正と偽の金玄蜂蛾
繭国編も残りわずかとなります。
最早【繭国】領土全域でスタンピードが起きている。多くの妖蟲たちは始祖の隷属で操られているのだ。始祖の隷属を金玄蜂蛾から直接分け与えられた《蟲族》たち、とりわけ《八星天道》のメンバーと彼らが使役する妖蟲達はその支配を受けずに抗っている。抗う力を持っているからこそ偽りの王がスタンピードで消しに来たのだ。
「如何に《八星天道》といえど領内の妖蟲全体を止め続けるのは不可能だわ」
「それは我が【愁国】の仲間たちも同じことです」
「ふむ、急ぎ余を騙る虚け者を殺さねばな」
美鳳と鱗粉そして彼女に抱かれる金玄蜂蛾は城の最上階へと急ぐ。同胞たちの危機を悟った一番星の部隊もまた露払いをしてくれていた。
おかげで最上階手前まで歩を進めることができた。
しかしまだ偽物の王には対面できていない。何故なら官僚たちが立ちふさがったからだ。
「ここから先はいかせんせん。いかせはせんぞ!」
「金玄蜂蛾様の玉座へ土足で立ち入ろうなど頭が高いわ!!」
「ただの文官だと舐めるなよ!! 小娘共!!」
《蟲族》は妖蟲使い。それは文官とで例外ではない。城の警備に兵士らしい兵士がいないはずだ。何故ならば国民皆兵。全ての人間が非常時には戦える兵と化すのだ。置いた老人も身籠っているであろう女性文官でさえ妖蟲を使役して警戒態勢になっている。
「流石、古来は《七王武族》と戦った戦闘民族……! 簡単には通してもらえませんか。鱗粉、どうしますか?」
「勿論推し通るわ! みんな聞いて! 此処におわすのが本物の金玄蜂蛾様よ!」
ババンっという効果音が出そうなくらい彼女は金玄蜂蛾を見せつける。卵の時ならともかく、生まれた金玄蜂蛾の神々しさに気づかないわけがなかった。
だが彼ら官僚たちは苦々しい表情をしつつも平伏しなかった。未だ戦意が解かれていない。武装解除しないのだ。
「みんな、金玄蜂蛾様が分からないの!? そんなはずがないでしょう!?」
「誰がなんといおうとも……! 金玄蜂蛾様はただ御一人のみ!!」
「だから今玉座にいる奴が偽物だってそう言って――」
「あのお方は始祖の隷属を使用できる……! それこそが金玄蜂蛾様の証! 本物だというのであれば今すぐ我々の使い魔たちを平伏してくだされ!!」
官僚たちの言い分には理があった。確かに始祖の隷属を見せつけられればもう認めるしかないだろう。しかし大戦が控えている中で格下を相手に力の浪費は避けるべきであった。それは金玄蜂蛾だけでなく鱗粉も美鳳もよくわかっていた。
「おかしいわ。《蟲族》が本物の金玄蜂蛾さまと対面して分からないはずがないのに。何故頑なに認めてくれないのかしら?」
実際、《蟲族》たちは戦闘態勢はとっているものの威嚇ばかりで仕掛けてこようとはしない。金玄蜂蛾が本物だと薄々気が付いている或いは頭では分かっているからこそ不敬な行動を避けようとしている。そんな思惑が透けて見える消極性だった。
美鳳は周囲の状況から彼らの心理を推察する。最上階の方からは人間の血の匂いが漂ってきている。そして老齢の官僚の悲痛な面持ちから深い後悔が人相に現れている。中には涙を流している女性文官もいるのだ。
「成程。そういうことですか」
「異民族の姫よ、そなたは何か分かったのか?」
「ええ。恐らく彼らは鱗粉達が留守の間に身内を偽物への生贄に捧げてしまったのでしょう。本物だから従ってきたのにその相手が偽物で身内の犠牲が何の意味もなかったとは心情的に受け入れられない。だから偽物を本物だと信じ続けるしかないんです」
それは最早偏屈の領域。意固地。頑固ともいえる。取返しのつかないことをしてしまったからこそ間違った方向を正しいと信じて歩み続けるしかないのだ。今「スタンピードが起きているから協力してくれ」などと申し出ても彼らは現実逃避して拒否するだろう。
「そんな馬鹿なこと――」
言いかけた鱗粉を制した美鳳は【繭国】の文官たちに向かってある提案を持ち掛けた。
「あなた方の言い分は私が聞きましょう。その代わり彼女達を、鱗粉を上階に素通りさせてはもらえませんか?」
「異民族の姫が我らの内政に干渉するな!」
突然の提案に一番老齢の官僚が反論する。「そうだそうだ」と野次も飛んでくるが、美鳳は努めて冷静に話を続ける。
「部外者だからこその提案です。乗るか反るかは自由。彼女達が上階に赴き、むざむざ殺されたのなら彼女は稀代の大ウソつきになるでしょう。単純明快な話です。生き残った者・勝利した者こそ本物の金玄蜂蛾というわけです。……それとも証明されるのが怖いのですか?」
官僚たち、文官たちは頭では目の前の存在こそ金玄蜂蛾だと理解している。だから攻勢に出ないのだと看破した上での提案である。
実際、金玄蜂蛾を手にかけるなど《蟲族》なら恐ろしくてできない。素通りして勝手に死んでくれるならそれに越したことはないのだ。
彼らの立場や弱みを理解した上で美鳳は大きく揺さぶっている。
「し、しかし、上におわす金玄蜂蛾様の手前、賊を見逃したとは釈明できん!」
「いいえ。あなた方には立派なお仕事があります。【愁国】の盟主、紅・美鳳と条約交渉の席につくという立派なお仕事が……ね」
「「「っ!!!!???」」」
美鳳は自身の身分を明かすとともに武装解除の交渉をそのおまま外交テーブルに変化させてしまった。文字通り彼らの逃げ道として外国の元首をもてなすという大義名分を作ったのである。
「【愁国】の盟主……だと!?」「何故ここに……?」「躍進する【愁国】を無視はできん」
「あなた方は王の勅命に背くのではありません。別件で大きな仕事があり、蚕・狡白、紅・鱗粉両名は私事で手が離せない故、自分達が対応するしかない。それだけの話です。いかがですか?」
彼らは顔を見合わせる。そして敢えて鱗粉達を視界に入れないように振る舞いわざとらしく道を開けたのだ。あくまで外交相手の美鳳を座敷に案内する素振りを見せる。
「さて、道は作りました。後は貴女次第ですよ、鱗粉」
「美鳳、貴女ただものじゃないと思ってたけど……とんでもないわね」
「食えぬ娘よ。中々の器よの」
目くばせを合図に鱗粉は金玄蜂蛾を抱いたまま上階へと走る。もう誰も追ってはこない。本当に無視してくれたのだ。ただ今まで露払いをしてくれた《八星天道》一番星の部隊もまた客人である美鳳の護衛に残っている。
追っ手もいなければ味方もいない。
本当に自分でなんとかしなければならないのだ。緊張で震える鱗粉を見あげた金玄蜂蛾が諭すように呟く。
「案ずるな、余がついておる」
「ありがとうございます、金玄蜂蛾様」
折角同胞たちが姉妹とその仲間たちが作ってくれた千載一遇の機会を逃すわけにはいかない。決意を胸に最後の扉を開ける。
最初に飛び込んできたのは部屋奥に佇む伯父の背中だった。
「――来たか、鱗粉。我が姪よ。爺どもは子守一つできなかったらしい」
当然伯父である狡白がそこにいるのは分かっていた。
目を見張るのは彼の後ろにいるのは非常に巨大な妖蟲だ。以前見た時よりさらに禍々しくなっており形態も変化している。
白蟻の女王のように膨らんだ腹からは絶えず卵を産み続けており、室内は蟲の卵で埋め尽くされていた。
「敏い娘よ。妾に偽物の小蟲を捧げに来たのかえ?」
偽物が尊大な口調で語り掛けてくる。巨大な見た目もさることながら始祖の隷属力を全面に押し出してきた莫大な氣量に背筋が凍った。力の弱い《蟲族》が平伏するのも分かる威圧感である。今までの自分なら間違いなく怖気づいていただろう。
視線を逸らすと卵の隙間に喰われたであろう同胞の屍や糞に交じった人骨が見えてしまった。本物だと嘯いて本物の功績を乗っ取って欲望のままに貪り喰ったのだろう。
カッと目を見開いた鱗粉は近くにあった化け物の卵を踏み潰した。
「年貢の納め時よ、偽物野郎!! 本物の金玄蜂蛾様が此処におわすのだから!!」
紋所のように金玄蜂蛾を掲げる。当の偽物は触覚をピクリと動かしただけだった。
劇的な変化があったのは伯父の狡白だった。《蚕家》の正当血統だからこそ本物と偽物を並べられて直感したのだろう。自分が間違っていることに。
交互に見比べては俯き、肩をわなわなと震わせて押し黙っている。鱗粉はいけると密かに拳を握った。如何に伯父とそりが合わないといっても本物と偽物の区別はつく。交渉で戦わずに丸く収まるならそれでいいと思ったのだ。
「伯父上、すぐにこの金玄蜂蛾様を支持して――」
言い終わる前に彼女が立っていた場所が攻撃された。
偽物の王が蟷螂のような大鎌を振るい突き立てたのだ。
「き、金玄蜂蛾様――」
驚いた狡白は慌てて口走った言葉を呑み込んだ。すると、偽物の王が何本もある小さな足の内一本を彼の肩に乗せて耳元で呟く。
「今更、本物も偽物もあるまい。妾の力は絶大じゃ。全て妾に任せておけばよい。今まで通り妾のために働いておくれ」
「し、しかし……」
「何を怯える? 忘れたのか? お前は既に妾の共犯者。多数の同胞を捧げた身じゃろうて。お前に選択肢はないのじゃ」
狡白の耳に助けを乞う同胞たちの声が残っている。全ては国と同胞を助けてくれた金玄蜂蛾のためだと思ってやったことだが、あまりに人道に反していた。彼も官僚たちと同じだ。もう後戻りもできないのだ。
「そなたの先祖も大陸を蹂躙する悪名高い妖魔王に与したのじゃ。妾に縋るとて同じことじゃ。のう、狡白や」
確かにその通りだ。金玄蜂蛾と《蟲族》の絆は妖魔大戦期からあるが、初めて眷属になった時は何の信頼もなかった。状況は同じだろう。初めて金玄蜂蛾が《蟲族》達にそうしたように偽物の王は自身の力を狡白に分け与えた。触角を通じて注ぎ込まれる莫大な妖氣は項垂れる狡白を大きく自信づけるきっかけになった。
「漲る……! なんという御力!!」
「お前は最早、金玄蜂蛾の眷属ではない。この〝蠅蟷螂〟の第一眷属よ。真実などどうとでも書き換えられる妾とお前の力があればな」
狡白は平伏した。幼虫の姿でしかない金玄蜂蛾、長らく完全転生に至らなかった本当の王よりも、自身を認め力を分け与えてくれた蠅蟷螂を真の主と改めたのである。
「〝蠅蟷螂〟それがそなたの真名か。長らく余を騙りおって」
厳かな言葉に驚き振り返る。煙が晴れたそこには健在な鱗粉が金玄蜂蛾を抱いて立っていた。蠅蟷螂の一撃を耐えたのは彼女が氣で作った幻蝶の盾である。
美しく彩る蝶は舞うように霞へと消える。
「伯父上、偽物だと分かってソイツに仕えるのですか!? 元はと言えば、伯父上がソイツを金玄蜂蛾さまとして天守閣に迎え入れたのが原因なのですよ!!」
半分侮蔑を孕んだ口調で語気を強めて伯父を糾弾する鱗粉。その言葉が刃のように狡白を蝕んだ。二代にわたって紅帝の失政が続き【繭国】では皇族の威信が急落した。其処に来て神童ともてはやされていた狡白に大きな期待が寄せられていたのだ。
この天才ならば皇族よりも正しく【繭国】を導けるだろうと。しかしその地位は結局姪に奪われた。姪と比較され明確に劣っていると判断されるのは彼の劣等感を刺激した。そんなある日、金玄蜂蛾を見つけた。喜ばないはずがない。姪との政争に勝ったと確信した瞬間だった。それが全てまやかしだったというのなら自身は道化でしかない。彼は理性で自身の過ちに気づいていても人生観から受け入れられなかった。だから開き直ったのだ。
「――それがどうした!? 金玄蜂蛾がそんなに偉いのか!?」
「何を言うの!? この御方は戦う術を持たない私達に力をくれたわ!」
「妖魔大戦で指揮を任せられる部下を欲した故の打算だろう! 我らも十分働き恩は返している。だいたいにして敗戦の将につかされた我々は異民族に滅ぼされかけたのだぞ! その後始皇帝の力になるよう助言したのも罪滅ぼしにすぎん! いつまでも恩着せがましいわ!!」
自分達の信じる神にも等しき存在への侮辱。恐れ多すぎて鱗粉は押し黙るしかない。対してその胸に抱かれる金玄蜂蛾は「そう言う見方もできるか」と達観してしまっている。これに調子づいたのは狡白と蠅蟷螂である。
「乱世の到来を予言した後はまともに転生せず、おかげで【繭国】は混迷した。今更旧時代の遺物に出る幕はない! 今は乱世! 力こそ正義!! 人も妖魔も新しき王が必要な時代なのだ! 俺を否定するというなら力で証明せよ!!」
「よう言うた狡白! 妾が新しき妖魔の王に! お前が人の王になるのじゃ!!」
両者は再び襲い掛かってきた。
狡白も官僚達も蟲族の中では高位なために
本物の金玄蜂蛾が目の前に現れればさすがに分かります。
ただ、そうなると偽物相手にとんでもない失政と過ちを行ったことを認めざるをえなくなります。
美鳳は彼らの心理を掌握し巧みに交渉テーブルにつかせました。
おかげでついに偽物と相対しました。
※蠅蟷螂の由来は「蠅の王ベルゼバブ」と中国故事成語「蟷螂の斧」からです。




