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【東方郵便機】―Gambit―EP.3

 錆の浮いたパイプベッドに腰を下ろし、そのまま身を横たえる。

 そうしながら、ヨハンはかつての自分を思い出しながら這い寄る睡魔に身を委ねる。

 ガリアで出会った若い娘との甘い思い出や、同じ飛行士たちと興じたトランプ。


 ジャズを聴きながら煙草を燻らせ、ジョークを飛ばしあっていた日々が瞼の裏側で流れていく。

 煙草の赤い光がポツポツと記憶の中で付箋となって表われていった。

 その記憶たちは赤い光が灯ると始まり、また赤い光が灯ると、終わっていった。


 そして飛行士は薄い胸板を微かに上下させ、煙草の赤い光が刻む、過去の中を飛びながら、安らかな寝息を立てはじめた。

 


―――


 翌朝、飛行計画通りの時間にヨハン・ボドギンは愛機である朱嘴号の隣にいた。

 東方郵便機として使われている朱嘴号は、前大戦でヨハンが乗っていた戦闘機を郵便機に改造したもので、中身はブリタニアの王立航空機製造所が生み出した偵察機試作五型そのままだ。

 燃料タンクを幾つかと郵便の搭載スペースを設け、機首にあった二丁の機関銃を降ろしはしたが、持ち前の高速性能と機体の頑丈さは損なわれておらず、ヨハンはこの機体で多少どころかかなり滑走路の状態が悪くてもなんとか着陸させるので、郵便飛行士の間では命知らずとして有名だった。


 もっとも、戦中でもガリアきってのエースパイロットだったギンヌメールと同等か、それ以上の命知らずとしてブリタニア陸軍航空隊では名が知れていたから、昔の渾名がまた返ってきたのだとヨハンは思って、何も言わないのだが。



「……手紙はこれだけか」



 手提げ袋に入った便箋の束を覗き見ながら、ヨハンは不満がって唇を尖らせて格納庫の外を見る。

 バンナウィッツ飛行場は、平地の広がるベーヘン地方の最北端に位置する辺境の飛行場だ。

 そのため、滑走路幅は二十メートルもなく、長さも三百メートルあるかどうかという短さである。


 大型機は収まらない格納庫は赤茶色の錆が浮き、雨風の浸食に耐え切れずぼろぼろになっている。

 まだこのベーヘン地方がオストマルク=ウガリア二重帝国の領地だった頃、つまり大戦争時代は、二重帝国の航空隊がルージア帝国の重爆撃機隊を迎撃するために使っていたのだが、陸軍が壊滅し戦争の続行すら困難になった二重帝国は航空隊を辺境から撤退させ、基地はそのまま放棄した。


 その後、二重帝国は二重どころか三重四重に分裂し、今ではここベーヘン地方がベーレン=メーレン共和国として、その南東の土地にポルツキが、そして二重帝国を構成していた主たちはオストマルクとウガリアに分裂し、各国各々王政を廃止したりしなかったりと、戦後の後整理に政治混乱が重なり、なんのために独立したのかすら分からなくなっている国さえある。


 けれど、だからといって手紙という文化が廃れたわけではない。

 無線の電波や電話線があっちこっちに跳んだり伸びたりしていても、手紙というのは未だに連絡手段として用いられている。

 その輸送のためにヨハンたち郵便飛行士は飛び、速さを目指してあらゆる航路を開拓してきた。


 剣のような山脈で気流に揉みくちゃにされて墜落した郵便飛行士や、砂漠の上空で現在位置を見失って遭難した郵便飛行士、そうした犠牲も少なからずある。

 だが、人の書いた愛を、時によっては死の報せを、つまりは手紙を運ぶのだという情熱が、空を飛ぶということへの執着が、飛行士たちをこの仕事に押さえ込んでいた。

 量の問題ではないのだが、やはり自分が背負うものが重いほど遣り甲斐もまた増えるというものだ。

 だからヨハンは少し不満で、残念で、溜息を吐く。



「大丈夫だよ、ヨハン。ブガレストックに着いたら、そこでまた〝荷物〟を貰う予定になっているからね」


「帰りの飛行計画はブガレストックで燃料給油、そのままガリアの本社に戻ることになってるんだけど。……それにしたって、見送りなんて珍しい。なにかあったのか、支配人?」



 眉間に皺を寄せて不満を露にするヨハンだが、ドーラはその年相応の笑みを浮かべたまま動じない。

 昨日と同じ、茶色いスーツに真っ白なシャツを着て、灰色のネクタイを締めている。

 が、そのどれもが皺だらけで、疲れ果てているように見えた。


 実際、支配人は気楽にやっていられそうな役職だが、そうではない。

 支配人とはつまり、郵便飛行士たちの司令官であり、闇夜や未開拓航路という難敵に脆弱な飛行機に跨り、内燃機関という槍と自前の技量という鎧を着込んだ飛行士たちをぶつける、宣告者なのだ。

 まだ年若い飛行士たちにドン・キホーテになれと、まともな精神の人間が言えるだろうか。


 まだ若く生き生きとした者に、凝り固まった伝統と愚鈍蛮勇を押し付ける。

 そのままに死ぬかもしれない危険の中へ飛べと宣告しなければならないドーラの苦痛。

 ヨハンはそれを理解はしていないが、感覚的に分かっていた。

 彼もまた飛行士と同じく、沈黙の中をただただなにかしらの縁を信じ飛び続ける人種なのだ、と。



「なにもないよ、ヨハン。ただ時にはあのテラスからではなく、地に足を着けて君ら郵便飛行士を見送ることも必要だと気づいただけだよ」


「そう。まあ、それも良いかもしれない。支配人は僕らとまったく同じ視点には立てないだろうけど、僕らとほとんど同じ視点には立てるだろうから。……今は飛行前点検中で、エンジンを動かしてもらってる。補助翼は問題ない」


「なら支障なく飛べそうだね」



 もちろん、とヨハンは相槌を打ちながら格納庫の外を見て目を細める。

 自分が耳にし目にすることになる飛行計画を、ヨハンはすべて暗記している。

 だからというべきか、彼は本来であればもうバンナウィッツ飛行場へアプローチに入っていてもおかしくない郵便飛行機が一機いたのを知っていた。

 

 その郵便飛行機は、まだその姿を見せていなかった。

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