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【越境飛行】―Illegal Move―No.2

 ――そうだ、手足と意識さえあれば、そして幾ばくかの視界さえあれば、〝彼女〟と俺は飛び続ける事ができる。


『ペトリューラ空軍、ムカチェーヴォ艦隊基地所属、スヴェトーイ・ゲイオルギィー106号よりピョートル・ケボーロフへ警告する。速やかに降伏せよ。速やかに降伏せよ。さもなくば全力を持って貴機撃墜する』


 半ば眠りかけていたピョートル・ケボーロフは通信機の声で跳ね起きた。何秒、いや何分自分は意識を無くしていたのだと操縦席の時計を見ると、自分が最後覚えている時間と十秒と違わず、安堵の溜息を吐く。計器類を見回し、まだ生きている部分を確認。操縦席から顔を出し、エンジンを確認し、あと何気筒生きているかも確認する。操縦桿を握り締め、ケボーロフは口元に笑みを浮かべる。手の震えは収まっていた。体も寒さで震えてはいない。もう、吐いた息が白く濁ることもない。

 

『ペトリューラ空軍、ムカチェーヴォ艦隊基地所属、スヴェトーイ・ゲイオルギィー106号よりピョートル・ケボーロフへ警告する。速やかに降伏せよ。速やかに降伏せよ。さもなくば全力を持って貴機撃墜する。これは最後通告である』

「阿呆どもが……やれるものなら、やってみるがいい」


 吐き捨て、ケボーロフは痛む体を捻り、機体後方を覗む。

 そこには、巨人が浮いていた。翼幅三十五メートルほどもあるスヴェトーイ・ゲイオルギィーの巨体は、まさに威容としか言いようがない。馬鹿でかい翼の中央にゴンドラを挟み込み、そこから伸びた尾部の先には三枚の垂直尾翼とまな板のような昇降舵が不恰好に突き刺さっている。巨大な車輪が四つ固定された脚には土地柄もあるのか、スキー板まで四つ供えられており、昆虫の足のような有様だ。剥きだしのエンジンは下翼の上部に固定されているだけ。ゴンドラの上にある銃座は剥き出しで、ケボーロフにも着膨れした銃手の姿と、禍々しい無骨な二十ミリ機関砲がよく見える。ペトリューラ空軍がこれを空中戦艦と呼ぶのにも頷けるというものだ。

 それだけでなく、スヴェトーイ・ゲイオルギィー106号の周囲にはまるで王妃を取り囲む護衛の騎士のようにS-16戦闘機が六機着いている。馬力不足で性能の低い戦闘機だが、六機もいるとさすがにどうしようもない。逃げようにも、ケボーロフの乗っているブレゲー14B2のエンジンは損傷している。

 いずれ、追いつかれるだろう。戦おうにも、ガリア製の単発爆撃機であるブレゲー14B2に武装はない。戦時ならともかく、郵便機として非武装化され売りに出されていたこの機体には、前方機銃も、後部座席に備えているはずのスカーフリング式銃架に支えられた連装機関銃も、爆弾架も装備していない。唯一、三百馬力のエンジンと戦闘機並の機動性だけが残っていた。ケボーロフはこの傷ついて穴だらけになった機体と身一つで、〝彼女〟を守りきらなければならない。


「………お嬢様、申し訳ねえ。少し、手荒にいきますぜ」

「――――――」


 風荒ぶ中、ケボーロフが叫ぶ。返答はあったような気もするし、なかったような気もした。


『ペトリューラ空軍、ムカチェーヴォ艦隊基地所属、スヴェトーイ・ゲイオルギィー106号よりピョートル・ケボーロフへ告げる。我が軍は全力を持って貴機撃墜する。古き慣習に殉じるがいい、裏切り者め』


 いつお前たちに組したのかと、ケボーロフは笑う。民族主義だかなんだか知らないが、同じ地域出身の人間だからと言って、なぜその地域出身であることに誇りを感じなければならないのだろうか。そんなもののためにまた戦争が始まるというのなら、そんな主義などクソくらえだ。

 ケボーロフはそれに抗う。翼ある限り、力ある限り、飛行士として自由を尊ぶ。あの戦争の惨禍を繰り返さないために、空からも見える国境など二度と作らぬために、たとえ素手であっても反抗する覚悟がある。

 だからこそ、俺が選ばれたのだとケボーロフはラダーペダルを蹴っ飛ばし、操縦桿をぐるりと回す。機首がぐらりと左へ傾き、制御を失ったかのようにブレゲーが駒のように回転し、真っ逆さまに墜ちていく。天と地が巡り、後部座席から小さな悲鳴が聞こえた。甲高い音をたてながらプロペラが風を掻き、翼が大気を切り裂く。通信機から罵声が飛び出し、背後から敵機が追って来る気配を感じる。ケボーロフは通信機を蹴っ飛ばして粉砕し、さらに操縦桿を倒す。世界が、機体が揺れる。空気と言う見えない水の中を、ブレゲーは無理矢理突き進んでいく。馬に跨った槍騎兵が歩兵の波を破砕するように、ブレゲーとケボーロフは空気の波と戦っている。

 砕け散った風防越しに、地面が見えた。このまま突っ込んで墜死してしまったほうが、きっと楽に違いない。だが、それでは駄目なのだ。ケボーロフは操縦桿を引き、びりびりと振動する機体に構わず、地面すれすれで機体を水平に戻す。背後でなにかが勢いよく地面に叩き付けられたような音が響く。金属をふんだんに使ったブレゲーと、時代遅れのS-16では機体の限界が違う。それを見誤った結果の墜死だ。


「阿呆め」


 口元に精一杯の笑みを浮かべながら、ケボーロフは木々の間を擦り抜けていく。

 ダキアのブガレストックまで身体と機体が持つかどうか、漠然とした不安を感じながら、ブレゲーと彼と〝彼女〟は飛ぶ。


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