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【戦う飛行士】―Pawn Roller―No.3

 ヨハンはケボーロフの手を握り締めたまま、その温もりが失われていくのを、巧みに操縦桿を操っていたそれが石のように硬くなっていくのを、命が砂上の楼閣の如く静かに失われていくのを感じていた。


 それはただ一人の男の死を意味するのではなく、この東方における航空開拓史の一つが終わったことを意味していた。


 東方の航空業を営む者なら、あるいは東方で飛行家を自称する者なら誰もがルージアに始めて航空機を持ち込んだピョートル・ケボーロフの名前を知っていた。

 彼は東方の空の征服者であり、山々に挑みかかった東方の民であり、その荒涼とした景色に魅せられた高潔な魂を持つ人。


 それがケボーロフであり、ケボーロフという名についた意味である。


「………よくもこんな状態で、綺麗に着陸しやがったもんだよ」


 ヨハンの後ろで機械油まみれの整備士が弾痕だらけのブレゲー14を撫でながら、死者を賞賛する。

 ブレゲー14にはブレーキもなにもない。それだというのに、ケボーロフはしっかりとブレゲー14を滑走路に着陸させたのだ。傷だらけで穴だらけの脆い翼で、消え入りそうな息吹と生命の限り。

 ケボーロフの瞳を閉じさせ、ヨハンは後部座席の中を覗き込んでいる整備士に言った。


「後部座席、娘がいる。生きてるかい?」

「ええと……なんだこりゃ、鉄板で囲ってあるぞ。こんな重いもの積んで飛んでたのかよ」

「娘は?」

「あ、ああ、生きてるが……どうも気絶してるようだな……。肩を揺さぶっても起きやしない」

「降りろ。僕が運ぶ」

「分かった。それじゃ俺はそっちの……彼を運ぶよ」

「ああ、頼む」


 機械油まみれの整備士がヨハンと場所を代わる。

 整備士は他の整備士や野次馬の操縦士と共にかつての航空業界における偉人だったものを、銃痕だらけになった操縦席から引き出して担架に乗せた。

 ケボーロフの身体から血が滴り、服を塗らしても、男たちは悪態もつかずに彼だったものを運びとおした。


 そして皆が足を揃え、右手を左胸に、あるいは右手を挙げて敬礼をする。


 それが偉人に対する礼儀であると彼らは分かっていた。


 ヨハンはそうした面々を尻目に、後部座席を覗く。

 座席の四方は、防弾用の鉄板で守られていた。これでは重量バランスが悪化して操縦性が劣悪なものになるとヨハンは思い、その鉄板で守られていた少女を見て、伸ばしかけた手を止める。


 少女は雪のようだった。


 白銀色の髪の毛は粉雪のように柔らかく、ダイヤモンドをちりばめたように煌いて見える。肌は雪をそっと押し固めたように瑞々しく、滑らかで美しい。


 白く、儚く、触れただけでも脆く崩れ去ってしまいそうな少女が、そこに座っている。


 苦しそうに、悪夢にうなされているようにうめき声をあげながら。


「………分かったよ、ドーラ。この娘を、ブリタニアまで運ぶんだね」


 赤子を抱えるようにしてヨハンは少女を引き上げ、抱きかかえる。

 瞬間、ヨハンは自分という器に暖かい春の風が流れ込み、満たされていくのを感じた。

 空と風と飛行機では得られなかった温もりが、機械のように、あるいは老人のようになった男の心に触れ、それを溶かそうとしているかのように。


 だが、ヨハンは気にしなかった。


 古く変色した日々から彼はあまりにも遠くなっており、その日々はあまりにも鮮明過ぎ、鮮烈過ぎる。

 良きことも悪いことも、ヨハンは何一つ覚えていた。

 覚えているからこそ、その日々に戻ることを拒絶していた。

 暖かい春の風を感じたとしても、それは一時の錯覚であって、自分が心を真に許せるのは空と風と飛行機と、それにまつわるものだけだと思い込んでいる。

 それ以外に彼が必要としている関係は、ありはしないのだ。


 ケボーロフが担架で運ばれて行き、整備士たちがぼろぼろのブレゲー14に集まり、燃料漏れがないか、炎上や爆発の危険性がないかを確認し始める。


 ヨハンはその整備士たちを横目に、少女を抱きかかえて宿へと運んだ。

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