いざ州都へ
繭国編はいよいよ佳境のクライマックスに入ります。
鉤は自身の体内で飼っている寄生蟲を盾にして臓器の損傷を防いでいた。体に巻いて硬化させる外部の鎧と体内寄生蟲による内部の盾という二重防御によって彼は致命傷を避けたのだ。だが数多の寄生蟲や洗脳した妖蟲の補助などで多くの氣を消費していた彼にも後がなかった。攻めるなら今だとゼロ距離から寄生蟲で育壌を貫こうとした。
しかし、先ほどまで消耗で死にかけていた育壌は急に足技で彼の顎を蹴り上げたのだ。
「ぐぬっ!? 何故……動け……」
「〈境壊堅塗〉だゾ。《壘族》は僅かな氣さえあれば大地の神サマから加護を受けれるんだゾ」
《壘族》秘伝の身体強化術〈境壊堅塗〉。先ほどまで屍と誤認するほどに地面に倒れていた戦士がものの数秒で回復し強化される術だ。大地に体の一部が触れている必要があるという制約つきだが彼女は両手と両足がついていた。回復も早いだろう。
「地霊術中は神サマ同士が反発し合っているのかあまりうまく使えなかったけどナ」
「この……もういい! もう本気の本気だ!! 最大規模の寄生蟲を仕掛けてお前をぼくのおもちゃにして――」
常に天才児と言われた彼にとってこのままの敗北はプライドが許さなかった。自身の消耗も考えず残る氣をありったけそそいで最後の攻撃に打って出ようとした。後先考えない破れかぶれのわるあがきだ。それでも今の育壌には効果的だろう。勝敗は決しようと机をひっくり返して引き分けに持ち込んでしまえばいいという肚である。
「――止めよ」
しかし何者かの鶴の一声で彼の体から湧き出ていた寄生蟲は覇気を失ってボロボロと地面に零れ平伏するように動かなくなる。
「何故だ。何故僕の言うことを聞かない!? こんなことは初めてだ」
「余が止めたのだ」
そこにいたのは鱗粉に抱えられた金玄蜂蛾の幼体だった。
自身の体に巣食わせた寄生蟲達が静止している。本能的に怯えているのだ。今までにどんな強敵と戦ってもなかった自体に困惑するしかない鉤。彼本人も触覚を通じて根源的恐怖を感じ取る。年寄から偉いお方だと習っただけで敬意も薄れていた若い世代である彼も、この妖魔には敵わないと悟ったのだ。見た目のゆるキャラ感など些末なことだと捉えられるくらいに金玄蜂蛾に恐怖した。
「も、申し訳……ありません、でした、金玄蜂蛾、さま……」
「分かればよい。そなたのような童が余への畏敬を忘れたのも余が長らく留守にしたためだろう」
震える声で平伏する鉤を許す金玄蜂蛾。威圧したのは一瞬だけでまた若葉をむしゃむしゃと食べ始めた。彼女の権威は絶対的でそれまで威勢が良かった鉤は完全に降伏した。土の中に隠されていた市政長の息子も無事に回収し、妖蜂に乗った一同は鉤を捕虜として糸蛹城へと戻った。
城では美鳳が世間話を織り交ぜた巧みな交渉術で時間稼ぎを図っており、育壌達が戻ったことで緊張の糸が途切れた。
親子は無事に再開し涙の抱擁を交わしている。市政長を脅していた一味は捕まった鉤を見て旗色悪しと感じたのだろう。逃げ出そうとしたところで蜜巣の妖蜂に折檻されていた。
「交渉の引き延ばし、お疲れ様だゾ、美鳳」
「貴女もよく頑張ってくれましたね、育壌」
「ホント、三番星を倒してしまうなんて、驚きましたわ」
「黙りなよ、四番星。ぼくと君が戦ってたら間違いなく君が負けていたよ。それに《壘族》だって実質引き分けだし! 金玄蜂蛾様さえこなけりゃ――」
言いかけた鉤は金玄蜂蛾の視線を感じて急に押し黙った。冷や汗を垂らしてバツが悪そうである。三番星といってもまだまだ子供。恐怖を煽る存在にはめっぽう弱いのだ。
その金玄蜂蛾の威光は凄まじいものだった。人質が解放されたからというのが大きな理由だが【糸蛹】は全面的にこの幼体を金玄蜂蛾と認め支持すると申し出てくれたのだ。
州都【蟲籠】と完全に敵対する宣言である。
これが最後の一押しになり、八番星の怕査が粘り強く説得してくれた【蟻塚】の有力者たちも鱗粉と幼体の金玄蜂蛾支持に回ってくれた。その様子に拠点で療養していた七番星の蜻道もほくそ笑んでいる。
しかし、良い事ばかりではない。当然心中穏やかではないのは【蟲籠】にいる偽物の金玄蜂蛾。そして彼女を支持する蚕・狡白筆頭とする官僚たちである。
「よもや我が国二大都市が向こうの支持に回るとは……!」
「もしかして鱗粉殿下と共にいらっしゃる妖蟲の方が本物ではないのか……?」
「戯言を申すな! 玉座にいらっしゃる方が本物で間違いあるまい!! あの気迫が偽物に出せるのか!?」
「そ、そうだ。わしの孫娘はあのお方に贄として差し出している。それが偽物なんてことは……あってはならなん! あってはならんのじゃ!!」
官僚政治家たちは自分達こそ正当だと訴える人間が多かったが動揺は隠しきれていなかった。勿論偽物の王は一層怒り狂って暴れており、城全体が地震のように揺れるほどだった。
蚕・狡白は王の怒りを鎮めるべく平伏する。
「狡白どうなっておるのじゃ!! 妾こそが妖魔王! 〝蟲害の金玄蜂蛾〟ぞ! 何故妾を敬わん!? 何故仇なそうとする!? 恩知らずの劣等人種共が!」
「お怒りはごもっともです。すぐに対処致します」
「何が対処じゃ。対処すべき《八星天道》の大半が奴らに敗れ寝返ったと聞くぞ!」
「ご安心召されよ。我らには切り札の〝一番星〟が残っております。恥知らずにも政敵に寝返った六番星も彼が粛清しました」
「……ほう」
【蟲籠】の城内地下において密偵をしていた六番星の鳴夕は倒れ伏していた。
彼女の部下たちも全員がやられてしまっている。
そこに立つのは細身で端正な顔立ちの青年だった。
「無駄に命を散らすこともなかろうに。六番星が一番星に勝てるわけないだろう……」
城を抜け出して一匹の蝉が飛んでいく。
その蝉は【蟲籠】の町からどんどん離れて糸で構築された町【糸蛹】にまで逃げ延びた。
そして城の上階に座っていた鱗粉の耳元で「カナカナカナ……」と切な気に鳴いた。六番星の敗北を認知した鱗粉は目を見開き血の気が引いていく。
既に甲影達も城へ合流していた。彼も姫巫女の表情から悟ったらしい。
「数多の星々を取られて向こうもいよいよ本腰を上げてきたってことだな。やっぱり狩透の野郎を差し向けてきやがったか」
「彼は実力もさることながら聡明で知られておりますわ。戦わずに説得に応じてくれると思っておりましたのに」
「そいつは無理だと言ったはずだぜ、蜜巣。アイツは常に俺と反対にいる。俺が白につけば向こうは黒につく。言い換えるならお前と縛束みてぇな関係だ」
その一言で察したらしい蜜巣も押し黙った。
彼女の代わりに甲影に意見したのは捕虜となった三番星の鉤である。
「悠長に構えている場合かな、狩透先輩は既に中央政府から〝一番星〟を拝命している。君の背中の星は意味を成さないクズ星に堕ちたんだよ。〝元一番星〟の圣・甲影」
彼の言葉に驚いたのは【愁国】の人間だった。確かに【愁国】に三人で攻めてきたあたり《蟲族》でもそれなりの実力者なのは察していたがまさか《八星天道》の頂点に立つ者が最初から味方についているとは思っていなかったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。貴方、一番星だったのですか?」
「言ってなかったか? あ~……そういえば言う機会もなかったな。俺が一番星で蜜巣が四番星だ。以後よろしく」
甲影のとってつけたような説明に抗議するのは《八星天道》と戦い終わった者達だ。
「遅! 遅すぎるわ! そんな重要な情報をなんで隠してるの!?」
「そうだよ、知っていればボクらも色々と立ち回りを変えたのに」
「教えてくれないなんて人が悪いゾ」
「別に隠してたわけじゃねーさ。【愁国】攻めた時は〝手加減した〟って言ってただろ? それに一応お前らにすぐ捕まった俺が一番星だって知ってたら、二番星以下と戦った時多かれ少なかれ侮っただろ? 余計な先入観与えないようにしてただけだよ」
確かに正論だった。彼は元々本気で【愁国】を滅ぼそうとしたわけではないため一人の死者も出さないように手加減していた。その抑え込んだ実力を一番星本来の力だと誤認した場合それ以下の星持ちメンバーを「アイツより下」と油断した可能性はおおいにあった。事実、余計な先入観がなくとも星持ちの隊長たちには苦戦を強いられているのだ。
同じく自らを四番星を明言しなかった蜜巣も彼を庇うように付け加える。
「《八星天道》同士で全ての手の内を知っている訳ではありませんわ。事実五番星はわたくしの奥の手も知りませんでしたし。下手な情報開示はあなた方を混乱させるだけだと思いましたの。それに現一番星の狩透という男はわたくし達が国を出る前は二番星でしたわ」
「成程。【蟲籠】側から見れば政敵にあたる鱗粉に一番星がついているのは外聞が悪いという政治的判断から二番星を一番星に出世させたということですね?」
「まぁそれもあるだろうが、元々アイツと俺との間に実力差はないからな。俺が暗殺稼業さぼってる間にアイツの方が点数上げてたとしても不思議じゃねぇ。寧ろ人事判断が遅ぇくらいさ。まぁ俺の後釜はアイツしかいねーわな」
小声で「ぼくもいるんだけど」と呟く鉤に「十年早ぇよ」と返す甲影。それなりに一番星としての矜持は持ち合わせているようだ。
【愁国】の人間にとって《八星天道》の順位は驚愕する情報だったが《蟲族》側にとっては当たり前すぎて些末なことだった。それよりも彼らは今考えることは一刻も早く偽物を討ち、【繭国】を一つに束ねることだった。特に友人を討たれた鱗粉は心中穏やかではなかった。
「もう犠牲者は出していられない。【蟲籠】も手中に収めるわ。金玄蜂蛾様、お生まれになって日も浅いですが……お力をお借りさせてください」
「ふむ。余も食って寝てばかりでは面目が立たんからな。偽物と対峙する際は勿論力を貸すぞ」
【蟻塚】と【糸蛹】は抑えた。後は州都を落として偽物を討つだけ。敵側に現役一番星が控えているがこちら側にも前任の一番星がいる。戦力的には十分落とせるだろう。
皆が動き出そうとした時だった。【糸蛹】全域に耳鳴りのような音波が響き渡った。
その場にいる《蟲族》達は触覚をピンと立てる。
異民族である【愁国】の面々にとっては文字通りの耳鳴りにしか聞こえなかったが、《蟲族》達は違った。触角による通話。つまるところ同胞からの電報を受け取っていたのである。その場にいる者は立ち上がったり、冷や汗を流したり、焦燥感に駆られた表情になっている。
「鱗粉、なにかあったのですか?」
「野生の妖蟲が一斉に暴走しはじめたわ」
「……余の偽物めが、はじめおったか」
金玄蜂蛾曰く、それはスタンピードだ。自然に生きる野生の妖蟲達を始祖の隷属能力によって一斉に従え人間を襲わせるというものである。偽物の王に隷属された野生種が一斉に近隣の村や集落、そして町を襲い始めたのだ。
「《蟲族》は余の力を分け与えた直下眷属。あの子らが調教した個体はまだ抗うことができるだろう。だが野生種は本能的な隷属命令に抗えぬはずだ」
「お待ちください、金玄蜂蛾様! 始祖の隷属は貴女様だけの御力のはず!」
「余の力ではなく正確には始祖妖蟲の力。余の紛い物は思いのほか始祖の力を取り込んでおったようだな」
「しかし、大人しくしていましたのに何故今になってですの!?」
「恐らく《八星天道》の下位を差し向けたのも自身が力を蓄えるまでの時間稼ぎだろう」
鱗粉やホンモノの暗殺に成功すればそれでよし。失敗しても捨て駒程度にしか思っていない。全ては蟲の王を名乗るに相応しい力を得るため。そして十分に力を蓄えた偽物の王はこれみよがしに始祖の隷属を扱い、自分の力を見せびらかしているのだ。
「やれやれ余の国と眷属を弄びおって。灸をすえてやらねばな」
町の守衛に入ったのは復帰した五番星の縛束だ。糸を扱う彼女には防衛は適任だろう。しかしいかんせん数が多すぎた。見かねた四番星の蜜巣も加勢に入る。
「まさか貴女と共闘するとは思いませんでしたわ」
「私だって貴様は願い下げだ。しかし同胞と町を守るため」
「ならぼくも手伝うよ」
捕虜となっていた三番星の鉤も早速寄生蟲を打ち込んで洗脳し返して援護し始める。守備兵も微力ながら防衛に加わっているし三番星から五番星が揃い踏みなら【糸蛹】は安泰だろう。ただ襲われているのは【糸蛹】だけではなかった。【蟻塚】の方も既に八番星の怕査が指揮を執っているが、いかんせん数が多すぎた。触角から援護要請が伝達された甲影が叫ぶ。
「くそ、此処はともかく【蟻塚】の方が持たねぇぞ! 俺が行くか!?」
「いいえ。貴方は狩透を相手取るために必要なの。【蟻塚】の援護には――」
「鱗粉、こういう時こそ友好国を頼るものですよ」
美鳳の言葉に顔をあげると既に出発の準備を整えた蕾華、栞那、育壌が控えていた。まだ完全回復したわけではないが、町一つ守るのにこれ以上頼もしいメンバーもいないだろう。鱗粉は姉妹からの厚意を素直に受け取った。
「ありがとう。では【愁国】の人たちにお願いするわ。この暴走を終わらせるためにも私は州都に向かう。甲影、現役の一番星の相手は頼むわね」
「勿論引き受けるつもりだがよぉ、そうすっと姫さんの護衛はどーすんだよ?」
「必要ないわ。私は直接伯父上と偽物を討つ」
護衛をつけず、本丸に乗り込むと彼女は宣言したのだ。全ての元凶を自分の手で討ち終わらせる。それは相応の覚悟をもっての発言である。
「鱗粉……あなた……」
「美鳳のおかげよ。私はもう身分や権威に頼らない。この手で我が力をもって証明しなければならない時があると、わかったから」
「よく言った!!」
窓から声をかけたのは彼女を君主とは認めないと発言していたはずの七番星・蜻道だった。まだ栞那につけられた傷がいえておらず包帯を巻いているようだ。ゴーグルを身に着ける彼は親指を自身の背後に向けて示す。
「国の一大事に自ら矢面に立つ気概。それこそ俺が求めてたもんだ。国の命運はアンタに託すぜ、紅・鱗粉殿下」
「蜻道……」
「その代わり【愁国】の食客たちの送迎は俺に任せな。ちょうど今から【蟻塚】へ援護出動するとこだったんだ。俺の鬼山間なら超特急だぜ」
「ふふ、頼もしいわね。お願いするわ」
蕾華、栞那、育壌を搭乗させるなり加速して飛んでいく鬼山間。五大民族と《魏族》でなければ振り落とされているだろう。なんにしても【蟻塚】は八番星に加えて七番星と【愁国】主戦力が加わる。面積ならあちらの方が広いが十分網羅できるだろう。
後は彼らが防衛戦を続けている内に偽物の王を討つだけだ。
鱗粉は蟲笛で巨大な蛾を呼び出すと甲影と美鳳を乗せて州都【蟲籠】へと目指す。
勿論、彼女の胸には幼虫の金玄蜂蛾もついている。
戦いは最終局面を迎えていた。
甲影は元一番星でした。【愁国】に仕掛けた時点では現役でこれまでの旅路で裏切りが確定的になり廃籍された感じですね。
一番星と四番星が護衛についていたため、《八星天道》の下位メンバーは彼らとの直接対決を避けて搦め手で分断していました。
入国時に甲影が下位と上位の実力差が変わるときがあると仄めかしていたのは自身への戒めでもありました。
そして【繭国】中は野生の妖蟲を暴走させるスタンピードが起こります。
今回の仕掛け人は金玄蜂蛾の偽物ですが、本物も全盛期ならこれの十倍以上の規模で発動可能です。妖魔大戦では実行されていました。




