【戦う飛行士】―Pawn Roller―No.2
飛行場の着陸誘導灯の光が、ケボーロフには見える。
あとは操縦桿を握り締め、ペダルに乗せた足に力を込め、何度もやってきた工程を何度もやってきた通りに行うだけだ。
だがそれだけのことをするために、血が足りるだろうかとケボーロフは思う。
何発の弾丸がこの身体の中にあるか、何発の弾丸がこの身体を貫いたのか、ケボーロフは知らないし、知りたくもなかったが、その結果として身体が穴だらけのバケツのようになってしまっているというのは嫌でも自覚させられる。
感覚は麻痺し、集中力は殺がれた。
計器はデタラメな数字を指したまま留まり、エンジンは老衰を間近にした老人のように咳き込んでいる。
「踏ん張れよ……。これで最後だ。これが最後なんだ……」
視界が霞み、着陸誘導灯が何重にも見えた。
耳が遠くなり、死にかけたエンジンの呼吸が聞こえなくなった。
身体の感覚が遠ざかり、操縦桿とペダルがどんな状態になっているのかが分からなくなった。
しかし、ケボーロフは諦めなかった。
ピョートル・ケボーロフは屈しない。
傾いた機体を建て直し、消えかかったエンジンを蘇生し、ブレゲーは滑走路へ滑り込む。
車輪が嫌な音をたてて軋み出し、地上の法則がケボーロフに圧し掛かった。
壊れた通信機がぶつぶつと途切れがちな声をあげているが、今のケボーロフにはどうでもよいことだった。
「……お嬢様、つきました。やりましたよ」
ぐったりと前のめりに倒れこみそうになるケボーロフを、シートベルトが捉える。
ブレゲーの周囲ではがやがやという喧騒だけが、野次馬と困惑する人々の到来を知らせていた。
そんな中で、誰かが機体によじ登ってくる音がした。ホルスターから拳銃を取り出そうとしたケボーロフの視界に、東方郵便機のエンブレムが縫い込まれた飛行服が見える。
「ああ、ドーラの使いか……。遅れちまって、すまねえな」
視界が黒く、暗く塗りつぶされていく。
それでもケボーロフはその飛行服を来ている男を見据えて、ごろごろと水っぽい音を吐き出しながら言った。
「仕事の、引継ぎを頼む。あの娘を……原石を、渡らせてくれ」
ケボーロフの手を、男が支え、しかと握った。
返答があった。
「それが僕の仕事だ。安心しろ、必ず僕が届けてやる。東方航路の開拓者、ピョートル・ケボーロフの名を穢しはしない」
その言葉を聞き、ケボーロフは笑う。
空への渇望が、飽くなき冒険の日々が彼の中で過ぎ去り、消えていった。
東方航路の開拓者、北方の先行者、そんな呼び名はいろいろとあったが、どれもこれもが無味乾燥な響きでケボーロフは興味などなかった。だが、今この瞬間、自分がこの寒涼とした東方の大地の上に、空の果てまで続く大きな足跡を残したのだと考えると、存外に嬉しいものだと思うことができた。
なぜならば少なくとも、ピョートル・ケボーロフは飛行士たちの中で生き続けるのだ。
ここはケボーロフが開拓した航路だと、そのために何人の飛行士が安全に東方を飛ぶことが出来るのだと、後々、そう語り継がれ、そうしてケボーロフは、その身が消え去ったとしても、――永遠に不滅なのだ。




