している。金属氣巧術で自らの鎌を強化し刃渡りの間合いを調節したり切れ味を変えたり形状変化させたりと千変万化な戦術で妖蟲をバラバラにしていく。
蠅蟷螂から支配権を奪った妖蟲達は哀れなバラバラ状態になってしまった。生命力が強いのか接合部が切り離されたり顔が溶かされたりしても脚が蠢いている。
「所詮下等な妖蟲共よ!! 妾に歯向かうからこうなるのよ!!」
「……愚かな」
勝ち誇る蠅蟷螂に対して憐れむような口調で言い捨てる金玄蜂蛾。その意味は間もなく蠅蟷螂も理解することになる。彼女は外皮を固くし武器となる鎌をより鋭くした。その分重みで緩慢になってしまったのだ。また狡白から搾取した氣のすべてを戦闘で浪費したことで彼女は愚鈍となった体を支えきれず前脚の鎌を床に刺してバランスを取り始めた。
「なんだ、急に体が重く……?」
「眷属からの一括搾取は一時的に強くなるもののそこまでだ。調子に乗って氣を浪費すればそうもなろう。故に眷属は数多く作り氣の供給を続けてもらう方がよいのだ」
「おのれ……金玄蜂蛾……図った……な?」
「そなたが自滅しただけだ。……知識を得て始祖の力を蓄えて大妖魔になったつもりだろうが中身が伴っておらぬ。大量の書籍を集めても埃を被せて書庫に収めただけでは賢者を名乗れぬのと同義。紐解き内容を理解し、応用せねば知恵は腐るだけよ」
蠅蟷螂は動きは遅くなっているが止まっている訳ではない。自尊心が強い故に敗北を認めていないのだ。現にまだスタンピードも止まっていない。始祖の隷属力を行使できるだけの力は残っているのだ。
「金玄蜂蛾ァ! 小娘ェ! 殺してやるぅ! 殺してやるぞォ!!」
「余を騙り次世代の大妖魔を名乗ったそなたに相応しい死に様を与えてやろうぞ。鱗粉!」
「はい、金玄蜂蛾様!! ――〈蟲妖術・眷属奪氣〉!!」
鱗粉が祈るように構えると、バラバラになって手脚を動かすのみだった妖蟲達の体から氣と生命力が彼女の触覚に注がれる。彼女だけではない。戦場のスタンピードで犠牲になった妖蟲達の触覚からも力の根源が鱗粉の触覚に注がれていく。
そして氣の羽を大きく広げた鱗粉はその氣を今度は繭へと注ぎ込んだ。眷属たちから多量の氣を与えられた金玄蜂蛾は体を急激に体を成長させた。やがて繭に罅が入り勝ち割るように金色の体表を見せる――と同時に皺皺に折りたたまれていた羽が美しく広がっていく。半透明で先の景色が見えるくらいの美しい羽。そこから散らされる毒鱗粉は閃光のように瞬いて幻想的な光景を形づくる。
最早ゆるキャラのような見た目ではない。妖魔王・蟲害の金玄蜂蛾に相応しい厳かで煌びやかな姿である。
「眷属の氣を奪ったのか……? 妾がやっていることとどこが違う……?」
「〈眷属奪氣〉は元々助かる見込みのない配下達が余に後を託すために自らの力を余に捧げる術だ。妖魔大戦ではよく使われたがな。想いを受け取り眷属の子孫たちは余が全力で守った。……未来ある命を私利私欲で摘み取るそなたとは違う」
蠅蟷螂はなおも抗おうとするが体が動かせなかった。金玄蜂蛾・成体の毒鱗粉を浴びた個所が溶けた挙句に動かせなくなっている。
「何故じゃ……毒には耐性があるはず……」
「余の毒がにわか妖魔と同じと思うな。眷属以外には猛毒の有害物質だぞ」
脱皮して重い体と毒に侵された箇所を切り離しても意味はなかった。部屋中に散漫する毒鱗粉がすぐに新しい体を穢してしまう。脱皮も何度もできるものでもなかった。蠅蟷螂は初めて明確に恐怖した。ここまで《九妖王魔》と格差があるとは思わなかったのだ。苦し紛れに吐いた溶解液も金玄蜂蛾には傷一つつけることができない。柔らかい羽なら切り裂けるかと鎌をふるってみても折れたのは自身の鎌の方だったのだ。
「九妖王魔が何故増えも減りもせず九体なのか。そなたは考えたことがあるのか?」
「……な、にを!?」
「それは不死身故に殺せず、強いが故に十体目の台頭を許さなかった。なればこその《九妖王魔》よ!! そなたのような力だけの木偶なんぞ妖魔界にゴロゴロいたわ!!」
金玄蜂蛾の前脚が大鎌に変化し蠅蟷螂を切り裂いた。
流石に回避と防御に専念して即死は免れたが青い血が雨のように部屋中に降り注ぐ。
「がはっ!! くそっ! ……おのれ……!」
プライドを捨てて逃げようとした蠅蟷螂。だが彼女の周りに巻かれた毒鱗粉が怪しく明滅する。――と同時にその一粒が起爆する。
「〈蟲王術・粉毒爆殺〉!!」
「ぎゃぁああああああ!!」
一粒の爆発でさえ蠅蟷螂の目を潰し脚を捥ぐ威力の爆弾。それらが鱗粉の数だけ誘爆していく。即死せずとも爆発で生じた傷口から猛毒が入り込み地獄の激痛が蝕み動きを止めてしまう。その間にさらなる小型毒爆弾が襲い来るのだ。
「余こそ蟲害の金玄蜂蛾!! そなたが妖魔王の称号を背負うには千年早い!!」
美しい羽を力一杯広げて威嚇する巨大蛾の化身。
文字通り虫の息だった蠅蟷螂が最期に聞いたのは金玄蜂蛾の勝利宣言である。恐怖と敗北感に満ちた彼女の顔も毒爆弾によって完全に消滅した。
蠅蟷螂の肉片一つなくなったことを確認した鱗粉が一息つく。
「終わりましたね、金玄蜂蛾様」
「そうだな。余は疲れた。少し休む」
言うなり金玄蜂蛾の体は縮み鱗粉の胸に抱かれる大きさに戻ってしまった。幼虫だった頃のゆるキャラのような見た目だ。相違点はせいぜい成虫として羽が生えて脚が少なく長くなったくらいである。急激に成長した代償だろうか。
「金玄蜂蛾さま、ご無理をさせてしまったようですね。ゆるりとお休みください」
「……終わったようだな」
もう部屋には自分以外人間がいないと思っていた鱗粉は驚き背筋をこわばらせる。
振り返ると老人のようになった伯父が力なく目を見開いている姿が目に入る。
「伯父上、生きていらしたのですか?」
「もうじき死ぬよ。……だが金玄蜂蛾さまが僅かな時間を残してくれた」
確かに彼の触覚からは金玄蜂蛾の妖氣が感じ取れた。《蟲族》は例外なく彼女の眷属なのだ。即死を免れるように氣を残されていたらしい。それでも蠅蟷螂の眷属になってしまったのが致命的で延命には至らなかったようだ。
「すまなかったな、鱗粉。俺は同胞を守るためだけではない。才あるお前への嫉妬心もあった。そこを蠅蟷螂に利用されてしまった」
「伯父上……」
「……後のことは頼む。俺の命令を受けた官僚たちは裁かないでやってほしい。汚名も罪も全て俺が背負っていく。都合の悪いことは全て俺のせいにしておけ」
「しかし……!」
狡白は死期が近づいたことでくだらない嫉妬心や重圧を抱える必要がなくなったのだろう。ただの姪に向けるような今まで見たこともない優しい目で彼は鱗粉の頭を撫でた。
「最期くらいは年長者として役目を果たさせてほしい……。その代わりお前を信じて……お前に国と同胞たちの未来を託す。どうか金玄蜂蛾様と共に……」
「はい。必ず」
鱗粉の返答を聞いた彼は満足したのか僅かに笑うとそのまま逝ってしまった。
見上げるとボロボロの天守閣から青空が覗いていた。まるで新しい時代の到来を思わせる晴天である。
壊れた壁面からは野生の蟲たちが森に帰る姿が見て取れる。どうやらスタンピードが終わったようだ。続々と《八星天道》隊長たちからの勝利宣言が触覚を通じて受信される。こちらも終わった旨を伝えると喜びの感情が伝わってきた。
一仕事終えた鱗粉が下階へと降りると笑顔の美鳳が迎えてくれた。
既に外交的な話は一区切りついているようだ。流石に仕事が早い。そればかりか《蟲族》の官僚たちとも打ち解けてしまっている。
彼女の人徳が成せる業なのだろうか。美鳳も外交で疲れているというのに激しい戦闘を終えた鱗粉をねぎらってくれた。その間に《蟲族》の官僚たちは寝息を立てる金玄蜂蛾をかいがいしく世話している。
こうして【繭国】の政変は幕を閉じたのだ。
新世代の大妖魔と《九妖王魔》の対決が決着しました。
強い妖魔は数あれど何故、現代に《九妖王魔》級の大妖魔が現れないかの答えになります。
まず、下手に強くなると「百の修羅を狩って名前を得たい《戮族》」に狙われます。彼らからすれば「美味しそうな強者みーっけ♪」といった感じです。若い内に殺されます。
運や実力で彼らを退け進化した大妖魔は増長し「自分こそが最強だ」と勘違いします。
そして箔をつけるために弱体化した《九妖王魔》を狙うか、
或いは今回のように《九妖王魔》を騙ったことで本物に見つかり粛清されます。
※余談ですが血漿巨怪から分離した月と夜も似たようなことがありました。
世界に散った自分の力の欠片を集める旅路で、先にその欠片を奪って進化した新世代妖魔に戦いを挑まれているわけです。本人達が健在なので結果はお察しですね。
本章の焼き増しになるため今のところ描くつもりはないですが……。




