【東方郵便機】―Gambit―No.5
格納庫へ戻っていく整備員たちを尻目に、ドーラは彼の航跡を感慨深く見つめていた。
まだ子供のヨハン・ボドギン。
これから彼の辿る道筋を、自分は永遠に変えてしまった。
間違いなく彼は、あの戦争で味わったことのない、人間味のある悲哀を味わうことになる。
それは彼の傷ついたガラスのような心を粉々に砕き、二度と治癒せぬ傷を残すかもしれない。
十分に苦しんだ若者に、この仕打ちはどういうことだとドーラの良心が自身を攻め立てる。
だが、やらなけえればならないことなのだとドーラは胸を張って言うことができた。
今もここより北方で起きている内戦に、終止符を打てるかもしれないのだ。
あの国の暴力的少数派たちに、奇跡というやつを信じさせることができるかもしれないのだ。
そのためならば、この選択は間違っていなかったと、言うことができる。
「………この旅は、決して君が通るべき道ではなかったかもしれない。だが、いずれ誰かが通らなければならない道だったんだよ。許してくれとは言わないよ、ヨハン。どうか、その航路の先に幸多きことを」
ドーラは古い人間だ。
自分でもそのことを自覚しており、いずれは航空機産業という先鋭な世界から自分が排除される時がくるだろうと分かっていた。
それを知り、この東方に身を置き、人の繋がりを持つ彼だからできることを、彼は行おうとしている。
それはその計画に少しでも関わるものすべてにとって危険なものだ。
けれど、ドーラはそれが必要なことだと信じている。
古いことはかならず悪い意味があるわけでもない。
同様に、新しければ良い悪いという問題でもない。
物事は古い新しいの関わりなしに、善悪の基準がある。
ドーラはそれを遂行しようと、覚悟を決め、ヨハンを見送ったのだ。
「ケボーロフ、君があの青年と出会うことを祈る」
旧友の名を呟き、格納庫へ踵を返したドーラの前に、見慣れない整備員が立っていた。
まっさらなツナギを着て、帽子を目深に被っている。
ついさっきまで滑走路脇か、格納庫裏にでも隠れていたのか、靴には草と泥がついていた。
顔立ちは若い。ヨハンと同じくらいだろうかと、ドーラは思い、苦々しく笑う。
生きてきた年月が、それまでの人生が、その笑みを悲痛なものとする。
ドーラの脳裏には過去が浮かび上がり、そして消えていく。
ドーラ自身が自身に問いかけた。
『後悔はないか、この人生に』
ドーラは自身に答えた。
「もはや、なにもない」
それを聞いて見慣れない整備員は右手を上げ、握っていたルージア製の拳銃を撃った。
銃口には黒光りした太い筒状のものが取り付けられていた。
不意に、ぱん、と玩具の鉄砲みたいな音が響く。
整備員は三発をドーラの胸に撃ち込み、倒れたドーラに近付いてから、残りの四発を頭に放った。
撃つたびに撃鉄をあげて、狙いを定めて、じわじわと少しずつ嬲り殺すように、整備員はドーラを殺した。
もうドーラにはなにもできない。
もったいぶった言い方で飛行士たちの機嫌を損ねたり、彼らの眠気を増大させたりすることも。
自分のストックしているブランデーを飛行士たちに振る舞うことも、葉巻を吸う事も、できない。
足早に格納庫から立ち去る、見慣れない整備員の足首を掴むことも、彼の存在をヨハンに知らせることも、なにもできはしないのだ。
第一章【東方郵便機】はこれにて終了となります
第二章をしばしお待ちください
以下蛇足
ヨハン・ボドギンが駆る朱嘴号の元ネタは、イギリス空軍が第一次世界大戦中に開発したロイヤル・エアクラフト・ファクトリー製のS.E.5という当時の高速戦闘機です。
同時期にはソッピース・キャメルがあり、こちらは安定性を犠牲に格闘戦性能を重視した設計となっておりますが、小型の機体に大型のロータリーエンジン(エンジンそれ自体がプロペラと同じく回転する)を搭載したため、操縦性能は劣悪でした。キャメルはスヌー○ーがたまに乗るので形は有名かもしれませんね。
一方、S.E.5は操縦し易く高速で、エンジンも液冷エンジンのためトルクの問題もキャメルほどではありませんでした。唯一の問題は運用する際の重量を比較してもキャメルより200kg以上も重いこと、そしてエンジンの入手が困難で機体数を揃えられなかったことでした。
ヨハンのS.E.5はS.E.5aと呼ばれる改良型の内、ウォルズリー・ヴァイパーピストンエンジンを装備した型となっています。郵便機として改造する際に戦闘に必要な機関銃などを降ろし、追加燃料タンクと小型の後部座席を設けています。




